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第09話 夜の街。BARで食べるオムライス (後編)


「……ふぅ」


 かたんと、グラスの音が心地よく耳に響く。これで三杯目。俺はもぐもぐと口を動かしながら、ちらりと腕時計に目をやった。


 二時三十五分。かれこれ二時間以上飲んでいることになる。俺は口の中のチーズと生ハムの塩気を感じながら、グラスの縁に唇を近づけた。


「ふむ。美味いな」


 しみじみと、右手のサンドイッチを見つめる。小さく、耳のないパンで挟まれたサンドイッチは柔らかく、そしてしっかりしている。

 濃いめの味のチェダーチーズ。更に生ハムの肉の旨みと塩味がほどよく混ざり合い、美味い。


 しっとりとしたパンの中身を見ながら、俺はうんうんと頷いた。


 俺はサンドイッチの具はシンプルな方が好きだ。タマゴとハム。ハムとチーズ。最高だ。ぐちゃぐちゃと野菜やら何やらが挟まり過ぎているものは好みではない。具沢山というのも、時と場合による。


 その点、このチェダーチーズと生ハムのサンドイッチは完璧だ。少々ご飯には濃い味付けだが、酒と共に楽しみのならばこれくらいのインパクトはないといけない。


「このバターピーナッツも、美味い」


 ぽりぽりと、皿の中のピーナッツを口に運ぶ。既製品ではない、きちんと調理されたものだ。バターの風味が鼻を刺激し、噛み砕けば香ばしい味が舌を打つ。やはりナッツ類は酒に合うと再確認できる一品だ。


「しかし。……腹が埋まってきたな」


 ふぅと息を吐いて、天井を見つめる。少々食べ過ぎたかもしれない。満腹というわけではないが、空腹とは言えない感じだ。先ほどのサラミのおかげで、今日は随分とペースも早くしてしまっている。

 これ以上は危険かと、俺は手帳をぺろりと見つめた。


「……オムライス」


 美味そうだ。とろりとしている、確実に。

 ちらりとカウンターの中を覗く。マスターはカウンターの端の女性客と何か話しているようだ。あの客もかなりの長いだなと俺は見つめた。


「まさか……」


 そういえばと、後ろを振り返る。あの爺様は、流石に帰っただろうか。


「……居る」


 最初に確認したときと同じポーズで、爺様はまだソファーの上に座っていた。ウィスキーの中の氷は勿論残っていない。


 本当に死んでるんじゃないだろうな。そういう考えも脳裏によぎるが、考えすぎだと俺は前を向いた。


「むぅ。どうしたものか……」


 正直、オムライス以外のメニューも捨てがたいものが沢山ある。揚げ物がないのは調理の関係だろうが、それでも小品の一皿一皿がいちいちレベルが高い。


「まぁ、オムライスで締めにすれば……」


 それでいいか。そう俺が妥協しかけたとき、くいくいと俺の袖が引っ張られた。


「なぁなぁ。あたしにもそれ見せてくれよー」


 特段大きい声ではないが、この店にしては目立つ声。俺は、ここでくるかぁと隣の席に目を送った。


「今回は、随分と中途半端なご登場だな」


 俺の声に、にかっとリリスが笑みを浮かべる。そして、ほらよと手帳をリリスに手渡した。


「……お連れ様ですか?」

「えっ。あ、はい」


 ふいにマスターから声がかけられる。少し驚いた表情だ。リリスを見つめごゆっくりと微笑むが、頭の上のはてなが隠しきれていない。


「お前、今度から店の中に出てくるときは気を付けろ」

「へいへーい。……すげぇ、きれいなもんがいっぱいだ」


 マスターからすれば、いきなり現れたこのゴスロリ少女。入り口は一つしかない。ちょっとしたオカルトだろう。ふぅと息を吐いて、俺はリリスが指さすページに目をやった。


「ほぉ。お洒落だな。頼んでみたらどうだ」

「じゃあこれにする!」


 ぺしぺしとページを叩きながら、リリスはこれがいいと顔を向けた。マスターがページを確認し、かしこまりましたと小さく頷く。


「……はむっ。んぐんぐ。……なんだ豆だけか」


 俺の前の小皿からピーナッツをひょいとつまみ上げ、リリスは残念そうに眉を寄せた。このバタピーの味が分からぬとは残念な奴だが、サンドイッチもサラミもすでに空なのは事実である。


「丁度いい。好きなもの頼んでいいぞ」


 そう言って、俺は手帳のページをめくってやる。料理の写真が出てきて、リリスの顔がおおと輝いた。


「この黄色い奴、うまそうだな」

「お前もそう思うか。よし、オムライスは最後に頼もう」


 リリスがとろとろとしたオムライスのページで視線を止める。やはりこのオムライス、ただ者ではない。楽しみは最後に取っておこうとリリスに提案して、リリスはそれならばと次のページを指さした。


「これ食べたい」

「チキンとアボカド丼か。……ふぅむ悪くない」


 オムライスに目が行き過ぎてマークしていなかったが、このチキンとアボカド丼も中々の艶めかしさを誇っている。


「二人ならいけるな。よし。……すいません」


 丁度、メニューが決まった辺りでリリスのカクテルが到着した。それを横目に、俺はマスターに追加で注文をかける。


「うわぁ、すげぇ。どうなってんだこれ」

「……ん? って、ほんとに綺麗だな」


 じぃと、グラスの中を不思議そうにリリスは見つめていた。そのリリスの前のカクテルに、俺も小さく感嘆する。


 赤に白に青。三層に分けられた、なんとも美しい飲み物だった。


「きれいだなっ。なっ?」

「ああ、そうだな。……これは男は頼めんな」


 女の子のために用意されたような、そんなファンシーさだ。リリスのゴスロリにはよく合っている。


「うめぇっ。甘くて美味しい」

「そいつはよかった」


 口に付けたリリスの顔はご機嫌だ。ページによると度数は中々のものらしいが、案外こういうので今の若者は女の子を酔わせたりするのかもしれない。

 いつの時代も変わらんなと、俺はぐびりとウィスキーを舌に当てる。あまりちゃんぽんはしない派だが、リリスを見ていたらカクテルも飲みたくなってしまった。


「チキンとアボカド丼です」


 カクテルのページを眺めていると、リリスの前にこじゃれた丼が登場する。少し浅めの丼に、照りの付いたチキンと緑色のアボカドが綺麗に盛りつけられていた。


「取り分けましょうか?」

「あっ、お願いします」


 ほぅと丼を見つめる俺に、マスターが気を利かして声をかけてくれる。さっと取り分けられたチキン丼は、最初から二つ出てきたかのような崩れのなさだ。


「おっ、これは」

「うめぇっ!」


 スプーンを口に運んだ俺の言葉の続きを、隣のリリスが先に言った。リリスの笑顔に、マスターの顔も嬉しそうに変わる。


 バーに来て、照り焼きの味付け。少し意外な組み合わせだが、甘辛いタレがチキンとアボカドによく合っている。美味い。刻み海苔と、マヨネーズの風味も絶妙だ。


「あの。料理、凄く美味しいですね」

「ありがとうございます。ふふ。これでも昔は、コックをやってまして」


 素直な賛辞に、マスターの笑顔が深くなる。なるほど納得だと、俺は目の前の丼を見つめた。シンプルなレシピだが、バランスが素晴らしい。素人の作りではないと、それこそ素人の俺にも分かる。

 バーにしては品揃えが不思議だと思ったが、要はマスターも料理を食べて貰いたいのだろう。


「うまいうまい」


 もぐもぐと、リリスはすでに丼を食べきっていた。ごきゅごきゅと、かなり豪快にカクテルも飲み干していく。


「これは、頼むしかないだろ」


 手元のページ。黄色に光り輝くオムライス。ここまで来て、頼まないという選択肢は存在しない。



 ーー ーー ーー



「……美味いっ」


 思わず、唸ってしまう。ごくりと、俺は舌の上のオムライスを飲み込んだ。


 とろっとろだった。それだけではない。バターだろうか。バーのメニューらしい、しっかりとした濃くと旨み。


 焼いた卵が、なんでこんなに美味しいのか。分からないが、本当に美味い。


「うまいぞっ。おい、これうまいっ」


 くいくいと、リリスもはしゃいだ顔で俺の袖を引っ張る。分かっている。お前に言われなくとも伝わっている。


「……ふぅ」


 一人一皿にして、正解だった。一皿だけだったら、リリスの分は後回しになっていたことだろう。


「チキンライスも、美味いな」


 なんだろう。凄くケチャップが美味しい。ミートが入っているかと思うような旨みだ。おそらく手作りだろう。


「いい店を、見つけてしまった」


 思えば今日、行きつけのバーが閉まっていたことが事の始まりだ。これはもう、運命という奴だろう。先の店のマスターには悪いが、もう行くことはないかもしれない。


「マスター。最後に、甘いカクテルが飲みたいんですけど。お勧めはありますかね?」


 からんとスプーンを空になった皿の上に置き、俺はマスターに声をかけた。別に自分で選んでもいいが、このマスターと喋りたい。そんな気持ちだ。


「そうですね。アレキサンダーなんて、いかがですか?」

「じゃあ、それで。任せるよ。……あっ、この子にも同じのを」


 微笑んで頷くマスターに、俺もふふと笑みがこぼれる。ついとページをめくると、そこにはチョコレートカクテルがココアに着飾った姿で写っていた。


「30度あるのか。……お前、強い酒大丈夫か?」

「ん? あたりまえだろ。あたしを誰だと思ってるんだよ」


 ページの度数に目をやって、俺はリリスに顔を向ける。もぐもぐとまだオムライスを食べているリリスは、呆れたような顔で俺を見返した。そういえば悪魔だったなと、俺は今更ながらにリリスを見つめる。


「……ふっ」


 何故かは知らないが、笑みがこぼれた。そんな俺を、リリスが怪訝そうな顔で眺めている。俺もその笑いの意味は深く考えずに、大きくなった腹をゆっくりと撫でた。




「美味しかったです。また来ますね」


 時刻はすでに三時半を回っている。飲み過ぎだと、俺は苦笑しつつ腕時計を見つめた。

 会計を払いながら、マスターに本当に美味しかったと視線で告げる。まぁ、ほとんど全ての料理メニューを食べていく客なんてそう居ないだろう。伝わっているのか、マスターはくしゃりと笑顔を見せた。


「……それなんですが」

「えっ?」


 しかし、その笑顔が申し訳なさそうなものに変わっていく。マスターの口が続ける言葉を、俺はただそうですかと見つめていた。





 ーー ーー ーー





「……残念だなー。うまいのに」


 店の階段を登り切った辺りで、リリスがくるりと振り返った。俺も、リリスにつられて店の看板を見つめる。


『この店、今週で終わりなんですよ』


 マスターの声が、耳に残っている。理由は言ってはくれなかった。聞く気もない。


「いや、いいのさ」


 俺はリリスに行くぞと声をかけた。リリスは名残惜しそうに店へ続く階段をじっと見つめ、待ってくれよと俺の背に駆け寄り出す。


 一度しか行けない、マスターの店。


 その一度を食えたんだ。俺は舌の上に残るオムライスの味を思い出しながら、妙な満足感と共にタクシー乗り場へと足を進めた。


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