月の昇る頃に②
陸は壁にかかった時計に目をやった。
時刻は午後8時。
母親は隣の部屋で父親のシャツにアイロンをかけていた。
昼間の車のことに思いがさまよう。
どうしてあの車はあんなにも身近に感じ取ることができなかったのだろう。
この手の懸念は見くびってはならないような気がする。
空海が怯えもしなければ困惑もせずに、あの車にあんなにも楽観的に惹かれていたのが、理解に苦しむ。
確かに空海は変わっているかもしれない。
でも、あの車は異質過ぎた。
理解の枠を超えていた。
まるで安全を感じないのだから。
走っているクルマなら分かる。
スピードを出し過ぎた車がやがて事故を起こしてしまうだろうということに容易に察しがつくように。
でも、あの車は止まっているのに同じような印象を受けた。
止まっていること事態が、猛スピードを出している状態。
止まっているのに、今しも人を轢いてしまいそうな状態。
あの場に停まっていること事態がすこぶる剣呑な状態。
現実離れした事故。
そう、自分たちは尋常ならざる異様な事故にあったのだと感じざるを得なかった。
死の匂い漂うあの車に遭遇してしまったという事故。
気味の悪い連想が頭の中を駆け巡る。
遭遇なんて言葉を使うこと自体が馬鹿らしかった。
すべてを忘れたいがためにテレビをつける。
「あれ?おかしいな」
アニメ専門チャンネルのはずなのに、ニュースが流れていた。
女「えーこの後も」
"ゲームオーバー"
画面に映し出された赤い文字が、視界に飛び込んでくる。
背筋に冷たいものが走った。
「どうしたの?」
部屋のどこかで、機械のような声がした。
次の瞬間、窓ガラスいっぱいに赤い手形がペタペタと貼り付けられる。
「うわ、うわぁ、うわあぁああああ」
その窓ガラスが急に開け放たれた。
ゴロンと丸いものが投げ込まれる。
良く見知った顔。
母親の生首。
母は陸が今まで見たこともないほどに目を血走らせながら、「殺されちゃった」とニタニタと笑いながら話しかけた。
陸は部屋を飛び出し、一目散に玄関まで走る。
玄関のドアを開けた瞬間、誰かとぶつかった。
良く見知った顔。
父の顔が焼けただれていた。
「ママがアイロンをかけ間違えちゃったんだ」
父親はそう言って、陸の手首を掴もうとしてきた。
すんでのところでかわした陸は、そのまま家の外に飛び出した。
後ろで声がする。
「聞いてる?聞いてるよねコレ。逃げられないよっていうか、逃がさないよ。死んだお父さんの言うこと聞こえてるよね?」
大好きな両親の言うことでも、今は背中で聞くことしかできなかった。