現実を振り返る
「裏で着々と準備が進められた夜会だったのだけれど、お兄様がその前日に池に落ちて風邪をひいてしまったのが誤算ね。……ナタリーお姉様が刺繍してくれた世界に一つの宝物ですものね? 風に飛ばされたら必死に追いかけるのもわかるわ。『君の兄が人を殺さんばかりの表情でハンカチを追いかけていた』と見ていた方々がご親切に教えてくださったの。安心してお兄様。ちゃんと、きっちり、ナタリーお姉様には御報告差し上げたから」
「ユリウス……貴方必死にも程があるわよ」
うるさいと言いたげなお兄様は睨むしかできない。いい気味だ。
代役したせいで頭を打って痛い思いをした分くらいは恥ずかしい思いをしたらいい。
世間的には転んだのがお兄様ということになっているけれど。
「で、結局熱が下がらないお兄様はどうしても関わった以上お二人の仲を取り持ちたかったのね。お兄様そっくりの私を自分の代わりとして行かせるくらいには。……で、したかなく私はユリウスとして夜会に出席したわ」
「で、どうして転んだのかしら」
「きっとお嬢様は運命に出逢えたんですよ!」
いつの間にか侍女たちが仕事そっちのけで集まり、興味深そうに次の話を待っている。
中にはほうきを片手に聞いている者もいた。
「あら、貴女達仕事はいいのかしら」
「お嬢様のお話を聞いたらすぐに終わらせるからいいんです!」
拳を握りながら言うことではない。
しかも、彼女が握った拳の中にあるほうきがミシミシと悲鳴をあげている。
「……はあ。正直あまり思い出したくないのだけれど」
「だめよ、カタリーナ。記憶がちゃんと正しいか確認しなければ、ね?」
という表向きは私の心配。しかし裏は好奇心で溢れている。
まるで素敵な物語を読んでいる時の少女のようにキラキラ輝く瞳と、上がった口角は隠しきれないようだ。
もう少し表の理由を立てて欲しいと思う。
「私はユリウスとして夜会に参加して、ユフォリア様に『君がそんなだと、彼女の心は他に移ってしまう。素敵な女性だから想いを寄せる人は沢山いるよ』と喝を入れたところまでは良かったのよ。覚悟を決めたユフォリア様が婚約者に想いの丈をぶつけるって時に、ちょうど私の近くにいたご令嬢が転んでしまわれて。きっと、履きなれていないヒールだったと思うの。それで、咄嗟に彼女を支えたのはいいのだけれど……。ほら、私お兄様と違ってか弱いから、人一人分の重さを支えきれなくてそのまま彼女を抱えて後ろに転んでしまったの。………………ねえ、みんなしてそんなに笑わなくても良くないかしら」
人を一人支える力なぞ令嬢にあるわけが無いので、支えきれずに転ぶのは仕方ないことのはずだが、如何せんお母様も含め侍女もみな力がとても--ほうきを軽くへし折るほどには--強いので価値観がおかしいのだと思う。
そのせいでどれくらいの数、掃除道具が儚く砕け散っていったか……。
「それで、起き上がろうとしたけれど身体が支えきれなくてまた打ち付けたの。……それで最後よ。次起きたらベッドの上だもの」
「御相手の方は何方だったのかしら?」
「あまり覚えていないのよね。空と同じ色をした綺麗な瞳の女性だったことしか分からないわ」
とても美しく澄んだ瞳だったのは断片的におぼえている。
あとは女性だったことくらい。
「私やユリウスと同じ様に頭を二回ぶつけたのだもの。クラクラした頭でも覚えている唯一がいることも一致しているし、念願の運命の出逢いね」
うんうんと異国の玩具のように隣で頭を激しく振るお兄様。さらに具合が悪くなりそうである。
隣の侍女なんかはハンカチを引きちぎりそうなほどに、両手で握り締めていた。
「……でも同性の方よ。私の運命はお母様やお兄様と違って恋を連れてきてはくれなかったのね」
深窓の令嬢を装い外を眺めながらため息を吐く。
夢にまで見ていた、私の運命とはなんて残酷なのだと嘆く可憐な少女のように。
「話も聞けたし、特に記憶も異常はないようね。カタリーナ、貴女はしばらく安静にね。……さてどなたかユリウスを運んでくださる? どうやら限界を超えてしまったようなの」
お母様が指さした先には遂にピタリと動きを止めた毛布の塊。微かに出ている顔は紙のように真っ白い。
「奥様、かしこまりました。ユリウス様は自室に運べばよろしいのですね?」
「ええ。自室のベッドにでも転がしておいてくれたらいいわ」
侍女によって意識のないお兄様が運び出されていく。大切な姫を運ぶようにゆっくりと持ち上げられたお兄様はお姫様抱っこで運ばれていった。
そして残った侍女も全員出ていったのを確認し、思考を放棄した私はもう一度横になり瞼を閉じる。
瞼の奥で空色の光が未だチラついているような気がした。