コンプレックスが偽る恋 14
九頭は沈黙を楽しむように、にやつきながら首を鳴した。
亮太がゆっくり立ち上がり、皆がそれに気を取られた時だった。
「ふざけんじゃないわよ!」
「いてーっ」
沈黙をいきなり破る弥生の声。弥生はアキラの足を思いっきり踏んだらしい。
アキラが手を離した隙に、手を振りほどき、私の手をとって乙女ちゃんの後ろまで走る。お嬢は私達を抱き留め、乙女ちゃんは三人を守る様に立つ。
「むっちゃんを、友達を見捨てるわけないでしょ。バーカ」
弥生の威勢に、足を踏まれたアキラが怒りを露に一歩進み出る。
「ヤロっ女だと思って優しくしてりゃ、ナメやがって」
何かが光った。刃物の音がして飛び出たのは、ジャンピングナイフだ。
「九頭さん。やっちまいましょうよ」
「……そうだな」
九頭は無慈悲な声を響かせる。
「アスカは下がってろ。シュウ、ナオを見張っとけ」
あの血だらけの手をぶらぶら振りながら、亮太に詰め寄る。
「先輩!」
十津川くんの声は空しく通り過ぎる。亮太は怯みもしないで、九頭を睨み付けた。
「弥生の言うとおりだ。ここにいる全員、友達見捨てる奴なんかいねぇんだよ」
「はぁ?」
九頭が亮太の襟首を掴みあげる。
「俺らを潰せるもんなら潰してみろよ。このボンボンの馬鹿息子が」
ゴッ
固い物が打ち付けられる音がした。
私は怖くて目を瞑り、弥生に抱き付く。弥生の冷たくなった指先も震えていた。
「いい気になんなよ!」
何かがぶつかる音と、亮太の呻き声ばかりが聞こえた。
「お前もどけよ」
「断る」
すぐ後ろでアキラと乙女ちゃんの声。
指の隙間から見上げると、乙女ちゃんはまっすぐアキラを見つめ、両手を広げていた。心臓がバクバク音を立て、危険だと本能が警鐘をかきならす。けど、状況は好転なんかしてくれない。むしろ危険な匂いは濃くなり、緊張の空気は今にも弾けそうだ。
アキラはますます乙女ちゃんの動揺のない、堂々とした様子にいきりたっていた。
「ナイフをしまいなさい」
乙女ちゃんの穏やかな声に、張り詰めた緊張の糸がついに切れる。
「どけって言ってんだろが!」
「イヤーッ」
ナイフが思いっきり振り下ろされた。乙女ちゃんの腕をその切っ先で、とらえた、かに思えた。
瞬間、視界は目まぐるしく変化する。
「止めろ!」
鋭い声が飛んだ。十津川くんだった。
十津川くんがシュウを押し退け、アキラに飛び付いたのだ。
ナイフが床を滑っていく。けど、それには赤い物がついついて。
「……腕っ」
弥生の声に反射的に振り向く。そこには血に染まった腕を抑え、蹲る乙女ちゃんの姿。
「シュウ! ナイフ拾え!」
九頭の檄に、シュウが雷に打たれたみたいな反応をして、ナイフを探し始めた。ナイフは、シャッターに当たり、転がっている。
私の視界からまた影が一つ消えた。
お嬢だ。お嬢はしなやかな腕を伸ばし、ナイフに飛び付いた。
ナイフに触れたのはシュウとほぼ同時。二人がもみ合う。
「やだ! お嬢! 離して!」
私が叫んだ時だった。お嬢の顔にナイフが滑り、髪が一束落ちた。
「お前っ」
カッとした亮太が、九頭を振り払いシュウに掴みかかる。そして拳を振り上げた。
「亮太! 手は出すな」
叫んだのは乙女ちゃんだった。すんでの所で手が止まり、その亮太の脇腹を九頭の足がなぎ倒す。
それでも、お嬢はナイフを離さなかった。
「しつこいっ」
最後はシュウの指に噛み付いて奪いとった。
もう、皆ボロボロだ。
私は弥生にしがみつきながら、激しく後悔し自分の愚かさを嘆いた。
皆、私のせいで……。
「どうした? 全国三位なんだろ? 手を出せよ」
九頭は亮太の髪を掴み、顔を上げる。
亮太は強がって笑ってみせた。でも、その顔は腫れ上がり、所々血が流れてる。
「亮太!」
もう一度乙女ちゃんが叫んだ。
「わかってる!」
亮太は返すと、九頭にしがみつく。
「ここで殴ったら、こいつと同じレベルになっちまうからな」
「あ?」
威嚇する九頭に亮太はなをも言葉を続ける。
「いくらでもやれよ。その代わりなぁ」
亮太は逆に九頭の胸ぐらを掴み、顔を寄せた。
「これ以上俺のダチになんかしてみろ。お前が何だろうと、俺は地の果てまで追いかけてやる」
あんなに痛め付けられてるのに、全く揺るがない、低く強い声。
その威圧感に九頭も圧倒され始める。
「いいか。俺はしつこいぞ。覚悟出来るんだろうなぁ」
「離せ!」
九頭が初めて怯えの色をみせ、亮太を殴った。
けど、亮太は手を離さない。
「離せ! 離せ! 離せ!」
打ち下ろされる拳に、身動ぎもしない。他の皆も、そんな亮太に圧倒され動けない。
「離……せっ」
九頭の拳が亮太の額を割って、鮮血が飛び散った時だった。
遠くから救急車のサイレン音がした。
「……くそっ」
九頭は舌打ちすると、亮太はようやく手を離す。
「睦月くらい、くれてやるよ。そんかし、これ以上俺らに関わるな」
九頭は唾を床に掃き捨てると、顎をしゃくって仲間に合図した。
シュウもアスカも、十津川くんから解放されたアキラも、サイレンから逃げる様に九頭の後を追った。
四人の姿が見えなくなると、ようやくホッとして、亮太は床にへたりこんだ。
弥生がすぐに駆け寄る。私は、残った十津川くんを見た。
十津川くんは固い表情のまま呟くように言った。
「お前らも逃げろ。救急に見つかれば奥の奴等の事もあるから、面倒な事になる。怪我は余所で治せ」
「十津川くんは」
十津川くんは床を見つめたまま
「……俺は残らないといけない」
「でも」
残していけない。だって、残れば十津川くんが犯人にされちゃう!
「早く行け!」
「むっちゃん」
お嬢が私の肩を抱いた。
サイレンはすぐそこまで来ていた。
「行こう!」
亮太を乙女ちゃんと担ぐ弥生。
「でも!」
「行くよ!」
お嬢が強引に私を引っ張る。私は引きずられる様に、ビルを後にした。
十津川くんの、寂しそうな影を残して。