32話 天才少女とマナポーション
「兄様…?」
私がポツリと呟くも、いつもの鬱陶しいくらい整った顔は何処にもなく、綾さんに千鶴さん、『白の夕霧』のみんなもただただ呆然とした顔をしていた。
「兄様は!?兄様はどうなったの!?」
「さっきの現象から推測するに、何処かへ転移させられたと考えるが普通でしょう」
千鶴さんのいつもの冷静な声が混乱する私の質問に答えてくれた。でも、なんでそんなに冷静でいられるのかわからない。ここは魔物が沢山居てトラップだらけなダンジョンだよ?転移させられた後に何が起こるかなんて予想出来ないのに!
私がそんなことを思いながら千鶴さんのことを見ていたのに気付いたのか、千鶴さんは困った様な顔で弁明を始めた。
「私だって何がどうなっているのかさっぱりです。でも、飛ばされたのが全くんだけならば、どのようなことがあっても早々簡単になにかあるようなことは無いでしょう。かといって、悠長にする時間もありません。…『白の夕霧』のみなさんはすでに何回かこのダンジョンを出入りしていますよね?今回の転移に何か心当たりはありませんか?」
落ち着かせるように、あるいわ自分を落ち着かせる為に私の頭を撫でながら、千鶴さんは『白の夕霧』のメンバー達に話題を振った。綾さんは顔を真っ青にしたまま何も喋らない。たぶん、私以上に混乱しているんだと思う。綾さんって突発的なことにとても弱いし。
私は千鶴さんのおかげでだいぶ落ち着いた。とにかく情報が欲しい。じゃないと兄様が何がどうなったのかわからない。
でも、私達の期待の眼差しに対して『白の夕霧』のメンバーは一様に渋い顔をして顔を横に振った。
「すまん、私達にも何が何だか…。こんなこと今まで一度も遭ったこともないし、見たことも聞いたことも無い。みんなはどうだ?」
フォセリアさんもかなり動揺しているのか、いつもは千鶴さん相手には敬語なのに、今はタメ口で話をしている。
フォセリアさんから問われたメンバー達もそれぞれ「聞いたこと無いわ」「こんなの他のダンジョンでも無いよ」「トラップっぽい感じもしなかったよねー?」と全く情報を得られる感じがしない。
そんな中、トリアさんが魔法陣のあった辺りをうろうろと見て回り、確信したように頷いてから口を開いた。
「転移系の魔法では無さそうなの。つまり、今の転移はダンジョントラップで間違いないの。だけど、普通のダンジョントラップならば魔法陣に入った全員が飛ばされるはずなの。それなのに飛ばされたのは全のみ。つまり…」
「つまり?」
トリアさんが一旦頭の中を整理するように空を仰いでから、固唾をのんで見守る私達に赤色の瞳を向ける。
「このダンジョンの主…つまりはダンジョンコアに意図的に全が転移させられた可能性が高い…と思うの」
「ダンジョンコアにって…そんなこと有り得るのか?」
トリアさんの仮説はそれほど有り得ないことなのかな…?でもそうだよね。ダンジョンコアがダンジョンに入った特定の人を狙ってトラップを引っ掛けられるなんて、すんごいクソゲーだよ。挑戦側があまりにも理不尽すぎるもん。そんな危険なダンジョンに入る人なんて居なくなるよね。そしたら、ダンジョン側もあがったりなはず。
気付かれる前に全滅させてしまえばそれでも良いと思うけど。魔物ならばともかく、人間を呼び込むためには宣伝する人が必要になるから生かして帰すのも必要なんだよね。ダンジョンコアがそこまで考えてダンジョンを運営しているのかどうかは知らないけど。
そもそも、ダンジョンコアという魔物自体がよくわからない生物だから何を考えているかなんて想像するしかない。って、ダンジョンコアのことなんて今はどうでも良いの!
地球組である私達はまだこの世界の常識に疎いところもあるから、トリアさんの言うことにそんなものかと納得できるのだけど、この世界に生きるフォセリアさん達からしたら相当衝撃的なことのようで、口々に有り得ないと呟いている。
「他のダンジョンでも起こり得るかどうかまではわからないの。でも、このダンジョン…『朧月夜』ならば十分に有り得ることなの」
「どういうことかしら?」
「このダンジョンは神獣の領域にあり、許可を得て人が出入りを許されているダンジョンなの。それだけでも相当特殊なの。そして、神獣の領域内にあるということは、このダンジョンもまた神獣の管理下にあるダンジョンということなの。あくまで可能性の話になるけれど、ダンジョン『朧月夜』のコアは神獣の眷族である可能性があるの」
「眷族っていうと、神獣の魔力で生み出された強力な魔物のことだよね」
「そうなの。もちろん、神獣も魔人だから眷族は沢山居るはずなの」
基本的に、魔物は魔力溜まりと呼ばれる濃密な魔力の中から自然発生する…と言われている。ということはつまり、濃密な魔力さえ作れれば意図的に魔物を生み出すことが可能になるということになる。肉体さえあれば普通の生殖活動は可能だけども、〈魔力体〉持ちは生殖能力が極めて低下するらしく、ほぼ子を産むのは不可能らしい。
そして、完全な魔力のみで体が構築されている魔人と呼ばれる魔物の上位種には肉体が無いので生殖能力もない。その代わりとして、自らの魔力を使って意図的に魔力溜まりを作り出すことで、自分の魔力とほぼ同じ存在の魔物を生ませることがあるという。それらは魔人の眷族と呼ばれ、近しい魔力の繋がりから親と子で明確な上下関係があり、基本的には親に絶対服従なのだとか。
その眷族と呼ばれる者達は親である魔人から直接手ほどきを受け、他の魔物よりもずっと早く成長して強くなり、最終的に親を守る盾としての役割を果たす…っと、トリアさんが親切丁寧に教えてくれた。
「それで、神獣の眷族だったとして、今回の件となんの関係があるのさ?」
「神獣の眷族ということは間違いなく魔人になっているの。このダンジョンのあちこちで散見されるという『幻の少女』。恐らくその少女がダンジョンコアなのではないかと睨んでいるの」
「ダンジョンコアの魔人…。本当にこの領域は前代未聞なことばかりだな」
「幻の少女については、ダンジョン内のあちこちで冒険者達から目撃証言があったわね。接触した人の話は聞かないからダンジョンコアと決め付けるのは早計だと思うけれど…」
「まぁでも、トリアの言う通り、怪しいのはその少女だよねー」
『白の夕霧』達はトリアさんの話に神妙そうに頷いている。興味深い話なのは分かるけど、今はそれどころじゃないんだってば!!
「もう!結局兄様は何処に居るの!?」
私がイライラをぶつけるように大声で質問すると、トリアさんが少しだけ困ったような顔になる。
「ここまで説明しておいて申し訳ないのだけど、はっきりとした場所まではわからないの」
「どういうこと!?」
……何それ!?ここまでの時間が全くの無駄じゃない!!
「落ち着くの。冒険者が冷静さを欠いてはダメなの」
「輪音さん、落ち着いて下さい。今は彼女の話を聞きましょう?」
千鶴さんに頭を撫でられながら宥められる。うぅ。子供扱いは止めてよ…
大人しくなった私を見てホッとした様子のトリアさんは「話を続けるの」と言って私達を見回す。
「正確な場所は分からないの。だけど、相手がダンジョンコアで、かつダンジョン機能で転移したのだとしたら、間違いなくこのダンジョン内のどこかに居るはずなの」
「それはまぁ予想は出来るけど。このダンジョンって確か結構な広さがあるよね?」
綾さんが確認するようにフォセリアさんに視線を向けると、同意するように頷いた。
「場所さえわかれば強行突破で行けると思うんだが…」
……場所を特定する方法か。何かいい方法ないかな?
周囲がいろいろと話す中、私は〈高速思考〉を使って地球の技術で使えるのが無いか模索してみることにした。
真っ先に場所が分かりそうなものといえば…GPS?いやいや、衛星は無いし、相手側が衛星に情報を送る必要があるから無理。ソナーとか?建物の中だったら意味無いし、そもそも音波の帰って来た情報とかどう処理するの?無理無理!レーダーとか?…って音波が電波に変わっただけじゃん!うぅ…。
地球のシステムだけで特定の誰かを探すのは難しいかなぁ。一旦索敵方法は置いておいて、まずは個人の特定方法から考えてみよう。
個人特定と言えば、DNAかな?DNA構造自体は私の魔眼で判別出来るけど…。前に〈鑑定眼・科学〉を使っていろんな人の体の構造から基礎身体能力を割り出して戦闘力を数値化しようと思った時に視たことはあるけど、結局、スキルとか魔法の補助とかの分は計算出来ないから使えないと思って早々に諦めたんだよね。でも、兄様の身体構造は覚えてる。このデータから個人を割り出すのは可能だね。身体構造を覚えているからなんだよって話だけど。
……ん?身体構造?
待って待って。身体構造といえば、私達とこの世界の人達との大きな違いがある。それは魔力の有無だ。この世界の常識として、魔力は全ての生物が持っていると教わった。ダンジョンは領域と呼ばれる魔法で作られているものだとトリアさんが言っていた。つまり。
今この空間で魔力の無いモノが私達だけしかいないってことになる?
待って待って。無機物は?ゴーレムは魔力で動くんだから魔力があるよね。建物は?
「ねぇ、ダンジョン内にある建造物とか無機物って魔力あるの?」
〈高速思考〉を維持したまま〈並列思考〉で意識を分断してトリアさんに質問してみる。突然の質問にトリアが怪訝そうな顔をしたけれど、きちんと答えてくれた。
「ダンジョン内のものは、持ち込まれたものでない限り魔力があるの。建造物なども全てスキルか魔法で造られたものと考えられるの。このダンジョンには魔力が常に満ちているの。でないと、ダンジョンコアも管理できないと思うの」
「そういうのって。えっと、〈魔力感知〉だっけ?そういうのでわかるの?」
「分かる人も居るの。個人差があるからなんとも言えないけど、〈魔力感知〉スキルは周囲にある魔力を感知する能力なの。そこから、強い魔力や弱い魔力を感知して敵の強さを測ったり、魔物の居場所を突き止めたりする以外にも、相当な熟練者ならば、魔力の質の違いで個人を特定することも出来るの」
「でも、〈魔力感知〉で感知出来る範囲はそれほど広くありませんわよ」
「そっか。ありがと」
必要な情報を聞き出した私はさっさと思考を元に戻す。再び怪訝そうな目付きで見られたけど、気にしない。今は兄様を見付けて、助け出すのが先!危険な状態なのかどうかわからないけど。
さて、本格的に兄様を探す魔法を作ろうか。私は〈魔力感知〉を持っていないから、それは魔法でなんとかしよう。頭の中に良くあるレーダーみたいな図を用意してと。魔力の濃度で色を変わるようにして。うんうん。良い感じ良い感じ。予想通り、私達地球組には魔力が無いから白点で、それ以外の空間全てに着色されていくね。あ、でも、この魔力消費だと魔力が足りない。兄様はもっともっとダンジョンの奥に居るのかな。でも、魔力足りない。どうしよう。
「妹ちゃん、大丈夫?さっきからボーっとしているけど」
〈高速思考〉中でもみんなに心配されるほど時間が経ったのか。未だに行動指針を決められないみんなが心配そうな顔で私を覗き込んでいる。でも、私はみんなが話し合っているうちにもう兄様の居場所を突き止めえる手段を見付けたもんね。でも…
「魔力…魔力が足りないの。何か簡単に補給できる方法ないかな?」
「その口ぶりでは全くんを見つけ出すいい方法を思い付いたのですね」
「魔力ってことは、魔法?」
「魔法なの?」
「説明してる時間は無いからね?なんとか魔力をすぐに回復する方法ないかなぁ」
「魔力を回復するならマナポーションがあるじゃないか」
フォセリアさんの一言にトリアさんが眉をひそめる。でも、私はまさに目から鱗が落ちるような気持ちだった。前にポーションの話をした時にどうして思い付かなかったんだろう!
「それはもう全や千鶴に話したの。だけど、体質で体に魔力が全くない人に魔力を入れたら毒になる危険性もあるの。こちらの常識で安易に提案してはダメなの」
「う…そうだな。すまない」
「トリアさん!マナポーションって持ってるの!?」
「輪音さん!聞いていなかったのですか!?マナポーションは直接魔力を体内に入れるんですよ?たとえ少量でも拒絶反応が起こるかもしれません!」
私がトリアさんに詰め寄るのと同時に、千鶴さんからこの世界に来てから恐らく一番怒ったような口調で止められた。でも、兄様の居場所を突き止めるにはもうこの方法しかない。
「拒絶反応が起こるかどうかなんて飲んで見なきゃわからないし」
「飲んだことで手遅れになるかもしれません!私は許可しませんよ!」
「妹ちゃん、さすがにそこまで危険を冒す必要はないよ。全さんだって、どこかに飛ばされただけで自力で帰ってこれるかもしれないしさ」
「拒絶反応が起こるなら、その前に魔法で使っちゃえばいいんだよ」
「ダメだこりゃ。妹ちゃんやる気だよ…」
「輪音さん!」
千鶴さんが私の腕を掴んで振り向かせる。威圧するように私を見下ろす千鶴さんを私は見上げるように睨みつけた。まさかそんな目で見られると思わなかったのか、千鶴さんが一瞬だけたじろぐ。
「千鶴さんは、また私に家族を見捨てろっていうの?」
「っ!ですが、それで貴女が危険を冒しては…」
「万が一マナポーションを飲んで倒れても、これだけの人が居ればそうそう死なないでしょ。それに比べて、兄様は今危険な場所に居るかもしれないんだよ?私しか見付けられないなら、私がやるの」
「ですが…」
「千鶴、諦めるの。輪音の決意は固いの」
トリアさんが千鶴さんの手を私の腕から引き剥がす。そして、私に赤色の液体が入ったビンを突き出した。
「これがマナポーションなの。中級だからそこそこ魔力も回復すると思うの」
「うん」
「トリア、良いの?危険かもしれないんでしょ?」
ランさんの言葉に他のメンバーも頷く。けど、トリアさんは私の手にマナポーションを握らせた。
「これは私の私用なの。私が何でどう使おうと勝手なの。それと、渡しておいて卑怯かもしれないけど、飲んで何かあっても自己責任なの」
「分かってる。後でちゃんとマナポーション代も払うよ」
「そんなことより、早く新しい魔法見せるの」
「あはは…。トリアさんは相変わらずだなぁ。新しい魔法って言ってもただの〈魔力感知〉なんだけどね」
トリアさんに渡されたマナポーションをじっと見る。大丈夫。覚悟は決まってる。一気に飲み干そう。
蓋を開けて中身を一気に呷る。味は…炭酸の無いエナジードリンクみたい。めっちゃ微妙な味。
そして、体内に馴染みのない魔力が入っているのがわかる。デバイスを通して魔力を操っているから分かるけど、自分の魔力じゃない魔力を操るのって大変。体の中にあるだけでめっちゃ気持ち悪くなってくる。
……たぶん、この世界の人と違って外から供給する魔力を自分の魔力にする器官が無いのかな。
ならば、一旦デバイスの方に魔力を持って行ってみよう。自分の魔力じゃないけど、〈魔力操作〉があるからなんとか動かせる。良かった~。このスキル持ってて。
魔力をデバイスが付いている右腕の手首の方にまで持っていって、そこからデバイスを通して普段魔力が入っている場所にまで入れていく。体から魔力が無くなっていくほどに気持ち悪さが無くなっていくね。〈魔力操作〉が無い人はマナポーションを飲んじゃだめだね。
そうこうしているうちに、マナポーションで補給した分の魔力がデバイスの中で私の魔力と混じって変化したのに気付いた。うん。デバイス内の魔力が回復しているね。これならいけそう!
「大丈夫ですか?」
気付いたらいつにもまして心配そうな顔の千鶴さんが私の顔を覗き込んでいた。綾さんもいつの間にか私の背後で両肩に手を乗せていた。トリアさんも他の『白の夕霧』のメンバーも心配そうな不安そうな目で私を見ているの気付く。私はみんなを安心させるためにニコッと笑った。
「なんとか大丈夫そう!よし!このまま一気に魔法を使うよ!」
私の言葉でみんなが安心したように息を吐いた。特に千鶴さんなんか「もう、心配させないでください」とかヒロインみたいな姿でヒロインみたいな台詞を言ってへなへなとしゃがみ込んでしまった。ホントにこの人、三十路なの?今居るメンバーの中で一番可愛らしいってどゆこと?
千鶴さんの年齢詐欺疑惑は置いておいて、私はさっそく、地球人探索用魔法を使うことにした。




