第18話 いつもの朝に。男のウィンナー丼
「……お前、なんでいるんだ?」
目の前に座り込んでいるリリスを見つめながら俺は眉を寄せた。
けたけたと笑いながら胡座をかくリリスは、相変わらずの間抜け面でこちらへ微笑んでいる。
「腹が減ったからだよ。なんか食わせてくれ」
ぺしぺしとテーブルを叩くリリス。俺は呆れたように息を吐いた。
こいつ、本来は俺の願いがどうとかで出現しているのではなかっただろうか。ここまで来るとただの飯をたかる乞食である。
「まぁ、構わないがな。簡単なものしかないぞ」
「へへっ、大丈夫大丈夫。美味けりゃなんでもいいよ」
笑うリリスを見やって、壁の時計へと目を配る。
午前六時。早めに起きたから、出勤までの時間は十分だ。
仕方がないかと、俺は二人分の朝食を作るために台所へと向かった。
冷蔵庫を開け、中身を確認する。卵は四個、他にも使えそうなものがいくつか。
朝はあまり手の込んでないものがいい。なんとなく、朝食らしい気がする。
「なに作るんだー?」
「決まっているだろう、簡単で美味いものだ」
米は炊いている。パンを焼く必要もないだろう。
日本人ならば朝は米、決まりだ。
準備するものはシンプルにフライパンひとつ。凝った手順は洗い物を増やしてしまう。
コンロの摘みを捻ると、青い炎がフライパンに届いた。
油を垂らし、加熱されるフライパンをじっと見つめる。
「……腹が減ったな」
「おうよ」
自分で作ろうと腹は減る。油を敷いただけのフライパンに腹の音を鳴らしつつ、俺は冷蔵庫から取り出した袋を力任せに開いた。
ウィンナー。もちろん粗挽きだ。それを一本、フライパンに落としてやる。
途端、奏でられる香ばしい音。加熱具合もいい頃合いだ。
袋のウィンナーを全て落とし、次々と心地よい音が鳴り響く。
見れば、袋の中に一本だけ残ってしまった。
いけないいけないと、それもひょいと摘んでやる。
仲間の下に落としてやろう。そう思い、しかしふと指を止めた。
そういえば、聞いた話なのだが大抵のウィンナーは加熱しなくても食えるらしい。
そんな馬鹿なと思ったが、その手のウィンナーの袋には注意書きにもきちんと書いてあるそうだ。
まさかなと思い、袋を見てみる。
「うお、マジだ」
そこには確かに「そのままでもお召し上がれます」と書かれていた。
勿論、生ウィンナーなどもあるので注意は必要だが、少なくともこのウィンナーに関してはそのままでも大丈夫らしい。
「……リリス、これ食べるか?」
「ん? おお、食う食うッ! やったぜッ!」
ひょいと手渡すと、リリスは嬉しそうにウィンナーを頬張った。
もぐもぐと食べている表情からは、結構美味しそうな印象を受ける。
「どうだ?」
「うめぇっ!」
ニコニコとリリスはウィンナーを咀嚼している。しかし、正直こいつの「うめぇ」は宛にならない。
なにせ、もともと殺された豚をそのまま食べてたような悪魔様だ。それでも美味い方だったというのだから、魔界ってのは本当に美味いものがないらしい。
「……魔界、ねぇ」
リリスは自分のことを魔界屈指の悪魔だの言っていたが、それも果てしなく怪しい。そんな上級な悪魔がこんなところでウィンナーを頬張っているのだから、それが本当なら魔界の今後を憂いなければならなくなる。
「もう一本くれ」
自称魔界屈指の悪魔様は、あきれ果てるほどの間抜け面で追加のウィンナーを所望していた。
◆ ◆ ◆
「ほら、完成だ」
どんと、テーブルの上に丼を置いてやる。
乗せられた朝食にリリスの顔が輝いた。
「おおお、うまそうじゃんか」
「当たり前だ。誰が作ったと思ってるんだ」
フォークをリリスに渡してやりながら、俺もやれやれと腰を下ろす。
料理は嫌いではないが、片づけまでを含めると好きでもない。
けれど目の前の完成品を見下ろして、それでも俺はほくそ笑んだ。
「男のウィンナー丼だ」
「あははー、あたし雌だけどなっ」
リリスの的外れな笑いを無視して、暖かな朝食に目を下ろす。
ほかほかの白飯の上に、所狭しと丼の具が乗っていた。
男飯らしくシンプルなものだ。
メインはウィンナー。焦げ目が付くまでしっかりと焼いた大きめのものが四本。
そこに目玉焼きと、千切った海苔。不味いはずがない。
「まず箸で目玉焼きに穴を空ける」
「ん? お、おう」
さっそくガッツこうとしていたリリスに、日本の食卓のマナーを叩き込む。箸でぷつぷつと穴を空けると、とろりとご飯に黄身が流れていった。
卵かけご飯にも言えることだが、醤油の通り道を作っておくのは重要だ。黄身と醤油と白飯が上手に混ざって、そこで初めて真価が発揮される。
軽く垂らせば、海苔にもいい感じに醤油が染み込んでいった。絶対美味い。
ただ、量は程々にするのがいい。ウィンナー自体に塩気があるからだ。
「では、頂きますか」
箸でウィンナーを掴み、口へと持って行く。
まだ熱々だろう。大事を取るなら丼の上で半分に割るべきだが、ここは直接ガブっといきたい。
口内への熱さを覚悟して、俺は前歯を噛みしめた。
「……うむっ!」
張り裂ける。焼いた甲斐があった。ぱりんと、心地よい音とともにウィンナーが弾け飛ぶ。
途端、あふれ出す肉汁。丼の中に落ちる。危ない、テーブルを汚すところだった。
美味い。
焼き肉やステーキもいいが、こういうのもいい。
計算され尽くした味付け。ほどよい塩気に加熱でとろけた油。
なにより、このパリパリの皮だ。こんなのどこの部位を食べても味わえない。
ウィンナーだ。加工されているウィンナーだからこその美味しさだ。
「うまいなっ! さっすがあっ!」
「ふふふ、よせやい。照れるぜ」
リリスもこれにはご満悦だ。そういえば、シュラスコのときもウィンナーは気に入っていたな。
熱いのかふーふーと唇を尖らせているリリスを微笑ましく見つめながら、俺は目玉焼きと白飯をかき込んだ。
「うむ、これも美味い」
不味いはずがない。卵かけご飯もいいが、目玉焼きご飯はこれはこれで別の美味しさがある。
特に、白身の端のぱりぱりした部分。これが美味い。
黄身も、半熟よりも少しだけ硬め。ねっとりとした舌触りだ。
そこに醤油と白飯が絡むのだからもう。
日本人は美味しいものに目がないとはいうが、謎の信仰心のようなものを持っているように思う。
そのひとつが生信仰ではないだろうか。
寿司もそうだが、肉も、生が美味いだろうという思っている節がある。
別に構わない。実際生魚の寿司は旨いし、肉だって刺身で食えるなら嬉しいものだ。
しかし、火を、加工技術を舐めてはいけない。
加熱によって引き出される美味しさは確かにあるのだ。俺は炙りの寿司も好きである。
断言するがウィンナーは加熱するのがやっぱり美味い。
「そういえば、あんたって何か夢とかないのか?」
ウィンナー丼に舌鼓を打っていると、口元に米粒をつけたリリスがもぐもぐとこちらを見てきた。
突然の質問に眉を寄せるが、世間話だろうと鼻で返す。
「なんだ? また願いを叶えるお仕事かなんかか?」
飯をねだりに出てきているくせに、今更願いもないものだ。
事実、一緒に飯を食うという俺の望みは現在進行形で叶っているのだから。
「深く考える必要はないぞ。俺も最近は、自分以外と飯を食う楽しみも分かってきたところだ」
「まじか、成長したな」
驚いたようにリリスが目を見開く。少々引っかかる物言いだが、こいつの言わんとしていることも分からなくはない。
以前の俺は、とにかく孤独を愛していた。
誰にも邪魔されない、誰からも制限されない、自分だけの時間。
勿論、今でもそんな時間を愛している。
けれど、それだけでは限界があるのだ。
「お前を上手く利用するとな、一人だと食いにくいものが食べられるんだ。ほどよく話し相手にもなるしな」
「あー、うん。いやでも随分マシになったよ、うん」
リリスはどこか苦笑しつつ頷いた。
こいつは便利だ。基本必要ないときは出てこないし、変に俺の生活に入ってくることもない。
詩織との食事は確かに楽しい思い出だが、結局最後はあんな結末を迎えてしまった。
要は、求めているものがお互い違ったのだ。
「俺はただ一緒に美味い飯を食って欲しいだけだ」
そう、それだけだ。
悪魔の少女は、そんな俺の願いを受けて、どこか切なそうに目を細めた。
それはそうかもしれない。リリスは魔界の悪魔様だ。
どれだけ落ちこぼれだろうが、人の願いを叶える悪魔様だ。
その力を、ただ飯を食うだけに使っている。
「まあ、あたしもうまいもんは好きだけどさ」
最後のウィンナーをリリスはパクリと口に咥えた。
ぱきりとウィンナーが弾け、心地いい音が部屋に響く。
口元の米粒を見つめながら、俺は腕時計を確認した。
そろそろ出なければならない。
しまったなと思いながら、俺は丼をかき込んでいく。せっかくの熱々も、人肌程度に冷めていた。
これが、孤独を逃れた代償だろうか。
悪くはない取引だと、俺は卵とウィンナーを同時に頬張る。
冷めても美味い。
「ふぅ、ごっそさん」
理由を考えている暇は、どうやらなさそうだ。
お読みいただきありがとうございます。
明日の更新で最終回を迎えます。もうしばらくお付き合いいただければ嬉しいです。




