プロローグ1 天才少女と研究
私、月代 輪音にはおねえちゃんが居た。
過去形ということで察してくれるかもしれないけれど、おねえちゃんは3年前に住んでいたビルの屋上から身を投げて自殺した。いろいろな力が働いて、世間的には行方不明ということになっているけどね。
私はおねえちゃんがとても好きだった。大好きだった。私にはおねえちゃん以外に家族なんて要らなかった。だから、おねえちゃんが行方不明、ううん、死んだと聞かされた当時はとても荒れた。もの凄く荒れた。荒れ過ぎて研究所の部屋を次々と破壊してしまったからしばらく出禁されたくらいだった。
私のおねえちゃんの名前は月代 永久。とても綺麗で、可愛くて、かっこよくて、とっても優しい自慢のおねえちゃん。おねえちゃんは特別に秀でた何かがあったわけじゃないけど、自然と周りの人から頼りにされて信頼されて好かれていた。成績の優秀さと容姿に魅かれて群がっていた兄様の取り巻きとは全然違う。私は人見知りで引きこもりでコミュニケーション能力が低いから、あまり周りからは好かれていなかったと思う。興味も無かったから知らないけど。
そんなわけで、おねえちゃんのことを知っている人達はみんなおねえちゃんのことを慕っている。一部狂信者みたいな人も居るけど…。おねえちゃんだから仕方ないよね?
今日はそんなおねえちゃんの3度目の命日。兄様と、おねえちゃんと特に親しかった後輩(私からしたら先輩)と、おねえちゃん通っていた学園の教師と、私の四人で集まっておねえちゃんの話をする日だ。お墓参りもする予定。おねえちゃんの遺体はすぐに父様と母様に隠されて処理されてしまったし、表向きには行方不明になっているので、非公式のお墓だけどね。
「ふぅ…」
きりのいいところまで研究を終えた私はそっと息を吐く。時間を確認すると、約束の時間まではまだ余裕があった。これならば試作品のテストをする時間があるかも。
……本当は私が一人で試作品のテストをするのは禁じられているんだけど。バレなければいいよね?
私が今研究しているのは父様と母様が突然持ち込んできたとある物質の解析と量産、利用方法の研究だ。
父様と母様には、おねえちゃん関係でいろいろと不信感はあるし、正直嫌いだし、頼まれごとをされた時は断ろうか迷ったけど、兄様が今逆らうのは止めた方がいいって必死になって説得して来たから渋々引き受けることにした。実際に研究してみると、この未知の物質は興味深かったから、不満な気持ちはすぐに和らいだけどね。
「人の思考やイメージでいろいろな現象に変化する物質かぁ…」
私の研究でわかったこの物質の性質とも言えるものだ。最初は意味が分からなくて何度も同じような実験を繰り返してしまったけど、この言い方以外にこの物質を説明しようがない。
「まるで魔法に使う魔力みたいだよね」
なんてファンタジー。でも実際にこの物質の解析がもっと進んで、培養や量産が可能になれば本当に魔法のようなことが出来る装置を作ることも不可能ではない。少なくともこの物質にはそれだけの力を感じることが出来た。
そして、私が作った試作品は、そんな魔法を使えるようになるかもしれない装置だ。よく魔法使いとかが出てくるアニメで使われる杖の役割を果たすものって言えばわかりやすいかな?この試作品の名前は、これまたよくこういったアニメで使われる名称で『デバイス』と名付けた。私のネーミングセンスは壊滅的らしいから、そういったのから適当に持って来た。ただ考えるのが面倒になっただけともいう。
このファンタジー物質(まだ名前が付いていないんだよね。)は、現状では量産や培養は出来ないけど、完全に使い切っても元の量まで自然と回復していく性質があることが分かった。という訳で、母様からもらった一番物質量の多い容器を試作品のデバイスにカードリッジのように突っ込んでいろいろ使えないかどうか試していたんだけど、ちょうどその試作品の完成が今出来たこれというわけだ。
「ま、私の脳波にか反応しないようになっているから、まだ使い勝手が悪いんだけどね」
私の脳波から出た命令信号がデバイスからカードリッジにある物質に伝わって、イメージした現象を起こすようにする。一連の流れで言うとこういうこと。本当に魔法少女のステッキみたいな感じ。見た目は腕輪だけどね。
「むぅーん。いっそ杖の形にした方が良かったかな?でも、持ち運びが邪魔だしなぁ…」
これが上手く出来ていれば、父様と母様に相談して、この物質と収納用の容器が手に入るか相談した上で杖型のデバイスも作ってみような。今ある分は研究中に消滅してしまった分を除いて全部これの中に入っているからなぁ。半分以上消滅させちゃったの知られたら怒られるかな?
そんなことを考えている内に実験場に到着した。他の利用者が居ないかどうか確認してから扉を開けて中に入り、内側から電子ロックをかける。更に私の持っている研究員のカードでセキュリティロックを強化した。これで私より上の立場の人しかここを強引に開けることが出来なくなる。
私は早速、腕輪型のデバイスをポケットから取り出して右手に装着して前に突き出した。
……必要なのはイメージ。イメージ。よく思い浮かべて。火は危ないから、水にしようかな。水鉄砲でびしゅっと飛ばす感じ。
私が昔おねえちゃんと遊んだ時に使ったそこそこな威力の水鉄砲を思い浮かべていると、手首に付けているデバイスが僅かに光って、私の突き出した手のひら前からイメージした通りの勢いで水が飛び出してきた。
思わず呆然とその光景を見詰めてしまう。これ、夢じゃないよね?
夢ではないのは地面が濡れていることから明らかだ。それを何度も瞬きをしながら見たあと、私はゆっくりと後ろに後ずさりして壁に背中をつけると、そのままずるずると腰を落として座り込む。
「あ、あはは…。出来ちゃった」
私はとんでもない物を作ってしまったことに思わず頭を抱える。これがもっと研究が進んでもっとすごいことが出来るようになったら、それこそアニメの魔法のようなことが出来るようになったら、この世界は大きく変わってしまう。良い方にも、悪い方にも。
悪用された時、例えば戦争に利用された時なんか想像もしたくない。正直な話、ここまで上手くいくとは思っていなくて、今日の集まりの話のタネぐらいの気持ちでいたのに。まさか成功するなんて…。
「とにかく、この研究資料は全て破棄しないと。途中から危険性に気付いて、父様と母様の目が届きにくい場所で研究しておいて良かった」
父様と母様への進捗報告は適当に言えばなんとかなると思う。私にはかなり甘いからね。あの二人。
……おねえちゃんには罵詈雑言の嵐だったけど。
この試作品はどうしようかな。今日は解体する時間が無いから、今日だけは私の装飾品として持ち歩いておこう。
私は実験場から素早く退出すると、長い白衣を揺らして早歩きで研究室まで戻る。研究室に着いてすぐにPCの前に座ると、指定した資料を完全に消去するプログラムを起動させる。何故こんなものがあるかというと、まぁ、前に私の研究のせいでいろいろとあったから。危険だと思った研究に関してはいつでも破棄できるように準備しているんだよね。
……私の他にも研究している人が居るから、時間稼ぎにしかならないかもしれないけどね。
今後はこの物質を無力化して分解できるようなものを研究しようかな。PCを操作しながら表示されている時計を確認する。
「あ、もうこんな時間だ。…あれもよし、これもよし…うん。消去確認!それじゃあ、待ち合わせに行こう!」
それにしても、父様と母様はこの物質を一体どこで手に入れたんだろう。地球上にあるようなものには到底思えないけど。ファンタジーみたいな別世界のもののように思える。まさかね。そんな訳無いか。
諸々の処理を終えた私は急いで研究所から退所した。私に付けられている使用人に車を回してもらって待ち合わせの場所まで運んでもらう。
「今日は永久さんの命日でしたね」
「うん」
「奥様から、今日だけは見逃してあげるから好きにしなさいと伝言を承っております」
「そっか」
それきり車内は沈黙が広がった。
……好きにしなさい、ね。
おねえちゃんが自殺してからすぐに、おねえちゃんが残したらしい手紙で、父様と母様が運営している会社のグレーな部分やほぼ真っ黒な事業がマスコミにリークされて表沙汰になった。その事件自体は最初にすこしだけ騒がれて以降ピタリと報道が止んで、そのまま有耶無耶のまま世間に忘れ去られていった。たぶん、父様と母様が何かいろいろとしたのだろう。
そして、その情報をもたらしたらしいおねえちゃんが通っていた教師や学園の後輩にも何かやったみたいだけど、私は詳しいことは知らないし、二人からも少し脅された程度って言っていたから、そんなに大したことはされていないのだと思う。
でも、表向きは私や兄様は彼女達の接触を禁じられている。おねえちゃんの話を聞きたがった私がどうしてもとごり押して、おねえちゃんの命日の日だけは会うことを許可されたんだよね。…まぁ学園で普通に会っていたんだけどね。そこは何も言われなかったんだよね。見逃されたのか、接触を禁止にしたけど興味はそんなに無かったのかな?
そう、今日はそんな二人と兄様の四人でおねえちゃんの話をする日。それだけのはずだった。