コンプレックスが偽る恋 7
意外な台詞に私は警戒する。アスカは寝そべったまま、肘をついた掌に自分の顎を乗せ、上目遣いにこちらを見つめる。
「そうだけど」
アスカの目が半月型になった。
「あ~。やめといた方がいいよ」
私は眉を顰める。アスカは今度は爪をいじりながら
「うちのお姉ちゃんが中学一緒だったんだけどぉ」
チラリ私をバサバサ睫毛が窺った。
「やっぱ止める。悪口になっちゃうもん」
そう言うと、まるで自分から話しを振ったのさえ忘れた様に視線を外した。
言い様のない暗雲が胸に広がって行く。
あの部長の悪口? 全く想像出来ない。
クラスでも友達はたくさんいて、明るくて、優しい彼女に?
「睦月ちゃんは、その子と高校からなんだよね。聞いといた方がいいんじゃない?」
軽い調子の長髪が言う。確かに、中学の頃の部長を、私は知らない。
「何?」
私の小さな声に、アスカは敏感に反応してニヤリと笑った。
「あくまで噂だよ」
「うん」
小悪魔の様な笑み。アスカは、大きな目で私を捕らえる。
「一之瀬弥生って、その……自分よりブサイクを選んで親友面で近付くんだって。特に友達いない子ね」
気持ちの悪い何かが、胸の中で大きくなっていく。
「で、自分の引き立て役にしちゃうの。で、相手が生意気になってきたらポイ。中学の頃は、そうやって何人か使い捨てしてたみたいよ」
アスカは小首を傾げた。
「睦月ぃ。一之瀬弥生に騙されてるんじゃない?」
一瞬、息を飲んだ。
教室で一人でお弁当を食べてる私に、初めて話しかけてくれた部長。十津川くんへの気持ちも馬鹿にしないで、真剣に聞いてくれた部長。自信がなくて、何にでも消極的だった私を引っ張ってくれた部長。
親友だって言葉にはしないけど、そう、いつからか信じてた。それが、みんな……嘘?
また疑問が生まれ、私の頭は混乱し始めていた。
たくさんの疑問が浮かんでは消えて、消えては新たな疑いを連れて来る。
自分の初めての親友を、心から信じられない自分にも腹が立った。
確かに私はブサイクで、友達も他にいない。
じゃあ?
もしかして?
そんな小さな、でも明らかな綻びが生まれ始めていた。
「そ、そんな事」
声が上手くでない。私は困惑して、視線をうろうろ彷徨わせた。
いつの間にか、私に視線がまた集中していた。
そんな私の肩に優しいぬくもりが、ポンと降りた。
「ま、いいじゃん。そろそろ行こうぜ」
十津川くんだ。
腕を組んでいた九頭先輩がそれを解いて
「そうだな」
「行こ」
私の顔を覗きこんだ十津川くんの顔が、あまりに近くて、私は首を竦める。
そんな私の耳に彼の囁き声。
「花火会場行くまでに、抜けだそうな」
「え」
目をパチクリする私に、彼は笑ってみせ、私の手を引いた。
繋いだ手が、大きくて、すっかり気持ちが折れかかってた私を支えてくれてる、そんな気がした。
そうだ、今は彼を信じよう。
今、私の手を引いてくれてるのは他の誰でもない。十津川くん、彼なんだから。
私達は外に出た。
もうすっかり暗くなっていて、見上げたら夏の星座が瞬いていた。
とっくに門限は過ぎてる。今も震える携帯が、後ろ髪をひく。けど……。
「乗れよ」
今日だけは……。
「うん」
私は頷くと、十津川くんの背中に抱き付いた。
夏の夜風は少しの不安とたくさんの疑い、それら皆をいとも容易く忘れさせる熱を孕んでて、私はその風の流れるままにいる事を選んでいた。
皆、バイクに乗るみたいで、アスカちゃんだけ九頭先輩の後ろにくっついていた。
「行くぞ」
九頭先輩のバイクに続いて、大きな家を後にする。
知らない街はすっかりその顔を変えていた。街明かりに、祭り特有のざわめきと華やかさが漂い始めた時、十津川くんはバイクのハンドルを切った。
横道にそれて、皆の姿がなくなる。
「夜店はないけどさ、こっちのが花火、良く見えるからさ」
言い訳の様な、独り言の様な事を言って、バイクのアクセルを回した。
スピードをあげたバイクは、どんどん皆と離れ、祭りの明かりからも遠ざかる。
人気も引いて、また海の香りがしてきた。
寂しい風景になってきたのに、私はあの人達の空気から解放されてホッとしていた。緊張を溜め息にして吐き出すと、無意識に十津川くんの背中に身を預ける。
響くエンジン音。広い背中。伝わる振動。
パッ
急に空が明るくなった。次いで大気を揺るがす爆発音。見上げた暗闇に、今までみたどの花火より綺麗で、鮮やかな光の華が煌いていた。
バイクを止めて、自然と手を繋いだ私達は砂浜に降りた。
肩を並べ座る私達の頭上には、幻想的な光景が広がる。
一瞬で消える光。それでも……
私はそっと刹那の幻に目を輝かす彼の横顔を見た。
生まれて初めての気持ちは、今、静かに音を立てて動き出した。
帰り道は静かだった。
私達はどちらも何も話さなかった。帰るには、もう随分遅い時間なのに、今日一日ずっと一緒だったのに、バイクの振動が止まるのが苦しかった。
やがて風景はいつもの日常のものへと変わり、明かりのついた私の家が見えてきた。
家の前に人影が見える。それが誰かなんて、考えなくてもわかった。
母だ。
檻の中のクマみたいに、行ったり来たりしている。いつもなら申し訳なく思うのだろうけど、正直、今は少し疎ましくさえ感じていた。
きっと、家の前まで行けば、十津川くんに迷惑がかかる。早くに離れるのは嫌だけど仕方ない。
「ここで……」
私は商店街の端で十津川くんの腕を引いた。
バイクが緩やかに止まる。
私は降りるとヘルメットを返した。
「あの、今日はありがと」
初めて私から話せた。十津川くんは、はにかんだ顔でメットを受け取ると
「俺こそ。なんかガキの頃に戻ったみたいで、楽しかった」
くしゃっと私の頭を撫でる。
「あの本屋の事、二人の秘密な」
「え」
今、ここでその話が出ると思わなくて、私は十津川くんを見つめた。彼は自分の口に人差し指をあてると
「また、遊ぼうな」
そう言ってエンジンをかけた。
「じゃ」
「おやすみなさい」
私は花火の後の寂しさ以上の切なさを、かみ殺しながら小さくなる彼の背中を見送った。
バイクのテールランプが消え、私の長い一日がようやく終わった。