出会いの唄
「何なんだ、てめえはよう……俺たちを舐めてんのか?」
海斗に向かい、ねめつけるように睨みながら凄んでみせる少年。髪型はきっちりと固めたリーゼント、さらに特攻服の上下を身に付けていた。その手には、木刀を握りしめている。
さらに後ろには、似たような特攻服を着た少年たちが四人いた。もっとも髪型は、パンチパーマやリーゼントやオールバックなどバラバラだ。全員、まだ十代の半ばであろうか。
少年たちの傍らには、バイクが止まっている。明らかに違法な改造が施されているものが並んでいた。
夕暮れ時の、町外れの空き地。
そこで海斗は、暴走族の見本のような風体の五人の少年たちと向かい合っていた。この少年たちは近隣の町の不良であり、最近では真幌市を溜まり場にしているのだ。
こうした不良少年の例に洩れず、彼らもとにかく騒がしかった。バイクの空ぶかしをしたり、夜中に大声で騒いだり……近隣の住民にとっては、いい迷惑である。
そんな住民の一人とたまたま話をしていて、海斗は不良少年たちへの苦情を耳にした。
すると、海斗は笑みを浮かべて口を開く。
「じゃあ、俺に任せなよ。そいつら全員、追っ払ってやるからさ」
そして今日、海斗は少年たちの溜まり場の空き地へと乗り込んだのだ。しかし、彼らは聞く耳を持たない。もっとも海斗のような軽薄でひ弱そうな見た目では、不良少年たちに言うことを聞かせることは難しいだろう。
「おう、おっさん! てめえ何しに来たんだよ! 何とか言えやゴルァ!」
喚きながら、凄んで見せるリーゼントの少年。しかし、海斗は怯まなかった。ニコニコしながら語り続ける。
「いや、おっさんて……俺まだ二十五だよ。まあ、それはいいや。君たち、町のみんなから苦情が来てるんだ。ねえ、君らの暴走行為については何も言う気はない。君らの気の済むまで、どんどん暴走したまえ。でも、出来れば他の場所で暴走して欲しいなあ……と、思うんだよね」
温厚な口調で語る海斗。しかし、少年たちには引く気配がない。海斗を完全に舐めきっている様子だ。
「おっさん、うるせえんだよ! 下らねえことガタガタ言ってるとな、マジで殺すぞ!」
言うと同時に、リーゼントの少年は近づいて来た。残忍な表情で、海斗を突き飛ばす――
海斗は、大げさによろめきながら倒れた。
「うわ、痛え! 頼むから、暴力は止めてよ!」
大げさな表情を作り、海斗は叫んだ。痛がっているようなふりをしながら、さりげなく背後の草むらの方を向く。
「暴力だあ……笑わせんじゃねえよ! おい、この程度じゃ終わらねえぞ!」
リーゼントの少年が吠え、ゲラゲラ笑う。それにつられて、他の少年たちも笑い声を上げた。彼らの表情には、思春期の少年に特有の向こう見ずさがある。放っておけば、その場のノリでとんでもないことをしでかすタイプだ。
海斗は、大袈裟にため息をついた。そろそろだ。暴力を行使する前に終わらせなくてはならない。
「もう、いいかな。おーい小林さーん」
とぼけた声を出す海斗。すると、草むらの中から男が立ち上がった。身長は百九十センチ、体重は百二十キロの大男だ。しかも頭は綺麗に剃り込まれたスキンヘッドであり、人相もかなり凶悪だ。
さらに、その太い首からは、大きなカメラをぶら下げていた。
「お前らに一つ教えてやるよ。こちらにいる小林さんはな、かつて真・国際プロレスのプロレスラーだった人だ。セメント――通常のプロレスと違う本気の潰し合い――だったら、プロレス界でも五本の指に入ると言われた人だよ。訳あってプロレスの道は断念したが、お前ら全員を病院送りにするくらい簡単だぜ」
そう言って、ニヤリと笑う海斗。一方の小林は、冷めた表情で立っている。まるでサイボーグのような佇まいだ。
一方、少年たちの表情は凍りついていた。先ほどまでの勢いが嘘のようだ。その目には、明らかな怯えの色があった。彼らがこれまで相手にしてきた者たちとは、根本的に異なる人種が目の前に出現したのだ。
しかし、引くことが出来ない者もいた。
「じょ、上等じゃねえか! 喧嘩とプロレスは違うんだよ! 舐めてんじゃねえぞ!」
リーゼントの少年が喚き、木刀を振り上げた。もっとも、彼の足が震えているのは丸わかりだが。
それに対し、小林は恐れる様子もなく近づく。木刀を掴み、いとも簡単に奪い取った。
「こんな物、振り回しちゃ駄目でしょ」
小林は静かな口調で言うと、木刀の両端を両手で掴んだ。そして高く挙げる。
次の瞬間、真ん中の部分を頭に当て、力任せにへし折ってしまった――
「さて、お坊ちゃんたち。君たちの自宅の住所と電話番号を教えなさい。素直に教えないと、こちらの小林おじさんが怒るよ」
海斗の言葉に、少年たちは怯えきった表情でうんうんと頷いた。
その後、少年たちを小林がオネエ言葉でみっちりと説教し、さらに海斗が免許証そして有り金を残らず没収して帰らせたのである。
「ねえ海斗ちゃん……金はともかく、免許証なんかどうすんのよ? まさか、偽造か何かに使うんじゃないでしょうね?」
不審そうな顔の小林の問いに、海斗は笑いながら手を振った。
「違う違う、用心のためだよ。奴らが嘘をついていないかどうか、な。とにかく、今日は助かったよ。また何かあったら頼むわ」
海斗の言葉に、小林はため息をついて見せる。
「アンタ、いつまでこんな生活を続ける気? いい加減に、こんな稼業からは足を洗ったら? アタシの店で雇ってあげてもいいわよ? アンタ顔はそこそこいいし、かなり人気出ると思うから」
小林の表情は真剣そのものだった。海斗を本気で心配してくれているらしい。海斗は複雑な思いに襲われた。この小林は、本当に男気がある。海斗が女だったら……あるいはそっちの気がある男だったら、間違いなく小林に惚れていただろう。
先ほど海斗の言ったことは、嘘でもハッタリでもない。小林昭一は、かつて本物のプロレスラーだったのだ。日本人離れした体格とパワーで、将来を有望視されていた。しかし、小林の本質はゲイである。その事実を、他のレスラーや業界人たちにも知られてしまったのである。
当時、ゲイは今よりも厳しく差別されていた。小林はプロレス界に居場所を失い、引退を余儀なくされたのだ。そして今は、真幌市にて一軒の喫茶店兼ゲイバーを経営している。
そんな小林と海斗は、妙に気が合った。ゲイだろうが何だろうが関係なく、ヘラヘラ笑いながら付き合える海斗は、いつしか小林にとって一番のお気に入りとなっていたのだ。もっとも、吸血鬼が身近にいる海斗にしてみれば、ゲイなど何ら気にするような要素ではなかったのだが。
小林と別れた後、海斗は『ちびっこの家』へと向かった。時刻は午後九時を過ぎている。ほとんどの子供たちは、既に眠っているかもしれない時間だ。海斗はあまり大きな音を立てないよう、静かに入って行く。
だが応接室に入ってみると、二人の女の子がソファーに座っていた。一人は十代の半ばだろうか。飾り気のない地味な服装でリュックを背負い、可愛らしい顔は不安の色に満ちている。落ち着かない様子できょろきょろしているが、海斗の入って来る姿を見るや否や、怯えたような表情で会釈し、すぐに下を向く。
しかし、もう一方の女の子の態度は真逆であった。孤児院には似つかわしくない服装――いつもと同じ黒いスーツにソフト帽だ――の海斗を見るや否や、お前は何者だ? とでも言いたげな表情でじっと見つめている。まだ小学校の低学年だろうか。いかにも好奇心旺盛そうな大きな瞳と、男の子のような短い髪が特徴的だ。
どうやら、今日から新しく入所することになった子たちのようである。海斗はふと、自分がここに入所した時のことを思い出した。自分も、不安でいっぱいだったのだ。
「何だお前ら、新しく入った子なのか?」
目の前の子たちを怖がらせないよう、海斗はニコニコしながら、努めて軽い調子で声をかけた。すると――
「は、はい! わ、私は宮田今日子といいます! で、この子は妹の明日菜です! きょ、今日からこちらでお世話になることになりました! よ、よろしくお願いします!」
年上の娘が立ち上がり、焦った様子で何度も頭を下げる。
その態度に、海斗は思わず苦笑してしまった。そもそも、自分はここの職員でも何でもないのである。ただのOB兼ボランティアのような立ち位置なのだ。そんな自分にいくら頭を下げても、なんの得にもならない。
「い、いや……今日子ちゃん。俺は――」
海斗が言いかけた時、妹の明日菜が口を開いた。
「あんた、先生なの?」
その口調はぞんざいで、ひとかけらの敬意も感じられない。まるで、友だちに話しかけるかのような口調だ。すると、今日子が慌てた様子で口を挟む。
「ちょ、ちょっと明日菜! 失礼でしょ!」
「いや、いいんだよ今日子ちゃん。俺はここのOBの有田海斗だよ。海斗さんって呼んでいいから」
そう言って、海斗は優しく微笑む。すると、明日菜は彼をじっと見つめる。
少しの間の後、口を開いた。
「凄く変な格好なの。先生らしくないの」
「ちょっと明日菜! あんた何を言ってんの!」
今日子は焦った様子で、明日菜の口をふさぐ。しかし、海斗は苦笑するだけだった。
「おいおい、このスタイルはな……名作ハードボイルド・ドラマ『探偵ストーリー』の宮藤俊作のファッションだぜ。知らねえのかよ、あの宮藤ちゃんを」
そう言うと、海斗は立ち上がった。雑誌に登場するファッションモデルのような、気障ったらしいポーズをして見せる。
「どうよ? 格好いいと思わない? ハードボイルドな哀愁を醸し出してると思わない?」
キザったらしいポーズを決めたまま、二人に向かい尋ねる海斗。
「えっ、ええ……格好いいと思います」
顔をひきつらせて、頷く今日子。もっとも、その声には感情が込もっていないが。
しかし、明日菜の方は真逆の反応だった。クールな表情で首を振る。
「ぜんぜん格好よくない」
冷たい表情のまま、言い放つ明日菜。海斗に対する気遣いなど、欠片ほども感じられない。子供らしいと言えば子供らしいが。
「あっ、あのな……まあ、お前みたいなお子ちゃまには、この渋さを理解するのは難しいかな」
海斗がそう言った時、応接室の扉が開く。そして、院長の後藤が入ってきた。丸い顔に、満面の笑みを浮かべている。
「待たせたね、お二人さん。部屋の準備が……おや海斗くん、今日も来てくれたのかい」
そう言って、後藤はにっこりと笑った。
「よお院長、新しい子とは仲良くなったぜ。おい、二人とも……何か困った事があったら、この優しくてカッコよくてハードボイルドな海斗お兄さんに、いつでも相談しなさい」
二人にそう言って、胸を張って見せる海斗。すると、またしても明日菜が口を開いた。
「海斗は、変なおじさんなの」
「こ、こら明日菜! 海斗さんは、変なおじさんじゃないでしょ! 優しくて格好いいお兄さんでしょ!」
慌てて、横から口を出す今日子。だが、明日菜は止まらない。
「優しいお兄さんじゃないよ。海斗は変なおじさんなの」
「明日菜! いい加減にしなさい! 失礼でしょ!」
顔をひきつらせ、叱りつける今日子。海斗は苦笑するしかなかった。
「いいよ今日子ちゃん。明日菜ちゃん、変なおじさんの海斗さんを、これからもよろしくね」
言いながら、中世の貴族のような大袈裟な身振りで頭を下げる海斗。
それに対し、姉の今日子は焦った様子でペコペコ頭を下げる。しかし、妹の明日菜はクールな表情でじっと見つめるだけだ。何とも不思議な娘である。姉よりも落ち着いており、泰然自若とした態度だ。常識人の姉と、天然の妹……実に面白い組み合わせだ。
「お前、将来は大物になりそうだな」
思わず呟いてしまう、海斗なのであった。
孤児院を出た後、海斗は廃工場へと向かう。もちろん、瑠璃子の隠れている場所である。
「おい瑠璃子、いるか? キャットフード買ってきたぞ。それと、豚の血も持ってきたぜ」
廃工場の中に入り、そっと声をかける海斗……すると、闇の中から瑠璃子が姿を現す。さらに、にゃあという声も聞こえてきた。
「ほら、今日は豚の血で申し訳ないけど……」
言いながら、血液の入ったビニールパックを差し出す海斗。
すると、瑠璃子は訝しげな表情になった。
「ねえ、これどうしたの?」
「いやな、精肉工場の従業員に話を付けたんだよ。一人、博打の借金で首が回らなくなってた奴がいてさ。そいつと取り引きしたんだよ。もう、工場に忍び込む必要もなくなったって訳さ」
「そう……」
瑠璃子の声は沈んでいた。表情も暗い。何かあったのだろうか。
「おい、どうしたんだよ。今日は元気ねえじゃねえか。何かあったのか?」
「別に……何もないよ」
そう言って、微笑む瑠璃子。だが、無理に微笑んでいるようにしか見えない。
海斗は違和感を覚えた。いつもの瑠璃子はつっけんどんで、言葉遣いも乱暴である。それでも、表情は明るかった。少なくとも、内面で感じている苦悩を隠していたのだ。しかし、今日の表情は暗い。内面の苦悩を、全く隠せていないのだ。
「おい、瑠璃子――」
言いかけた海斗。だが、言葉を止めた。吸血鬼になってしまった苦しみ……それは、自分に理解できるような甘いものではない。しかも、瑠璃子は外に出ることも出来ず、この廃工場の中にずっととじ込もっているのだ。
そう、瑠璃子の見た目は、未だ十二歳の少女なのである。彼女は、陽の照っている間は外に出られない。かといって夜中にうろうろしていたら、警察に目を付けられる可能性もある。
さらに言うなら、この真幌市は決して治安のいい町ではない。日本でも五本の指に入るヤクザ組織・沢田組の事務所がある。しかも、そこからさして遠くない位置には、同じくヤクザ組織・士想会の事務所があるのだ。失業者やホームレスの数も多く、犯罪の発生件数も全国でトップクラスだ。
そんな場所に、見た目は小学生の娘が一人で出歩く……これは、確実にトラブルの元だ。現に以前、海斗は瑠璃子と共に精肉工場に忍びこんで血液を盗んでいたが、町をうろつく怪しげな輩に見つかり追いかけられた事もある。
無論、瑠璃子の持つ吸血鬼の力は強大だ。やろうと思えば、人ひとりくらい一瞬で殺せる。しかし、そんな事をすれば、さらに面倒な事態を呼び込むことになる。人が死ねば、警察が動くのだ。まして殺人事件ともなると、警察はきっちりと捜査する。万が一、瑠璃子の存在が明るみに出てしまったら……。
トラブルを起こさないためにも、彼女は徹底的に人目を避ける必要があった。
だが同時に、瑠璃子にとって、とても不自由な生活を強いることにもなった。海斗にも、その不自由さは容易に想像がつく。まるで牢獄にでも入れられたかのように、彼女は今いる廃工場の中で暮らさなくてはならない。
そんな生活を、瑠璃子は十三年ものあいだ続けてきたのだ。
海斗は、いたたまれない気持ちになった。
その時、にゃあと鳴く声がした。そして、のそのそと歩いて来た黒猫。すると、瑠璃子は笑みを浮かべた。
「ルルシー、こっちにおいで」
文字通りの、猫なで声を出す瑠璃子。すると黒猫は、喉をゴロゴロ鳴らしながら彼女に顔を擦り寄せて行く。少女の吸血鬼と黒猫……何とも妖しげな組み合わせである。だが同時に、微笑ましい光景でもあった。
「その猫、ルルシーって名前なのか?」
海斗が尋ねると、瑠璃子は嬉しそうに頷いた。
「うん、ルルシーだよ。可愛いでしょ」
言いながら、瑠璃子はルルシーを撫でた。ルルシーは喉を鳴らしながら、彼女の前で仰向けになって見せる。おなかも撫でる? とでも言いたげな様子だ。
ルルシーのあまりの可愛らしさに、海斗は思わず微笑む。ルルシーがいれば、瑠璃子も寂しい思いをしなくて済むだろう。その時、もう一つの土産の存在を思い出した。
「おう、忘れるところだった。キャットフード持ってきてたんだよ。危ねえ危ねえ」
そう言って、海斗はキャットフードの袋を渡す。俗にカリカリと呼ばれている猫用ドライフードが入った袋だ。
すると、ルルシーはその袋の中身が何なのか、即座に理解したらしい。早くよこせとばかりに、瑠璃子にせがみ始めた。うにゃんと鳴き、顔を擦り寄せていく。
「はいはい、ちょっと待ってなさい」
瑠璃子はルルシーを撫でながら、少量のドライフードを床の上にこぼした。すると、ルルシーはいかにも美味しそうに食べ始める。以前は、どこかで飼われていたのだろうか……純粋な野良猫には見えない。
「この子はね、捨てられてたんだよ」
不意に、瑠璃子が口を開く。寂しげな口調だ。
「あたしと同じ、一人ぼっちなんだよ」
その言葉に、海斗は眉をひそめた。
「馬鹿野郎、お前は一人じゃねえよ。何があろうと、俺はお前のそばにいる」