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第15話 終電までに。風変わりな鯛飯とじゃこカツ

 田舎、なのだろう。空気が綺麗だ。

 赤くなる空を見上げながら、俺は深呼吸をひとつ、胸を膨らませた。


 磯の香りに、長閑な山々。それしかない。


「それにしても、なんもないやね」


 呟きながら、俺は電車を待つホームでひとり佇んでいる。寂れたホームだ。ベンチのペンキは剥げていて、掲示板の端も茶色く錆び付いていた。


 長閑な時間といえば聞こえはいいが、実際のところは待ちぼうけである。時刻表の数字を確認し、腕時計を見て、溜め息を吐いた。


 三十分後。次の電車までの待ち時間だ。待てないことはない時間だが、都会のダイヤに慣れた身としては溜め息も出るというもの。


「仕事でないなら、絶対に来ないな」


 ベンチに背を預け、夕日を見つめる。水平線に見える赤い陽が綺麗に揺れていた。これだけが救いといえば救いだが、こんなもの、二分も見れば飽きる。

 安易に田舎の良さを説くものもいるが、利便性はいかんともしがたい。老後は田舎でゆっくりなどと言うが、老人にこそ行き届いたサービスが必要だ。


 シャッター街となってしまった故郷の商店街を思い出しながら、俺は陰鬱な気分に再び息を吐いた。

 このままでは人生でもっとも無駄な三十分を過ごしてしまう。そんなことを考えて、俺は視界の端に映る赤い暖簾に気がついた。


「……酒か」


 赤のれん。居酒屋だろう。大手のチェーンなどではない、地元の漁師の方々も利用しそうな、こじんまりとした店だ。

 仕事は終わったのだから、飲んでも別に問題はない。時間もまだ五時。いくら終電が早いといっても、十時まではあるようだった。


 本数の少ない電車も、言い換えれば一時間に一本はあると言える。時間をメモして飲めば、上手に時間を潰せるかもしれない。


「まぁ、仕方ありませんな」


 これは仕方ない。夕方から酒などこれっぽっちも飲みたいわけではないが、これは仕方がないと言えよう。

 そう思えば、目の前の水平線も幾分かは楽しげに見えてきた。鼻を鳴らせば嗅げる、磯の香り。焼き魚に、聞いたことのない名前の貝、想像も膨らむというもの。


「ぐびりといきますかね」




 ◆  ◆  ◆




「ふむ……」


 赤い暖簾の前で、俺は中から聞こえてくる喧噪に耳を澄ませていた。

 まだ五時だというのに、やけに騒々しい。常連だろうか。


 流行ってはいるみたいだが、どうしたものかと腕を組む。この田舎で、常連だらけの店。居心地が良いかは分が悪い賭けに思える。

 だが、他に選択肢がないのも事実。辺りを見渡しても、この店以外に暇を潰せるところはなさそうだ。


「どうした? 入らねーのか?」

「いや、どうも常連の……って、やけにあっさり出たな」


 傍らに聞こえた少女の声に目を向ける。ゴスロリ姿のリリスがきょとんとした顔で俺のほうを見上げていた。


 いいかげん、こう何度もだと慣れるというものだ。突然の出現にも驚かなくなっている自分がいる。


「まぁいいや、入ろうぜ。おじゃましまーす」

「あっ、こらっ!」


 音を立てながら、やや引っかかりのある引き戸が開けられる。

 笑顔で店内に突入していくリリスの背中を見ながら、俺はやれやれと息を吐くのだった。


「ほぅ」


 中に入ると、そこには顔を真っ赤にした男が三人、不思議そうな表情で俺とリリスを見つめてきていた。

 カウンターの奥にいるのが店の主人だろうか。そちらも、客との会話を止めてリリスに瞳を向けている。


 当然だ。店内は、木造丸出しのレトロな雰囲気。煤汚れた壁なんかが、これ以上ないほどの雰囲気を醸し出している。

 ときたま、俺のような観光客崩れがふらりと立ち寄ることはあるだろうが、リリスのような少女が足を踏み入れることは皆無だろう。


「おっ、空いてるじゃんっ。あははー! 空いてたぞー!」


 一同の不思議そうな視線に見送られながら、リリスはお構いなしに奥のカウンター席へと歩いていった。ちょうど、二人で座れるだけの空きがあったようだ。

 先にちょこんと腰掛けたリリスを見やって、俺はいよいよ覚悟を決めた。


 ここまでくれば、食べないというわけにもいかないだろう。




 ◆  ◆  ◆




「……色々あるな」


 カウンターに置かれたメニューを手に取り、眉を寄せる。これまた色あせしたメニューだが、書かれている分はちゃんとあるのだろうか。


 写真がないことを確認したリリスは早々にメニュー選択の権利を放棄したので、ここは俺がびしっと選ばないといけない。


「んー、分からん」


 無難なメニューもあるにはあるが、ここまで来たのだから変わったものを食べたいものだ。さて、どうしよう。


「にぃちゃん、ここに来たなら鯛飯は食わないと嘘だよ」


 そうやって唸っていると、突然声をかけられた。驚いて振り向けば、やけに日に焼けたおっさんがそれでも真っ赤な顔で笑いかけてきている。


「地元の人じゃないだろ? 観光かなんかかい?」

「ああ、はい。仕事で、ちょっと」


 俺が答えると、満足そうにおっさんは「そうかい」と頷き、手の日本酒をぐびりと呷った。


「トシちゃん、にぃちゃんに鯛飯だしてやりぃな。俺が出すけん」


 おっさんの一言に、トシちゃんと呼ばれた店長が返事をする。突然の申し出に俺が焦って声を出そうとすると、それはおっさんの振り向いた視線に殺された。


 いいからいいからと、おっさんはお猪口を店長から貰うと俺のほうへと差し出してくる。一杯付き合えということだろうか。


「そっちのお嬢ちゃんはジュースかな?」

「なんだおっさん、失礼なやつだな。あたしのほうが年上だぞ」


 おっさんの言葉に、リリスがむぅと頬を膨らます。一瞬どきりとしたが、おっさんは笑ってリリスの前にもお猪口を置いた。


「まぁ一杯やりねぇ」

「あ、すみません」


 とぽりと注がれる日本酒に、つい頭を下げてしまう。完全にお猪口から溢れてテーブルに漏れてしまっているが、おっさんはそんなことは気にしない。


「仕事って言ってたな。にいちゃん、そっちのお嬢ちゃんのマネージャーかなんかかい?」

「へっ?」


 ぐびりと日本酒を煽るリリスを見つめながら、おっさんは質問を聞いてきた。あまりに予想外な質問に、素っ頓狂な返事をしてしまう。


「その子、アイドルかなんかだろ? すまないね、若い子の番組は見てなくてね」


 そこでようやく、俺はおっさんの勘違いに気がついた。おっさんは、リリスのことを芸能人かなんかだと勘違いしたらしい。

 リリスの無駄にいい容姿と馬鹿みたいな衣装を見れば、おっさんの勘違いも致し方ないといえる。


「い、いえ。そういうわけでは……」

「なー、アイドルってなんだー?」


 リリスにシャツを引っ張れれ、俺はどう答えたもんかと困ってしまった。本当のことを言うわけにはいかないし、プライベートな関係だと言っても、それはそれで問題がありそうだ。


「しゃ、写真集の撮影で……」

「おお、やっぱりか!」


 考えた挙げ句、俺はごまかし通すことに決めた。

 こうして俺は、新人アイドルのマネージャーに就任した。




 ◆  ◆  ◆




「ふはははっ! 人間どもよっ、恐れおののくがいいっ! あたしが魔界一のサキュバス、リリスさまだー!」

「いよっ、にっぽんいちっ!」


 俺は、頭痛がしてきそうな頭を抱えて、深く溜め息を吐いていた。

 なぜか店内ではリリスのワンマンショーが開かれていて、おっさん共が声援を送っている。リリスもノリノリだ。


「いやぁ、リリスちゃん可愛いねぇ。写真集、出たら買わせてもらうよ」

「あ、はい。ありがとうございます」


 主人の気さくな笑顔にお礼をいいながら、永遠に出版されないであろう写真集に良心の呵責を感じてしまう。


「都会のほうからでも、釣りに来る人はたくさんいるんだけどね。芸能人の子は初めて来たよ」


 どうしてこんなことに。そんなことを考えてしまうが、後の祭りだ。とりあえず酒でも飲もうと、俺はぐいっとお猪口の中身を飲み干した。


「そうそう、鯛飯。はい、リリスちゃんの分もね」


 そうこうしていると、目の前に白飯の入った茶碗が差し出された。

 一瞬、意味が分からずに主人の顔を見つめる。

 しかし主人は慣れたように、そのまま茶碗の横に、もう二皿ほど並べていく。


 見てみると、どうやら刺身とタレのようだ。刺身は、鯛だろうか。薄ピンク色の身に刻み海苔が美味しそうだが、生卵の落とされたタレのほうがやや気になる。


「ここらへんで鯛飯っていうと、これなんですよ」


 主人がジェスチャーで食べ方を教えてくれる。全部かけて混ぜろということらしい。言われたとおりに、俺は鯛の刺身を茶碗の上に並べていった。


 丁寧に並べ、白飯の中心を箸で窪ませる。そこに、卵を溶いたタレ汁を流し込んだ。

 軽くかき混ぜると、なるほど、いい感じの見た目だ。行儀が良いかはともかく、不味いはずはない。


 いきなり飯ものというとアレだが、せっかくの奢りだ。ありがたく頂こう。


「いただきます」


 奢ってくれたおっさんに会釈をしながら、俺は風変わりな鯛飯に口を付けた。

 ずぞぞぞっ。音も気にせず、卵と米、そして鯛の刺身を同時に頬張る。


「……美味い」


 思わず口に出た俺の言葉に、おっさんもにこりと笑う。

 しかし、美味い。想像通りの味だが、予想以上だ。そもそも鯛が美味い。


「いや、美味いなこれ」

「うめぇー!!」


 感心していると、リリスも横で叫び声をあげる。外国人な見た目のリリスに鯛飯が受け入れられて、おっさん達もうんうんと頷いた。


 はっきり言ってしまえば、漬け丼に近い。けれど漬けてない分、より刺身の繊細な味が分かる気がする。

 甘めのタレに、卵の黄身。刺身は醤油とわさびで食うものだと思っていたが、なるほど、米と一緒に食うならこちらが正解だ。


 漁師飯というやつなのだろうか。海苔の風味も良く、ついつい完食してしまった。なくなった茶碗に、主人がどうしますかと聞いてくる。


「珍しいものって他にもありますかね?」


 そんな俺の注文に、主人はこくりと頷いた。




 ◆  ◆  ◆




「なんだこりゃ」


 出てきた品物に、俺は思わず眉を寄せた。リリスも、不思議そうな顔でのぞき込んでいる。


 目の前の皿には、なんというか、小さな亀の手のようなものがたくさん盛られていた。

 ご丁寧に、ちょこちょこと緑色の指が付いている。


「これは?」

「カメノテですよ」


 主人の返しに、ぎょっと皿を見返した。そんな俺の挙動に笑いながら、主人が「大丈夫ですよ」と説明を加える。


「亀の手みたいでしょ? だからカメノテって言うんですよ。貝の種類なんですけどね。こうやって手のひらを押さえてやると……」


 主人が手のひらっぽく広がっている部分を指で押すと、ぶるんと中から身が飛び出してきた。指の部分は綺麗に取れて、確かに中身は貝のようだ。


「おっ、結構いける。美味いな」


 俺も見よう見まねで中身を取り出して、口に運ぶ。噛みしめると、コリコリとした食感が歯に当たった。貝の種類というのも、食べてみればなるほどといったところ。

 ほんのりとした塩気が、美味い。衝撃的な美味しさではないが、ついつい手が伸びてしまう味だ。酒のあてにはちょうどいい。


「なんか変な味……」


 見ると、先ほどの鯛飯とは違い、リリスは首を傾げていた。周りのおっさんも主人も、そんなリリスを見て笑っている。

 失礼ともとれる台詞だが、もとより珍味だ。うげぇと顔をしかめるリリスの前に、主人がことりと皿を置いた。


「リリスちゃんには早かったかな。これ、おいちゃんの奢りね。はい、マネージャーさんも」


 そのままの流れで、俺の前にも皿が置かれた。見下ろせば、きつね色にこんがりと揚がった小判型の揚げ物。

 美味そうだが、なんだろう。刺してみれば、思った以上にすんなりと箸が通った。コロッケだろうか?


 持ち上げ、ひとくち噛じりつく。サクっとした衣の下に、熱々の中身あった。


「……うん、美味いっ」


 思わず口に出るが、正体が分からない。ふんわりとした、魚の風味。つみれや肉団子のような。中に野菜も混ざっている。


「じゃこカツっていいましてね。最近の名物なんですよ」

「うめぇ! これはうめぇっ!」


 リリスも気に入ったようで、もしゃもしゃと口一杯に頬張っている。熱いのによくやるものだ。


「じゃこカツですか。ああ、そういえば、じゃこ天なら食べたことありますね」


 愛媛のじゃこ天といえば有名だ。魚のすり身を揚げた練り物。居酒屋で何度か食べたことがある。

 それをカツにしてみたということだろうか。しかし……。


「んっ……やっぱ美味い」


 もうひとくち。やはりそうだ。じゃこ天と違って、随分と食べやすい。

 こう、なんというか、そこが良さでもあるのだろうが、じゃこ天は舌触りに癖があるのだ。

 魚の骨ごとすり身にするものだから、どうしてもザラついてしまう。このじゃこカツにはそれがない。単にじゃこ天に衣をつけただけではないということだ。


 ふんわりと柔らかな魚のつみれの中に、刻まれた野菜。そこに少しばかりのスパイス。美味い。衝撃的な美味さだ。


「おかわりー!」


 隣で勝手におかわりを注文しているリリスの気持ちも分かるというもの。それほどに美味い。

 サクサクとした衣に、魚のすり身。言ってしまえばそれだけなのだが、肉のカツにはない旨味だ。ミンチカツとも勿論違う。


「すみません。僕ももうひとつ」


 これはいいものを教えてもらった。主人に追加を注文し、空になった日本酒もついでに頼む。

 時計を見れば、また一時間後にしなさいと言ってくれていた。




 ◆  ◆  ◆




「はい。じゃあ撮りますねー!」


 パシャリと、主人のデジカメのフラッシュが光った。

 なんでこんなことになっているのだろうという疑問を空の彼方に、おっさんに囲まれながらぎこちない笑顔を作る。


 真実を言える雰囲気でもなく、リリスは色紙にサインまで書いていた。不格好なひらがなで「りりす」と書いている。というか字書けたのか。


「ふはははー! 人間どもよ、この契約書を交わしたからには、この店はリリスさまの直轄地だー! ひれ伏すがいいっ!」

「いよっ、にっぽんいちっ!」


 もはや宴はどんちゃん騒ぎに発展していて、俺の目が確かならばスカートから尻尾がはみ出して見えてしまっている。けれど、おっさんの誰もそのことを気にしていない。


「……まぁ、いっか」


 しかし、サインを掲げて楽しそうにしているリリスを見ていると、そんなことは俺もどうでもよくなってきた。

 考えてみれば、アイドルなんか目じゃないくらいに珍しい存在のサインだ。御利益があるとは思えないが、魔除けくらいにはなるだろう。


 だがまぁ、そろそろ時間だ。終電までには帰らなければならない。



「ご主人、お会計」


 時計は見なくていい。こいつがいれば、夜のベンチもそれなりに退屈ではないだろうから。


お読みいただきありがとうございます。

おかげさまで「おひとりさまでした。」の第1巻が2月3日に発売されます。詳細を活動報告にて書いておりますので、気になったかたは是非。

ただ食ってるだけの当作品がここまでこれたのも、読者の皆様のおかげです。これからも頑張って参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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