閑話 扇動者の冒険者復帰
三日も雨が降り続いた次の日。ようやく晴れた今日の朝食後に千鶴先生から声を掛けられた。
「そろそろ、綾さんは外に出ても良いのではありませんか?」
「ん~」
妹ちゃんの魔法の研究は着々と進んでいる。正直な話、既に全さんや千鶴先生と一緒に外に出られるだけの戦力になれるだろう。まだこの間のことがトラウマになっている緊張しているみたいだけど、妹ちゃんならばあっさりとトラウマを払拭できるような気がする。
問題は私だ。私は今でも外に出ることに忌避感を感じている。あの時は妹ちゃんのあまりの怯えっぷりのおかげである程度冷静さを保てたけど、夜に寝ている時に妹ちゃんがあの狼に食べられる夢を見て起きることが今でもあるくらいだ。
……いつまでも逃げていちゃダメだっていうのは分かっているんだけどね。
私が本当に怖いのは、自分が危険な目に遭うことではなくて、目の前で大切な人達が傷ついたり、死んでしまうことだ。いや、これは詭弁だ。私が本当に恐れていることは戦うということそのものだ。殺し合うということ自体に、どうしても慣れない。
「…」
「まだダメそうですか?私の見立てでは、輪音さんよりも、綾さんの方が心の準備が出来ていないと思っていましたが」
「あはは…。さすが千鶴先生。お見通しだね」
「ここでは先生は禁止です。…それで?どうなのですか?どうしても無理ならば、外に出る必要はないですよ。〈不老〉スキルがある以上、私達が焦る理由は無いのですから。それに、わざわざ全員がまとまって行動する必要もありません。綾さんや輪音さんにはこの街に残ってもらって、私達が外で活動するというのも悪くないのでは?」
「私は、それでも良いと思うけど。妹ちゃんはたぶん外に出たがると思うよ。あの子ならば、すぐに順応すると思う。一番怖がっているのは私だからね」
「では、綾さんが一人で残りますか?」
「それはちょっと…」
「全く。綾さんももう大人でしょう?もう少しはっきりしなさいな」
そんなことは言われなくても私が一番わかっている。私が一番中途半端にうろうろとしているくらい。それでも、どうしても割り切れないのだ。20年以上生きてきたけれど、こうして生と死に間近に向き合う時が来るなんて思いもしなかった。どれだけ自分が平和な場所で過ごしていて、そこに順応していたのかわかっていなかったのだ。まだ、この異世界の世界観に頭がついてこない。
「…」
千鶴先生に何も言い返せなくて、私はただ黙って項垂れるしか出来なかった。不甲斐なさすぎるね。こんなんじゃ永久先輩に合わせる顔も無いよ。
「月代さんを探すことを第一だと思っているのは、貴女と輪音さんの二人だけ。それも分かっていますね?」
「分かっているよ」
「私としては、貴女達二人の安全の確保が出来ればそれで良いのです。でも、この世界は地球よりも危険に満ちています。魔物の存在もそうですが、私達を異世界から呼び出して何かをさせようとしていた連中のような者も居ます。戦う為の手段と、命を奪う覚悟は必ず必要になります」
「分かってるって」
「ええ。分かっているでしょう。貴女は賢いですから。そして、優しい。いえ、優しくあろうとしていると言うべきですか」
「その言い方だと、私が優しくないみたいな言い方だね」
「優しくは無いでしょう。本当の貴女は」
本当によく見ている。私の過去も何もかも見てきたかのようだ。
そう。私は優しくなんてない。人を騙して、欺いて。血のつながった親でさえも利用して自分に都合の良い環境を作り上げてきた。妹ちゃんが詐欺師と言ったけれど、まさにその通りだ。今のこの状況だって、私に都合の良い様に妹ちゃんを誘導して状況を作り上げたに過ぎない。でも、千鶴先生の目だけは誤魔化せないし、全さんも私の言葉に惑わされるような人じゃないし、それにたぶん、妹ちゃんも私の言葉を本意に気付いていると思う。
私が人のためにこの力を使おうと思えたのは、永久先輩に出会えたから。あの人の無垢な優しさに触れて、私は変わりたいと思った。だから私にとって、あの人はとても特別な人なのだ。
「幻影を追いかけているのはわかってる。それでも私は…。先輩に、お礼を言いたいんだ」
「…幻影かどうかはわかりませんがね」
「えっ?」
「いえ、なんでも。それで、どうするのですか?」
再度、千鶴先生が私を見詰めて問いかけてくる。私よりも若い見た目をしているけれど、その表情はとても大人びていて、ああ、やっぱり先生だなと思った。
……本当は怖い。戦うことも。全く知らない世界で生きることも。でも、私は一人じゃないから。まだ私には、過去の私じゃなくて、今の私で居られる場所があるから。
大きく深呼吸する。ここ最近の日課で知識を詰め込んだし、戦い方も学んだ。大丈夫。きっと出来る。
「行きます」
「そうですか。わかりました」
千鶴先生はそれだけ言って先に部屋に戻っていった。私もその後を追うように部屋へと戻る。既に部屋に戻って来ていて、もはや特等席となりつつあるテーブルに座ってなにやら書き物をしていた妹ちゃんが、帰りの遅かった私達を見て目を瞬いた。
「妙に遅かったね。何かあったの?」
小動物のように首をかしげるところは見た目相応でとても可愛らしい。だけど、彼女も18歳なはずなんだけどな。精神年齢がどこかで止まっているのだろうか?身長も子供だし。ありえるかも。
妹ちゃんの精神年齢の件は置いておいて、私は千鶴先生が言う前に先に言ってしまうことにした。これはケジメみたいなものだ。
「妹ちゃん、私は今日千鶴さん達と一緒に外に行ってくるね」
「そっか。もう大丈夫なんだね」
平然とした顔で返されて少し面食らってしまう。やっぱり、私が一番怯えていたことに気付いていたのかもしれない。私が苦笑すると、妹ちゃんは「千鶴さんと兄様が一緒なら大丈夫だと思うけど、気を付けてね」とだけ言って書き物に集中し始めた。ちなみに、あの書き物を少し見せてもらったことがあるけど、何か見たことあるような無い様な難しい公式が並んでいた。普段はちょっとおかしな少女にしか見えないけれど、こういうところは研究者だなと思う。
そんなやり取りをしている間にも千鶴先生が手っ取り早く準備を済ませて、私にポーチのようなものを渡してきた。
「軽食や、外での活動に必要なものです。後で使い方を教えますので、とりあえず持っていてください。後は、武器の携帯をお願いします」
「うん。わかった」
「最初が悪印象だっただけにすぐには難しいでしょうが、覚悟さえ出来ていればそのうち慣れます。…教師としては、命のやり取りに慣れろというのは複雑な心境ですがね」
「あはは…」
千鶴先生が苦笑交じりに溢した言葉を、私も苦笑で応えて、千鶴先生の言う通りにポーチを腰に付けて、部屋に置いてある物入れに仕舞ってある両手で持つ大型のクロスボウを手に取った。
「あー服も着替えないとか」
「そうですね」
さすがに街中を歩く用と、冒険者として外で活動する用で服装も変えなければならない。これらも予めいくつか買ってあるので、それらも物入れから取り出していく。
「今更だけど、千鶴さんって冒険者の恰好でもスカートなんだね?」
「動きやすいですし、対人でも有効ですから」
「下はスパッツも履いているみたいだけど、気にならないの?」
「戦闘中にそんなことを気にする余裕はありませんから。スパッツも履いていますし大丈夫でしょう」
「そういうことじゃなくて…」
私の聞きたいことを理解していながらも、腰ほどまである黒髪をポニーテールにした千鶴先生はにこやかに微笑むだけで答えてくれなかった。ちなみに、千鶴先生は鉄製のナックルに同じく鉄製のブーツで相手を殴ったり蹴ったりして戦うらしい。私よりもミニスカートが似合うよね。ホント年齢詐欺だと思うよ。
服の上から防具を着こむため、下に着る服装はかなり軽装になる。ちなみに、私の防具は小手と胸当てと脛当てにレザーブーツだ。防具も機動力重視。なんせ、弓士は近付かれたら終わりだからね。一応ナイフの訓練もしているけど、自衛には心もとない。近付かれそうになったら逃げることを意識しよう。
「よし。こんなものかな。それじゃあ、千鶴さんと全さんには迷惑かけるかもだけど、よろしく」
「はい。しっかりと守ってあげますから。安心して下さいね」
諸々の準備を終えた私と千鶴先生はノートに何やら熱中して書き込んでいる妹ちゃんに一言言ってから部屋を出て、宿のロビーで全さんと合流してから三人で一緒に街の外に出た。
一日の結果としては、森の浅い場所で動物を何頭か狩ることに成功した。私の弓も何発かは当てることが出来たし上々と言えるかな。致命傷は一発だけだったけど。千鶴先生の解体を手伝ったりもして、その日は怪我をしたり危ないことも起こらないで終わった。なんとも拍子抜けである。そんな様子に千鶴先生が可笑しそうに笑った。
「そんな毎回、命の危険を伴うような事件ばかり起きていたら、冒険者なんて仕事誰もやりませんよ」
それもそうだと納得しつつ、それから数日間、私も外に出て活動するうちに段々と戦いにも慣れてきた。さすがにまだ一人で行動するのは無理だし、恐怖心も完全には抜けないけれど、千鶴先生達と一緒ならば安心して行動出来るくらいにはなった。
「何事にも限度はありますが、今の綾さんくらいの恐怖心と警戒心がある方が長生きしますよ」
と千鶴先生に御墨付きを貰えた。ちょっと複雑だけど、これでなんとか妹ちゃんより先に冒険者稼業に移れそう。年上のお姉さんとしての矜持を保てるかな。
永久先輩の妹としてだけでなく、私にとっても妹みたいな存在になっている妹ちゃん。大丈夫。もう絶対に危険な目になんて遭わせない。私も妹ちゃんを守るから。




