14話 天才少女と準備期間
「南側のそんな浅い場所で魔物が…」
「うん。今はボクのパーティーが見回っているから、その報告を待っててね」
「かしこまりました。場合によっては追加で調査も必要になりますね。最低でも1組はⅮランク以上の冒険者パーティーを待機させておきます」
「その方が良いかもね」
「ところで、襲われたという彼女は大丈夫そうですか?まだ顔色が良くなさそうですが」
「初めての収集依頼で魔物に襲われたらトラウマにもなるよ。ボクが面倒を見ておくから安心して」
「お願いします。私は聖都所属の冒険者に連絡を取ってみます」
そんな会話をギルドのロビーの端にあるソファーから聞いていた私は、隣に座っている綾さんに顔を向けた。
「私ってまだ顔色悪い?」
「んー。まだちょっと良くないかな」
綾さんはそう言って片手を持ち上げた。そこには、私が強く綾さんの手を握っているのが見える。無意識で気が付かなかった。頭は落ち着いている気がするけど、体に刻まれた恐怖は抜け切れていないらしい。
私は強く握っていた手を意識的に和らげると、綾さんの方からも私の手を握るのに力がこもっているのに気付いた。ちらりと視線を向けると、綾さんが苦笑する。
「あはは。私も怖かったからね。あんなにすぐ傍に死の危険が迫ることなんて今まで無かったし」
私が一番酷く怯えていたのを近くで見ていたから少しだけ落ち着いているのだとか。綾さんもとても怖かったようだ。未だに私の手を離したがらないぐらいには。
「やーやー。どう?少しは落ち着いたかな?」
「お蔭様で。とても助かりました」
ギルドとの話を終えた槍を持った小柄な少女が私達のもとまでやってきて声を掛けてきた。千鶴さんはさすが年長者というか、非常時にも常に落ち着いて見えた。千鶴さんだって平和な日本で暮らしていたはずなのに、何故こんなにも落ち着いていられるのだろう?
ギルドに来るまでの移動中に、兄様と千鶴さんが少女と会話していたのを聞いていたところによると、少女の名前はランというそうだ。まだ14歳だという。薄い青色のショートカットの髪に利発そうな同色の瞳が輝いている。私達を助けてくれた冒険者パーティーの名前は『白の夕霧』という名前で、なんでも、とても有名な女性だけの冒険者パーティーに憧れていて、似た名前にしたかったのが命名理由らしい。その有名な冒険者パーティーとやらが、あの熾天使様が昔冒険者だった頃のパーティーらしい。冒険者の間ではとても有名なんだってさ。どうりで冒険者ギルドに伝手がある訳だよね。しかも当時はSランク冒険者として活躍していたらしい。そりゃあ、憧れもするよね。今は聖国のトップだし。
「いやー。今回は不運だったね。偶然とはいえ、ボク達が南の森に行くタイミングで良かったよ。と言っても、ボク達無しでも魔物を倒せていたみたいだから、余計な心配かな?」
「いえ、私達はこういった荒事に不慣れなもので。専門の人が近くに居て助かりました」
ランさんは調査に行っているメンバーをここで待つらしい。この世界にも通信の魔術具はあるけれど、基本的にはダンジョンや遺跡などから稀に出てくるもので、数十メートル程度の距離しか使えない無線機のようなものしか無いらしい。しかも、他に同じ物を持っている人が居たら盗聴し放題。なんて使えない道具。私が改良したい。出来るかわからないけど。
「君たちはどうするの?」
ランさんの問いかけに全員で顔を見合わせた。とりあえず、私はもう宿屋に戻って休みたい。今は落ち着いているけれど、またいつ恐怖を思い出すか分からないから。私が無言で千鶴さんにそう訴えると、千鶴さんが察してくれたようで、数度瞬きをしてから頷いた。
「輪音さんはもう宿に戻って休んだ方が良いでしょうね。綾さん、輪音さんを連れて一緒に戻っていてください。私はここで『白の夕霧』の皆さんにお礼と、いろいろと話を聞いておきたいと思います」
「俺も千鶴さんと残るから、輪音のことは頼んだよ、綾」
「ん、了解。ここは任せたね。妹ちゃんのことは任せて」
私のことしか言っていないけれど、恐らく千鶴さんと兄様も綾さんが私と同じであまり調子が良くないことを察していると思う。私達は二人に甘える形で冒険者ギルドを後にした。
無事に宿に帰りそのまま借りている部屋へと直行してベッドに倒れ込む。部屋に入った瞬間に緊張の糸が解けたのか、綾さんも私の手を離して深い溜息を吐きながらベッドに座り込んだ。
「ムリムリ。ちょっと異世界ハードル高いよー」
「うぅ、疲れた」
綾さんが「無理だー」と声を出しながらベッドに仰向けに倒れ込んだのを、既にベッドに倒れ込んでいる私は横目で確認する。
既に肉体的にも精神的にもぐったりしていた私は綾さんの言葉に特に返すことなく、そのままごろんとベッドの上を転がって天井をぼんやりと眺めた。
宿屋の部屋の中はとても静かで、冒険者ギルドのロビーや街中のような喧騒が無いせいか、ついつい頭が働いていろいろと思い出してしまう。
殺意の籠った目も、飛び掛かってきた狼の鋭い牙も、飛び散った赤い血も、首の無い死体も。忘れようとすればするほど人の記憶の中に強く刻まれてしまうのだ。あの時の恐怖や血の臭いも思い出したせいか、急に吐き気に襲われた私は慌ててベッドから起きた。そんな私に気付いた綾さんが、私のベッドにまで移動して肩を抱いてさすってくれる。
「妹ちゃん、また顔色が悪くなってる。静かな場所に来て思い出しちゃったか」
「っ…。綾さん…私、外に出るのは無理かも…」
「弱気になっちゃったねー。気持ちはとても解るけどさ。でも、先輩を探すんでしょ?」
おねえちゃんを探したい。その気持ちは変わらないけれど、私のような平和ボケしたか弱い女の子が、あのような殺伐とした世界で生きていける自信が無かった。私には戦える力なんて無い。力どころか、戦うことが出来るだけの度胸もない。こんな私がまた外に出ても、ただみんなの足を引っ張るだけだ。
「私、怖いよ。何かに殺されそうになるのも。何かを殺すのも。私には出来ないよ」
「…そうだね」
綾さんは私の甘っちょろい考えを否定することなく、ただ優しく肯定しながら肩をさすってくれた。私が声を殺して泣き始めると、綾さんは肩をさするのを止めてそっと私を抱きしめた。
「私も……私も命のやり取りをするのは、ちょっと厳しいかな。今回のことでそれが身に染みたよ。私達がどれだけ平和な世界で過ごしていたか、痛感したよ」
綾さんが私をあやすように優しい声音で話し始める。その間も泣いている私の肩をずっとさすってくれていた。
「うっ…ぐす…」
「私達はちょっと焦りすぎただけだよ。だから、ちょっとだけ寄り道しよう」
「ぐす…え?」
私の耳元で囁く綾さんに顔を向けると、綾さんは感情の見えない顔で虚空を睨んでいた。言葉は優しいし、私に語りかけているように見えるけど、なんだか自分自身に言い付けているみたいだ。
「何も全員で同じことをする必要なんてない。冒険者稼業は暫く千鶴さんや全さんに任せて、私達は他に出来ることを探そう。甘く見ていた異世界で暮らせるようにもっと念入りに準備しよう」
それはつまり、その準備というのが整うまではあのような危険な事を二人に押し付けるということだ。宿代や生活費はどうしても必要になる。熾天使様から貰ったお金はまだまだあるけれど、無限にあるわけじゃない。だからこそ今日はお金を稼ぐために外に出たのだ。
……でも、確かに少し焦りすぎたのかも。
なんだか綾さんが言っていることが正しいように思えてきた。そうだよ。あれだけの危険なことがあって平然としているような二人に合わせる必要なんてない。私達はもっと念入りに準備して異世界無双が出来るくらいにならないと!
「そう、だね。私も綾さんと同意見だよ。私達は戦いなんて心構えからして無いんだから、もっと準備してからじゃなきゃいけないよね!」
本当は、私達四人の中で唯一魔法が使える私は兄様たちと一緒に行動した方が良い。魔法の有無だけで外での行動の安全さや、戦いの幅が大きく変わるのだ。兄様達は魔力を通すだけで使える魔術具すら使えないのだ。この世界においてそれがどれだけのハンデとなるのか、私には想像も出来ない。
そんなハンデを背負わせてでも、私は綾さんの言う通りに冒険者稼業を押し付けることにした。出来る人が出来ることをやる。そもそも、今の私では魔法が使えるとはいえ完全に足手まといだ。
綾さんが私の言葉にどこかほっとしたように微笑んだ。そして、今後はお互いに何をしようか話し合う。
その後、千鶴さんが帰ってきてからこのことを相談すると、兄様も含めて全員で食事をする時に再度話し合い、あっさりと了承された。
こうして私達は、冒険者として街の外で活動する千鶴さんと兄様。街中で情報を集めたり、戦うための準備と心構えを鍛える私と綾さんという組み合わせでしばらくの間別々に行動することになったのだった。
……まだまだ私には足りないものがありすぎる。外に出るために、異世界無双が出来そうな魔法を考えないとね!
少しだけ上向きな気持ちになった私とは対照的に、綾さんが複雑そうな顔で私を見ていたことに、この時の私が気付くことはなかった。




