第07話 映画館にて。フードスナック
「うーむ。どうしたものか」
俺は、困ったように手元の二枚のチケットを見つめた。
「デビルズハンター3……か。あれほどの駄作に成り下がった2から、更に続けるのか」
手元には、映画のチケット。仕事の得意先のおばさまから、デートにでも使ってくださいと強引に押しつけられたものだ。
人の善意に文句を言うのもどうかと思うが、そういうのに続編物はどうなんだろうとは少し思う。
「ま、せっかくだ。使わせて貰おう」
映画は好きだ。読書よりも、ある意味ぼぅっと時間を過ごせる。映画館で見るのも、やはりいい。特に、後ろの方の席でスタッフロールまできちんと見るのが好きだ。あのスタッフロールが流れる中、気の早い客が帰っていくシルエットを眺めるのが、たまらなく心地いい。
「……どうせなら、二席分取っちまうか?」
結構人で賑わう映画館を見て、俺の心にふと、そんないけない考えが思い浮かぶ。
映画館で一人で見る場合、席の確保は案外悩ましい問題だ。一人ですねーと、端っこのほうに追いやられたりも普通にする。
「チケットはあるんだし。……やっちまうか?」
二枚使えば、かなりゆったりとした視聴が約束されるはずだ。逆に席が取りにくい危険もあるが、個人的には見やすさよりかは快適さを優先したい。
「でもなぁ。迷惑になるやもしれんし……」
うーんと、悩んで一度列から離れる。この作戦、やるべきか否か。元々自分の金でない分、開き直りも気分的に難しい。
「食いもんでも見ながら考えるか」
とりあえずスナックでも物色しようと、俺は一度考えを放棄した。
・・・ ・・・ ・・・
「へぇ。結構色々あるなぁ」
目の前のメニューを見て、俺は感嘆の声を出した。ここの映画館には初めて来たが、今まででは最高の品揃えだ。
「ころっとチキン……。美味そうじゃないか」
小さな唐揚げがいくつも入っているホットスナックを見つめ、俺はごくりと喉を鳴らす。
映画といえばポップコーン。常識だ。しかしその実、買って後悔することも多い。買う前まではこれくらいは食えるだろうと思っていても、いざ食い始めてみると飽きてくるのだ。
しかし、ここはどうだ。この小さな唐揚げに、フランクフルト。要はこういうものをおかずにポップコーンを食えば、中々にいい感じなんじゃないだろうか。
「んっ、チュリトス? ……ほう」
更に、俺はメニューの中に棒状のドーナツめいた洋菓子を発見する。以前テーマパークで食べようとして、忘れていた食べ物だ。一度食べてみたいと思っていたから、これは丁度いい。
「むぅ。フライドポテトもあるのか。ううむ、俺の好きなジャンキーな感じだな」
そして、店員が忙しなく動く後ろに、揚げられたフライドポテトを発見した。細めで、油ギッシュだがサクサクとした食感を予測させる。個人的には、俺はポテトは大きめのホクホクしている奴よりも、居酒屋やこういうところのサクサクタイプが好きだ。
「しかし、ポテトまで買うとポップコーンがきついな」
どちらかというと、おかずではない。むしろ役割が被ってしまっている。この二つはどちらかしか買えないぞと、俺は究極の選択の前に立ち尽くした。
「薄暗いところだなー。食べるところもないぞー?」
そんな風にスナック売場で眉を寄せ続ける俺の傍らから、透き通る声が響いてくる。ぎょっとした俺は、その声の主に振り返った。
「……お前、何でここに?」
「はぁ? 何でって、あんたが呼んだからだろ。何回目だ、このやり取り」
俺の視線と表情に、いい加減にしてくれとリリスが呆れたように声を上げた。しかし俺は、今までの想像との乖離に戸惑ってしまう。
「いや、だって。お前、飯を食うときにしか出ないんじゃ……」
「へっ? 飯食うんじゃないのか?」
俺の戸惑いに、今度はリリスが不思議そうに目を開けた。おかしいなと、俺の視線の先の売場を指さす。
「ここ、飯屋じゃないのか?」
「えっ? って、ああ。……ああ、そういうことか」
リリスの指さす先、ポップコーンの保温機を見つめて俺は両手を合わせた。今日は映画に来たつもりだから違和感があったが、確かに自分は今食い物のことで悩んでいた。
「お前、案外軽い感じで出てくるのな」
「いやいや。すっげー執念めいた念が届いたし。マジで」
俺の言葉に、リリスが更に目を見開く。どういう意味だ。まるで俺が、食い物に執着しているみたいな言い方だな。
「まぁ、失礼な物言いは許してやるとしてだ。人手が欲しかったのは素直に認めよう」
いい加減、チケットを買わないと間に合わない時間帯だ。俺は、リリスにそこに居るように指示をして、チケットの引換券を二枚握りしめた。
ーー ーー ーー
「なぁなぁ。あれ、すっごくいい匂いする」
何とかチケットを引き替えて戻ると、リリスに袖をぐいぐいと引っ張られた。何だろうと思いリリスの指の先を見てみると、キャラメルにコーティングされたポップコーンがざぁざぁと機械の中を回っている。
「キャラメルポップコーンかぁ」
その匂いの元凶に、俺は苦々しく口を歪めた。
別に、キャラメル味のポップコーンが嫌いなわけではない。最初出だしたときは驚いたし、味としては勿論好きだ。
しかしなぁと、俺はメニューのころっとチキンとフランクフルトを見つめる。これをおかずに、キャラメル味はいただけない。
「美味いことは美味いが。……甘いぞ?」
「いいぞっ! 甘いのは好きだっ!」
俺の忠告に、きらきらとリリスは目を輝かせる。完全に甘味に目が眩んでいる様子だ。俺は、そんなリリスの表情にうーんと顎に手を当てた。
「……んっ? ハーフハーフ? おいおい、お誂え向きだな」
しかし、俺の葛藤はメニューの一文によって霧散した。Lサイズのみの、塩とキャラメルのハーフハーフ。多少味が混ざってしまうのに目を瞑れば、二種類食べられてむしろお得かもしれない。
「よしっ。いいぞ、買ってやるっ」
「ほんとかっ!」
リリスがやったと口を開ける。そもそも、塩味のポップコーンが大量にあってもどうしようもない。それならば気兼ねなくいけるなと、俺は奥のフライドポテトを見やった。
「よしっ。いい機会だ。食いたいものは全部頼んじまおう」
「おお。ならあたしは、これも食べたい」
俺の言葉に、リリスが売場の上の看板を見上げる。見ると、パンに挟まれたウィンナーが、写真の中で赤と黄色に着飾られていた。
「ホットドッグか。いいぞ、ならば俺は横のライスバーガーを注文しよう」
この際、夕食を済ます勢いで行こう。そう思い、俺はレジに向かって歩を進める。
数秒後、レジの店員がびっくりしたように俺とリリスを見つめていた。
ーー ーー ーー
「……少し、買いすぎたかもしれんな」
開演まで、残り十数分。まだギリギリ明かりが点いている会場で、俺はちらりと辺りを見渡した。
「うめぇ。これ甘くてうまいぞ」
もしゃもしゃとポップコーンを咀嚼しながら、リリスがキャラメル味を差し出してくる。それを一粒受け取りながら、俺は周りの視線を肌に感じた。
「何でお前と、映画なんて見なきゃならんのだ」
「エーガ? どれだ? 取っていいぞ」
にこにことしながら、リリスは膝の上のボックスをこちらに向ける。
ポップコーンにポテトに唐揚げに、フランクフルトにホットドッグにライスバーガー。更にチュリトス二本と、特大のサイズのメロンソーダとコーラが一つずつ。
あまりの量に店員から渡されたキッチン用のボックスを見つめて、俺は流石に目立つかと息を吐いた。
「映画も知らんか。ほんと、びっくりして叫ぶんじゃないぞ」
「なんだよそれ。馬鹿にしてるのかよ」
軽く怒るリリスを無視して、俺はボックスからライスバーガーとコーラを取ると、座席に深く体重を預けた。まだ包み紙が温かい。
わしゃりと包みを開け、ライスバーガーにかぶりつく。少し硬めのお焦げが、なるほど、なかなか美味い。
タレが染み込んだ飯に舌鼓を打ちつつ、俺はぼんやりと隣できょろきょろとしているリリスを見やった。
「どうした?」
「いや、なんか。変なところだなって。あたしたちだけしか食べてないぞ?」
どうやら、他の客が気になるらしい。確かに、俺たち以外の客はドリンク程度しか頼んでいないようだった。ちらほらとポップコーンを持っている客もいるが、流石に俺たちほど頼んでいる者は居ない。
「みんな映画を見に来てるからな。俺たちだけだぞ、こんなに気合い入れて食べてるのは」
「ふーん。よくわかんないけど、うまいから食べればいいのにな」
ポテトフライを口にくわえながら、リリスは俺に視線で同意を求める。その意見には俺も完全に賛成だ。まぁ少し割高感もあるから、ここまで買い込む必要は確かにない。しかし、せっかくの映画館だ。ポップコーンのSサイズくらいは摘んでもいいだろう。
「ふむ。この、ころっとチキン。優秀だぞこれは」
指で摘めるサイズ。一口大よりも少し小さな唐揚げを、俺は小さな驚きで見つめた。この、ご飯とおやつの中間のような感覚。まさに映画のお供にうってつけだ。衣の面積が通常よりも大きい分、そこから感じるスパイシーな刺激も、その分強力になっている気がする。
「ふふ。そして、このコーラ」
通常ならばくどいほどの刺激。それを、コーラの強い炭酸が洗い流す。一昔前はこういうところの炭酸は気が抜けていたものだが。なかなかヘビーだ。保存技術も日々進歩しているという事だろう。
「って、ぶはぁっ!! なんじゃこりゃっ!!?」
俺の喉をぐびりとコーラが通過した瞬間、隣の席でリリスが盛大に吹き出した。飛び散る緑色の液体に、驚いた強烈な炭酸が俺の気管や鼻腔に走り込む。
「ぐっ、ごほっ!! ……ぐふっ、ぐっ」
ぎゅううと、胸の辺りが苦しさを増していく。それでも漏れるむせりが、俺の目から涙を出させた。
「うえぇ。なんだよこれ。毒か? 口の中痛いんだけど」
「ぐふっ。……ぐっ、ぐふっ。ごほっ!」
隣の俺には目もくれず、リリスは不審にメロンソーダの容器を見つめている。こいつ、人がこんなに苦しんでいるというのに。
「……くっ、ふぅ。……はぁ。そ、それは炭酸水だ。毒じゃないから安心して飲め」
「そうなのか? うーん。……うえぇ」
何とか立ち直り、リリスに大丈夫だと右手で告げる。それを受けてリリスは再びストローにトライするが、やはり駄目なようだ。仕方ないと、俺は先ほどのお釣りをポケットから探し出す。
「新しいのを買ってきてやる。座ってろ」
「おお、ありがとな。待ってる」
そう言ってちょこんと座っているリリスを見つめ、俺はよっこいせと立ち上がった。それと同時に、映画館の明かりが一つ消える。急がなければ予告編を見逃してしまうと、俺は少しだけ歩を速めた。
通路を歩くとき、通り過ぎた女子高生の二人組から何やらひそひそと囁かれた気がする。あれほどフード類を購入しているのだ。目立つのは仕方ない。
しかし、オレンジジュースを買って帰った俺は、薄暗い席でむしゃむしゃとホットドッグを食べているリリスを見て、ああなるほどと立ち止まった。
ゴスロリ衣装の、外国人の美少女。こんな少女が俺のようなアラサー男と映画に来ていれば、人の目にも止まるだろう。
「……おっ。ありがとなっ! あと、なんか明かり消えたぞ」
「声を落とせ。そろそろ喋れなくなるからな」
戻る俺に、リリスがにぱぁと手を振ってくる。そんなことをしなくても席は覚えていると、俺はリリスの隣に帰還した。
「オレンジジュース。……果実の絞り汁だ。これなら飲めるだろう」
「さすがにジュースくらいは知ってるよ」
そう言って、不満げな顔をするリリス。それに、俺は現代のリアルを教えてやる。
「ジュースはジュースでも、濃縮還元だ。心して飲め」
「ノーシュクキャンゲン?」
きょとんとした顔で受け取るリリスの横に、俺はふぅと腰を下ろす。予告編の内には、ある程度は食べておかないといけない。そう思い、俺はチュリトスを口に運んだ。
「……んー。まぁまぁだな」
もっちもっちとした食感。ドーナツを想像していたが、味があるのは表面だけで、その中身は餅とパンの中間のような味と感触だ。美味いことは美味いが、何か想像と違う。
俺はチュリトスの残りを半ばコーラで流し込みながら、ぼやっとスクリーンの幕を見つめた。
もう三分もしないうちに、変な頭のキャラクターが映画館での諸注意を話し出すだろう。俺はごそごそと、ポケットから携帯を取り出してマナースイッチを入れた。
「うまいなっ。ノーシュクキャンゲンうまいなっ」
「おー、そうか。よかったな」
横ではしゃぐリリスを見やりながら、俺はがさりとポップコーンを口に運ぶ。塩味がいい案配に効いていて、悪くない。……だが何だか、色々あって腹が膨らんできた。
「……買いすぎたな」
「うまいうまい」
ぽつりと、正直な感想が漏れる。リリスが居ると安心して、少しはしゃぎすぎた感は否めない。こういう機会もないものだからと、欲望のままに注文しすぎた。
「げふっ。……炭酸じゃないのにすればよかった」
ずずずずっと、メロンソーダを口に運ぶ。こちらも、パンチの効いた炭酸力だ。勿体ないからと飲もうと思ったが、これはちょっと両方は無理だと諦める。
「眠くなってきた」
うつらうつらと、頭が揺れる。元より、そこまで気合いを入れて見に来たわけではない。いかんいかんと頭を振るが、重くなった瞼がゆっくりとその存在を主張してくる。
「おお、何か始まったぞっ! おい、何か始まったぞっ!」
開ける幕。映し出されるスクリーン。袖を引っ張ってくるリリスの声を聞きながら、俺の意識は微睡みの彼方に溶けていった。
ーー ーー ーー
「……んぅ。いかん、寝てしまったか」
部屋の明かりが戻ったのを感じ取り、意識がぼんやりと覚醒する。しまったと、俺はふぁあと瞼を開けた。
「終わってら」
目の前には、ご来場ありがとうございましたとスクリーンが素面を見せている。少し申し訳ないことをしたかなと、俺はチケットをくれたおばさまの顔を思い出した。
しかし、なんとも目覚めがいい。こんなに充実した睡眠は久しぶりだ。チケット分の価値はあったかなと、俺はきょろと辺りを見渡した。
「あいつは……って、どうした?」
リリスの姿を、一瞬探す。もう帰っているかとも思ったが、リリスは何故か座席に体育座りで座り込んでいた。顔を埋め、何やら微かに震えている。
「……ひどい。あたしたちが、何したっていうんだ」
「んっ? ……ああっ、そうか。すまん。そこまで考えてなかった」
ぐすぐすとべそをかくリリスを見て、俺は映画のタイトルを思い出した。
デビルズハンター3。内容は、悪魔と戦うB級アクションである。
「……どんな話だった?」
「ルシファーが女にダイナマイトとかいうの投げつけられて、爆発してた」
ふむ。ダイナマイト。テンプレだなと、俺は寝てしまっておいてよかったと胸をなで下ろす。序盤はおそらく、冗長で無駄な友人たちとの会話だろう。
「まぁ、そう落ち込むな。悪魔だろ」
「ううっ。人間こわい」
半泣きになっているリリスに、俺は呆れたように笑ってしまう。悪魔といっても、現実は案外こんなものなのかもしれない。
「……ん、お前。その髪に付けてるの、この前の奴か?」
そんなリリスを見つめる内に、リリスの頭に赤い花が付いているのに気が付いた。確かあれは、イタリアンの店でもらった奴だ。
「んぅ? そうだけど、なんだよ。変か?」
「いや、変じゃないが。……よく枯れないな」
あの日から、優に一月は経過している。とっくの昔に朽ちているはずだ。
「おいおい、あたしの頭に付けてんだぜ。枯れる訳ないだろ」
少し調子を取り戻したのか、リリスが自慢げに花を見せつけてくる。それを見て、俺はへぇとその名前も分からぬ花を見つめた。
「お前、本当に悪魔だったんだな」
「今更すぎんだろ。どういうことだよいったい」
呆れるリリスに、俺はさてとと立ち上がる。膝の上のポップコーンのかすが、ぱらぱらと落ちていった。
「帰りますか」
最後にすすったメロンソーダは、すっかり炭酸が抜けていた。