2. 名前
今起こっている不可思議な出来事に彼は頭を悩ませていた。
(一体何がどうなっているんだ。)
目を覚ませば見知らぬ場所で赤ん坊になっており、見知らぬ美人の女性から母親宣言。これほどまでに常識という概念を欲したことはないだろう。
(もしかして自殺に成功して別の人間として生まれ変わっているのか? しかも前世の記憶のある状態で。)
(もし仮にこの人が本当に自分の母親ならもう一人の男の人は自分の父親で、少し遠くからこちらを見ているメイドさんが自分の世話係という感じだろうな。)
適当な推論を立てて平静さを取り戻そうとしていると、先ほどの女性が目に涙を溜めて今にも泣き出しそうな顔をしていた。
相手の泣き顔を見て喜ぶ性癖はないのだが、現状を打開できる案は無いので、相手の反応を待つことにした。
すると様子を伺っていたメイドさんが、自分が寝ているベットに近づいて、不安げな彼女に声を掛けた。
「奥様大丈夫ですよ~。お医者様がもう悪いところは一つも無いとおっしゃっていましたから~。心配ないですよ~。」
「ありがとうメアリー。でも、昨日この子は生まれてから数時間で熱を出していたのよ。もしもこの子に何かあったら、私とても不安で...」
「確かに生まれてきたばかりの赤ちゃんが、熱を出すのは珍しいことですけど~。予備のお薬も処方してくれたので~。心配無用ですよ~。」
(そうだったのか? 目覚めてから気分が悪いと感じたことはないけど、もしかしたら暗い空間での出来事が関係してるかもしれないな。)
そんなことを考えていると、今まで沈黙を貫いていた坊主頭の男性が、ようやく話し始めた。
「安心しろマリー。この子は死なずに生きている。」
「でも私、怖いのよ。子宝に恵まれない私達がようやくの思いで生んだこの子を失うのが。」
「心配するな。この子は元傭兵の俺の血を引いている。だからきっと強い子だ。こんな病気に負けるはずがない。」
「そうね...でもこの子さっきから全く泣いてくれないのよ。」
(しまった! 赤ん坊であることをすっかり失念してしまっていた!)
慌てて声を出そうとするも、生まれたばかりの体なのか上手く声を発することは想像以上に難しかった。
「オーギャー! オーギャー!」
その声は破れかぶれかもしれないが、本性を隠すかのように必死に叫んでいるようにも見えた。
「あなた!この子がやっと泣いてくれたわ。私とっても嬉しい!」
赤ちゃんが元気そうであることが分かると、嬉しそうな台詞と同時に、隣にいた夫に勢いよく抱きついていた。抱きつかれた本人は満更でもないようだった。
「赤ちゃんの泣き声ってこんな声だったかしら~。それよりも奥様に少し聞きたいことがあるのですが~。」
「何かしらメアリー。」
「この子の名前はもう決めているんですか~?」
メイドからの質問に少し考える素振りを見せ、彼女はこう答えた。
「そうね。この子は男の子だし勇敢そうな名前がいいから、アンドリューというのはどうかしら。」
「アンドリューか、いい名前だ。その名に恥じぬよう鍛え上げる必要があるな。」
「良かったね~アンドリューちゃん~。私もこの子のことに関しては助力を惜しみませんからね~」
「オーギャー! オーギャー!」
アンドリューの必死な泣き声がただただ響き渡るのであった。