希望の箱
自分しか居ない教室で黙々と筆を動かす。
高校生活最後の年。美術室で最後の作品となる絵を描いていた。
描いている絵は『パンドラの箱』をモチーフにしたもの。
パンドラの箱と言っても、木を闇に、光を回復に変化。回復を強化したりだとか、スキブしてくれたりもしない。
ココでのパンドラはギリシア神話に登場する女性の事だ。
日本では長音符を省いて表記することが多いのでパンドラと呼ばれる事が多いが、本来はパンドーラ―。面倒臭いのでパンドラで通させてもらう。
パンドラは神々によって作られ人類の災いとして地上に送られた、人類最初の女性だ。
色々あって怒ったゼウスが災いをもたらすために初めて女性というものを作った。どうして怒ったのか、女性が作られる前はどうやって人間が増えていたかとかは自分で調べてくれ。
泥から型をつくり、そこにあらゆる贈り物を与えた。そして最後にピトスと言う甕を持たせた。
このピトスと言うのが後の箱。パンドラの箱である。
それから何やかんやあって、パンドラが好奇心に負けてピトスを開けてしまう。
ピトスからは全ての災いが地上に飛び出したが、急いで蓋をしたので希望だけが残った。
大体はこんな話である。もちろん諸説あるので鵜呑みにはしないで欲しい。
そこから適当にインスパイアして俺が描いているのは『甕を見つめる女性』だ。
Wikiだとかで見るだけでは登場人物の心情なんかはあんまり出て来ないので俺の勝手な想像で描いている。
この絵を見ても誰もパンドラの箱だとは思わないだろう。俺も分からないから問題無いな、うん。
パンドラは災いをもたらす為に作られた。好奇心に負けて開けてしまった。と書いてあったが、彼女はそうなるように作られたのだ。説明では端折ったが、ゼウスが怒った元凶の弟に嫁がされて知らぬ間に災いをまき散らしてしまったのである。
更にはパンドラが人類に災厄をもたらした存在として『神統記』に神々から遣わされた女がいかに男たちの災いとなっているのかを熱弁されてしまう。
『神統記』を記した人物が極度の女嫌いというのもあるが、知らぬ間に敵役にされてしまったパンドラの様子を描いたのが俺の作品だ。
神々の掌で踊らされ災いをまき散らし、希望だけが残った甕を見つめるパンドラ。
構図は出来ているのだが、パンドラの表情が分からない。
実は自分が作られた意味を知っていて、役が演じきれたのを嬉しく思っているのか。
人の世に災いを撒いてしまった事を知って絶望しているのか。
はたまたそれ以外の表情か...。
◇
美術室を閉めて学校を後にする。
俺以外の部員は幽霊部員なので活動時間を気にしないでいいのが我が美術部の利点だ。
校舎内を歩いている時でも、ふとパンドラの表情を考えてしまう。
似たような表情をしている人物を参考に出来ればいいのだが、生憎学校にそんな表情を浮かべる人はそうそう居ないと思う。
◇
...あ、告白したのに振られて、更にその場面を同じクラスの野郎どもに見られて石のように固まってしまった所を写真部のパパラッチに撮影されてる。
へー、人間ってあんな表情出来るんだ。参考になるな。
「すみませーーん。写真部のひとー!その写真に俺にも後でくださーい!」
「いいですよーー!」
振られた彼の顔が死んだ。
写真を参考にしようとしただけなのに...。
凄い!!まさに怪盗百面相だね!
◇
校門を出て、駅まで自転車で向かう。
駅に着く前に事故現場に遭遇した。車とバイクの衝突事故の様だった。
幸いにして大きな怪我は互いに無かったようだが、警察に話を聞かれている女性の顔は青い。
警官同士の話を盗み聞きすると、事故を起こしたのは初めての事の様で随分と怯えているようだった。
女性の顔も参考になるかもしれない。
盗撮のようになってしまうが、マナーカメラで一枚失礼する。
駅に着いて電車に乗り込む。
眠くなってうつらうつらしているとヒステリックな甲高い声が聞こえてきた。
周りの乗客も声のした方へ注目しているようだった。
「あんた触ったでしょ!!」
「だから触って無いって言ってんだろ!誰か助けてくれよ!」
どうやら痴漢のようだ。
カメラを構える人もいる中で一人ニヤニヤしている人物を見つけてしまった。
あの人が犯人だろうなー、と思いながらその顔を写真に収める。
「こら!そこのお前!何撮ってんだよ!!」
俺の事かと思い体が震えるが、俺とは違う人が絡まれていた。
ホッとする俺を余所に携帯を構えていた男性はオロオロしていた。この顔も写真に収める。
ついでに怒ってる高飛車な女性の顔も。冤罪を掛けられ、コレを気に逃げ出そうとしている男性の顔も撮る。
俺も絡まれる前に退散だ。
◇
家に向かって携帯をいじりながら歩いて行くと一枚の画像を見つけた。
結構有名な、「計画通りに物事が進んだ時の表情」の画像だった。これも参考になるかな?
その他にも、顎が異様に長くなっている勝負者の画像だったり、頭が無くなった黄色い女の子の画像を見つけた。
そのどれもがこれじゃ無い感がしたので画像を探すのは諦めた。
家に着いた。
帰宅途中は何かと事件事故に立ち会う機会が多かったが家の中では何も無かった。
流石にこの中で何かあったら困る。おそらく元凶であろう作品を捨てるしかない。
思えば、パンドラの表情を考えるようになった時に問題が起きてる様な気もする。
ピンポーン!
誰か来たのかな?
チャイムが鳴ったのでそう思っていると俺の知り合いと名乗る人物の様だった。
家には家の中で来客の顔を確認できるような機械は無いので家の外に出るしか無い。
「あ、どうも」
家の外に出ると知らない人がいた。誰この人?
黒い髪を腰まで伸ばした可愛い感じの女性だった。
服装は何といえばいいのだろうか。ファッションセンスの欠片もない俺には分からないが、外に出ても恥ずかしくない様な格好をしていた。
「どちらさん?」
「そんなツレナイ事言わないでよぉー。私だよ?ワ・タ・シ。そう!パンドーラちゃんでーす!!」
ガッ―――!!
玄関の扉を閉めた。それはもう、目にも止まらぬ早業と言っても差し支えの無い程に早かった。
だが、それでも締め切る事は叶わなかったようだ。
視線を下に向ければピクピクと痙攣している白い足。それを押し出そうと無言で蹴りを入れていると、目の前の女性から声が掛かった。
「む、むじひぃー!ちょっと厳しすぎやしませんかね、お兄さん!?」
「すいま~せん。リアルの行き過ぎた中二病患者と酔っ払いとムカつく言動をする女性は嫌いなのでお帰り下さい。...初対面ですし」
「八ッ、すがすがしい程の笑顔!?っていうか最後のセリフを最初に持って来れば終わりでしょうに!」
「うるせぇ。とっとと帰れ!」
このままでは拉致が開かないので一旦扉を少し開けて、足を引いた瞬間に扉を閉めた。
その後は流れるような動作でカギを掛けて終わりだ。
フフフ、完全勝利!
次の日起きてみると枕元に手紙が置いてあった。送り主の所にパンドーラと書いてあったのを見て、反射的にライターで炙ってしまったが大したことは書いてないと思う。
結局、パンドラが怖かったので俺の目で見たのより三割増し程度にまして絵を提出した。
それから彼女が俺の目の前に現れる事は無かった。
ほんとに何だったんだアレ?