番外編 商店街の麻婆豆腐
お久しぶりです。突然の番外編ですが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
「んっ……ん、んっ?」
喉に感じる違和感に、俺は嫌な予感がして首を傾げた。
なにか引っかかるような、乾いているのかと唾を飲み込むが、それだけではよくならない。
「まずいな」
吹きすさぶ寒風を受けながら、思わず苦い顔をしてしまう。
これはあれだ。「万病の元」とかいうやつの足音だ。
細菌かウイルスか、とにかく俺の大切な肉体に進入して、悪さをしようとしている輩が確実に存在する。
今月は大切な仕事の取りまとめ中だ。万が一にも、風邪などという愚かの極みを引くわけにはいかない。
「うむ、なにか食わねば」
だが焦ることはない、風邪の予防などは簡単だ。よく食べる。これでほとんどの身体の異常はクリアできる。
問題は、そのなにを食うかだが……さすがに何でもいいというわけではない。
まず第一に、温かいものだ。身体を冷やす効果のある食材は御法度。
第二に、栄養価の高いもの。これはいうまでもない。
第三に、この辺りで食えるもの。この寒風の中、店を探して歩き回るのはごめんだ。
そして、これが一番大切な条件。
美味いものだ。不味いものを食うくらいならば風邪を引いた方がいい。
「と、なれば……この商店街で決めたいところだが」
辺りを見回した。なにせ仕事の都合で通りかかった商店街で、土地勘などまったくない。
さすがに飯を食う店はちらほら見かけるが、どこが美味いかとなるとさっぱりだった。
「むっ」
そんなとき、一件の中華飯店が目に留まる。
夕飯時にはまだ早いというのに、店の前に並べられた自転車の数。五台以上は停まっている。
どうも常連で賑わうタイプの店のようだ。こういう店は地雷も多いが、当たったときのリターンもでかい。
「……中華か」
なかなかのチョイスだ。温かいし、カロリーもある。本格的に引く前の今ならば、油ものも問題ない感じだ。
ちらりとドアの飾りガラスから中を覗いた。カウンターに常連らしき客が五人。よく見ると奥のカウンターが一席空いている。
「まずいな」
店にはテーブル席もあるようだが、ひとつしかない。もうじき夕飯時だ。このままではカウンターに案内される可能性が高い。
別に構いやしないが、俺は腹一杯食い溜めたいのだ。あのような狭いカウンターでは、ラーメン一杯置くのが関の山だろう。
となれば、やることはただひとつ。
「よっ! 今日はなに食うんだ?」
このアホ面の悪魔様を待っていればそれでいい。
なんの脈絡もなく現れたリリスに、俺はなんだか懐かしさを覚えてしまう。
「なんかこの感じ、久しぶりだな」
「そうか? この前も会ったぞ」
確かに、覚えている。つい先日の休みの日、行列のできるラーメン屋に並ぶ際に出てきたはずだ。
そのときも、このゴスロリ衣装で並んでいたはず。目立って仕方なかったのを思い出した。
そう、思い出した。
「……まぁいい。いちいちお前となにを食ったかなんて覚えてられないしな」
「ひでぇなぁ」
軽口を叩いていると、強い風が頬をなでた。さっさと入らないと意味がない。
奥のテーブル席をロックして、俺は扉のノブを握りしめた。
◆ ◆ ◆
「うむ、これにしよう」
メニューを見ながら、確信をもって頷く。
もっと悩むかと思ったが、これ以上のメニューなど存在しない。
「なににするんだー?」
覗いてきたリリスに、メニューの写真を指さしてやる。店のオヤジが自分で撮ったであろう下手くそな写真だが、メニューを理解するぶんには十分だ。
「この麻婆豆腐セットだ。これ以外にはない」
麻婆豆腐と、唐揚げのセットだ。俺が食いたいものが揃っている。
辛さが選べるようで、ますますお誂え向きだった。
汗を掻き、ウイルス共を退治する。根絶やしにしてくれるわと、俺はぺしぺしとメニューを叩く。
「……ん? おいおい、ライスが炒飯に変更できるじゃないか。完璧だな」
この完璧さに比べれば、プラス二〇〇円なんてタダのようなものだ。
勝ったな。確信し、俺はリリスの方へにやりと笑う。
「お前は0辛にしとけ」
「おう、なんでもいいぜ」
リリスは餃子用の小皿をめくって遊んでいた。精神年齢3歳児くらいの悪魔様は無視をして、俺は店員を呼び止める。
「麻婆豆腐セットを二つ、両方炒飯に変更で。ひとつは0辛と……もうひとつは中辛にしてください」
一瞬なに辛にするか迷ったが、自分を過信しすぎるのも禁物だ。なにせちょっと本場っぽい感じもする店で、このような店の3辛以上は危険牌である。中辛あたりが、予想以上に辛くても許容範囲内だろう。
「あいよー! …………ね!」
店員が元気よく頷き復唱する。正直よく聞き取れなかったが、まぁ大丈夫だろうと俺も頷いた。
そのとき、またひとつ咳がでる。これは早く食わねばと、俺は麻婆豆腐の到着を待ちわびるのだった。
◆ ◆ ◆
辛い。あほみたいに辛い。
思わず水を飲んだが、逆効果だった。辛み成分が口一杯に広がり、俺はくぅと下を向く。
「大丈夫かー?」
リリスの声に、なんとか頷いた。
だが、美味い。
顔を上げ、次のひと匙を準備する。
「美味い、とんでもなく美味いぞ」
超絶の辛みの中に、確かな旨みが存在する。具はシンプルに豆腐と挽き肉と白ネギだけ。なぜこんなに美味いのかと真っ赤な汁をすくった。
「あたしのも美味いぜ!」
「ふふ、お前はそのお子ちゃま麻婆で満足していろ」
俺の言葉にも、リリスは「そうする!」と満足そうだ。そういえばお子さまランチ辺りでも喜んでいたから、子供扱いは気にしないのかもしれない。
「ふぅ……ふぅー。……美味い」
しみじみ美味い。苦行のような食事の中に、確かな天国が存在する。
脳髄に響いてくる辛さが、いい感じに喉の粘膜を焼いていた。
暴力的だが、俺はよくこれで風邪を治している。なんかあれだろう、菌かなんかが辛さで死ぬんだろ、たぶん。
「かけると更に美味いな」
麻婆をすくい、プレートの上の炒飯に垂れかけた。少し混ぜ、それらを共に口に運ぶ。
「……くぅ、たまらんな」
こんな美味いものがあるのかってくらい美味い。辛さで頭も麻痺してきた気がするが、どうでもよくなるほどの美味さだ。
炒飯がまたいい。お店で食べる炒飯ではあるが、どことなしに家庭の味も感じさせる。パラパラではなく、しっとりとしたあの炒飯だ。
辛い、辛い……だが美味い。中華の神髄が詰まっている。
「そういえば、なんか今日調子悪いのかー?」
「ん? わかるのか?」
レンゲで盛大に炒飯をこぼしながら食っているリリスに、俺は顔を向けた。こいつの前では、今日のことは言ってないはずだが。
「まぁ、悪魔だかんね。人間の健康とかはだいたいわかんよ」
「ほう、お前にしては便利な能力だな」
今まで聞いた中で一番の能力かもしれない。俺は喉を指さすと、とんとんとリリスに見せた。
「ちょっと喉の調子がな。そんなわけで身体を温めに来たわけだ」
「喉の調子悪いのにそんな辛いもん食ってんのか……」
唖然とリリスが見つめてくるが、まったくなにも分かってないようだ。
美味いものに、身体に悪いものがあるはずがない。
「美味いもん食ってりゃ大抵のことは大丈夫だ」
思えば、喉の調子が悪くなったのにも心当たりがある。昨日の昼食、時間がないからと妥協したのだ。おかげで大したことない店に入ってしまい、人生での貴重な食事の機会を無駄にした。
「……ふっ、ふぅ……うむ、効いてるぞ」
麻婆豆腐の辛さが弱った喉を通過していく。カァとなった食道の上には、毒素などひとつも残ってないだろう。
「たまらん。豪快に行くか」
俺は残っていた麻婆を炒飯の上にぶっかけた。今回は混ぜずに、赤と黄色のコントラストを口に運ぶ。
美味い。続いて、唐揚げだ。二つしかないから、食べるタイミングでこの食事の全てが決まる。
「――美味いッ」
食べた瞬間分かった、当たりだ。衣がサクサクとして軽く、なのにしっかりと濃いめの味付けがされている。
塩など付ける必要がない。しっかりとジンジャーが効いた鶏むね肉を、俺は一気に頬張った。
そして、麻婆炒飯。これ以上はない組み合わせだ。
「ふぅ……永遠に食っていけるな」
「あんたなら本当に食ってけそうでちょっと怖いな」
グラトニーって知ってるか? と、リリスが七つの大罪のひとつを口にする。
「知らん。飯を食うことが悪いはずないだろ、常識で考えろ」
「えぇ……」
そんなことを言ったら、目の前のこいつはサキュバス様だ。色欲を司る悪魔がなに言ってやがると、俺は麻婆をかき込みながら睨みつけた。
「まぁ、あれだよ。あたしたち、お似合いってことだよ」
馬鹿を言え。悪魔と似合う人間がどこにいる。
そうこうしている内に、ついにプレートの上が空になった。残り一つの唐揚げをいつ食べたのか、残念ながら思い出せない。
「むっ」
一息ついて、俺はおもむろに喉を触った。どーした? とリリスが聞いてくるが、返事をしてる場合ではない。
じっくりと確認して、俺はよしと頷いた。
「治った」
呟く俺の身体を悪魔様が見つめ、リリスは「マジかよ」と口を開けた。
お読みいただきありがとうございます。
私事ですが、新作「剣聖の称号を持つ料理人」を投稿いたしました。相変わらず料理ものばっか書いてますが、気になった方は下のリンクから読んでいただけると嬉しいです。




