乙女体験と新たな交流。
「いやぁ、やっぱり夜が寒くなってきたねぇ」
階段を下りながら、男性はズボンのポケットから手袋を出した。
防寒用かと思ったが、指の先が空いている皮でできている様なゴツめの黒い手袋だった。
(後で聞くと、レザーでつくられている、フィンガーレスグローブというものの一種らしい。)
ジッと俺が見ているのが気になったのだろうか。
「...俺の格好、変?」
階段を下り終わり、ホームに立つと、男性が問いかけてきた。
「.........え?...あぁ、いや、珍しいなぁと思っただけで...」
まぁ実際、かなり目立っているというか、個性的な着こなし方だった。
「アハハ、よく言われるよ。変わったファッションセンスをお持ちですねって。」
パッと見ただけでも目を引く、少し明るめでサイズ大きめの青色パーカー。前についているチャックは全開で、中に着ているセピア色のタータンチェックのベスト(これもボタン全外し)とYシャツが見えている。よく見ると緩く結ばれているネクタイは、黒と青のこれまたチェック。
でも、パーカーにスーツなんてありえない組み合わせなのに、似合っているんだから不思議だ。ふと、正直な感想が漏れる。
「似合って、ますね...」
「ん、そう?ありがと。まぁ、チャカついちゃっているように見えなくもないけどねー。歳も歳だし」
「え?御歳いくつなんですか?」
「細かくはもう、数えてないけど...多分、56とか...57とか...そんくらい?あ、もっといってるか」
「えぇ!?」
全然見えない。確かに、短い髪の毛に白髪が混じってはいるものの、下手したら40前半くらいには余裕でサバ読めるのではないだろうか。
先程の会話の中でも、時おり少年のような、いたずらな表情を見せることがあった。若く見られることも多いだろう。
そんな年齢不詳の男性は、パーカーのフードを被ってベンチに近づくと、俺に向かって手招きをする。
「座ろっか。このままだったら、疲れちゃうでしょ?」
不意にその瞬間、先程の光景が頭に浮かんだ。人質に取られる前、ベンチに座っていたからかもしれない。
頭がグラグラする。急にその場に立っていられなくなって、貧血になった時のように前のめりに倒れた。
「うわっ!ちょっと、どうしたの!?」
男性が、すぐに支えてくれたおかげで床には衝突しなかったけれど、なんだか気分が悪い。
「......あの、すみません......、なんか、吐き気っていうか......気持ち悪くて...」
「あー、無理ないね。そりゃ、あんな光景いきなり見ちゃったんだもの、具合悪くなるよ」
ちょっとごめん、と言うと、男性はいきなり俺を『お姫様抱っこ』した。
「ひゃい!?」
ありえない体勢と、味わったことのない浮遊感に、俺は奇声を上げて暴れようとしてしまう。
「落ちるから危ないよ、じっとしててね?...それにしても、軽いねぇ。ちゃんとご飯、食べてる?」
推定体重60㌔の、ほどよい重さの俺を、軽いと言ってしまえる力がどこにあるのか。金髪の彼女といい、なかなか人は見かけによらないものだ。
まぁ、確かに食には困っているけれども。
すると、そのままどこかへ行こうとする。慌てて聞いた。
「ちょ、どこへ行くんです?」
男性は笑って答えた。
「んー、君を連れて、家に帰ろうかと」
当たり前のように、言ってのけた。
「......へ?」
「だって、ここで話してても君が辛そうだし、そんなの嫌だからね」
だから、と男性は続けた。
「家へおいでよ。住んでんのは俺だけじゃないし、皆、個性強いけど、深く関わらなけりゃ大丈夫さ」
そうこうしてるうちに階段を上り終え、通路を戻り、先程の現場の近くへ。
「おーい、レオー!帰るけど、そっち終わってるー?」
レオ、というのがあの少女の名前らしい。
大声を出してまでホールに入らないのは、俺への気遣いだろうか。
なんだか、途端に嬉しくなった。
「あ、そういえば名前聞いていなかったけど、なんて言うの?」
「え?」
「君の名前。ほら、いつまでも君じゃおかしいでしょ」
「...し、白河義恭...です」
「ギキョー?うん、分かった。ギキョーね」
ギキョー、ギキョーかぁ、と呟く男性に向かって、俺は、ゲームのヒロインのように尋ねた。
「あの、あなたは?」
「あれ、俺も言ってなかったか」
男性は、あの特徴あるいたずらな笑みで笑いかけてきた。
「轟渉」
腹に染み込むような、低音だった。
「トドロキ...さん?」
俺は、レオが前に呼んでいた、呼び名で呼んだ。
「うん、ギキョー。よろしくね」
「こちらこそ...、よろしくお願いします...」
俺を覗き込んでくるトドロキさんの、大きい黒目から目が逸らせなかった。
男同士、お姫様抱っこの体勢のまま見つめ合うという、異様な状況に顔を引き攣らせたレオがやって来るまで、あと1分と30秒。
「何を、やっているんですか」
ここは車内。
トドロキさんが運転する、7~8人乗りSUVの2列目シートに、俺とレオは座っていた。
「いやぁ、だって、ギキョーが具合悪いっていうから。歩かせるわけにもいかないでしょ?」
結局、抱っこされたまま俺は、車に乗せられてしまったのだ。
ちなみに、もうレオとは自己紹介をしている。レオの本名は、田中玲王といった。
「だからトドロキさん、人たらしって言われちゃうんですよ」
「アハハハハ、ごめんってば」
駅の死体は、驚くことに綺麗さっぱり無くなっていた。どんなことをしたのか、と尋ねたら。
「あなたには関係のないことです」
と、きっぱりと言われてしまった。
どうやら、レオは俺のことを大いに警戒しているらしい。今だって、全く目線を合わせていない。
「俺、車入れてくるから、先に客室に案内してあげて。すぐ行くから」
そんなこんなで、着いたらしい。景色を見るに、西麻布のあたりだろうか。
フラフラも治まり歩けるようになった俺は、外へ出た。
すると。
「......え?」
目にした建物が、予想外で思わず声を上げる。
「...何か、おかしいですか?」
「...いや、これ......家っていうか...」
「ビルディングですよ、地下1階と地上5階建てです」
相当大きかった。
「こちらです」
中に入ろうと、扉に向かって歩いていくと―。
「レオ!おかえりなさーい!!」
中からピンク色の、否、ピンクの髪の人物が飛び出してきた。淡いオレンジ色のパジャマを着て、ニコニコ顔でレオに飛びつく。
「まだ起きてたの、カザカミ!先に寝ててって言ったでしょ?」
口では文句を言いながらも、俺の隣にいた時とは比べ物にならないくらいの笑顔を、レオは浮かべる。
「ねー、レオ。この人、誰?」
そのピンクの髪の人物が、俺を指さす。
「白河さん。標的の人質に取られてたから、トドロキさんが連れてきたの」
「お父さんが?そうなんだ」
にっこりと笑うと、その人物は右手を差し出してきた。
「初めまして。風神です」
「あ、おれは白河義恭です」
手を、握り返した。なかなか、友好的で安心した。
「シラカワさんって呼んでいい?その代わり、ボクの事もカザカミって呼んで」
カザカミは、腰より下まで伸びた長いピンクの髪を二つ結びにしていた。年は聞いていないけど、俺よりだいぶ下という事が分かった。中学1年か、そのくらいだろう。
「シラカワさん、どこか具合が悪いの?」
カザカミが、俺に問いかける。
「え?何で...?」
「だって、お父さんは、体が良くない人とか障害がある人とかにものすごく優しいから。普通の人を、ここへ連れてくるなんて、有り得ないんだもの」
一つ、新たなトドロキさんの一面を知った。答えようとすると、レオが遮るように口を開く。
「そうよ、白河さんは具合が悪いのよ。だから今から、客室にお連れしようと思っているのよ」
「じゃあボクが、連れていく」
「駄目。カザカミは、早く寝るの」
「そんなのずるいよ!白河さんとお話ししたい!!」
カザカミは駄々をこねる様に、レオに向かって言った。
「何が、ずるいんだい?」
背後から、いきなり声が聞こえる。後ろを見ると、トドロキさんが立っていた。相変わらず、気配を消すのがうまい人だ。
「お父さん!あのね、レオが、ボクをシラカワさんとお話しさせてくれないの」
「そうかい?でも、カザカミ。レオに、客室にお客さんを連れてってあげてねって言ったのは、俺だよ?いじわるしてるんじゃないと思うなぁ」
トドロキさんは、カザカミに諭すように話しかける。
「......」
「カザカミに早く寝てほしいから、言ってるんだよ?お話ししてないでって」
「......分かった、寝る」
何かを我慢したかのように、カザガミは言った。
でも、次の瞬間、いつもの笑顔になると俺に言う。
「じゃあ、明日、お話ししようね!」
つられて笑顔になる。
「うん、分かった」
それを見たトドロキさんは、カザガミの頭を撫で、提案した。
「よーし、今日は俺と寝るか?」
「え、いいの!?うん、一緒に寝よっ!」
そして二人は、ビルの中に入っていった。
「お休み、レオ、シラカワさん」
「じゃ、後の案内頼んだぞ」
パタンとドアが閉まって数秒後、レオは俺に向かって話しかける。
「...さて、遅くなりましたが、客室にご案内いたします。」
家族と話していたのが、良かったのだろう。
先程より、柔らかな声だった。