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第06話 買い物の帰り。ショッピングモールの回転寿司

「うーん。……蕎麦、ねぇ」


 俺は目の前に並ぶ灰色のディスプレイに眉を寄せた。

 鴨南蛮、天ざる、にしん蕎麦。様々なタイプの蕎麦が俺を出迎えてくれている。


「なんか、違う気がするんだよなぁ」


 しかし、俺は悩んだ末にその前を通り過ぎた。

 和食。今日の夕飯は和食で行く。そう決めたはいいが、一向に最後の審判が下りない。


 蕎麦。悪くはない気がしたが、やはり米が食べたい。蕎麦にはそれこそ、「そばっ!」というタイミングがある気がする。今はそのときではない。


「待てよ、カツ丼……」


 ふと先ほどのメニューに書かれていた単語が、俺の心を揺さぶった。しかし、いやいやそれは違うと首を振る。

 蕎麦屋のカツ丼は確かに美味い。美味い、が、それは蕎麦を食べてこそだ。やはり単品ならばカツ屋で食べたいと、俺はエスカレーター前のフロア案内に近づいた。


「しかし、結構重いな。送って貰えばよかったか」


 右手にずしりと感じる重量に、俺はしまったなぁと顔をしかめた。

 五階の家電量販店で買った電気ポット。それが俺の右腕を苦しめている。


 ふいに壊れた電気ポットを買いに来ただけで、こんな目に合うとは思っていなかった。これくらいなら楽勝だろうと、高をくくった数十分前の自分を殴り倒したい。


「……カツ屋が、ないだと。おいおい、どうなってるんだここのグルメ街は」


 そして、俺の顔は更に絶望で彩られる。まさかなと思い、もう一度店舗情報を確認する。……本当にカツ屋がない。


 そんなこと、ありえるのか? 俺がこんなにもカツを所望しているというのに。


 マジかよと、俺はこのショッピングモールのグルメ街の責任者に、無能の烙印を押した。カツ屋のないグルメ街なんて、半分以上の存在意義がないに等しい。


「減点50だぞこれは……」


 そんなことを言ってみるが、それでこの一覧にカツ屋が追加されるわけではない。俺は仕方ないと、じぃとその一覧に目を凝らす。


 これといって、食指が動かない。和食、油分、そして米。これらをカバーできる唯一の存在である、カツがだめなのだ。もうどうしようもない。


「絶対に天ぷら屋には行かんぞ」


 一覧の天ぷらの文字を、ぎんと俺は睨みつける。ここまで来たら、天ぷらなどカツの下位交換でしかない。もう少し早くに目に留まっていたら何の問題もなかったのにと、俺は悔しさで顔を滲ませた。


「……別のとこ行くか」


 ふぅと、俺は疲れたように顔を上げる。実際少し疲れた。こんなときは、潔く別の場所に行くのがいい。

 いっそのこと電車で行きつけの店にでも行こうかと、俺はエスカレーターへと足を進めた。


 ずしりと、電気ポットが俺の右腕を地面に向ける。


「ああ、もうっ!」


 忘れていた。こいつだ。何なんだ今日は。全てにおいて上手く行かない。

 苛々しながら、俺はくそぅと顔を上げた。


 そして、目の前に飛び込んでくる。俺は、その店構えに思わず声を出した。


「……回転、ずしかぁ」


 明るい店内。ヒノキに見せかけた店の壁。回るレーン。俺は、その店にふらふらと吸い寄せられる。


「なるほど。これはなるほどじゃないか?」


 メニュー。見つめる。寿司は勿論、一品料理も充実している。それこそ、マグロのカツや牡蛎フライの文字も見える。


「……しかし、これを持ってカウンターか」


 はやる足を押さえ、俺は苦々しげに店内を盗み見た。人は疎らだが、お一人様はどうやらカウンターが基本らしい。

 時刻はもうすぐ夕食時を迎える。少しの差で、店内は人で溢れていくだろう。この時間帯に、一人でテーブル席を占領するのは気が引ける。しかし、ただでさえ疲れているのだ。ゆっくりと日本酒でも飲みたいところだ。


「うおおっ! なんだあれっ!? 回ってるぞっ!!」


 奥歯を噛みしめる俺に、例の間抜けな声が聞こえてきた。


「でかしたっ!!」


 その声を聞いた瞬間、俺の足に力が入る。後ろに迫ってきていた団体を感じ取り、俺は即座に店の中へと進撃を開始した。





 ーー ーー ーー





「ふぅ。間一髪だったな」


 店の外で店員に話しかけられている団体客を見つめて、俺は息を吐いた。一足遅ければ、どれくらい待ったか分からない。しかし今の混み具合ならば、団体客の方は十分を待たずして座れるだろう。


「すごいすごいっ! ほらっ、回ってるっ!」

「そりゃあ、回るだろ。回転寿司だぞ」


 きゃいきゃいと対面で子供のようにはしゃぐリリスに、俺は呆れたようにため息を付いた。こっちは店選びで疲労しているのに、この悪魔の何とお気楽なことか。


「好きな皿取っていいぞ。……ってっ、ば、馬鹿っ!!」


 取りあえずお茶でも入れようと、俺は湯飲みに緑茶の粉を入れていく。そのとき、ちらりと見たリリスに俺は慌てて声を上げた。


「んっ、むぐむぐ。うめぇ。……ん、どした?」


 さっそくマグロの寿司を口に入れ、ご満悦のリリス。しかし、その目の前には一枚の皿も存在しない。まさかと思いレーンを確認すると、1貫盛りなってしまった赤い皿が、悠々とレーン上を周回していた。


「すっ、すみませんっ!」


 慌てて手を挙げる俺に、レーンの内側の板前が目を合わす。ご注文でしょうかと近寄る板前に、俺は申し訳なさそうに事情を説明した。


「すみません。その、日本が初めてなもので」

「ははは。いいですよ。よく居ますから」


 爽やかな板前からマグロの皿を受け取りながら、俺は羞恥で頬を染める。くそっ、なんでこんな目に。


「どうした? あんたもそれ食いたかったのか?」

「違うっ! いいか、今度からは皿ごと取れ。皿の枚数で会計するんだ」


 きょとんと指を舐めているリリスに、俺は回転寿司の超基本ルールをたたき込む。それに、ふーんとリリスは首の後ろで腕を組んだ。


「たくっ。……はぁ。俺も食おう」


 悪魔にこれ以上言っても仕方がない。分かったのならそれでいいと、俺は疲れたようにレーンを見つめる。ふむ、中々に種類も回っているようだ。


「団体が控えているのが効いてるな」


 回転寿司は、基本流行ってる時間帯がいい。回っている皿が多くて、種類も豊富だ。そういう意味では、まさにベストなタイミングで入店できたとも言える。


「おっ、サーモンじゃないか」


 流れてきたサーモンに、俺の目がぴくりと止まる。ピンク色の照かりに、気づけば皿を手に取っていた。


「回転寿司と言えばサーモンだよな」


 醤油にちょいと付け、口に運ぶ。

 うん、美味い。俺の口を、優しげな油の甘みが刺激する。流石はサーモンだ。外れがないこの味。


「食べる順番なんて、どうでもいいよなぁ」


 続いて、流れてきたエンガワを手に取る。色々寿司の作法とか食い方とかあるらしいが、そんなものは高級店ですればいいことだ。ここは回転寿司。流れてきて目に付いた皿を、片っ端から食えばそれでいい。


「……んっ、どうした? 食わないのか?」


 エンガワの大葉が葉につまり、爪楊枝を探していた俺は対面のリリスをおやと見つめた。おろおろとレーンを見るばかりで、一向に皿を取る様子がない。


「ど、どれを食えばいいんだっ。よく分からないぞ」


 その発言に、俺はぷっと吹き出した。とてもいきなりマグロを摘んだ奴の言う台詞ではない。


「お前、さっきまでの威勢はどうした」

「あ、あれは食べたことあるだろっ。他のはよく分からんっ」


 手で口元を隠しながら爪楊枝を動かす俺に、リリスが怒ったような顔を向ける。なるほど。そういえば、こいつはマグロには変な縁があったな。


「……うーん。なら、俺の皿の奴一つやるよ。どうせ二つ乗ってるんだし」

「えっ、いいのかっ?」


 俺の提案に、ぱぁとリリスが顔を輝かせる。それにこくりと頷いて、俺はレーンに視線を向けた。別に、俺としても悪い提案ではない。もうこの歳だ。食えてせいぜいが十枚。一人ならば十種類しか食えないが、リリスと分ければ倍の二十種類食える。


「……種類が食えるとなれば、こんなものも食ってみたくなるな」


 そう呟いて、俺は流れている海老フライ寿司を手に取った。小さめの海老フライが合計四本。一つにつき二本ずつ乗せられている。


 結構豪華じゃないかと、俺はその奇妙な寿司を口に放り込んだ。リリスに、残った一つをほれと差し出す。


「ふーん。結構いけるもんだね」


 もぐもぐと、米と海老フライの混ざり合う味を感じる。色物だと思っていたが、よくよく考えればまずいわけがない。こういうのも回転寿司らしくていいねと、俺はメニュー表を手元に寄せた。


「酒と一品物も頼むか。……飲み比べセット?」


 メニューに写真付きで乗っている文字が、ちらりと目に入る。三つのおちょこが並んでいて、どうやら三種類の日本酒が飲めるようだ。


「これで五百円? へぇ。安いな」


 日本酒は好きだ。一番好きかもしれない。三種類も試せてこの値段なら、納得すぎる値段だろう。酒はこれにするかと、俺はリリスに顔を向けた。


「お前、酒はどうする?」

「んっ! 酒もあるのかっ? だったら、この前のワインって果実酒がいい」


 ふんふんとレーンを見つめていたリリスが、ぺかりと笑う。しかし、俺はそのリクエストにうーむと眉をしかめた。


「……悪いことは言わん。他の酒にしておけ」

「えっ、なんでだよ?」


 リリスの抗議の視線に、俺はどう説明したものかと顔を寄せる。西洋にもカルパッチョはある。別に刺身にワインがいけないということはない。しかし、数の子や塩辛など、この手の店には致命的にワインと合わない品物が存在するのだ。

 その合わなさたるや、ちょっと筆舌には尽くしがたい。少なくとも、「うーん、合わないね」等と軽口が叩けるレヴェルのものではないことは確かだ。下手をすれば、そこでその食事がお開きになる可能性すらある。


 昔、数の子とワインを合わせてしまったときの絶望を思い出し、俺はおえっと顔を歪めた。


「うーん。まぁ、あんたと同じのでいいよ」


 理由は説明していないものの、俺の表情から何かを感じ取ったのだろう。リリスがとくに執着も見せずにリクエストを変更する。そうするがよかろうと、俺は手元の呼び出し器具のスイッチを押した。


「飲み比べセット二つと、あと蛸の唐揚げと牡蛎フライね」


 召還された店員に、俺は追加の一品も注文する。揚げ物を頼まなければ、ここにした意味がない。店員に注文を告げ、俺は満足だとテーブルに顔を戻した。


「なぁなぁ。そろそろ次の取ってくれよ」

「んっ、ああ。悪い悪い」


 こういうところの唐揚げって結構いけるよなと湯飲みを持つ俺に、不満げなリリスの顔が飛び込んでくる。色々と待っていたのだろう。俺はちらりとレーンに顔を向けた。


「うーん。ろくなものが回ってないな」


 どうも、今は外れの時間帯らしい。茄子の漬け物寿司に、よく分からない海老の刻まれた軍艦。ああいうの、取る人っているんだろうか。


「あっ、マグロだっ!」


 ついーっと、そんなレーンを赤いマグロが回ってくる。これなら分かると伸ばしたリリスの手を、俺はぴしゃりとはたき落とした。


「……なんだよ?」

「それはやめておけ。少しかぴてきてる」


 そっと、小声でリリスに顔を近づける。先ほどのマグロ、すでに四周は回っている気がする。あれを取るのは得策ではないと、俺はリリスに耳打ちした。


「あたしは別に気にしないんだが……」

「ふざけるな。金を出すのは俺だぞ」


 そう言いながら、俺は板前に手を挙げる。近寄ってきた板前に、俺は堂々と宣言した。


「マグロひとつ」

「はい。マグロひとつですね」


 何をしてるんだというリリスに、俺はふふんと顔を向ける。

 回転寿司で注文するのを恥ずかしがったり、申し訳なさそうにする奴がいるが、それはナンセンスだ。こっちは客だ。こういう権利は使えるなら使った方がいい。


「マグロです」


 勝利を確信しながら板前を見つめる俺の前で、板前が向こう側のレーンからマグロをひょいと手に取った。それを、何の悪びれもなくこちらのテーブルにことんと置く。


 ……馬鹿な。


 俺が驚愕に目を開いている間に、わーいとリリスがマグロを掴んで口に運んだ。あっと思ったが、すでに遅い。


 な、なんという悪行卑劣。こっちが何のためにわざわざ注文したと思ってるんだ、あの板前は。


「やられた……」


 爽やかな顔をして、あの男。とんだ食わせ者である。こんなこと、あっていいはずがない。俺は、悔しさで拳を握りしめた。


「むぐむぐ。どうした? もう一個も食っていいのか?」

「うぅ。食え。そのかぴたマグロで満足してろ」


 俺の気持ちをまるで理解せずに、リリスが乾燥したマグロを美味しそうに口に入れる。ああ、すまない。俺が力ないばかりに。


「……くそ、気を取り直そう。よし、鰻だ。これならあまり乾燥に左右されん」


 敗北のショックを引きずりながら、俺は鰻の皿を手に取った。鰻も、昨今は値上がりして気軽には食えなくなった。そんな中、国産の鰻が一皿250円。優秀じゃないかと、その皿をテーブルに乗せる。


「……変な色の魚だな」

「焼いてるんだよ。美味いぞ」


 ふーんと、リリスは鰻の寿司をぐわしと掴む。そういえば、先ほどからリリスは醤油を付けていない。悪魔だからか、通な食べ方に俺はぼうっとリリスを見つめた。


「うめぇっ! なんか甘いっ!」

「ほう。お前もその味が分かるか」


 鰻の甘ダレに目を開くリリスを、俺は少し意外そうに見つめる。外人には、甘辛い味が分からない人も多いと聞く。これがいけるなら、基本的に日本食は大丈夫だなと俺は鰻に手を伸ばした。


「ちょいと付けましてっと……」


 俺は、鰻を醤油にちょんちょんと付ける。鰻などの甘ダレものには醤油を付けない人も多いが、俺はあえて付けるのが好きだ。甘いだけのタレにしょっぱさが加わって、いい案配になる。


「……うん、いけるな」


 これを二十個食えば、2500円か。鰻屋とどっちがお得だろうと、俺はそんな詮のないことを考えてしまう。


「次は何にするんだっ?」


 しかし、そんな考えは目の前で気合いを入れて見つめてくる悪魔にかき消された。そうだなぁと、俺はメニューを取ってうぅむと眺める。


「……大トロ、いっちゃいますか」


 リリスを見やり、俺はにやりと笑みを浮かべる。マグロが好きなこいつのことだ、びっくりするぞと、俺は板前でなく注文ボタンで店員を呼んだ。





 ーー ーー ーー





「げふっ。……思ったより食ったな」


 テーブルに積み上げられた皿を見つめ、俺はふぃーと息を吐いた。

 一、二、三……十、……二十。うーん、数えるのも面倒くさい。


「酒が思ったより美味かったのがまずかったか」


 すでに四回目の飲み比べセットを口元に寄せながら、俺はぼうっと天井を見つめた。

 今日食った中で、何が一番美味かっただろうか。


「大トロ、煮穴子。……牡蛎フライも、案外大ぶりで美味かったな」


 350円で、大ぶりの牡蛎が三つ。正直、とんかつ屋より優秀だ。


「……お前、今日食った中で何が一番美味かった?」


 一人では決められないなと、俺はデザートのゼリーを必死になって食べているリリスに意見を求める。案外、リリスのような奴が真実を言ったりするもんだ。


「んっ? そうだなぁ。たくさん食べたからなぁ」


 しかし、リリスも困り顔で紙製のスプーンをくわえる。やはりこの問題は、簡単には答えにたどり着かない。


「そうだ、大トロはどうだった?」

「あの脂っこいやつか? うーん、あたしはマグロのほうが好きかな」


 俺の問いに、リリスは思案顔でそれに答える。どっちもマグロには変わりないのだがと、俺はリリスを見つめた。一皿500円の大トロよりも、一皿150円の赤身の方が好きとは変わった奴だ。


 悪魔だから、少し血の味があったほうが好みなのかもしれないと、俺はふーんと日本酒を喉に通す。まぁ確かに、俺も量を食えと言われたら赤身の方だ。


「……あっ、そうだ。これだこれっ。これが一番うまかったっ!」


 一息付いている俺に、リリスがぴょこんとレーンを指さした。もう一皿食ってもいいかと見てくるリリスに、勿論だと頷きながら俺はレーンに目をやる。


 マグロでもないとすると、鰻だろうか。案外、イクラとかかもしれないと、俺はリリスの手に取る皿を確認する。


「これっ! これが一番うまいっ!」


 そう言って、笑顔でリリスは俺にその内のひとつを差し出してきた。その皿の上に乗った寿司に、俺は思わず笑ってしまう。


 ……まぁ、案外それが正解なのかもしれない。


「お前、海老フライ好きだなぁ」


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