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£最終話 おひとりさまでした。

「腹が減ったな」


 もはや人生で何度呟いたか分からぬ台詞を口にする。

 仕事も何事もなく終わり、普段より帰る時間も一時間ほど早い。


 帰宅ラッシュも駅までの話で、こうして帰路に就いている夜道は平穏なものだ。


「おー、今日はちょっと早いな」


 歩いていると聞き慣れた声が左側から聞こえてきた。振り向くこともせずに、前へ向かって息を吐く。

 人間ってのは面白いものだ。どんな非日常だろうと、それが続けば普通になる。


「別に呼んだ覚えはないぞ。最近、出てくる条件が緩んでるんじゃないか?」

「ははは、いーんだよ。あたしも今じゃテキトーでいいかなと思ってきた」


 ケタケタと笑い、リリスは頭の後ろで腕を組んだ。見れば、服装は懐かしのゴスロリ服だ。

 出会った日を思い出して、俺は少しだけ目を細めた。


「お前、俺の願いを叶えるとかいうのはどうした?」


 リリスに向かって抗議する。正直、俺にとっちゃどうでもいい話だ。けれど、途中で放り出されるのも気分が悪い。

 なにせ、こっちは魂まで賭けている。


 俺の視線を受けて、リリスは考えるように空を見上げた。星を数えるような瞳は、珍しくなにかを考えているようだ。


「それなんだけどさ……やめたわ」

 

 呟きに、思わず立ち止まってしまった。

 一歩だけリリスが前を進み、俺は振り返ったリリスを見下ろす。


 なんの気もない顔だ。相変わらずの馬鹿面で、馬鹿なことを言いやがる。


 俺の視線を受け止めて、リリスは普段の表情で言い放った。


「あんたさ、あたしに惚れてるだろ?」


 時が止まる。


「…………………………は?」


 たっぷり十秒使って、俺は頭がおかしくなった悪魔娘に口を開いた。

 呆れたを通り越して目眩がしそうだ。誰が、誰を、なんだって?


 あまりの呆れ加減に固まる俺を無視して、リリスは困ったように髪を掻いた。

 息も吸えない俺の前で、リリスが腰に手を当てる。


「あたしのこと愛してるだろ?」

「いやいやいやいやいやいやいやいや」


 なにを言ってるんだこいつは。前々から阿呆だとは思っていたが、ついに耄碌してしまったのか。見た目より長く生きているらしいし、あり得る話だ。


 しかし、リリスは小さく微笑んで指を立てた。


「人間にゃ、人を愛する性がある。性欲がそうだ。毛嫌いしてる神もいるがな、悪いもんじゃねぇ。番を持って、子を成す。そうやって生物は繁栄してきた。人間だって例外じゃねぇ」


 リリスの指が、俺の胸へと向かう。とんと、音を立てるように心臓の位置を優しく突かれた。


「あんたにゃそれがねぇ。思い当たる節あんだろ?」

「い、いや。しかしだな……」


 女性関係が上手く行かないのは悩みのひとつだが、全くないと言われると首を傾げる。これでも、人並みの歳の取り方をしてきたつもりだ。

 けれど、そんな疑問はリリスに一蹴された。


「別に、欲がなくても真似は出来る」


 ぐうの音も出ない。悔しいが、こいつの言う通りかもしれない。

 だが、それならば先ほどの説明が付かない。


 悪魔にだって誓うが、こいつを恋愛の対象に見たことなどーー


「あんたは、食欲だけで生きてる」


 苦笑しつつ、リリスは困った表情を少しだけ崩した。

 次に困ったのは、俺の方だ。


「どうだ?」

「妙に納得した」


 半信半疑だが、魔界の悪魔様が言っているのだから恐らく真実なのだろう。我ながら難儀な魂をしているものだ。


 参った。確かに、そう考えるとリリスは魅力的だ。



 考えたことはないだろうか?

 下心ではない。ただただ共に食事を楽しんでくれる存在がいればと。


 考えたことはないだろうか?

 都合のいい存在を。友人ですらない、ただ、共に食べてくれるだけの存在を。


 考えたことはないだろうか?

 気を使う必要もない。待ち合わせすら必要ない。必要なときにだけ居てくれる存在を。


 考えたことはないだろうか?

 そんな存在が、出来れば可愛い子だったならと。



 幸福な、食事の時間を。



「どうだ?」

「ああ、愛してる」


 呆れたようなリリスの視線を、俺は付き物が晴れたような顔で見つめた。

 少なくとも……少なくとも、こいつと過ごした時間を俺は愛おしく思っている。


「これが、恋か」

「違ぇよ」


 リリスに諭される。どうも恋ではないらしい。

 食欲だけの男に、恋愛は不可能ということだろう。


 ぼけっと立ちすくむ俺に、リリスは溜め息をひとつ顔を上げた。


「あたしはサキュバスだ。人の願いを叶える夢幻の悪魔だ」


 知っている。だからこそ、リリスは俺の理想になれたのだろう。

 悔しいが、俺に女の好みなんてものがあるのならば、俺の好みはこいつなのかもしれない。


 なぜなら、食が進むから。


「あんたみたいな奴はな、専門外だ。あたしも頑張ってみたんだけどさ、どうもあんたの願いを叶えるのは……あたしにゃ無理みたいだ」


 寂しそうに、仕方がないというように、リリスは優しく目を細めた。

 悩んだ素振りも見せずに、リリスは俺の胸に拳を置く。


「契約不履行よ。今まで貴方から捧げられた供物の分を、私は貴方に返却しなくてはならない」


 リリスの顔が真剣なものに変わる。知っている。思い出した記憶だ。俺はこのリリスを知っている。


 確か、これが真の姿というわけでもないらしい。


「選んで。お金でも地位でも名誉でも、なんなら悠久の時間でも。悪魔の誇りにかけて、このリリスティア・タルムード・ミドラッシュが貴方の願いを叶えるわ」


 気づけば、リリスは悪魔の姿に戻っていた。

 ゴスロリが消え失せ、悪魔の体毛に、悪魔の翼。それどころか、悪魔の角は初めて見る。


 周りを見渡せば、人や車が時を止めていた。

 空中で制止している電灯の蛾を見つめ、俺はリリスに視線を戻す。


 大した力だ。あながち、魔界でも屈指の悪魔というのは嘘ではなかったらしい。


「なんでもいいのか?」

「勿論」


 即答だ。今ここで世界の半分が欲しいとでも言えば、本当に貰えそうな勢いである。

 だが生憎、そんなものに興味はない。


 リリスの赤い瞳を見つめる。


 色々食ったなぁと、今までのことがボンヤリと浮かんでは消えた。

 こいつがいなければ入れなかった店や食えなかったものも沢山ある。


 巨万の富に、永遠の命。どちらも食い気のためだけには大きすぎる代物だ。

 突然すぎるリリスからの申し出に、俺の口は自然と答えを発していた。


「保留だ」

「へっ?」


 間抜けな声。思わず口調が戻っているリリスに俺は淡々と説教する。


「大体な、契約不履行かどうかをお前の一存で決めるな」


 その通りだ。

 俺は、割と満足していた。俺の願いは、もしかしたら叶っていたのかもしれない。


 いや、恥ずかしい話だが……理由が分かった。


 こいつに、リリスに俺の願いが叶えられるはずがないのだ。


「契約続行だ。これからの契約内容の見直しについて、会議をする必要があるらしいな」

「えっ? へっ?」


 ちょうどいい。確かこの辺りに、個室で楽しめる居酒屋があったはずだ。

 一人で行くのもと思っていたが、こいつが一緒ならば行きやすい。


 歩き出した俺へ、慌ててリリスが手を伸ばす。


「早くその羽と角を仕舞え。会議をなんだと思ってるんだ」

「え? えっ、ああ……ちょ、ちょっと待てって!」


 ずんずんと突き進んでいく俺の後を、リリスは小走りで追いかけてきた。

 少し悩んで、身に纏う装いをいつものゴスロリに戻した。


 色々見たが、これが一番しっくりくる。


「あんたっ……マジかよっ!? マジでなんでもだぞっ!? こんな機会、何千年に一度だぞっ!?」

「知らん。悪魔の物差しで人間を測るな」


 こいつは、あの時間がどれだけ得難いものか分かっていない。

 それこそ金とか時間とか、そういう問題じゃあないのだ。


 俺がすべきことなど決まっている。


 貴社とは、末永く良い関係を続けていきたいものです。


「腕の見せ所だということだ」


 リリスに振り返り、きょとんとした顔に笑みを向ける。

 いつかも言ったような気がするが、俺に契約だの不履行だの片腹痛い。


 エリートサラリーマンを舐めてもらっては困る。


「さし当たって、腹ごなしは必要だ」


 どうもそこの居酒屋は、牡蠣のすき焼きが名物らしい。これは、食べる以外はないだろう。


 いつの間にか、世界は時間を取り戻していた。

 流れていく人の中で、俺たちは飯屋に向かって歩いていく。


「あんた、やっぱ変わってるよ」


 観念したようにリリスが息を吐いた。けれど、仕方がないかと苦笑する。

 なにせ目の前にいるのは食欲の権化だ。悪魔とあまり変わりない。


「今日の店はなに食えるんだ?」

「ふふふ、驚くなよ。なんとだなぁ……」


 悪魔と人間、並んで歩く。もはや歩幅も慣れたもの。

 そうこうしていれば、目当ての暖簾が見えてきた。




「いらっしゃいませー! おひとりさまですかー?」


 ひょっこりと顔を出した俺に、店員の女の子が笑顔を向ける。

 そして、後ろに続くリリスに少し驚いて目を見開いた。


「いや、二名です」


 おひとりさまでした。そう呼んでくれたまえ。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

一年半に及ぶ連載を完走できたのも読者の皆様のおかげです。本当にありがとうございます。詳しい感想は後日活動報告でお話ししようかなと思います。

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