性別が壁になる恋 2
私は十文字と別れ、駆け足で家路を急いだ。
コイケンのない日は、いつもロードワークを兼ねて約八キロの道を走って帰る。夏に向かうこの季節は、堤防沿いのコースが気持ち良い。季節を映す空が、藍色に染まり、まだ明るい河原を散歩やジョギングの人達が行き交う。
「インハイか……」
正直、楽しみだった。高校まで空手しか知らなかったけど、たまたま見た八木沼先輩の走りに憧れ陸上に入ってからは、本当にハマッてる。
口が裂けても言えないけど、格闘技は向いてない。型はまだいいんだけど、組み手で相手と打ち合うのがどうも……。それよりは自分と向き合い、自分と戦う陸上の方が向いている気がしてた。
「猛、今からか」
後ろから声がして、走りながら振り返った。自転車で追いついて来たのは、幼馴染みの亮太だ。
「うん。亮太も?」
亮太は頷いた。彼は小学生の時からうちの道場に通っている。彼とコイケン部長こと弥生と私は、小中高と一緒の腐れ縁だ。コイケンに誘ってくれたのも、もちろんこの二人だった。
「後ろ乗るか? 部活してきたんだろ?」
口数の少ない亮太は、無愛想で、ややもすると怖くて冷たい奴に思われがちだけど、人見知りなだけで、本当は優しい。
「いい。先に行って」
私は礼代わりに微笑むと、手を振った。
亮太は頷くと、自転車の速度を早め、あっと言う間に小さくなる。私はその姿に、いつも感謝する。
亮太は本当の私を知る、唯一の男友達だった。
初恋の子が……両親の離婚で、どちらにも引き取られず、母方の親戚がいる田舎に転校するって事を知ったのは、その涙を見た翌日だった。
転校は急で、その週いっぱいでいなくなるという事だった。
私は混乱した。気持ちを否定しても、彼の涙が頭から消えない。友情だと思い込もうとしても、心の疼きが容赦なくそれを打ち砕く。
結局、彼を温かく見送ろうとする、亮太や弥生を含むクラスメイト達に反して、私は彼に冷たくするようになってしまっていた。
そして、気がつけば、彼と同じ教室にいられる最後の日になっていた。
昔のことを思い出しながら家に着くと、二回にある自分の部屋へ駆け上がり、急いで道着に着替えた。
必要な物しかない、寂しい私の部屋。本当は姉さん達の部屋みたいに、カーテンだって、ベッドシーツだって可愛くしたい。でも、出来るはずない。
この部屋は私の部屋であって、私の部屋じゃないんだ。
ふと、鏡に映った道着を着た自分を見た。私は思わず顔をしかめる。
これが……私。
178ある身長はまだ伸び続けてる。毎日の部活と稽古で鍛えられた筋肉に、最近角張ってきた顔が乗っかってる。筋肉がついても、線が全体的に細いのが唯一の救いだ。
毎日見る姿。大嫌いな姿。どうして、私は……。
「た~け~る~。早く道場行きなさい。今日はお祖父さまが待ってるわよ~」
母の声がした。
私は無意識に握り締めていた拳を解くと、男になり、返事した。
道場には同世代に混じって、小さな子ども達も稽古に来ていた。子ども達は、私を見ると嬉しそうに集まって来てくれた。
「たける。僕ね、今度水色になるんだ」
「あたしは、今日から新しい型なのよ」
キラキラ輝く目が羨ましい。私は空手をやってて、一度も楽しいなんて思った事なかった。
「猛。早く、柔軟せんか! 亮太! 組んでやれ。お前達も稽古に戻れ!」
祖父の雷声が轟き、子ども達は首を竦めた。私は苦笑してみせ、子ども達の頭を撫でると、ウィンクした。
「年寄りは頑固だね」
萎縮してた子ども達は、ふっと表情を和らげクスクス笑い出す。
「こらぁ!」
再びの雷鳴に、小さな子犬達ははしゃぎながら稽古に戻っていった。
「さ、始めるか」
私を待っていた亮太の声に、私は頷く。
私は生まれてきた義務を果たす為に、望みもしないのにスポーツをするのに恵まれた体を動かし始めた。