性別が壁になる恋 9
その夜はグッタリ疲れてるのに、全く眠れなかった。
時間の流れが、重い空気にまとわりついて、遅々として進まない。別に朝を待ってたわけじゃないけど、一人の暗闇は苦しすぎた。
ふと目をやった携帯は、誰かからの着信を点滅ランプでうるさく伝えてたけど、私は見ない様にした。
闇に溶けてしまいたかった。
私の夜は三日続いた。
学校にも、道場にも、グラウンドにも、私は足を向けなかった。
けど、そんな事いつまでも続けられない。
朝は必ずやって来る。忌々しいくらいの明るさを引き連れて。
微かに蝉の声がした。
もう、そんな季節なんだ……。
頻回に代わる代わる訪れる父や祖父の怒声も、聞き飽きた。
四日目の朝になると、やはり学校には行きたくなかったけど、家にはもっといたくなくなっていた。
私はまだ薄暗いうちに家を出た。習慣とは哀しいもので、いつもの様に川沿いをランニングしながら学校を目指す。
自分の進みたい道……? 何を今更。私が空手を辞めたら道場はどうするの? 陸上だって、部長なんて、無理な期待だよ。そんなの、中学から陸上やってる奴等が黙っちゃいない。なにより、私にはもう、陸上を続ける理由自体ががない。
「猛」
呼ばれて顔を上げた。
「あ、亮太」
そこにはポケットに両手を突っ込み、こちらをまっすぐ見ている亮太の姿があった。
私は亮太の傍を通り過ぎようかとも考えたけど、あまりに亮太が真正面に立って目をそらさないので、そう言う訳にもいかなくなった。徐々に足取りを弛め、亮太の前で止まる。
「よぉ」
「……おはよ」
気まずい。私は自分の足下を見つめた。
「ほら」
亮太は冷たい缶コーヒーを私に突き付けると、自分は坂になってる草むらに腰を下ろした。
私は、少しの間それを弄んだが、仕方なくて隣りに座る。
「三日もこもって、気がすんだか?」
亮太は朝日に輝く水面を見つめながら呟く様に言った。
私は開けて無い缶を手元で揺らしながら
「……空手も、陸上も辞める」
亮太が息を飲むのがわかった。
「そうか」
溜め息混じりの声。
「お前にとって、どっちも簡単に捨てられるものだったって事か」
亮太の言葉が深く胸に差し込んだ。
「残念だよ」
亮太はガッカリした様子で視線を下げた。
私はなんだか居心地の悪さを感じて、苛ついてくる。
「悪い? 今まで、私、皆の為に頑張って来たじゃない。もう、好きにしたっていいでしょ?」
思わず荒げてしまった声に、亮太は眉をひそめ
「人の為? 自分の為だろ」
そっけなく返した。私の心が動揺する。
「何言って……」
「そうだろ。確かにお前は優しい」
亮太は私の瞳の奥を探る。私は堪らず目をそらす。
「でも、自分を後回しにして皆の事を考えるのは、そのせいだけか?」
ズキン
閉じてた扉が軋み始める。
「お前は……」
亮太の目は、私を逃がさない。
「自分と向き合うのが怖いんだろ」
亮太の言葉は、真実をついていた。
私はその言葉に身を固くする。亮太は、私が何も言わないのにイライラしてきた様だった。
「お前はさ、色々凄く気にしてる。それは仕方ないけどさ、それって……」
口下手な亮太は一度言葉を切る。手元の草を握り締めてる亮太の手が見えた。
私も、怒りとは違う、苛立ちでもない、ただみぞおちの辺りが熱くて、胃が重くなるような不快な感覚がしていた。
亮太は草を引き千切った。
「だから、お前に偏見一番持ってるのは、お前自身なんじゃねぇの? 好きなら仕方ないじゃん。ちゃんと、好きなものは好き。嫌なものは嫌って……」
そんなの正論だ。ただの理屈だ。そんな事、わかってる!
「亮太にはわかんないよ!」
これ以上聞けなかった。
確かに亮太の言葉は正しい。でも……。でもっ! 初恋の痛みが、家族の顔が去来しては胸の奥を抉って行く。
私は体の中にうねるどす黒いものをぶつける様に、亮太に掴みかかり、声を上げた。
「じゃあ何? 先輩にも親にも、私はゲイです。空手は家で居場所を作るために、陸上部は先輩の傍にいるためにしてましたって言えばいいの?」
私の目からは涙が流れるのに、顔は自嘲の笑みが浮かんでいた。
あぁ、それもいいかも知れない。そうやって、一人清々して、皆を傷つけて、自分は男なのに男しか好きになれないって、声高に言えば、今より楽かもしれない。
でも……でも……。
ぎゅっと目を瞑った。
胸に突き刺さる痛みが、私を許そうとはしていない。
「猛……」
ポンっと、私の頭に亮太の大きな手が乗った。
「ごめん。思いつめさせるつもりはないんだ。ただ、俺が言いたいのは、そぅ言う事じゃなくて」
亮太は自身の襟首を掴んだ私の手をそっと外すと
「もっと、自分で自分に優しくしてほしいんだよ」
そして柔らかく微笑む。
「自信持て。お前がどんな奴か俺は知ってる。でも、俺はお前の友達だ。コイケンの皆だってそうだ」
私はまだ、亮太の意図が判らず、彼を見つめた。
亮太は気恥ずかしそうに視線を外す。
「ありのままでも、お前はたくさんの奴に認められる。だから、もう少し、自由になれって事」
まだ、判然としない私を余所に、亮太は立ち上がった。
「あ~っ。俺は色々話すのは好かん。とにかく、本当にお前は陸上を辞めたいのか、空手が嫌いなのか、投げやりにならないでちゃんと考えろ。あと」
亮太は私を見下ろし、ぼそっと呟いた。
「そんなに好きな相手なんだったら、勝手に終わらしていいのかよ」
ぎゅっと胸が締め付けられた。亮太はそんな私を見ない様に顔を上げる。
「俺はお前のダチだ。これまでも、これからも」
「……うん」
私は小さく頷く。
そうだ、亮太は昔から正論を貫く。そのくせ悔しいくらい、イレギュラーな私を理解して受け入れてくれるんだ。
「今日のミーティング、来いよ」
亮太はそう言うと、土手を駆け上がり、走って行ってしまった。
残された私は、戸惑いの中に、昨日までとは違う何かを感じていた。