春の気配と精霊
春の香りが苦手だ。もっと言うと、春が来る前、冬の寒さが不意にゆるむ二月の数日間なんかは、胸がなんだかざわめく。真冬の空気の隙に流れこんだ春の気配には、少しの期待と怖さが含まれている。
寒い季節が好きなわけではない。しかし暑い季節は苦手なので結局どの季節も気に入らないのではないかと思われそうだが、春の気配は特別なのだ。雪の匂いがしない風。肌寒くはあるけれど、厚手の上着なんて着ていると、古い季節にどんどん取り残されそうな空気感。新しいことを始めるのが不安で、周りの環境が変わることが不安で、とにかく不安な思い出と不安な未来で埋め尽くされている、そんな気配。
そんな中にも期待はある。新しいことに挑戦したい気持ちだってあるし、環境が変わって、楽しいことが増えるかもしれない。でもきっと、そういう期待すら覆ってしまうくらい不安が大きくて、春の気配を感じた日はどうしても身構えてしまう。
小さい頃、精霊の世界を描いたある本が大好きだった。精霊といっても決して人間離れした世界ではなく、悩みを抱え成長していく主人公の少女に、私は憧れていた。気性が激しく断固とした意志を持っている、それでいて思春期の乙女らしい悩みに沈むこともあって、小学生だった私はそんなお姉さんになりたいと思っていた。学校や習い事で辛いことがあると、その精霊の少女ならどうするか、まるで守り神のように頼りたい気持ちになったこともあった。
我が家には染井吉野の木があった。満開に美しい花を咲かせたかと思うと儚く散っていくその姿に、幼いながらも神秘さを感じ、持ち前の物語をつくりたい性格も相まって、ある時その木には精霊の少女が宿っているという設定を作り出した。染井吉野に向かってお祈りごっこをしては満足していたが、そんなファンタスティックな世界に浸るのも束の間、染井吉野は切り倒されることが決定した。
しばらくは切り株を寂しく眺める日が続いた。切り倒された丸太は家の横に放置されていたので、これからはそこに宿っていることにするか、しかしそれでは神秘性に欠ける。隣の八重桜の木へ引っ越すのはどうだろう。そんな打開策をいろいろ考えているうちに、ひとつの結論に落ち着いた。自分の心の中に、いつも一緒にいればいい。自分に自信がなくなったときは、そっと力を貸してもらえるように。
……そんな設定も、時間とともに忘れてしまいがちである。しかし、ふとその精霊の本を引っ張り出して読むことは今でもある。そして桜を見ると、思い出す。
春の気配への苦手意識は、おとなになるにつれて薄れていくかもしれない。でもきっと、完全になくなることはないだろう。けれどその度、強くなりたい。その精霊の強さを少しずつもらいながら。
今年もまた、春の気配がやってくる。