第05話 仕事の帰りに。イタリアンレストラン
「おっ。新しい店か」
仕事の帰り道、俺は自宅に続く道に一際豪華な場所を発見した。
色とりどりの花の群。どうやら開店祝いのものらしい。そういえば新しいイタリアンレストランが出来ると、数ヶ月前から工事をしていた。
「ふんふん。なかなか洒落てるじゃないか」
こっそりと中を覗き込んでみると、小さいながらも綺麗な店内だ。客はまだおらず、少しそわそわとした様子で店員が二人ほど何かを話し合っている。
店の前に出されたメニューをちらりと見やった。コース三五〇〇円。五〇〇〇円のコースは肉料理が付くらしい。開店記念サービスか、ドリンクが一杯無料で付いてくるようだった。
「ふむ。良さげだな」
味はともかく。開店一日目の店に入る機会なんかは、人生でそう何度もあるものではない。あの緊張と期待が入り交じった、独特の雰囲気。前に何度か出会ったことがあるが、あれはいいものだ。
「しかし、男一人でってのもなぁ」
イタリアンのコース。開店初日だからか、表のメニューにはアラカルトが書かれていない。数品頼んでひっかけるというわけにもいかなさそうだ。
それにと、もう一度店内を覗き見る。やはり客が一人も居ない。この状態で一人で入っては、店員の無闇やたらに期待のこもった眼差しを一身に受けることになる。適度な雰囲気はともかく、そういう針のむしろは避けたい。
となれば……。
「おー。花が綺麗だな。何の店だここは」
男女二人で入るのが丁度いいというものだろう。
「今回は早いな。まあ、でかしたと言っておこう」
「あんたは出てくる度に態度がデカくなるな。まあいいけど」
俺はゴスロリ服姿のリリスを確認すると、意気揚々と店の中へと入っていった。
ーー ーー ーー
「なに? 飲み放題なのかい?」
俺は、目の前にいる店員に向かって驚いた声を出した。ほんとはテーブル席が良かったのだが、調理してる光景が珍しいのか、リリスが勝手にカウンター席に座ってしまったためだ。
「ええ。コースは全て飲み放題になってまして。こちらがドリンクメニューです」
そう言いながら、店員が飲み放題と書かれたメニューを渡してくる。何々、グラスワインに各種カクテル、ウイスキーに日本酒まで置いてるのか。個人店の飲み放題にしては、随分と種類が豊富である。
「しかし、表にはドリンク一杯サービスと書いていたが。飲み放題なのに?」
「あっ、それはこちらの有料ドリンクから一杯サービスさせていただきます」
店員はメニューを裏返すようにジェスチャーを見せた。ひっくり返してみるとなるほど、表よりも手の込んだカクテルや銘柄のいいワインが印刷されている。
「なら、最初の一杯はこっちのワインを貰おうかな。お勧めの奴を頼む」
「かしこまりました。……お連れの方は?」
店員の声に、ふんふんと興味深げに厨房を覗き込んでいたリリスが振り返る。表情から察するに、飲み物を選ぶという現状を理解できていないようだ。
「この店は飲み物が選べるんだ。……て、そういえばお前、酒は飲めるのか?」
リリスにメニューの説明をしようとしたときに、俺はふと軽い疑問にぶち当たった。リリスの年齢なんか知らないし、見た目だけなら十分未成年でも通る。
「あたぼうよー。あたしを誰だと思ってんだよ。酒だろ? できれば果実酒がいいな。昔飲んだのはうまかった」
ふむと、俺はリリスのリクエストに一拍考え込む。リリスがどれほど生きているかは知らないが、たとえ中世のヨーロッパでもワインはあったはずだ。悪魔への供物に酒というのは、言われてみれば当たり前な気もする。
「なら、この子にも同じワインを」
「かしこまりました」
店員にメニューを返し、俺はさてとと店内を見渡してみる。横ではリリスが、目の前で魚をスライスしているシェフを食い入るように見つめていた。
どうやら、この店の店員は二人だけのようだ。接客を主に行う先ほどの眼鏡の店員と、厨房で包丁を握っているシェフ。小さい店ならそれで十分なのかもしれない。店の中の椅子を数えてみると、最大で16人座れるようだ。
「どうぞ」
新しい店の綺麗さに見ほれていると、店員がことんとワイングラスを目の前に置いた。次いでリリスの前にも置かれ、それが宴の合図になる。
「おー。久しぶりの酒だぜ」
「おいおい、ちょっと待て。乾杯が先だろ」
さっそくグラスに手を着けようとするリリスを、俺はひょいと手で制した。不思議そうな顔をするリリスに、俺は人間の礼儀を教え込む。
「普通、酒を飲むときは乾杯をしてからなんだよ。ほら、グラス持って」
「こうか?」
そうそうと、俺の真似をしてグラスを掲げるリリスに俺は笑いかける。
「乾杯」
「か、かんぱい」
そして、少しグラスを近づけるとそのまま口へと運び込んだ。リリスも、見よう見まねで一口目を口に含む。
「何の意味があるんだこれ。って、うまいな。この酒すげーうまい」
「お、そうか? 酒ならもしくはと思ってたんだが。やっぱりワインも、今のもののほうが美味いのかね」
イメージ的には、悪魔に捧げるような酒だ。当時としても高級品に違いない。それに比べてこのワインの方が美味いとなると、少々興味深い話ではある。
「飲みやすくてうまいぞ。昔飲んだのは確かにうまかったけど、すげー渋かった」
「ははっ。そりゃあ、お前が酒の味が分からなかっただけじゃないか?」
「なんだとー」
ぷっくりと膨れるリリスに、俺はくすりと笑ってしまう。だが、まあそんなものなのかもしれない。一本何万だ何十万だと言っても、最後には好みの問題になるのだ。高くてもまずいもんはまずいし、安くても美味いもんは美味い。酒の値段なんて、気にするだけ無駄なのかもなと俺は思った。
「前菜の、マグロと山芋のカルパッチョです」
そんな会話をしていると、シェフがオードブルの皿を差し出してくる。目の前に置かれたそれは、オリーブオイルが光り輝いて美しかった。
「へー。マグロに山芋か。丼では見かけるけど、カルパッチョとは」
「あっ、この魚知ってるぞ。前食った。なっ、前食ったな」
マグロと言われ、テンションを上げてにこにこと皿を指さすリリス。人が未知の味に心震わせているというのに。マグロは気に入っていたようで、リリスもわーいとカルパッチョに手を伸ばした。
「あっ、ちょっ」
「むぐむぐ。……おお、うめぇ。なんかねばねばしてる」
ひょいと指でカルパッチョを摘んだリリスに、店員二人の目が驚きに見開かれる。あちゃーと、俺は自分の迂闊さを呪った。リリスに慣れてきていて、すっかり忘れてしまっていた。
「す、すみませんね。外国の子で」
「いえ、構いませんよ。濡らしたおしぼり用意しましょうか?」
眼鏡の店員が、にっこりと俺の声に反応する。見た目まだ若いのに、出来た男である。お願いしますと、俺は素直に頭を下げた。
「フォークは使えるだろう。ちゃんと使え」
「えー。別に熱くないのに」
自分の指が一番信頼できると、リリスは不満顔だ。言わんとしてることは分かるが、ここは日本である。いちいち説明する手間を省くためにも、フォークくらいは使えるようになってほしいものだ。
「まったく。……お、美味いな」
リリスを見やりながら、俺はようやくカルパッチョを口内に招き入れる。とたん、マグロのねっとりとした舌触りと山芋のねばりが口の中に広がった。
「醤油じゃなくても美味いもんだ」
マグロに山芋とくれば日本人なら醤油だが、オリーブオイルもなかなかいける。散らされたペッパーの刺激が味を引き締めていて、和風とはまた違った美味しさだ。
「ワインならこっちのほうが合うな。うん、美味い」
「ありがとうございます」
眼鏡の店員がにっこりと笑い、俺は更にカルパッチョへとフォークを向けた。
「トウモロコシのスープです」
カルパッチョを食べ終わる頃、次の品が運ばれてくる。そういえば、スープがまだだったなと俺は目の前に置かれた白い器を見つめた。
薄黄色のスープに、生クリームが渦を巻いてかけられている。トウモロコシのスープと言っていたが、コーンスープとは別物なのだろうか?
「ずずずずずっ!! ……ぷはっ、うめぇ!」
隣りで勢いよく皿を啜るリリスに頭を抱えながら、俺はスプーンでスープを掬った。一口含み、ふむふむとスープの味わいに集中する。
冷たい。冷製スープというやつだ。なるほど、なんとなくコーンスープとはまた違った美味しさを感じる。
大きく違いはないが、コーンの粒が入っておらず、舌触りが滑らかだ。コーンスープ特有のねっとりとした感じではなく、さらさらとしていて少しの粒も感じない。好みはあるだろうが、俺は好きな感じだ。
「やべっ、鼻に入ったっ」
皿から直にスープを飲んでいたリリスが、ごふっと鼻から黄色い液体を飛び散らした。あまりの光景に、スプーンを持った俺の右腕がぷるぷると震える。
「おい。ちゃんとスプーンで飲まないからって……ぷっ。くふふっ」
「げほっ。うぅ、人が苦しんでるときに」
しかし、リリスの顔を見た瞬間に俺の怒りはどこかに行ってしまった。不思議そうに俺の顔を覗き込むリリスの口の周りに、黄色い立派な髭が出来ていたからだ。それがまあ、奇妙なことに似合っている。
「くっ、くふっ。おま、お前そういうのやめろよ。笑ってしまうだろうが」
「何だよ。しようがねぇだろ、むせたもんはよ」
俺が何で笑っているか分からずに、リリスが怒ったように眉を寄せた。い、威厳が。少しだけ威厳が出ている。よかったなリリス。
「新しいお手拭きいりますか?」
眼鏡の店員が、笑いを堪えながらにっこりとパスタの皿とお手拭きを差し出してくる。笑ってもいいですよと俺は視線を送りながら、リリスにこれで口を拭けとジェスチャーした。
「まったく。お前はすぐ問題を起こすな。……っと、いかんいかん」
そう。俺はこんなアホ悪魔に構っている暇などない。パスタも麺類だ。伸びてしまう前に食べねば。
「海老と雲丹の海鮮クリームパスタです」
なるほど、磯の香りが漂ってくる。俺はオレンジ色に輝くパスタに、フォークを入れた。豪華なことに、具に帆立とイクラも見え隠れしている。
こんなもの、食べる前から美味いに決まっているじゃないか。
「……んっ。……ですよねー」
もぐもぐと、口の中に広がる海の香りを楽しんでみる。
美味い。期待通りの美味さだ。海老と雲丹の濃厚なコク。それがとけ込んだクリームに、帆立とイクラの味が付け足されている。
小細工などいらない。期待通りでいい。そんな直球勝負の美味さだ。
たまらん。
「イタリアンは、ほんと日本人に合ってるよなぁ」
和食とは別物だが、巷にイタリアンが溢れている理由が分かるというものだ。ただ単純に美味い。何だかんだで海鮮が多いところも、日本人が好む理由の一つな気がする。
「……よっ。く、このっ」
ちらりと目線をずらすと、リリスが必死にフォークと格闘していた。ラーメン以降、麺類はフォークを使うことにしたらしい。ただ、まだ慣れていないのか麺を巻き取るのに苦戦している。
せっかくのゴスロリ服に盛大にオレンジ色が飛び散っているが、そもそも魔力で作っているのか現実の服なのかすら不明なので、俺は特に気にしないことにした。
「ああ、たまらん」
ーー ーー ーー
「ふぅ、食ったぁ。……あっ、グラスワインもう一杯」
店員に追加のワインを頼みながら、俺はぱんと張った腹を優しく撫でた。
結局あの後メインの白身魚のグリルがやってきたのだが、それが添えられている温野菜と合わせて結構なボリュームだった。
「止めておいて正解だったな」
値段を足せば肉料理がメインに追加出来たようだが、頼まなくて良かった。これでステーキでも出てきた日にゃ、腹が破裂してしまう。白身魚のグリルも皮がぱりぱりと美味しかったし、特に不満はないものだった。そう言えば、焼き魚は久しぶりに食べた気がする。一人暮らしだと、どうも偏りがちになっていけない。
「次のデザートで最後になりますが、追加のアラカルトは大丈夫ですか?」
「ああ、満足したよ。いや、美味しかった。お腹いっぱいだ」
ワインを持ってきた店員に、俺は腹をさすってみせる。それを聞いた店員が、嬉しそうに笑った。
振り返った店内には、いつの間にか数組のカップルが座っていた。見るに、まだ前菜の組もある。早めに入って良かった。
「お前はどうだ?」
「ん? いや、あたしも満足だよ。今回もうまかった」
にぱっと笑うリリスに、俺は何故かよしと頷いていた。こいつが満足しようがしまいが、俺としてはどうでもいいはずだが。
「デザートのティラミスです」
何だか引っかかりを感じた俺の目の前に、小さな四角い甘味が差し出される。俺の意識は、即座にそちらに移っていった。
「へぇ。手作りか」
シェフが冷蔵庫に仕舞う銀色のトレーを見て、俺は小さく唸りを上げた。トレーには、小さなティラミスが綺麗に整列して鎮座している。
底の方がスポンジになっている、ケーキティラミスだ。俺は、最後の締めには相応しいじゃないかとフォークでそれを半分に切り分けた。
「……うん。美味い」
しかし、口に入れたとたんに俺のテンションはやや下がる。手作りのデザートに興奮したものの、何となく、……手作りって感じだ。可もなく不可もなく。ぶっちゃけると、美味しいって感じではない。
「いや、美味いですね」
けれどシェフがにこりと笑いかけてくるもんだから、そんなお世辞を口にしてしまう。だからカウンターは嫌だったんだ。
少しため息を隠しながら、俺は残りのティラミスを口に入れた。そういえば、過去にも経験がある。イタリアンの手作りデザートは、何か期待外れなことが多い気がする。……いや、全くの偏見なのだが。
「うまいうまい」
そんな複雑な俺の気持ちを知ってか知らずか、満面の笑みでティラミスをがっついている隣のアホ悪魔を、俺は見つめた。
「……美味いか?」
「おうっ。すげぇうめぇっ」
口の周りにココアパウダーを付けて笑うリリスに、俺はいずれ本物のケーキを食べさせねばなるまいと心に誓う。
「……ふぅ」
丁度、グラスのワインが空になった。
ーー ーー ーー
「ありがとうございました」
眼鏡の店員がぎぃと扉を開けると、夜の涼しげな風が店内に入り込んだ。
「美味かったよ」
わざわざ見送ってくれる店員に、俺もぺこりと頭を下げる。最後のティラミスはともかく、他は満足のいく味だった。酒も中々だったし、またいずれ足を運ぶこともあるかもしれない。
「あっ、よかったら一本持って帰りますか?」
「えっ?」
さて帰るかと上着を正した俺に、店員がそうだと言った表情で話しかける。店員の言うことが分からずに、俺は店員を見つめた。
「花輪の飾り。枯れちゃうだけなんで、よかったら持って帰ってください」
「ああ、花ね」
店員の指さす方向。開店を祝う様々な花輪の彩りを、俺は見つめて頷いた。確かに、中には本物の花も混ざっている。
「……じゃあ、これを」
変わったサービスだが、これもこの日に来たものだけの特権だ。記念に貰おうと、俺は赤い薔薇のような花に手を伸ばした。棘がないから薔薇じゃないとは思うが、花のことはよく分からん。
「すまないね」
そう言って、今度こそ俺はイタリアンを後にする。
「今回もうまかった。また来るよ」
店から数十歩先の、最初の曲がり角。リリスは満足じゃと腹を抱えながら、俺へにこりと振り返った。
また出てくる気かと思い、呆れたように俺は手元の花をくりくりと回す。
「そうだ。これやるよ」
「ん?」
俺は、ふとリリスに赤い花を手渡していた。リリスも、きょとんとしたようにその花を受け取る。
「なんだー。食えないもの貰っても困るぞ」
「俺だって、よく考えたら花一本持って帰ってもしょうがない。お前も女だろ。貰っとけ」
正直、俺の家には花瓶すら存在しない。コップに水を張るにも、茎を切らないといけないだろう。面倒くさすぎるが、ゴミ箱に入れるのは忍びないと、俺はリリスにその花を押しつけた。
「あー、うん。じゃあ貰っとく」
不思議そうにその花を見つめながら、リリスはじゃあなと言って夜の道の上に消えていく。それを見届けてから、俺は自宅の方向へと歩き出した。