3話 天才少女と異世界のお勉強(基本文字編)
2回の鐘が鳴った後に私達の部屋に訪れたシスターさんに先導されて、私達(あ、兄様もいるよ)は建物内の広い講堂のような部屋まで案内された。それぞれ好きな席に着くように手で促され、私達は女子組で固まって座り、兄様は少し離れた席に座る。
私達が全員着席したのを確認したシスターさんは、どこからともなく本を取り出して私達に一人一人配ってくる。こう、平然と魔法を使われると驚くタイミングが無くて困る。とりあえず、渡された本の表紙を開くと、文字っぽいのが整然と並んでいた。もちろん読める訳ないのだけど、全ての文字が違う文字でそれが並んでいるということは…。
……これって、文字の一覧表?
私が確認するように教員でもある千鶴さんに目配せすると、千鶴さんも同じことを思ったようで私と目を合わせて小さく頷いた。
トントンと音が聞こえて正面に顔を向けると、シスターさんが何もない白い壁を軽く叩いて私達の注目を集めていた。私達の視線が集まったことが分かったシスターさんはまたどこからともなく、虫メガネのようなものと鏡のようなものを取り出し、鏡を壁側に向けて設置して、シスターさんの目の前にある本が置いてある台に虫メガネを当てた。すると、白い大きな壁にプロジェクターのように本の一部が拡大されて現れた。
そこから、一番左上の文字を指差して一言大きく呟いた。ここまでされれば何をしているのか察することが出来た。
……文字と言葉の勉強か。確かに大事だよね。
文字を読む練習と書く練習をひたすら繰り返していると、再び鐘の音が聞こえてきた。今度は3回だ。すると、シスターさんがその音を聞いて注目を集めるように手を上げた。
シスターさんは私達の視線が集まったのを確認すると、さっきまで呼んでいた本を手に持ってにこやかに閉じた。たぶん、お勉強は終わりという意味だろう。言葉にしなくても伝わるようにと工夫してくれているのがとても伝わってくる。というか、慣れているような気がする。もともと、教員かなにかなのかな?
そして、鐘の音は恐らく時間を示すものなのだろうということが分かった。体感的には…2時間くらい?他の鐘も聞いてみないとわからないけれど。段々と鐘の回数が増えていくのだとしたら、夜はとても長い間鐘の音が鳴り響きそうだ。
シスターさんは私達にここで待っているように身振り手振りで指示してこの場から去っていった。私は緊張が解けた様にふぅ~っと息を吐く。それを見た綾さんが苦笑しながら両手を組んで上にあげて伸びをした。
「いや~、まさか、異世界に来て2日目から文字と言葉の勉強をすることになるなんてね。アニメとかラノベのようにはいかないか」
「召喚された時点で言葉と文字を翻訳させてくれれば良かったのに。この世界は不親切だよ」
……異世界言語の習得は転生や召喚ものの定番なのに!
私がぷくっと頬を膨らませて抗議すると、千鶴さんが頭に手を乗せてぽんぽんと撫でた。これでも18歳なんだけどな。すっごく子供扱いされている気がする。
「まあ、それほど複雑で難しい言語では無さそうですし、すぐに覚えられるでしょう」
「感覚的には英語に近いかな。いくつもの言葉を覚えておくと応用が利くのもあるからこういう時は楽でいいね」
兄様が少し離れた席からそう言って来た。言わんとすることはわかるけれど、私は兄様ほど優秀じゃないからそんな簡単には覚えられないと思う。千鶴さんだって予備の講師ではあるけれど、現国の先生だし。同じにされても困るよ。
「それにしても、久しぶりに頭を使ったからお腹減った~」
綾さんがん~っと伸びをしながら呟いた。それって普段兄様の会社で仕事している時は頭を使っていないということだよね?兄様が苦笑してるよ?
でも、私もお腹減ったなぁ~と思い出したようにお腹に手を当てると、いきなり講堂の扉が開いて、まだ少女と言えるシスターさんが数人、ワゴンを押しながら部屋に入ってきた。匂い的に料理なのかな?うん、朝食だね。
目の前に配膳してくれたシスターの少女にお礼を言いたいけれど、まだ基本的な文字とその読み方しかわからないから小さくお辞儀をして笑みを浮かべた。すると、シスターの少女は一瞬ポカンとした顔になってからニコッと笑って応えてくれた。
食事している間もずっと壁端で少女達が待機していて落ち着かなかったけど、料理は十分に美味しいと言えるものだった。量もきちんとあったし、やっぱり悪い待遇はされてないね。
食事を終えた後は食器を片付けてくれたシスターの少女達が講堂の扉を開いた状態で去っていった。恐らく、自由時間なのだろう。私はまだ周囲を歩き回っていないからちょうどいいね。
「綾さんはもうこの辺りを回ったんだよね?」
「うん。と言ってもまだ全然回り切れていないけどね」
「それじゃ、案内してよ」
「まあ、良いけど。そんなに期待しないでよ?まだ行っていない場所の方が多いんだから」
「ふふ。でも何も知らないよりはいいわ。案内をお願いできますか?」
「はいはい。千鶴先生にまで頼まれちゃったら断れないね。そもそも断るつもりも無かったけど」
「兄様はどうする?」
私達の声は聞こえていたのか、私の問いかけに兄様が顔だけこちらに向けて首を横に振った。
「いや、早く言葉を覚えたいから俺はここで教科書を読んでいるよ。それに、もう一人で軽く回ったからね。危険は無いと思うけれど、気を付けてね」
「分かった。じゃあ行こう。二人とも」
真面目な兄様を講堂に置いて、私達は建物を歩き回る。建物としては相当広いみたいだけど、ここで暮らしているのは私達だけみたい。一応、護衛用(それとも監視用?)の騎士達が詰めている部屋があった。言葉は通じないけれど、私達が中に入りたそうにしていたのをやんわりと断られる。
「まぁ、流石に全ての部屋は見せてもらえませんよね」
千鶴さんがそう呟く。
「騎士の詰所ならば武器もあるだろうし、仕方ないよ」
それもそうだよね。私達が武器持って振り回したら大変だろうし。そもそも振り回せないと思うけどね!
「普段から帯剣しているのに、どうしてこんなところにわざわざ武器を置いているのかな?」
「使う武器が1種類だけとは限らないし、訓練用とかの武器とかも保管しているかも知れないでしょ?ただの休憩や仮眠室だけにしてはかなり広い部屋みたいだし。武器庫っぽいところも無かったから、たぶんここに騎士達用の施設がある程度入っているんだと思うよ」
「えー、でもほら、あの天使の人とかが使ってた収納魔法?で仕舞っておけば良いんじゃないかな?」
「ふふ。残念だけど、その収納魔法のようなものはかなりレアなものだと思うわ。普通の騎士には使えないんじゃないかしら?」
私と綾さんのやり取りに横から千鶴さんがくすくすと笑いながら混ざって来た。私と綾さんがどうしてわかるの?と首を傾げると、千鶴さんが教師のように顔の横で人差し指を立てて説明してくれる。
「私達が見たあの収納魔法のようなものを使った人は2人だけ。1人はこの世界に来たばかりの時に出会った天使の羽の少女。もう1人は先ほどの文字と言葉を教えてくれたシスターの女性。2人が気付いたかどうかは知らないけれど、シスターの女性が収納魔法のようなもので本を出した時に、左手の中指に付けていた指輪が僅かに光ったの。天使の少女はそういったものを身に着けていなかったから、恐らく普通の魔法で収納魔法のようなものを使った。シスターの女性はそういう能力を持った道具で魔法を使ったと考えられるわ」
そこで一度言葉を切った千鶴さんは、こほんと咳払いをしてから話を続けた。
「そして、私達が寝ているあの部屋を整えてくれたシスター達はいくつかの小物類を持ってくる時に慌ててどこかに行って取りにいっていたわ。それと、先ほどの食事の時も、魔法で食事を配膳するのではなくてワゴンに乗せて運ばれてきた。まだ例としては少ないけれど、今の段階ではあの収納の能力は珍しいものか、ある程度の立場のある人しか使えない可能性が高いのではないかと私は考えたの。綾さんはどうですか?」
「指輪には全然気が付かなったけど…。う~ん、正直出会った人と関わった人の数が少なすぎて、まだなんとも言えないかな」
千鶴さんに意見を求められた綾さんが答えを濁すと、千鶴さんは「それもそうですね」と話しを終わらせた。
「それにしても、千鶴先生はホントに良く見てるよね。私は指輪の存在すら気付かなかった」
「うんうん。さすが千鶴さんだよね!」
「ありがとうございます」
私達が褒めると、千鶴さんがはにかむように微笑んだ。なにこの人可愛い。でも三十路なんだよね。
「それにしても、綾さん?何度も言っていますが、『先生』は止めてくださいね?ここでは無意味な肩書ですから」
あ、この笑顔怖い。可愛いとかウソだった。すごく、コワイ。
「あ、あはは…。はい」
綾さんが引きつった笑顔になってる。もし、さっき三十路なんだよなぁとか考えてたのバレたらヤバいかも…。
っとそんなことを思った瞬間に千鶴さんと目が合った。ひぃ!思わず背筋が伸びる。
「あら?どうしたのですか、輪音さん?」
「な、な、なんでもないよ!ほら!次行こう、次!」
「そ、そうだよ!次行こうか!妹ちゃん」
「あらあら。ふふふ…」
怪しげに微笑む千鶴さんから目を逸らしながら、私と綾さんは建物の散策を続けることにしたのだった。