第二章「月の昇る頃に①」
時刻は午後7時半。
空海はひざかけ椅子に腰打ち掛けながら、読書をしていた。
本を閉じて、昼間見た車のことに思いを巡らす。
あんな深く印象に残る車と邂逅するのは、初めての経験であった。
飛び切り格好いい。
死んでも味わってみたい。
気がつくと、空海はあの車に恋をしていた。
しかし、車との恋を実らせる方法など、想像も及ばない。
それに、陸はあまり乗り気な顔をしていなかったと思い返す。
いや、むしろ陸の様子を見るに、陸はあの車を怖がっていたのではないだろうか。
早くあの車の元から離れたいという陸の醸し出す雰囲気を空海は敏感に感じ取っていた。
不思議であった。
あんなにも、心に迫る車なのに。
それに男の子だったら、動く物への好奇心はただでさえ刺激されるものではないか。
空海はもしかすると陸が「あの車は血の色だから不吉な色だ」と浅はかな勘違いをして、怖がっているのかもしれないと考えた。
空海は一杯機嫌になった父親が、ジョッキを片手にテレビを見ながら、昔言っていたことを思い出す。
「何が心霊だ。これが幽霊のせいなんてあるわけがない。いいか空海。これだけじゃない、写真とか映像っていうのは、今じゃ全部パソコンでどうにかなっちまう。幽霊なんてこのご時世にいるわけがない。この世界は偽物で溢れ返っている。すべてはCGだ」
CG(嘘)
アルコールに弱い父親だ。
ビールの一、二杯も入れば、すでにヘベレケであったろう。
しかし、それが分かっていたとしても、空海はその父親の言葉をとても力強いものだと感じていた。
全ては"嘘"
嘘こそがこの世界を動かす生粋の歯車となりえるのだ。
ハリウッドしかり、日本しかり。
どこもかしこもきらびやかなCGの後光で輝いている。
それゆえに空海は不安にもなる。
もしかしてあの車もCG(嘘)なんじゃないかしら。
だってあんな格好いい車が他にあるわけないし、何より車が呼びかけるわけなどない。
今でもその声をを覚えている。
「ねえ夜中にもう一度一人で来なよ」
最初は空耳だとしか思えなかった。
なぜなら金属製の機械みたいな声だったし、第一自分を誘ってくれるなんてそんな夢みたいな話が信じられなかったから。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
午後7時45分。
空海が食後のケーキを食べながら、テレビから流れているアニメ「良心はグリーンサラダを灰にする」に釘付けになっている時、急に画面が切り替わった。
空海は目を白黒させた。
スタジオみたいな所に男の人と女の人が並んで座っていた。
女「こんばんは。ニュース グラン=ギニョル(恐怖劇)のお時間です」
男「まずは今夜最初のニュースです。今日の午後2時頃、XXX町に住んでいる三神丸空海くんが、とても格好いい車を見つけました。空海くんによりますと、その車はこの世のものとは思えないほど格好よく、まるで血のような赤い色だったということです。さらに関係者によりますと『誰かを迎えに来ているんだろう』とのことです」
女「へぇ~誰を迎えに来ているんでしょうね。こんな格好いい車なら、私乗ってみたいなぁ」
男「え~残念ながら、車はもう誰を迎えに来ているか決めているそうです」
女「えっ?誰なんですか」
男「あなたですよ、あなた。空海くん聞いてる?見てるよねコレ。逃げられないよっていうか、逃がさないよ」
「えっ僕?」
空海も急には判断がつかなかった。
にわかにテレビの中のアナウンサーが空海に向かって普通に喋りかけてくることがあるなんて考えてみたこともなかったからだ。
番組の途中のテレビを使った、まるであの車の色のような真っ赤な嘘のような自分への大胆な呼びかけに空海は驚いた。
しかし、今の時代CG(嘘)を使えば、どうにでもなるんだってことも知っている空海としては、やはりこれくらいはなんら怪しむに足りないことなのかもしれないと思い直すことにした。
空海「はい。聞いてますし、見てます。僕は逃げたりなんかしません。だってまだアニメも見終わってないんですから」
男「よし偉いぞ。じゃあ今から今から言うことをちゃんと聞くんだぞ。今日深夜12時に君はあの車の元に行かなければならない」
空海「はい」
男「なぜなら君はあの車に選ばれてしまったんだ。だから君はあの車とドライブに行くことになる」
空海「はい、分かりました。でも何時頃に戻って来れますか?僕、明日は夏休みだけど、学校があるんです」
女が呆れたように首を振った。
女「だめよ空海くん。これだけは覚えていて。この世の中には学校よりも大切なことがいっぱいあるんだから。たとえば"命"。 空海くんも命が大切でしょう?」
空海「はい。僕は命がとっても大切です」
女「だからあの車も空海くんの命がとっても大切なんだ、わかる?」
空海「分かります。とてもよく分かるような気がします」
女「じゃあ明日の学校のことも大丈夫よね」
空海「はい。だって命が大切なんですから」
男「ブラヴォー、同志空海くん!」
空海の顔は照れ臭さでとても赤くなっていた。
反対に、アナウンサー達は手も顔も青ざめていった。
まるで死人を彷彿とさせるように。
女「えーこの後も…」
空海はテレビを消した。
なぜならもう8時になっていたからだ。
ほんの一瞬だったのに、何故もう15分も経ってしまっていたのかは分からなかったが、大好きなアニメが終わってしまったことぐらいは良く理解できた。
空海は天にも上る気持ちで「早く一眠りしなければ」と思った。
なぜなら深夜12時にはあの車とドライブに行くためだ。
"逃がさないよ"
男の念を押す声が思い出される。
空海はベッドに入った。
サディスティックな言葉の残響は、意外なことに耳に心地良かった気がした。
はやる心を必死で抑えるために、毛布を顎まで引き上げた。