閑話 転生うさぎと異世界教師
(…本当に会わないのですか?)
千鶴さんが来ることを知って、わたしの隣から立ち上がった彼女に〈念話〉スキルで声を掛けます。
「良いんです。今更会わせる顔などありません」
(…そうですか?まぁ、貴女がそう言うのならばそういうことにしておきますよ。…内心のことは置いておいて)
彼女がわたしを睨んできますが、わたしはうさぎの耳を揺らしてプイっと顔を背けました。わたしと彼女は同一存在なので、お互いの考えていることや気持ちがほとんど伝わります。普段の彼女ならばわたしに気取られるようなことはしませんが、彼女達のことになるとどうしても思うところがあるようで、隠し切れない想いが伝わってくるのです。
「わたしはもう行きます。千鶴先生にあまり迷惑を掛けないようにしてくださいよ」
(…そう言うくらいならば自分で話せば良いと思いますが…)
「では、わたしは見回りに行きますね」
わたしの言葉を聞き流して彼女…永久はさっさと中央広場から離れて行きました。ホント、分身体とは思えない言動ですよね。と言っても、彼女とは同一存在というよりは双子の姉妹みたいな感覚の方が強いので、これぐらいの距離感の方が好きですけどね。
普段はわたしの世話をしている弥生が居ないので、聖獣ペガサスのリーダーであるベガが人の姿になってお茶を淹れてくれます。それを眺めながら、わたしはこの後に会う人について考えを巡らせました。
宮川 千鶴。前世…地球に居た頃に通っていた学校で一番お世話になった先生です。ですが、わたし自身にその頃の記憶はあまり多くありません。
わたしには地球で生きていた頃の永久として暮らしていた記憶がほとんどありません。厳密にはわたし自身に関すること、家族や友達、生活環境などの記憶の多くを欠如しているのです。そのため、地球に関することは、当時わたしが学んでいた知識が記憶の大半を占めています。
その中でも特に家族に関してはほぼ記憶がありません。輪音や全を見ても、あーこの人が兄妹だったのですねーぐらいしか思いません。綾さんや千鶴さんの記憶は少ないですがちょくちょくと残っています。あの四人と接触することでわたしの記憶に変化があると思って近付いていましたが、今のところ特に変化はありません。
さっきここから逃げていった彼女はわたしの分身体…魔力を分割して作る偽物のようなものです…で、わたしのユニークスキル〈永久〉の能力によって生み出せる特別な分身体です。細かい説明は省きますが、前世のわたし、つまり地球で暮らしていた永久だった頃の記憶がそのまま残っており、意識も当時の永久がベースになっています。なので、同じ存在ながらわたしとは別のことを考えて独自に行動するのです。もちろん、わたしの分身体なので、本体であるわたしが自由に彼女を消したり生み出したり出来ます。ですが、同時に生み出せるのは一人だけです。
地球でビルから飛び降りた永久が異世界でうさぎとして生まれ、それからいろいろあって神獣としてここで暮らしているわけですが…生まれたって言っていますが、わたしのうさぎとしての親っていないのですよね。気付いたら広大な草原の中でわたし一匹で目覚めましたし。この辺りもちょっと謎ですよね。
千鶴さんのことを考えるつもりが、自分のことについて考えていますね。こうして思考が逸れていくのはいつものことです。っと、そんなことをしているうちにどうやら来たようです。
ダンジョンから一度中央広場近くの小さな広場に転移してから森の中を歩いて来たようですね。直接転移して来なかったのは、話し合いをする準備のための時間稼ぎでしょう。やっぱり弥生は良く気が利く良い眷族ですね。準備なんてまるでしてませんけど。あ、いつの間にかベガが来客用の椅子とお茶を用意してます。
わたしは敢えてうさぎの姿のままその場で待って、千鶴さんの反応を見てみることにしました。そうして待っていると、森の中から四人の人影が中央広場に姿を現しました。
白銀の髪と月のような金色の瞳の大人の女性が弥生です。綺麗なお母さんといった感じの人ですね。そのすぐ傍で弥生より頭一つ小さい中性的な顔をした人が朧月夜。呼びづらいので普段はオボロと呼んでいます。わたしの領域でダンジョンを管理している眷族です。女の子よりの顔とふりふりの服を着ていますが、ダンジョンコアという性別のない魔物です。性別はオボロです。
そんなオボロの両手を取り押さえている、オボロより更に頭一つ小さい背をした女の子が卯月。弥生の双子の子供の女の子です。顔も弥生を幼くしたような可愛くて綺麗な顔をしています。ちなみに、この母娘は巫女服を着ています。別にわたしがそうさせた訳ではなく、最初に彼女達を育成した人の趣味です。
そして、そんな彼女達に連れ立って来た長い黒髪ストレートの少女…少女っぽく見えますが、立派な大人の女性の千鶴さんです。綾さんは学校に居た頃に比べたら大人っぽくなって綺麗になっていましたが、千鶴さんはわたしの記憶の中と全然変わりませんね。輪音や全は…ほとんど記憶にないので知りません。
まず弥生がわたしの前に立って深くお辞儀をします。わたしがうさぎの耳をぴくぴくさせて反応すると、ゆっくりと顔を上げました。真面目そうな顔をしていますが、僅かに嬉しそうに口元が弧を描いています。今は戻ってきていますが、領域内に帰って来たのは数か月ぶりですからね。こうして会うだけでも嬉しいのでしょう。
「ご報告いたします、主様」
(…ええ。お願いします)
と言っても、途中からはわたしの方でも監視していたので、経緯は知っているのですが。でも一応、報告を聞くことにしました。弥生がやりたいみたいですし。
で、まぁ、報告を簡潔に纏めると、オボロが勝手に暴走して、領域による探知がしにくいダンジョンの特別な空間で、地球から来た四人に干渉したようです。四人というか、より危険な存在だと思った全一人に絞ってやったようですが。
わたしは深々と溜息を吐きました。基本的にわたしは眷族に対して強い『命令』はやっていません。それでも、大体はわたしの『お願い』を裏切ったことはありません。後で詳しく話を聞くつもりですが、オボロの回答次第によっては『命令』を出すことも考えないといけませんね。永久が気に掛けている以上、まだ彼女達を観察しておきたいですし。私の知らないところで勝手に死んでは困ります。
(…話は分かりました。…オボロは後で小一時間ほどお話ししましょうか。今はその人との話を優先するので、それまでオボロは卯月と遊んであげてください)
「えっ!?あ、はい。分かったよ、主…」
「卯月と遊ぶのです~♪」
(…弥生はここで給仕をお願いしますね)
「かしこまりました」
……さて、とりあえず今は身内のことは後回しです。
わたしは千鶴さんに顔を向けます(厳密には見上げる形になるのですが)。千鶴さんは緊張しているのか、両腕をスカートの辺りまで伸ばした状態で両手を強く組んでいます。
(…取って食うつもりなんてありませんよ。座ってください)
弥生が椅子を引いて千鶴さんに着席を促すと、千鶴さんが小さく深呼吸してから静かに椅子に座りました。しかし、どう見ても良家のお嬢様ですね。実は地球でも良い生まれなのでしょうか?
……さて、わたしも人の姿になりますか。
というわけで、うさぎの姿から人の姿に変身します。魔物の進化系である魔人が持つスキル〈人体変化〉による能力です。
わたしの見た目が、(自分で言うのもなんですが…)愛らしい白銀の毛並みのうさぎから、毛並みと同じ白銀の長い髪とうさぎの時と同じ宝石のように紅い瞳をした、地球でいう高校生くらいの少女に変わります。わたしの姿を見た千鶴さんが目を大きく見開いて驚きました。それを見て、わたしはこてんと小首を傾げます。ちなみに、わたしは表情を変えるのがとても苦手なので、基本的に無表情です。
「…わたしの正体には気付いていたのでしょう?」
「あ…いえ、びっくりするぐらい見違えたので…」
確かに髪色も瞳の色も地球で暮らしていた『永久』とは違いますからね。それに、この世界で『トワ』として暮らして100年以上経ちますし、雰囲気も変わっているでしょう。
それは置いておきまして。さっさと本題に入りましょうか。
「…さて、まずは自己紹介をしておきましょうか。わたしの名前は『トワ』。この世界で神獣として暮らす魔物です。それと、地球では『月代 永久』として生きていました。面倒なので最初に言ってしまいますが、わたしは前世の『永久』自身やその家族、身近な存在に関する記憶はかなり欠如しています」
「え…?」
「…千鶴さんのことはある程度覚えていますが、テレビ越しに見た映像のようなもので、それも途切れ途切れで不明瞭なものも多いです。まぁ、輪音や全よりは覚えていますけどね」
「そんな…」
千鶴さんがショックを受けたような顔になります。会いたいと思っていた人に記憶なんてないと言われたら、それはショックくらい受けるでしょう。そんな中、千鶴さんが何かに気付いたようにわたしをじっと見詰めてきました。
「いや、しかし、私があの時に見た月代さんと貴女では微妙に差異があるような気がします。貴女は確かに月代さんにとてもよく似ていますが、記憶の欠如からか、少しだけ当時の月代さんとは違うように見えます。ですが、あの時…私が初めてこの世界にやって来た時に見た少女は確かに月代さんでした。私が見間違うはずがありません。何か、貴女と関係があるのですか?」
「…さすがですね。回りくどいのは面倒なのではっきり言います。わたしは『トワ』です。『月代 永久』としての記憶は僅かに持っていますが、同じ魂を持っているだけで別人物と言っても良いでしょう。ですが、貴女達が見た者は間違いなく『月代 永久』です。わたしと同一存在であり、わたしと違って貴方達のことも全て覚えています」
「やはり…。でも、彼女は会いたがらないのでしょう?」
「…話が早くて助かりますね。そういうことです。彼女が会う気が無いと言っている以上、わたしが彼女を貴方達に会わせるつもりはありません。…わたしにとっても、大事な半身のような存在ですから、出来るだけ彼女の意思を尊重するつもりです」
「ふふ…」
「…?なんです?」
何故か千鶴さんがいきなりくすくすと笑いだしました。なんですかね?千鶴さんはすぐに「失礼しました」と言って笑いを止めますが、先ほどまでの緊張した顔からとても穏やかな表情になっています。
「『トワさん』、貴女はちゃんと『月代さん』ですよ。優しくて、自分のことより他人を優先する。人たらしなところなんかはそっくりです」
「…失礼ですね。誰が人たらしですか」
「ふふ…」
「人たらしという部分については、否定できませんね」
「…いやいや、弥生までそんなこと思っていたのですか…?心外です」
千鶴さんと弥生が揃って笑いだしました。さっきまで弥生は千鶴さんのこと警戒していたくせにもう意気投合しています。納得出来ません。
兎に角、話を進めましょう。こくりとお茶を一口飲んでから、千鶴さんを見据えます。千鶴さんも空気が変わったことを瞬時に察して顔を引き締めました。
「…話が少しずれましたが、貴女達の目的である『月代 永久』に会いたいというのは彼女次第ということになります」
「そのようですね」
「…それを踏まえた上で、今後はどうするのですか?」
わたしの質問に、千鶴さんが顎に人差し指を当てて考えこみます。
「……そうですね。私以外は月代さんの存在についてよく似ているだけで別人と考えているところもありますし、月代さんのことは後回しにするようにして、この世界でより生き抜く術を探そうと思います。魔法も使えないと不便ですし」
「…魔法、ですか。輪音が使っているあのデバイスというのは地球に居た頃に作ったものですか?」
「ええ。そう聞いています」
地球にそんな非科学的な物質があるとは思えませんが…。折を見てきちんと調べた方が良いかもしれません。
まぁ、デバイスに関しては一旦置いておきましょう。いつでも視れるチャンスはありますし。
「…そういえば、綾さんがオリハルコンを欲しいと言ったのはそのデバイスを作るための材料が欲しかったからですか?」
「ええ。そのようですけど、最初はふっかけるつもりで提案したものがすんなり通ってしまって困惑していました」
「…オリハルコンは人族の世界ではほぼ流通しない希少金属ですからね。わたしは沢山持っているので別にあげるのくらいなんとでもないのですが…。後で渡すのも面倒ですし、この場で渡してしまいましょうか」
わたしなら簡単に加工出来ますけど、オリハルコンはこの世界で最も堅い金属です。流通が少ないのもあって、人族の中で扱える者は少ないのですよね。わたしがそう助言をしながらオリハルコンのインゴットを二つ、収納魔法からぽいぽいっとテーブルの上に出しました。虹色に輝く金属を千鶴さんが興味深そうに見詰めています。
「…あぁそれと、わたしもしばらくの間、貴女達と同行しますね。もちろん、ルナとしてですが」
「それは監視ということですか?」
「…それもあります。わたし達のような異世界からの来訪者は必ずこの世界に大きな変革をもたらします。それがどういう結果になるのか、この大陸を管理する者の一人として見届けておきたいのです。それと、わたし自身の記憶に影響もあるかもしれませんし。でも、わたしが貴女達の旅の補助をすることはありません。何かあってもわたしに助けは求めないでくださいね。それと当然ですが、わたしのことは他の皆さんには内緒ですよ?」
「ふふ。分かりました。教師として、個人情報を守ると誓いますよ」
こういうところで千鶴さんは話が早くて助かります。仮に千鶴さんが約束を破ったとしても、その時は全員の記憶を消せば良いだけです。とっても面倒なのでやりたくありませんが、必用に迫られたらやむおえません。
「千鶴、オリハルコンのインゴットをそのまま持っていくのは少々目立つでしょう。収納袋をお渡ししますので使って下さい」
「魔力が無くても扱えるのですか?」
「入れる際には必要ありませんが、取り出すのには必要ですね」
「…取り出すのは輪音にやってもらえば良いでしょう」
「そうですね。ありがとうございます」
弥生がオリハルコンインゴットを収納袋に入れ、それを千鶴さんに手渡しします。千鶴さんが不思議そうに袋の中を見ますが、中は真っ暗闇で何も見えないでしょう。見た目は普通の革袋ですからね。
「…話はこんなところでしたね。…あぁ、全の治療にはわたしの領域に住んでいるアスクレピオスという白蛇を送ります。彼女ならば失った腕の蘇生も問題なく出来るでしょう」
「そうですか。良かった…」
「…では、わたしは他にもやらないといけないこともありますので、また領域を出る時に会いましょう。…弥生、千鶴さんを送ってあげてください」
「かしこまりました」
千鶴さんはまだ話したいことがありそうな雰囲気でしたが、大人しく弥生に先導に従って席を立ちました。姿が見えなくなるまでそれを見送ると、わたしは深く溜息を吐きます。
「…そんなに気になるのならば話せば良いではありませんか?」
「うるさいですね」
見回りに行くとか言いながらずっと姿を隠してこちらを見守っていた永久が姿を現します。その顔には郷愁と懺悔の表情が見えました。
先ほどは言いませんでしたが、彼女達と一緒に行動する一番の理由は、永久に彼女達の姿を見せてあげることです。もちろんそのことに永久は気付いています。
「余計なお世話と言いたいところですが、彼女達のこと、お願いします」
「…手助けはしませんよ?わたしはただ見守るだけです」
「ええ、そうですね」
さて、千鶴さんとの話も終わりましたし、オボロの説教をやりに行きますか。…卯月と遊んでいてばてていないと良いのですが…。
わたしは席を立ちあがって常夜の空を見上げます。今日もこの領域には変わらない満月が柔らかな光を放ちながら満点の星空と共に浮いています。しばし、それを見詰めてから、気を取り直してオボロと卯月の下に向かいました。




