人質奮闘記と強烈な出会い。
ザクッ...。
嫌な、音がした。
「「ぎゃぁぁっ!!」」
後ろにいる、俺以外の利用者さんと駅員が、悲鳴のハーモニーを奏でる。
「...あっぶねぇなぁ......ホントに刺さったら、どうすんの...」
間一髪、避けた俺は冷や汗を流す。
男の振り回したナイフは、俺の一張羅のスーツを、引き裂いていた。上着だけだったようで、どこも痛くも痒くもない。でも、心臓は止められないほどに早鐘を打っている。
「うぁぁぁぁぁぁぁ!」
言葉にならない声を発して、又も男がナイフを振りかぶる。咄嗟に左へと避けた。
「ひぇ!」
俺のいた所にナイフが振り下ろされるのを見て、背筋が凍る。
間違いなく、こいつは俺を仕留める気なのだ。
もう一度、男はナイフを俺の頭めがけて振り下ろした。
「がぁぁっ!!!」
余りの恐怖に、腰を抜かしかけて動けない、俺の脳天にナイフが...。
刺さらなかった。
「え...?」
恐る恐る、俺が上を向くと。
そこには、俺を庇うような形で、俺と男の間に仁王立ちで立っている女性がいた。
女性が高く掲げた手には、ナイフを持った男の手首が。
その人の短い髪は、眩いばかりの金色だった。
「.........汚ねぇ手だな。早く戻せよ」
女性にしては低めの、でも、どこかあどけない声が響く。俺よりも随分と年下の少女の声だ。しかし、言っている言葉はキツい。
「なぁ、聞こえねぇの?戻せって言ってんだよ、ソレとアンタの手を」
ソレ、の所で彼女は空いている手でナイフを指差す。
「テメッ...離せぇぇぇぇぇ!!!」
暴れた男を、いとも簡単に床に押し付ける少女。
その小さい体で、どこからそんな力が出てくるというのだろうか。
「動くな。...アタシに逆らうな」
それでも、男は暴れ出す。床を蹴る音が耳に入る。
ふう、と息を吐くと、彼女は後ろを振り向いて言った。
「あのー、駅員さーん」
気怠い声で話しかけられた駅員は、はいっ、とばかりに姿勢を正す。
「お客さん連れて、こっから出てって。後、誰も入れないで。後片付けはやっておくんで」
そして、何かを考え込むようなそぶりを見せた後。
「警察だけは、呼ばないで」
そう、告げた。
その場から動けない人、失神してしまっている人含め数十人が、駅の外に出ていって、残されたのは俺と、彼女と、男と、そして複数の遺体だけ。
相も変わらず叫んでいる男に向かって、もう一度言った。
「早く、静かになってよ。自分、どうなってもいいんだ?」
ガギボギという音が、男の手首から漏れる。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ありったけ叫んで暴れようとするのに、一ミリも動かない倒れた男の体。
眉一つ動かさずに、男の手首を壊すその姿に、俺は戦慄を覚えた。
「動くんじゃねぇって、言ってんだろ」
ちらりと見えた横顔は、ひどく冷めきっている。
「............何、それともアンタ、」
バギィッ!
完全に、骨の砕ける音がした。
「ドⅯ、だったりすんの?」
「ヴガァァァァァァ!!!」
依然として、男の体は動かない。
男の流している汗が付くのが嫌なのか、顔を顰めながらも彼女は言った。
「ほら、手ぇ壊しちゃった。アンタなんて、どうにでも出来んだから、そろそろおとなしくなれや」
当の本人はそんなこと、聞いちゃいない。やれやれといった様子で、彼女は呟いた。
「駄目だ、こりゃ。埒があかねぇや」
その時。
「撃っちゃおうか」
誰もいないはずの俺の背後から、銃声が鳴り響いた。
「っ!?」
ドラマかなんかでしか知らない音は、すぐに止んだ。
目の前には、血に塗れ、手首が垂れ下がっている、少女に馬乗りになられている男。
「ね、黙ったでしょ」
こわごわと後ろを振り向くと、一人の男性がゆったりと立っていた。
あろうことか、笑みさえ浮かべて。
「君、耳、大丈夫だった?」
俺が見てるのに気付いたのか、銃を弄びながら男性が声をかけてきた。
「...あ、はい...。大、丈夫です...」
「アハハ、声が掠れてるよ。怖かったでしょ、ごめんね」
にこやかに話しかけてくる男性は、見た目は全然優しそうな人だった。
「トドロキさん、助かりました。ありがとうございます」
返り血を浴びた彼女が、男性に声をかける。
トドロキ、と呼ばれた男性は、彼女に向かって言った。
「じゃあ後の片付け、よろしくね」
「了解です」
そして、俺に向き合うと言った。
「一旦落ち着くために、外出ようか。色々話さなくちゃだし、君も聞きたいことあるだろうし」
立てる?、と差し出された手は温かくて、大きくて、今しがた一人殺していた手とは思えなくて。
だから俺は、誘いを受けてもう一度、プラットホームに行くことにしたのだ。