再婚とナバラ征服
・Francisco Jiménez de Cisneros
→イスパニアの摂政・枢機卿。今回は語り手で、フェルナンド王子(若かりし頃の神聖ローマ皇帝フェルディナント1世)にイサベル1世の死後に何が起こったのかを教える。元の名はゴンサーロだったが、フランシスコ会に入るのに伴って改名した。ストイックさを買われて、カトリック女王イサベル1世の聴罪司祭を務めた。イサベル1世の死後はカトリック王フェルナンド2世と共にカスティーリャの政治を動かした。フェルナンド2世の死後はスペイン国王カルロス1世の後見役を務め、世俗の世界では最後まで政治に関わり続けた。
・Fernando el Católico
→Reyes Católicos (カトリック両王)の片割れ。今回の主人公。アラゴン・バレンシア・ナバラ・ナポリ・シチリアの国王、バルセロナ伯爵の他様々な称号を有するカトリック界の覇者。
レオン=カスティーリャ女王イサベル1世と結婚した事により両国は外面は連合王国イスパニアとして始動する事に。しかし実際にはそれぞれ別の国として機能している。
レコンキスタ完了の功績を讃えられ、ローマ教皇から妻と共にReyes Católicos (カトリック両王)の尊号を賜った。
・Germana de Foix
→フェルナンドの後妻で異母姉ナバラ女王レオノール1世の孫。夫フェルナンドとの間に1子フアン王子を産むが、フアン王子は幼くして亡くなってしまう。
・Juan II(2世) de Aragon
→トラスタマラ家のアラゴン国王フェルナンド1世の子でフェルナンド2世の父。10歳年上の従姉ナバラ女王ブランカ1世と結婚してナバラ王配(共治王)になり、1男3女を儲けた。ブランカ1世の死後もナバラの実権を握り続けて内戦の火種となり、後妻フアナ・エンリケスとの間に1男1女を儲けた。後妻との間の愛息子フェルナンドがレオン=カスティーリャ王配(共治王)フェルナンド5世として活躍する姿を見守りながら亡くなった。
・Leonor I(1世) de Navarra
→ナバラ女王ブランカ1世とアラゴン国王フアン2世の末娘。兄姉と違ってアラゴン王位継承権放棄と引き換えにナバラ王位を認めさせ、なおも実権を握り続けた父フアン2世より2週間だけ長生きして名実共に女王となった。
・Catalina I(1世) de Navarra
→ナバラ女王レオノール1世の孫。ビアナ公ガストンの娘でナバラ国王フランシスコ1世の妹。兄の死を受けて幼くして即位した為、母マデリーナが摂政をしていたが、叔父フアン、次いで従妹ヘルマーナとその夫フェルナンドとの権力闘争に負けて夫アルブレ伯フアン3世と共にフランスの保護下に入る。因みに母マデリーナは闘争の中でフェルナンドに人質に取られてそのまま亡くなった。
ナポリの内乱が鎮まり治安が安定するとフェルナンド様はナバラ征服を目論まれました。
そこでナバラ王女のヘルマーナ様と再婚されました。ヘルマーナ様はフェルナンド様の姉君ナバラ女王レオノール1世の孫なので、お2人は大叔父と大姪の間柄でした。そのため結婚にはローマ教皇からの特赦が必要でした。
ローマ教皇からの特赦を貰った2人は程なくして結婚されました。フェルナンド様53歳、ヘルマーナ様は17歳でした。
この再婚にらフェルナンド様の政治的な野心が絡んでいました。説明するには時代をフェルナンド様出生以前に遡らなければなりませんね。
フェルナンド様はアラゴン国王フアン2世と2番目の王妃フアナ・エンリケスの間にお生まれになりました。
フェルナンド様の父君フアン2世の最初の王妃は、10歳年上の従姉ナバラ女王ブランカ1世でした。2人の婚前契約によってフアン2世は妻ブランカ1世との婚姻の効力としてナバラ王配(共治王)の位に就いていましたが、妻ブランカ1世が亡くなれば位を退かなければなりませんでした。
にも関わらずフアン2世はブランカ1世の死後もナバラで実権を握り続け、長男でナバラ王位継承者のビアナ公カルロス様と対立しました。貴族もフアン2世の横暴には抵抗し、ビアナ公カルロス様をナバラ国王カルロス4世に即位させました。お2人は和解する事なく、カルロス様は父君フアン2世に先立って亡くなられました。
カルロス4世の死後、貴族はその妹でレオン=カスティーリャ国王エンリケ4世の王妃だったブランカ様をナバラ女王ブランカ2世に即位させました。時を同じくしてブランカ様は夫エンリケ4世に離縁され、ナバラに帰国する事になりました。ところが、ブランカ様はナバラに帰国した直後にお亡くなりになりました。カルロス・ブランカ派の貴族たちはフアン2世と後妻フアナ・エンリケスの仕業だと噂しました。
ブランカ2世の死後、貴族は仕方なしにカルロス4世・ブランカ2世の妹でフランス貴族フォワ伯爵ガストンに嫁いでいたレオノール様をナバラ女王レオノール1世として即位させました。
レオノール様は兄君姉君とは違って、対立を避ける為に父君フアン2世の後妻フアナ・エンリケスと交渉していました。
レオノール様は元々姉君ブランカ様とは仲が悪く、ナバラの貴族たちは交渉の事をあまり気を良くしませんでしたが、これによってレオノール様はアラゴン王位継承権放棄と引き換えにナバラ王位の正当性を認めさせる事に成功したのです。ナバラの実権を巡る争いが全く無くなった訳ではなかったのですが、レオノール様は運良く父君より2週間だけ長く生き延びた為に女王として名を残す事が出来たのです。
ナバラ女王レオノール1世と王配のフォワ伯ガストン4世の間には何人か王子王女がいましたが、とりわけ長男のビアナ公ガストン様と3男でヘルマーナ様の父君であるナルボンヌ子爵フアン様は犬猿の仲でした。
程なくしてビアナ公ガストン様が王位を継承する事なく亡くなり、その子がナバラ国王フランシスコ1世として即位するも幼くして亡くなりました。
フランシスコ1世の死後に妹がナバラ女王カタリナ1世として即位すると、ナルボンヌ子爵フアン様はカタリナ1世の王位継承権の正当性を否定し、ナバラは再び緊張状態に陥ります。
程なくしてナルボンヌ子爵フアン様も亡くなり、その子でヘルマーナ様の弟ヌムール公ガストン様もラヴェンナの戦いで司令官をしている最中、若くして戦死しました。
女王カタリナ1世(夫:フランス貴族アルブレ伯フアン3世)とその従妹で対抗馬のヘルマーナ王女(夫:アラゴン・ナポリ・シチリア・バレンシア・マヨルカ国王フェルナンド2世)の一騎打ち状態になりました。
結果はヘルマーナ・フェルナンド派の勝利に終わり、王都Pamplonaを含む大部分がフェルナンド様の支配下におかれ、カタリナ・フアン派は僅かな領土をフランスの保護下で治めざるを得なくなりました。
こうしてフェルナンド様によるナバラ征服は完了したのです。
フェルナンド様が、若いヘルマーナ様と再婚される理由はもう1つありました。
フェルナンド様の最大の悩みである後継者問題です。
先妻イサベル様との一人息子アストゥリアス公フアン様に先立たれたフェルナンド様はどうしても男のお子様を望んでいらっしゃいました。
娘フアナ様が後継者としていらっしゃった事にはいらっしゃったのですが、精神不安定でした。何よりフアナ様の背後にハプスブルク家の陰が見えていたのです。
再婚後程なくして王子が誕生し、亡くなられたアストゥリアス公フアン様と同じフアンと名付けられましたが、生後すぐに亡くなられました。以後ヘルマーナ様は懐妊されませんでした。
まあその話は兎も角としてナバラを征服されたフェルナンド様はフアナ1世として即位された娘のフアナ様とカスティーリャの政情を心配し、後妻ヘルマーナ様を伴ってカスティーリャに戻ってこられました。