性別が壁になる恋 10
私は亮太を見送ってから、あの日から閉じたままになっていた携帯を開いてみた。
コイケンの皆からのメールに着信。十文字を始めに、陸上部の仲間からのメール。道場で知り合った人達の留守電。先輩からのメールも毎日来ていた。
「……何、これ」
私は携帯を握り締めると、顔を伏せた。
何を、私は一人で不幸ぶってたんだ。好きな人に彼女がいたくらいで。
私はこんなにも、幸せじゃないか。
もちろん、本当の私を知れば、去って行く人もいるかもしれない。けど、この人達といる私だって、やっぱり私なんだ。
じっと、自分の掌を見つめてみた。
私は、本当に空手が嫌だった? 一心不乱に稽古してる時、試合で相手と真剣に挑み合えた時、父や祖父の笑顔の為じゃなく、自分の為に心が震えていたんじゃないか?
陸上はどうだ?
今度は足下に視線を移す。
確かにきっかけは先輩だった。でも、今はどうだ? グラウンドを駆け抜ける時。自分に勝って、記録を伸ばせた時、先輩の事は頭にあったか?
「……先輩」
私は顔を上げた。
自分に向き合うのは、怖いし難しい。でも、私は一人じゃないんだ。
夏草の香りを携えた風は、明るい空に吹き抜けて行った。
結局、学校には遅刻ギリギリに着いたんだけど、色々考えたくて、保健室に逃げた。
「オトメか、珍しいな」
百崎先生はそうは言ったけど、何も聞かないで休ませてくれた。
たぶん事実は皆から聞いてる。
ベッドに入ると、久しぶりに夢も見ないくらいに良く眠れた。
深く深く、心地良い眠り。
目覚めたら、もう四時間目の終わりの頃で驚いた。
「良く眠れたみたいだな」
「はい」
百崎先生は身を起こした私に、良く冷えたお茶を渡してくれた。自身もベッドに腰掛けて、お茶を飲む。
先生は、美人で頭も良くて、合気道にも通じてるって聞いていた。そんな先生にも、まだ話してくれないが、上手くいかない恋があるらしい。コイケン発足の時に先生自身が言ってた。だから、顧問と言っても、皆と一緒だって、笑った先生を覚えてる。
「乙女、今、私の事考えてただろ」
「あ」
顔を赤くして俯く私を先生は笑った。
「お前も不器用なんだな。お前はお前らしく生きればいい」
先生は私の頭を撫でた。
「どんな道も、後悔も苦しさも失敗も待ってる。越えなきゃいけない壁も出て来る。それは誰だろうとだ」
「じゃ、どうしたら?」
不安な声の私に微笑んだ先生は、美しく強さを感じた。
「正解も間違いもないなら、自分で選ぶ事だ。自分らしい道をな」
私の道。越えなきゃいけない壁。
私は押し黙った。
「ま、難しく考えんでもいい。優しさも不器用さもみんな含めてお前だ。自分が一番笑ってられる道を探してみろ」
「はい」
先生は肩をポンと軽く、押すように叩いた。
「休みたくなったら、いつでもおいで。お茶くらいしか出してやれんがな」
そして先生はイタズラっぽくウィンクした。
私は久しぶりに安らかな気持ちになって、微笑み頷いた。
昼休みになってから、私は教室に足をむけず、購買でパンと牛乳を買ってグラウンドに向かった。
グラウンドでは、何人かがサッカーをしてた。私はぼんやりそれを眺めながらパンを頬張る。
足が走りたがっていた。体が動きたがってた。
そうか、ちゃんと自分に目を向けて、耳を傾ければ、やりたい事はわかって来るんだ。
見たら、サッカーをしてる中に十文字がいた。私は手を振ると、誰かがドリブルしてたボールを奪い取る。良く見ると、皆クラスメイトだ。私はリフティングしながら
「入れてくれないか?」
そんな私にポカンとする十文字。
「いいけど……お前、学校来てたのかってか、もう大丈夫なのか?」
「心配かけたね。もう大丈夫」
私はよっとボールを高く上げると、頭に乗せた。そしてバランスを取りながら
「答えは出たからね~」
「は?」
首を捻る十文字に、私は笑うと、足下にボールを戻した。
「さ、始めよ」
私はクラスメイトにパスすると走り出した。
無心にボールを追いかけ走ってると、体が喜んでるのが泣きたいくらいにわかった。
私はやっぱり……。
「おい。四ッ谷。そんなに上手いならサッカー部に来ないか?」
昼休み終了のベルに、教室にかけこみながら、サッカー部のクラスメイトが声をかけてきた。
でも、私はもう迷わない。
今、進みたい道も、越えたい壁も。
「ごめん。今はやりたい事あるから」
不安はなくなってはくれないけど、私は進む事を選んだ。
私は放課後を待って、陸上部に行く事にした。
越えたい壁を越える為に。
決意は固かったけど、緊張と不安は消えはしない。時間が迫るに連れ、逃出したい衝動が何度も襲って来た。でも……。
私は陸上部の部室の前にやって来た。
入ると、何人かいて、私の欠席を心配した声をかけてくれたが、先輩の姿は無かった。
少しホッとしたような、残念な様な、そんな気持ちのまま、グラウンドに探しに行く。
いた。
グラウンドを臨むベンチに先輩は一人座って、皆の練習を見たり、何か手元のノートに書き込んでいた。
夏を思わせる、強い陽射しが、先輩の影を濃く地面に焼き付けていた。
震える鼓動、渇く喉、踏み出せない足。それは恐怖、それは不安、それは……全部私の弱さだ。
そっと息をつくと、先輩の後ろ姿に声をかけた。
「八木沼先輩」
「四ッ谷!?」
振り返った先輩は、驚き、すぐに表情を崩し立ち上がった。
ベンチを飛び越えると、私の肩を叩く。
「心配したぞ。あれから連絡も取れないし、三日も休むし」
大好きな先輩の声。私の中で初恋の記憶が甦る。チリッと静電気の様な痛みがした。
まだ間に合うんじゃないか? いや、今じゃなきゃダメだ!
私は決めたのだから。
しばしの逡巡。熱い風が吹き抜けた。
私は顔をあげるとこう言い放った。
「先輩、話があります」
賽は投げられたのだ。