コンプレックスが偽る恋 5
私達は二つも離れた街に来ていた。
海岸沿いにバイクを止めて、ヘルメットを取ると、真夏の眩しい光が飛び込んで来た。
私は心地良い潮風に目を細める。海水浴場じゃないから、人影は釣人がチラホラ程度。砂浜はなくて、コンクリートのテトラポットの先に少し足を浸せる場所があるくらいだ。
「こっちこいよ。飯食おうぜ」
見ると、十津川くんはテトラポットの上を器用にひょいひょい歩いていた。
私は部長から借りた慣れないミュールなので、後に続くのは断念してその下の平坦な道をいく。
何か話さなきゃ。
暑いね。夏だから当たり前か。ここ良く来るの? 余計なお世話かな。お腹空いたね。今から食べに行くんだってば。
私は心の中ではお喋りだ。けど、声にする自信が無くて、いつもの様に地面ばかり見てしまっていた。
「睦月さぁ、俺が学校ずっと一緒なの、知ってた?」
十津川くんの声に、やっぱり上手い返答が出来なくて、私はただ頷いた。金髪が日に明るくて、耳のピアスが光ってた。
「なんだ。そっか」
十津川くんは両手をポケットに突っ込んだまま、私の前に軽々と飛び下りた。
子どもみたいな笑顔。まるでピーターパンだ。
「じゃ、昔みたいに直って呼べよな」
そう言うと、キョトンとする私を笑って、いつの間にか目の前にあったカフェに入った。
白い木造の柱や壁に青い屋根。扉が涼しげな音を立てる。
「来いよ。今日はおごってやるからさ」
店内からクーラーの涼やかな空気が流れ出てきた。
私は知らない街の、知らないカフェに慣れた様子の彼の、新しい顔を見つけられて嬉しかった。
それからも私達は、遠い街をあちこち走った。
海沿いや少し山の手。一度ファミレスで休憩しただけで、気がつけば陽が斜めに射し始めていた。
買い物もしない、映画もみない、遊園地や動物園みたいな場所に行くわけでもない。そんな友達との外出は始めてだった。
自然と会話も少なかったけど、それでもバイクの後ろで彼に掴まってると一緒にいるって、体の中がふわふわするくらい嬉しくて実感できた。だんだん胸のドキドキは治まってきたけど、その代わりに切なさが込み上げて来た。
やっぱり私は十津川くんが好き。
こうやって過ごすのが今日限りでも、きっと私には奇跡だ。
けど……
「疲れた? 少し降りるか」
二人を繋げてたバイクの細やかな振動が止まる。
私は一日の終わりを感じて、寂しさを感じながらも黙って降りた。
始めに来た海に戻っていた。日は柔らかなオレンジ色に変わり、水平線の遠くの方は夕闇を引き連れた空の藍がぼんやり広がっている。
私がぼぅとしてると、十津川くんはどこからか缶ジュースを買って持って来てくれた。
「はい。お疲れさん」
投げられた缶ジュースは、アーチを描き私の手に飛び込んで来る。
「座ろうぜ」
十津川くんはそう言うと、重力を感じさせない身軽さで堤防をよじ登った。
「ほら」
上から差し出される手。私は一瞬、自分の体重を考えてためらった。
それを十津川くんは察して
「大丈夫。ちゃんと引き上げてやるから」
日に焼けた彼の笑顔。
私は黙って頷くと、その手をしっかり握った。
堤防の上に昇る。涼しい潮風が吹いて肌を浮かせていた熱をさらって行った。
彼は腰を下ろすと、缶ジュースを一口飲む。私はどんな距離にいたら良いのかもわからなくて、結局丸々誰か一人座れるくらいの間隔を空けて座った。
また沈黙だ。私は申し訳なくなって、また切り出しの文句を探し始める。
「睦月さぁ。これからも、たまに会わねぇか? ま、会っても今日みたくバイク走らせてばっかになるけど」
私は驚いて十津川くんの横顔を見た。夕陽に染まった日に焼けた顔は、どこか寂しげで複雑な顔だった。
「あ、やっぱ、女にはつまんねぇよな」
「う、ううん」
私は慌て首を振る。つまんなくない。何もかもが新鮮で、刺激的で、楽しかった。それに、私だって、これからも会いたい。
「そっか。良かった」
十津川くんは子どもみたいに微笑むと、また海の方を見た。
「……俺さ」
ポツリ話し始めた。
「中学入って、すぐに親父の会社が潰れて、親父がいなくなってさ。毎日お袋と借金取りにビビって暮らして。いつからかお袋が水商売するようになってさ」
拗ねた様な声。細められた目は、まるで空と水平線の境を見極め様としてるみたいだ。
「何か面白くなくてさ。今の奴等とつるみだしてさ……」
苦笑いして、私に見せる様にピアスを指で弾いた。
「けど、最近、ひょっこり親父が帰って来やがった。今更ってむかついたけど」
海風が十津川くんの前髪を揺らす。
「お袋も働かなくて良くなってさ。俺にも大学行っても良いって」
十津川くんは自嘲した。
「そしたらさ、急に馬鹿やってたのがつまんなくなって。今からでも、やり直せるかなって……」
あぁ、それで本屋さんにいたんだ。
「まぁ、そんな、上手くいかねぇわな。けど、睦月に昨日会ってさ、何か昔にもど……」
「あ~。ナオじゃん」
その時、聞き覚えのない声がした。
見ると、彼がいつも一緒にいるグループのリーダー的な上級生が堤防の下から私達を見上げていた。
空気が変わった。
さっきまでの柔らかな夕陽は、ジリジリ肌ににじり寄る痛いくらいの熱さになる。
「こんにちはっす」
十津川くんの顔色も変わり、立ち上がると頭を下げた。
私もつい倣って立って頭を下げる。
慌てた様子で十津川くんは堤防から降りると、私にも手を差し出した。私も何かに追われる様に降りると、大きい体の相手を見上げた。
高校生なのに真っ白にしてる髪が不気味。それよりもっと怖いのは、その顔を覆う前髪から覗く鋭い目だ。
「最近連れないと思ったら、彼女?」
親しげな口調とは裏腹に、目は全く笑ってない。私はその強い視線にすっかりい竦み、俯く。十津川くんは一度私を見てから。
「幼馴染みっす。九頭先輩」
「へぇ」
九頭先輩は細い目をさらに細めて私をジロジロ見つめる。
私は怖くて、目が合わせられなかった。
先輩の薄い唇が吊り上がった。
「ちょうどこれからメンバーで集まるんだ。来るだろ?」
まるで断る余地を持たせない声。
「君もね」
私の肩が軽く叩かれて、私は首を縮めた。
嫌だ。行きたくない。
泣きそうになるのを堪えて、助けを求める様に十津川くんを振り返った。でも……
「もちろんっすよ」
軽薄な笑みを浮かべた十津川くんは、私を見てくれはしなかった。