表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/46

第16話 駆け下りた先で。安納芋の石焼きいも

 小腹が空いていた。


 腹はいつも空いているわけだが、今日はちょっといつもと違う。


 小腹が、空いていた。


「ふむ……」


 パソコンの画面から目を離し、椅子の背に体重を預ける。

 壁の時計を見れば午後三時。これでもかっていうくらいにおひる時だ。


 少しだけ仕事に使う資料を整理しようと思ったが、休日にも関わらず没頭しすぎたようだ。昼を食べてからもう三時間も経っている。


「よし、終わるか」


 これ以上は際限がなくなりそうだ。せっかくの休日だし、ここいらで休みを堪能したいところである。


 ひとまず、この微妙な腹具合をなんとかしなくてはならない。


「うーん、なにか買っておけばよかったな」


 昼に食べるものがあったから油断していた。やはり摘めるものは常に置いておくべきだ。


 出かけるべきか。しかし、わざわざ遠出するのも億劫な自分がいる。


 そんなときだ。俺の耳に、女神の福音が聞こえてきた。



『いしや~きいも~』



 がたりと、椅子から立ち上がる。


「こ、こうしちゃおれんッ!」


 石焼きいも。石焼きいもだ。なんてタイミングで来やがる。

 ほっこりと焼き上がった黄金色の石焼きいも。これしかない。


「財布、財布はっ!?」


 探す。しまった、コートのポケットだ。こんなときに。

 コートを部屋着の上から羽織り、俺は財布を掴みながら玄関へと飛び出した。


 耳を澄ます。大丈夫だ、まだ近くにいる。


「急げ急げ」


 ほんと、なぜ石焼きいもの親父はせっかちなのか。どうせなら、十分くらい止まってくれてればいいのに。

 予想よりも早く遠ざかっていく車の音に、俺は焦りながら家の鍵をかけた。


「下りなら、階段のほうが早いな」


 チラリと廊下の先のエレベーターを見やる。最上階まで上がっているようで、これならば階段のほうが早そうだ。


 最近身体が鈍っていたしちょうどいい。

 俺は駆け下りながら、踊り場の折り返しをカーブした。


(1秒でも早く! インを攻める!)


 そのときだーー


「うおっ!?」


 靴底がずりりと踊り場の床の上を流れーー


「ちょっ、まっ!?」


 俺は、踊り場の壁に突っ込んだ。


「ぐ、ぐおぉおおお……ッ」


 身体中を、鈍い痛みが駆けめぐる。


 痛い。久しぶりだ、こんな痛み。


 肩と足、ぶつけたのか背中も痛い。


「だ、誰か……ッ」


 しかし、ひとまず身体はどうでもよかった。



『いしや~きいも~』



 行ってしまう。俺の石焼きいもが行ってしまう。


「ま、待ってくれ。行かないでくれ」


 追わなければ。しかし、立ち上がろうとするも身体のいうことがきかない。


 ここまでなのか。俺は、焼きいもひとつ買うことができないのか?


 神に祈る。もしも居るというのなら、助けてくれ。


「俺に、俺に石焼きいもを……ッ!」


 手を伸ばす。すぐそこ。あと、ほんの少しなのに。

 その願いが、天に届いた。



「……なにしてんだ?」



 呆れた顔で俺を見下ろすリリスの顔に、俺は伸ばした拳を握る。




 ◆  ◆  ◆




「いやぁ、まさかお前が天使に見える日が来るとは」

「やめてくれよ。悪魔に向かってよ」


 数分後、ホクホク顔の俺の横で、リリスは眉を寄せて俺を見上げた。


「お前に金の使い方を教えておいて正解だったな。犬猫よりは役に立つ」

「ほんと、すげーよなあんた。世が世なら心臓もぎ取ってるぜ」


 ぶつくさ片眉を上げるリリスに、まぁそう言うなと右手を見せる。

 そこに下げられた紙袋に、リリスはくんくんと鼻を鳴らした。


「言われるままに買ったけどよ、そりゃなんだ? うまそうな匂いしてんな」

「ふふふ、美味いぞぉ。苦労して買ったからな。なお美味いはずだ」


 結局、随分と先まで走ってしまった。リリスが健脚だから間に合ったが、歳を感じ始めた俺では間に合わなかっただろう。


 まぁ、ゴスロリ姿の美少女が全速力で疾走する姿は人目を引いたが、その先に石焼きいも屋がいたことだし、大した噂にはならないだろう。食い意地の張った美少女が全力疾走してるだけだ。


「家まで我慢できんな。冷めないうちに食っちまうか」

「おー、あたしにも一個くれよ。ちゃんと二つ買ったんだぜ」


 誉めろよと言わんばかりのリリスの笑顔に、俺もよくやったと頷いてやる。初めの頃を考えれば、多少は使えるやつになったものだ。


 褒美を与えねばなるまい。俺は、紙袋から紫色の戦利品を取り出した。


「じゃじゃーん! どうだ、焼きたてだぞっ!」


 リリスの目の前にかざし、見せつけてやる。

 持っている手がやけどしそうなほどの熱々さ。やはり焼きいもはこうでなくては。


 しかし、紙袋から取り出された焼きいもを、リリスは複雑そうな表情で見つめていた。


「……えっ、なんだその紫色の。芋?」


 俺の右手を見て、不服そうにリリスは眉を寄せる。

 どうも紫色の色が珍しいらしい。確かに、知識がないと気味が悪い色ではあるかもしれない。


「そうだ、サツマイモ。こんな色だが毒なんかはないぞ」

「いや、別にそこはいーんだけどよ。……えっ、マジで芋?」


 目を見開くリリスに、立ち止まって振り返る。なにをこいつはぐちゃぐちゃ言ってるんだ。


「そりゃ芋だよ。サツマイモ。焼きたてだぞ?」

「焼きたてって……えっ、マジで焼いただけの芋?」


 不満たらたらのリリスの表情を見て、俺もようやく合点がいく。

 ようはこいつは、焼きいもそのものが不満らしい。


「あんだけ走ったのに、ただの芋?」

「ふふふ、なるほどな。……なるほどなるほど」


 これは俺も盲点だった。

 怒る気はおきず、哀れな悪魔を俺は見つめる。


 肩をポンと叩いて、俺は勝ち誇った顔でリリスを見つめた。


「まぁ、ただの芋だよ。うん、ただの焼いた芋だ」

「……なんだよ、その勝ち誇った顔はよ」


 怒った表情のリリスを宥めながら、俺は焼きいもをリリスに渡す。

 受け取りながら、リリスは熱さに声を出した。


「熱ッ!? ちょ、熱いッ!?」


 あたふたと焼き芋でお手玉するリリスの前で、俺はもうひとつの芋を袋から取り出す。


 ふたつとも、かなり大ぶりの芋だ。焼きいも屋の親父め、綺麗な女にはデカいのを渡しているに違いない。


 レクチャーするように、俺はリリスの前で口を開けた。


「騙されたと思って食ってみろ。人間の偉大さがわかる」


 そのまま、俺は皮ごと焼き芋にかぶりついた。


 歯に当たる、熱々の感覚。それを無視して、大口で噛みちぎる。


「おっ、ほっ、ほほっ」


 その瞬間だ。口の中に、幸せの福音が鳴り響いた。


「う、美味い」


 口の中に広がる自然の甘さに、俺は思わず唸ってしまう。

 美味すぎる。ちょっと驚いて、俺はもうひとくちを口に運んだ。


「こ、こいつぁ」


 ねっとりとした食感。舌にまとわりついてくる。繊維質がほのかに残りながらも、まるでペーストしたかのような舌触り。


 そしてこの甘さ。はっきり言って、スイートポテトのようだ。これが自然のものを焼いただけの甘さだというのか。


 リリスに勝ち誇っておいてなんだが、ここまでとは思わなかった。実は焼き芋の形を模した、スイートポテトなんじゃなかろうか。


 紙袋を見やり、そこに書かれていた文字に息を吐く。


「あ、安納芋か。噂に聞いていたが、美味いもんだな」


 通りで値が張ると思った。しかし、値段以上の味と言える。


「美味い。ケーキだなこりゃ」


 正直、そこらへんの芋のプリンだのケーキだのの何倍も美味い。これが砂糖なしの味だというのだから、凄い時代である。


「……う、うめぇ」


 案の定、目をパチクリと開けて呆然としているリリスに、俺は「どうだ?」と視線を送った。


「いや、すげーうまい。なんだこれ、ほんとに芋か?」


 むしゃむしゃと焼き芋をパクつきながら、リリスは不思議そうな顔で安納芋を見つめる。

 俺でもびっくりしたのだ、魔界の悪魔さまにはさぞ衝撃的だっただろう。


「芋だよ。正真正銘、ただの芋だ。しかも焼いただけ。砂糖なんて使ってないぞ」


 俺の説明に、リリスが「嘘だろ」と目を見開く。その顔に気をよくしながら、俺は人類の英知にかぶりついた。


 甘い。とんでもない甘さだ。だが、どこか優しく懐かしい感じがする。


 皮まで美味い。俺は焼き芋は皮ごと食べる。婆ちゃんがそうだったからだ。


「食物繊維が豊富で、身体にもいい」

「ほぇー、そりゃすげぇな。完璧だ」


 半分以下になった芋をかじりながら、リリスは適当に相づちを打つ。

 芋の甘さを堪能しながら、俺はリリスに説明してやった。


「魔界には、ここまで美味い芋はないだろう」

「そりゃあな。てか、初めて食べたよ。芋自体は食ったことあったけどな。どうなってんだ」


 ぺろぺろと指を舐めながら、リリスはこちらに顔を向ける。リリスにしても興味があるらしい。それだけ、この焼き芋は世の理から外れているということだ。


「品種改良という技術だ」

「ひんしゅかいりょー?」


 リリスの返事に頷きながら、簡単に説明してやる。


「美味い食い物を作り出す技術だ。調理って意味じゃないぞ? 食材の段階から、美味いものを作り出す」

「すげぇな。神の野郎もそこまではしねー」


 ケタケタと笑いながら、リリスは愉快そうに目を細める。その表情にどきりとしたものを感じながら、俺は手の中の芋を見つめた。


 神をも越えた、味。


 俺たちは、なにを口に入れているのだろう。もしかしたら、この焼き芋はとんでもないものなのかもしれない。


「俺もよくは知らないがな。甘い芋と甘い芋を掛け合わせ続けて、より甘い芋を作っていくんだ」

「ははは、そりゃ気の長い話だな。やっぱり人間ってやつはおもしれー」


 リリスの返事に、俺は最後のひとくちを放り込んだ。


 美味い。ただただ、美味い。


「食い意地張ってるよな、人間」

「あんたは特にな。まぁ、あたしもそーだし、みんなそーさ。アダムのやつなんて、食べちゃダメって言われてた実を食べちゃったんだぜ」


 楽しそうに笑うリリスの声を聞き、俺は遠いご先祖様を思う。


「じゃあ、いっかぁ」


 どうせ食べるなら、美味いほうがいいだろう。




お読みいただきありがとうございます。

ついに本日、おひとりさまでした。第一巻の発売です。お持たせしました。これからも、リリスと誠一郎ともどもどうぞよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 安納芋は紫の皮じゃないって所だけきになるって書こうとしてけど なんか気になって調べたら 紫に近い紅色の安納紅って品種も安納芋でした 自分が想定した安納芋は安納こがね 安納こがね、安納紅の二つ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ