性別が壁になる恋 11
私達はグラウンドの隅の大銀杏の木の下まで来た。
遠くで練習する声が聞こえる。大銀杏はたくましく枝葉を広げ、秋には鮮やかな黄色になる葉も今は瑞々しい緑で、優しい木陰を作ってくれていた。
先に会話の口火を切ったのは、先輩だった。
「四ッ谷。あれから俺、反省したよ。すまん。やっぱり、あんなやり方ないよな」
私はすまなそうな先輩の顔に、首を振った。不思議と、さっきまでの恐怖はなくなっていた。
「いいんです。たぶん、あぁでもしないと、自分がどちらの話も聞く前に断ると思われたんでしょ?」
先輩は私の指摘に鼻の頭をかいて、頷いた。そんな表情も大好きだ。
私は静かに目を閉じる。
『なんだよ、気持ち悪ぃな』
耳元で初恋の幻聴が囁く。でも、私はその過去から一歩踏み出すって決めたから、もう怖くはない。
「すみません。やっぱり、どちらもお請け出来ません」
「どうして」
私は先輩を見つめる。先輩は私を見つめてる。
ここにいる自分から目はそらさない。
私はそらす生き方より、向かい合う生き方を選んだのだ。
「私は、陸上が好きです。でも、同じくらい空手も好きなんです。だから部長は出来ません。妹さんの事は……」
世界中の音が消えた。聞こえるのは、私の臆病な鼓動だけ。
『気持ち悪ぃな』
デジャヴする過去に私は唾を飲み込んだ。何とか、乾いた唇を動かす。
「好きな人が諦められないんです。だから、お付き合い出来ません」
大銀杏の葉が一斉に揺れた。
葉ずれの音、木洩れ日、熱を捨てない風そして、ここに私がいる。
「私は、私が好きなのは、先輩、あなたです」
大銀杏は私の告白を、ただじっと見守っていた。
沈黙は一瞬だったのかもしれない。
ただ、私には酷く長く感じた。
先輩は私を凝視してから、力無く大銀杏の幹に背を預け、陽を避ける様に手の甲を自身の額にあて目を閉じた。
その横顔は、怒ってるようにも、悩んでるようにも見えて、私は息苦しさを覚えた。
眩し過ぎて直視出来ない太陽の様に、先輩の光だけを感じて見なければ、その温かさだけに触れていられたのかもしれない。
その光に触れたいと思い始めた時から、私の心は燃え始めてしまったのだ。
それでも構わない、後悔はないと今なら断言できる。灰になっても、この気持ちは私の偽りない気持ちなんだから。
ただ、先輩を傷つけてしまったのかもしれない。それだけが心配だった。
『こんななら、会いにこなければ良かった』
ごめんなさい、私なんかが好きになって。
「四ッ谷」
先輩の声がした。少し掠れていた。
「はい」
私はいつしか落としていた視線を上げる。先輩は、一つ深い息をついた。
「ごめん。俺、全然気がつかなくて。正直、びっくりした」
「はい」
私は泣き出さない様に、拳を握り締める。先輩は戸惑いを隠さない代わりに、微笑んだ。
「辛い……思いをさせたんだろうな。あの日、コイケンの奴等がいた事も納得いったよ。けど」
先輩は一度唇を噛んだ。
「ごめん。俺、今は九里が大切だから。お前には応えられない」
胸が痛んだ。答えはとっくにわかってたのに。
私はぎゅっと目を瞑る。その強張った肩に、先輩の手が添えられた。
すぐ傍で先輩のいつもの優しい声がする。
「でも、ありがとう。陸上、また出て来いよ。皆、いや俺はお前を待ってるから」
肩の重みが消え、先輩が遠ざかる音がする。
私はゆっくり目を開け、涙が零れないように天を見上げた。
手を伸ばしても届かない青が、緑の向こうに鮮やかに見えた。
失恋は慣れっこだと思っていた。いつも、こっそり始まり、密かに終わってた。
もしかしてちゃんと失恋できたのは、あの初恋以来だったかもしれない。
痛みはその分深いけど、後悔は全くなかった。
「さて」
結局、すぐに全てを周りに話せる様になったわけじゃない。
たぶん、以前と変わらず陸上も空手もコイケンも続けて行く。
何にも変わってないと言えば、それまでだ。
だから、壁は越えられたのかわからないけど……。
私はぐっと背伸びした。
前に進んで行ける。そんな気がした。