性別が壁になる恋 7
私の頭の中は混乱状態だった。
どういう事だろう? 先輩と二人じゃなかったの? さっきの言葉はなんだったの? それにこの子は誰?
見知らぬ女の子は、何だか恥ずかしそうに私をチラチラ見ては、マネージャーの九里麻美先輩の影に隠れてる。
予感がした。
「もぅ。十分遅刻~」
明るい九里先輩の声に、先輩は笑い手を合わせて謝った。
「ごめん。つい……」
私はそんな、短く些細な二人のやりとりに胸騒ぎを覚えた。気持ちが冷えて行く。
「紹介するよ」
先輩の声に知らない子に視線を移す。
「俺の妹。お前と一度どうしても話してみたいって」
先輩に背中を押され、九里先輩の後ろから出て来たのは、小柄でまだおぼこい顔立ちの女の子。目元が先輩に似てるな。私は停止しかけてる思考でそんな事を考えた。
「あの、一年の八木沼凛です。その……」
「四ッ谷猛です」
私の中で静かに、何かの扉が閉じた。笑顔を顔に張り付ける。
「匠。ちゃんと話したの?」
「いや、それが……」
呼び捨てなんだ。
私は視線を落とした。私を置いてけぼりに、浮かれた声が行き交い始める。
「あのさ、今日呼んだのは、ま、凛はおまけなんだけど、次期部長をお前にって」
「おまけってひどい~」
「いいじゃない。おかげでダブルデートできるんだし」
三人の会話がぼんやり耳に響く。
私は笑いながら、冷えた心で現実を見つめ始めていた。
そうか、そう言う事。先輩が皆の前で言いにくかったのも、私を特別扱いしたのも、今日呼び出したのも、ただ妹に会わせ部長を譲るため。それ以上でもそれ以下でもなかったんだ。
全て私の勘違いだった。馬鹿みたいだ。一人で浮かれて、勝手に盛り上がって……。
ふと、ショーウィンドに映った自分を見た。
新品の服が、惨めに見えた。
それから、私達は四人でショッピングセンター内のシネマコンプレックスで映画を見た。
正直、作品すら覚えてない。心を封印して、外面だけになった私が見たものや聞いたものは、ただ私をすり抜けていく。
ランチにファーストフードの店に入った。
見慣れた店内も、外国みたいだ。
九里先輩と妹さんが席を離れた。
四人席。並んで座る先輩を、今は見たくなかった。
先輩が遠慮がちに口を開く。
「すまん。何か騙し打ちみたいになって。ちょっと言いにくくてさ」
「大丈夫です」
私は先輩に心配かけたくなくて、精一杯笑ってみせた。先輩は申し訳無さそうに眉尻を下げ
「凛はお前の道場にお前を見に行くくらいなんだ」
姉が言ってたのは彼女だったのか。私はストローに一度口つけた。
正直、彼女には悪いけど、私にはどうもしてあげられない。それより、私は……
「先輩、九里先輩と?」
一気に先輩の顔色が変わった。悔しいくらい可愛らしい顔で、にやけながら頭をかき、頷いた。
「怪我してへこんだ時に励ましてくれてさ。んで、あいつのおかげで、スポーツドクターの夢を見る様になって。医学部なんて今更なんだけど、浪人してでも一緒に目指そうって」
そう話す先輩の横顔は、私じゃない人を想っていても、素敵だった。
胸が音を立てて軋む。
「頑張って下さい」
先輩を支える場所には、もう他の人がとっくにいた。私の居場所なんて、なかった。
そう、始めから男の私の先輩への恋が叶うなんて、ありえない話し、単なる夢。現実はいつだって天使の顔で、私を天から地の底へ突き落とす。
先輩は、無意識に俯いていた私の背中に手を置いた。
「ごめん。お前、好きな人いたんだよな。妹の事は……」
置かれた手が優しくて、少しでも気を抜けば泣き出してしまいそうだった。
「もぅ、いいんです」
顔を上げた私は上手く笑えただろうか。先輩は少しホッとした顔をする。
「そうか? なら、部長の事も妹の事も、ゆっくりでいいから、考えてくれないか」
痛い。心が限界だった。
好きな人が、他の人を勧める。叶わない想いがあるのに、その想いを忘れられない場所にいて欲しいと願ってる。
私の手は拳を作り震えていた。
逃げ出したい。もぅ、嫌だ。
「あの、自分は……」
私は何を言うつもりだったんだろう、私の視界がぼやけた。その瞬間だった。
「アンタ! いい加減にしなさいよ!」
バンッと机が叩き上げられる音がして、振り返る。
「お嬢! 皆!」
私は目を疑った。
なんとコイケンメンバーが、私達のすぐ後ろの六人席に揃っていたのだ。
「黙って聞いてりゃ、ずいぶん自分勝手な都合を押しつけるじゃないの」
お嬢が、今にも掴みかからん勢いでソファに足をかけ、先輩を睨みつけていた。
「なんだ? 一体」
目を白黒させる先輩。私もパニクって亮太を見る。亮太は手を合わせて謝るジェスチャーをしていた。
「お嬢、抑えて」
むっちゃんが興奮するお嬢を引き摺り下ろす。
「……行こう」
腕を引っ張られ、見ると弥生が固い表情で傍にいた。
私は一つ溜め息をつくと
「すみません。自分は失礼します」
先輩に頭を下げた。
そしてまだ唖然とする先輩を残し、九里先輩にも妹さんにも会わずに、私は逃げ出した。
店を出ると、私は堪らず皆を振り返り、声を荒げた。
「どうしてここにいるの?」
皆、顔を見合わす。
「それは、乙女ちゃんが心配だったから」
弥生がバツの悪そうな顔をする。
私の喉の奥の辺りに、何か重い物が引っ掛かってる様な気持ちだった。
握った拳に力がこもる。
皆、本当に私を思ってくれてたんだと思う。様子を見につけてたんだ。私はそれに気がつかないくらいに、浮かれてた。惨めだ。
ぎゅっと目を瞑る。
出来る限り声を抑える。みんなの気持ちはわかる、でも心は今ささくれて……。
「じゃ、みんな知ってるよね。報告しなくても、わかってるよね」
私の笑顔は奇妙に歪む。卑屈で自虐的な顔だ。
「乙女ちゃ……」
伸ばされたお嬢の手を、私は堪らず振り払った。
「ごめん。今、無理。今日はほっといて」
「でも」
「ほっといてっつてんの!」
思わず出た怒鳴り声。
もう何もかも嫌だ。
私はいつからか流れてた涙を拭うと、コイケンの仲間達にも背を向け、その場から、残った気力全てで走り去った。
もう、消えてしまいたかった。