表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/46

第08話 夜の街。BARで食べるオムライス (前編)


「ありゃ、閉まってやがる」


 目の前に掛けられている「close」の看板を見つめて、俺は声を上げた。ちらりとドアの向こうに耳を澄ましてみるが、掛け間違いなどでもなさそうだ。

 シーンとしている店内へと続く扉を見つめて、俺はがしがしと頭を掻いた。


 今日は外での仕事が長引いた。腕時計を見れば、すでに零時を回っている。ふぅと肩に掛かるスーツの重みに、思わずため息が出てしまう。


 久しぶりに好きなBARで一杯といきたかったが、今夜はタイミングが悪いらしい。しかし、ここまで来てタクシーに右手を挙げるというのも寂しすぎる。


 俺は、ひとまず歩くかと夜の街を進み始めた。



 ・・・ ・・・ ・・・



「おっ、いい感じじゃないか」


 数分歩いた先で、ひっそりとした地下に続く階段が目に止まる。階段脇の看板をちらりと確認して、俺はまぁここでいいかと一段目へと足を踏み入れた。


 一段ずつ薄暗くなっていく。夜の街でそういうのを感じるのも変な話だが、それだけ今の世の中光が溢れているということだ。

 降りた先の扉。その傍らにランプがぼんやりと灯っているのを見届けて、俺はぎぃと扉を開いた。


「へぇ」


 中々いい雰囲気だ。シックというのだろうか。軽いジャズが流れる店内は、ほどよい静けさと明るさが混在していた。

 にこりと笑みを浮かべるマスターと目を合わせ、俺はカウンターへと足を向ける。


「いらっしゃいませ。どうぞ」


 席に座った俺に、マスターが一冊の手帳を差し出した。革張りの、重厚な見た目だ。妙に高級感があるその手帳を、俺はぺらりとめくっていく。


「へぇ」


 本日二回目の呟き。どうやら手帳はメニューのようだ。一ページ毎に、カクテルの写真。度数や割り方なんかも軽く書いてくれている。


「こりゃいいね」


 見た目にも華やかなカクテルは、見ているだけで心が躍る。しかし、男一人でカクテルっていうのもなぁと、俺はぺらぺらとページをめくり続けた。


「やっぱ、ここらへんが無難かね」


 ウィスキーのページ。値段も下の方にさりげなく書かれていて、色々と安心できる。ここは店内の雰囲気で一杯やるのもいいだろう。


「このウィスキー、ロックで」


 写真を指さし、それにマスターが微笑む。髭が生えたおじさまだが、妙に愛嬌のある人だ。俺は深めに腰を下ろして、ちらりと店内に目をやった。


 客は、自分を合わせて三人。カウンターの端の席に、えらい美人が座っている。赤いドレスじみたワンピースに、これまた赤のピンヒール。ただ、あの仏頂面だ。危うきに近寄らず、声をかける男はいないだろう。


 後は俺の後ろのソファー席で、生きてるのか死んでいるのか分からない爺様が、帽子を被って座っていた。見やると、テーブルの上のウィスキーはすでにロックの氷が溶けきっている。……本当に微動だにしない。やはり死んでいる。


「どうぞ」


 爺様をさりげなく心配していると、グラスがことりとテーブルに置かれた。それに視線を戻し、俺はゆっくりと口につける。


「美味いな」


 思わず呟いた。正直なところ、ウィスキーの味などよく分からん。しかし、こういう店で飲む酒はいいものだ。実際に美味く感じているのだから、これ以上確かなことなど何もない。


「さて……」


 ぺらりと、手帳の後半を俺は見やる。つまみだ。ここまではゆっくりと過ごしたが、酒に肴が無いなど考えられん。


「……オムライス。いやいや、よく考えろ」


 ふと、黄色に輝くオムライスに目が止まる。しかし、流石にこれはないと首を振った。

 締めならまだしも、いきなりここでオムライス。さしもの俺も、いや流石にとページを送る。


 バターピーナッツ。チーズの盛り合わせ。チェダーチーズと生ハムのサンドイッチ。……オムライス。


「うーむ、いかん。どうも思考が腹に流れる」


 個人的には、こういうときは腹に流れるか舌に流れるかが重要だと思う。そして、一度腹に流れてしまった意識は止まらない。


「……お勧めのおつまみ、あります?」


 もう、仕方がない。ここは戦略的撤退だ。このままだと収集が付かなくなる。マスターに任せてしまおう。


「そうですね。サラミはお好きですか?」

「ああ、いいね。それ貰おうか」


 マスターの微笑みに、俺はそれだと小さく声を上げた。素晴らしい。ベストチョイスだ。

 簡単なもんで行くのがいいなと、俺はぺらりとページを見つめる。なるほど。確かに後ろの方にサラミという文字が座っていた。


 写真がなく、摘みのページはひとまとめだ。まぁ、ピーナッツやらの写真を見てもしょうがないことはしょうがないが。こうなるとやはり、先ほどのオムライスはお勧め品なのだろうか。


「……オムライス」


 再びページを見つめる。とろりと溶けた、半熟のオムライスだ。これはあれだな、チキンライスの上の卵を包丁で開くタイプだ。一度テレビで見たことがあるが、そういえば開くとこを実際に見たことはない。


 とろっとしてるに違いない。こんな見た目なんだ。してないと詐欺だ。

 中身は何だろう。デミグラスがかかっていないし、やはりチキンライスだろうか。


「憎らしい奴め」


 ここが洋食屋なら、見た瞬間オーダーをかけているところだ。何だかんだで自分は、こういうところ小心者だよなと息をつく。

 別に、いいじゃないか。メニューにあるんだ。オムライス頼んでも。


 しかし、そんな考えをぐびりと舌に触れるウィスキーが洗い流す。ちびちびと、何で俺はこんなものを。いっそのこと、カシスオレンジでも頼めばよかったか。そうすれば、気軽にオムライスも頼めた気がする。


 何でこんなところでも男って格好つけたがるんだと、俺は自分のことながら眉を寄せた。バーでオムライスを頼んで、俺の一体何が下がるというのだろう。


「サラミです」


 かたんと、思案する俺の前に皿が置かれる。続けて耳に入った小さな音に、俺はテーブルの上を見つめた。


「……これは?」

「レモン塩です」


 サラミの皿の横に置かれた、白い小皿。確かに、仄かに柑橘の香りが鼻に飛び込んでくる。

 見てみると、かなりの量の塩だ。レモン汁に塩を入れたというよりも、塩の山にレモンを染み込ませたような、そんな感じ。


 付けて食べればいいのかなと、俺はサラミをぺちょんと付ける。水分もあるためか、かなりの量がくっついた。付けすぎたかと思うが、まぁいいやとそのまま口に運ぶ。


「……おっ。……へぇ」


 口に、塩とレモンの味が広がった。続いて、しっかりとした肉の旨み。素直に美味い。そして、ぐびっとグラスに口を付ける。


「ほ、ほほぉ」


 ウィスキーが口に入ってきた瞬間、思わず頬がにやけてしまった。かなりの衝撃だ。


「いかがですか?」

「いや、美味いですね。ちょっとびっくりしました」


 俺の返答に、マスターがにっこりと微笑む。ありがとうございますと、ご満悦だ。

 しかしと、俺はグラスを見つめる。ウィスキーの重さとキツさを、全く感じなかった。


「……これは、やばいつまみだな」


 ちょいと再びつけて、ぱくりとくわえる。……ふむ。あまり付けすぎない方が美味い気がする。そして、ぐびり。


「ん、ふぅーむ。……ふふ」


 いい。いいじゃないか。これは大ヒットだ。正直、ここまで美味いウィスキーは初めて飲んだ。やはり酒はつまみも大事だ。


「そうなると、頼まなければなりませんね」


 手帳を掴む。このマスター、信用できる。もう無理だ。このマスターの料理を食べないで帰ったら、寝覚めが悪い。二日酔いどころの騒ぎではないだろう。


 順々に攻めてやる。オムライス、貴様は最後に取っておいてやろう。

 そう心の中で呟いて、俺は優雅に手帳のページをめくり始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ