15話 天才少女と月兎
私達が魔物に襲われた日から数日が経過した。
私と綾さんはしばらくの間は街の外で活動はしないことになったけれど、街の中も場所によっては危険な場合があるから、最低限の自衛手段と、今後のためにもいろいろと身に着けた方が良いと言われた。心構えとか覚悟とかね。精神的なことって重要だから。
というわけで、ここ数日は冒険者ギルドでギルド職員が魔物を解体しているところを見学して死体や血に慣れるようにしたり、訓練場で簡単に出来る護身術の特訓をしていた。ちなみに、私と綾さんは共におねえちゃんから護身術を教わっていたのだけど、綾さんの方が私より体格は良いし、おねえちゃんから教わる時間も長くて、より詳しく手取り足取り習っていたらしいから、私より全然強かった。おねえちゃんから手取り足取りとかずるい。私も教えて貰いたかった。手取り足取り。うへへ。
おっと、おねえちゃんの話を始めたら終わらないから今は置いておこう。その他には、私は〈原初魔法〉を使っていろいろな魔法を作って研究したり、綾さんには街の中でデバイスを作る手掛かりになりそうな情報を集めてもらうことにした。今のところ綾さんは成果が出ていないけどね。でも国家間の情勢とか商人の貿易ルートとかどうやって調べたの?え?普通に雑談しながら情報を引き出しただけ?こわっ!
兄様と千鶴さんは、私達が森の外で出会った冒険者パーティーの『白の夕霧』から、いろいろと冒険者としての知識や技術を学んでいるみたい。具体的には南の森で出た魔物の調査に同行しているよ。話を聞くと、何度か魔物と戦闘もしているみたい。
今日も冒険者ギルドで最近の日課(魔物や動物の解体現場の見学と護身術の練習)を終えた私と綾さんはいつものように一緒に冒険者ギルドから出てきた。すると驚きの生物が出待ちしていた。
「ふぇ?」
「妹ちゃん、18歳で『ふぇ?』は可愛すぎでしょ。で、どうしたの?」
思わず出てしまった声に綾さんがツッコミを入れつつ、私の視線の先へと顔を向けた。
「あ。うさぎだ」
「うんうん。うさぎだね!」
冒険者ギルドの前にふわふわもこもこの魅惑的な白銀の毛色のうさぎが入り口前で鎮座していた。ちょうど私の足元に居たので扉を開けたときには綾さんは気付かなかったみたい。
私はとりあえず邪魔にならないように入り口から退くと、その白いうさぎにそっと手を伸ばしてみた。逃げる様子が無さそうなのでそのまま優しく頭を撫でてみる。
……うわぁ!うわぁ!すっごい良い肌触り!ずっと触っていたい!!
私はその肌触りに完全に魅力されて、ついつい夢中になって両手でさわさわともふりまくった。すると白うさぎが「きゅい」と鳴いて、鬱陶しそうに体を捻って遠ざかってしまう。でも、私はその仕草と鳴き声に心臓を撃ち抜かれた。
「か、かわいい…」
「うさぎってこんな鳴き声だったっけ?まぁ、確かにかわいいけど」
私が再び手を伸ばすと、スッと躱されて逃げられてしまった。逃げた方向に居た綾さんがうさぎを素早い動きで捕まえて抱き変える。訓練が生きたね。こんなところで生かすのもどうかと思うけど。
「うわっ!確かにこれはすごい!なにこのうさぎ!?」
綾さんもうさぎの肌触りの虜になったようで、抱き抱えたまま耳を刺激しないように撫でまくった。それを見ていた私も無性に触りたくなって、手を伸ばして背中の辺りを撫でるにもふる。ふへっ、もふもふ…
「きゅう…」
二人で夢中になってもふっていたら、うさぎがやはり鬱陶しそうに素早く綾さんの腕から逃げ出した。なんか、瞬間移動みたいな速さだったけど。ひょっとして普通のうさぎじゃないっぽい?
「あ、本当に居ました。通報の通りですね」
綾さんの腕から逃げ出したけど、それでも私達のすぐ目の前で座って毛繕いを始めたうさぎを観察していると、いきなり後ろから声がして驚いて振り返る。
青くて長い髪をポニーテールにした白い騎士服に身を包んだ女の人が、私の背後に立ってうさぎに視線を向けている。いつの間に近付いたんだろう。全然気が付かなかった。
白い騎士服の女性は私が驚いているのに気付いたのか、申し訳なさそうな顔をして「驚かせてごめんなさい」と謝った上でうさぎに近付いてしゃがみこみ、うさぎのことをじっと見詰める。
「特徴は月兎で間違いなさそうだけど…目の色が赤い?まさか…」
ぶつぶつと呟いてから顔色を変えた白い騎士服の女性がいきなり体をピクリとさせる。私には何が起きているかさっぱりだったので、綾さんの袖を引っ張って綾さんに耳打ちをして聞いてみる。
「なんなんだろうね?」
「さぁ?このうさぎのことを知っているみたいだったけど」
しばらくの間ぼうっとうさぎを見ていた白い騎士服の女性は、いきなり立ち上がって私達に体を向けたかと思うと、何か検分するような目付きで私達を見回してきた。その視線に思わず綾さんの袖を引いて逃げるように後ろに隠れて、綾さんも緊張した面持ちで私を守るように半歩前に出る。
「な、なんですか?」
綾さんが警戒した声音で白い騎士服の女性に質問すると、白い騎士服の女性は視線を和らげて微笑んだ。
「ごめんなさい。なんでもありません。ところで、このうさぎなのですが…しばらくの間、お二人が預かって面倒を見てくれませんか?」
「えっ?いきなりどういうこと?」
いきなり意味不明な提案をしてきた白い騎士服の女性に、私は綾さんの体の陰から頭だけ出して困惑した声を出した。
すると、綾さんが笑いを堪えるような顔になって口元に手を当てて堪え、白い騎士服の女性はすごく優しい目になって腰を落として私と視線を合わせた。なんだろう。なんとなく変な勘違いされてる気がする。
「突然ごめんなさい。改めて、私は聖国にある騎士団を纏めている十二天騎士の次席で、ユーフォリアと言います。こう見えても聖人で100歳を超えているんですよ」
聖人ってたしか、人族の進化した種族だよね。やっぱり国の偉い人にはそこそこ居るんだなぁ。
「私は輪音」
「私は綾です」
ユーフォリアさんが自己紹介をしたので、私達も自己紹介をする。十二天騎士の次席ということはこの国の騎士の中で二番目に偉い人だ。白い十字の付いている騎士服だし、たぶん本物だろう。綾さんも同じことを思ったようで、特に警戒せずに名前を教えた。
ユーフォリアさんは満足したように頷き、再びうさぎの側に屈むと、片手で恭しくうさぎを示した。
「このうさぎは『月兎』という種族の魔物です。魔物と言っても、聖国の西にある『月の領域』にしか棲んでいない友好的な魔物で、聖国では月の女神様の眷族として保護対象になっているのです」
月の女神様の眷族ね。魔物って聞いた時はびくりとしてしまったけど、話を聞く限りでは安全な魔物っぽい。むしろ、宗教色の強いこの国では保護対象のようだ。勝手に討伐しようとしたら捕まりそうである。
「でも、保護対象ならば聖国で保護した方が良いんじゃないですか?」
「本来ならばそうしたいのですが…」
ユーフォリアさんが月兎に手を伸ばすと、月兎はぴょんと避けて私の足元にすり寄ってきた。なにこのかわいい生き物。
「やはりダメですか。月兎は気に入った相手でないと触らせて貰えないのです。申し訳ありませんが、冒険者である二人に月の領域までその子を連れていってもらえませんか?」
最初、なんで私達が冒険者だと分かったのか疑問だったけど、冒険者のギルドカードを首からぶら下げているからそりゃあ分かるよね。
……私としては構わないんだけど…。
私は見上げて綾さんの顔を確認する。綾さんも私を見下ろして肩をすくめた。やっぱり、私達だけで行き先を決められないよね。それに、まだ私は外に出るのに忌避感もあるし…。
「他の仲間に聞いてみないと、その、月の領域?に行けるかどうかは決められないよ?」
少し迷ったのち、私はユーフォリアさんにそう答えた。個人的には連れて帰ってもふもふして抱いて寝たいけどね。じゅるり。
「きゅ、きゅい…」
月兎が何かを察して私から綾さんの方に逃げていった。別にとって食ったりはしないのに。ちょっともふるだけなのに。ちょっとだけ。ちょっとだけだよ。ホントホント。
「ほらほら妹ちゃん、うさぎさんが怖がってるじゃん。んー…確約は出来ないので、とりあえずこの街に居る間だけ面倒を見ることは出来ますけど…」
「では、とりあえずそれでお願いします。もし、月の領域まで向かわないで別の国に行くようでしたら、一度大神殿で聖天使様のご判断を仰いでください。話は通しておきますので」
「分かりました」
綾さんが私から逃げた月兎を抱きかかえながらユーフォリアさんとそう話をつけると、ユーフォリアさんはどこか安心したように息を吐いて、最後に恐る恐る綾さんの抱きかかえる月兎に手を伸ばしてそっと頭を撫でた。
「きゅい!」
「あぁ…」
うさぎの頭をひと撫でしただけなのに何故かすごく感激した様子のユーフォリアさんが感嘆の息を吐いた。でも、すぐに私達の怪訝な視線に気付いたようで、表情を引き締めて真面目な顔に戻って人当たりの良い笑みを浮かべる。
「それでは、私はこれで。その月兎の事、よろしくお願いしますね」
「あ、わわ!ちょ、ちょっと待ってください!!」
用事は終えたという風に颯爽と去ろうとしたユーフォリアさんを慌てて引き留めた綾さんは、月兎の面倒の見方をいろいろと質問していった。確かにとても大事なことだよね。餌とか。
で、月兎は見た目は普通のうさぎだけど、魔物だから餌は食べられるものならばなんでも大丈夫みたい。ただ、味覚はしっかりとあるからマズイものは嫌がると思うらしい。後は基本的に放置で良いのだとか。食べたものは全て魔力に変換されるから排泄物の世話とかもないし、そもそも体内の魔力に余力があるうちは食事も必要ないし、睡眠もあまりとらないらしい。魔物って飼うの楽だね。でも、基本的に魔物は人を襲う狂暴な生き物で、あくまでこの月兎という種族が特別なだけみたいだけど。
ただ、魔物であることに変わりはないから、街の中に入ろうとした時に結界に引っ掛かって面倒なことになる可能性があるらしい。少なくとも、聖国内であれば月兎は信仰の対象だから結界に引っ掛かっても問題ないみたい。だから国外に出る時に声をかけろって言われたんだね。
そんな、魔物の飼い方や一緒に居る上での注意点を聞き終えたところで、今回の件を上司に報告するというユーフォリアさんと別れることになり、私と綾さんは交代で月兎を抱きかかえながら宿に一度帰ることになった。
あ、このうさぎの名前どうしようかな…。うーん、何か可愛い名前考えなくちゃ!
 




