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第10話 憂鬱な雨の日に。専門店の牛タン定食 (前編)


 地面を打つ音を聞きながら、俺は暗く淀む空を見上げた。


「しまったな。降ってきたか」


 俺にしては珍しく、天気予報をチェックするのを忘れていた。昼辺りから雲行きが怪しくなり、夕方を越えたらこの通りだ。


 粒の大きい雨粒に辟易しながら、俺は先ほど買ったビニール傘をワンタッチで広げる。透明なビニールの向こうに、濁った水たまりが透けて見えた。


「あーあ。こりゃあ、だめだな」


 一歩踏み出した瞬間、びちゃりと靴の裏に嫌な感触が過ぎる。

 傘を差しても、足下まではカバーできない。せっかくの革靴が黒く濡れてしまったのを見て、俺は深く息を吐いた。


「……タクシーで帰るか」


 頭を掻いて、ひとまず建物の陰に移動する。無闇矢鱈に出費をかさますのもどうかと思うが、靴とスーツのことを考えれば素直に払ったほうが吉だろう。


 雨は何とも気分を憂鬱にさせてくれる。好きな人もいるだろうが、俺は素直に面倒くさい。


「乗り場までは仕方ないか」


 道の向こう側に見えるタクシー乗り場に、俺は重い足取りで歩き始める。

 正直、俺はタクシーが苦手だ。別に嫌ってほどではないが、運転手の世間話につき合うのが億劫に感じる。この前なぜか血液型を聞かれて、正直に応えたら「えー、見えませんねぇ」と言われた。お前が俺の何を知っているというのだ。


 無口な運転手に当たることを祈りながら、俺は止まっているタクシーに近づいていく。近づく俺に運転手が気がつき、俺は傘を持ってない左手を軽く上げた。


 扉が開き、俺は車内に乗り込み一息つく。傘を丸めながら、俺は自宅の場所を口に出した。


「なー。今日はどこに食べいくんだー?」


 その瞬間、運転手がびくりと肩を震わせる。ちらりと後方を確認して、不思議そうに首を傾げた。


「……はぁ」

「なぁなぁ。何食うんだー?」


 袖を引っ張ってくるリリスに溜め息を吐きながら、俺は座席に深く腰掛ける。タクシーはすでに走り始めていて、このままでは自宅に向かってしまうからだ。


「今日は家にあるものですませようと思っていたんだが」

「えっ? 大丈夫か? 熱でもあるのか?」


 俺の発言に、リリスが心配そうに顔を覗き込んできた。俺だって自炊もすればコンビニ弁当だって食う。雨の日は、飯を食いに出るのも億劫だ。


「ちなみに、お前の分はない」

「ひ、ひでぇ」


 リリスを見れば、いつも通りのゴスロリ服がふりふりと揺れている。この前買った服はどうしたと見つめる俺に、リリスはあっけらかんと言い放った。


「いや、濡れると嫌だし」

「ああ。なる、ほど?」


 リリスの言葉に首を捻る。ごもっともな意見のようで、やはりよく分からない。濡れた服くらい乾かせそうなもんだが。


「あたしにだって、出来ることと出来ないことがあるんだぜー。天気なんかは管轄外さ」

「ほぅ。お前にも出来ることがあるのか。初耳だな」


 俺の台詞に、リリスが苦々しく眉を寄せた。むぅと頬を膨らまして、ぷいっと外へと視線を向ける。


「はは。まぁそう膨れるな。お前も来たことだし、何か食べにいってもいい気になってきた」

「ほんとかっ!?」


 俺の提案に、リリスが嬉しそうに振り返った。この悪魔様は、気分の移り変わりが単純で助かる。

 タクシーが赤信号で止まったのを見て、俺は運転手に話しかけた。


「運転手さん、ちょっと行き先を変更したいんですが。いい飯屋知りません?」


 これも何かの縁だ。タクシーの運ちゃんは美味い店をよく知っているという話は、あながち間違いでもないだろう。知らない店を開拓するというのも楽しいものだ。


「ご飯ですか? うーん、そうですねぇ。何か食べたい感じのものありますか?」


 運転手はひとしきり悩んだ後、俺にある程度的を絞るように言ってきた。確かに運転手の言う通りなので、俺は傍らのリリスに目線を送る。


「おい、何か食いたいものあるか? 肉とか魚とか」

「肉っ!!」


 叫ぶリリスに、聞いた俺が馬鹿だったと息を吐く。まぁ、とは言うものの俺も肉な気分だ。

 いい感じの焼き肉屋かステーキ屋でも知っているかもしれないと、俺は再度運転席へと顔を向ける。


「聞いた通りでしてね。何か美味い肉が食えるとこありませんか?」


 美味い肉。このキーワードで検索された店に大きな外れもないだろう。ありきたりだが強力な一撃だと、俺は運転手の返答を軽く待った。


 しかし、返ってきた答えに、俺は小さく唸りを上げる。


「肉ですか。……そうだ。お客さん、牛タンは食べれますか?」


 中々優秀な返しをするじゃないかと、俺はにやりと口角を上げるのだった。





  ◆  ◆  ◆





「混んでるがいい店だな」


 店内は涼しい雰囲気に包まれていて、じめじめとした外とは別世界のように感じられた。

 木製の椅子に腰を下ろしながら、俺はメニューをじっと見つめる。


「うまそうだなっ! ギュータン!」

「そうだな。いい感じだ」


 写真を見ているだけでも腹が減ってくる。さてどうしたものかと、俺は眉を中央に寄せた。


 実は俺は牛タン専門店に来るのは初めてだ。焼き肉なんかで塩タンを食べることはあるが、このような「牛タンで勝負しています」という店には初めて来た。


 仕事で仙台に出張したときに、時間の都合で食べれなかったのだ。せめて土産をと思い牛タンを購入したのだが、それをホテルの冷蔵庫に忘れてきてしまった。


 今思い出しても苦い記憶だ。それ以来、なんとなく牛タンの店は避けていたのだが。今回こうして雪辱を晴らす機会がやってきた。


「メインは牛タン焼きにするとして、だ。どうする? 色々とセットがあるぞ?」


 ちらりと覗けば、メニューにはかなりボリュームのあるセットメニューが輝いている。

 メインの牛タン焼きに、角煮丼定食、牛タンシチュー定食、ロコモコ丼定食なんかも目に入った。


 何とも悩むラインナップだ。こういうときは、とりあえず食欲の赴くままに注文するのがいいだろう。


「お前もいるしな。……よし、角煮丼とシチューでいこう」

「はは、うまそうだな。いいぜそれで」


 シチューと角煮丼は、リリスと半分ずつ分ければいい。そう考え、俺は店員へと右手を上げた。





  ◆  ◆  ◆





「……美味いな」


 セットで出てきたサラダを食べながら、俺はぽつりと呟いた。

 何気なく先に出てきたハムサラダだが、ハムが美味い。


 しっかりと味があって、流石は肉屋って感じだ。ドレッシングもしょっぱくなくて、ついつい箸が進んでしまう。


「ギュータンかー。前食ったけどうまかったな」

「お? 覚えてるのか。食い意地だけは一級品だな」


 ハムだけをさっさと食べ終えて、料理を待っているリリスに声をかける。焼き肉のときにタン塩を食べたのを、リリスは覚えていたらしい。


「あんたに言われたくないけどな。……ま、あれが食えるなら楽しみだ。固めのいい肉だった」


 にっこり笑うリリスに、俺はサラダを口に運ぶ。

 今まで色々と食べて気づいたことだが、リリスにも肉の好みがあるようだ。どちらかというと、霜降りの肉よりかは赤身の肉を好む傾向にある。


「ま、悪魔だしな。血も滴るってやつか」

「なんだそりゃ?」


 どうも俺の言うことにピンとこなかったらしい。今度、レアのステーキでも食べさせてやったら喜びそうな気がするなと、俺は心のメモに記載した。


「……しかし、腹が減ったな」


 すっかり食べ終えてしまったサラダを見て、俺は盛大に腹を鳴らす。それを面白そうに笑いながら、リリスがきゃはきゃはと声を上げた。


 ぐぅるるるるるるぅう。


「あっ」


 その瞬間、リリスの腹の辺りから猛獣のうなり声のような音が響きわたる。リリスは恥ずかしそうに腹を押さえると、誤魔化す気なのか、あははと照れくさそうに笑った。


「凄い音がしたぞ。まさに魔界の住人って感じの」

「い、いいだろっ! 腹が減ったらふつう鳴るだろっ!?」


 顔を真っ赤にしているリリスに、俺はにたにたと笑ってみせる。こいつにも、羞恥心などという高度な心理現象があったとは驚きだ。精神の分化度は三歳辺りで止まっているかと思っていたが、どうやら小学生並の情動はあるらしい。


 とはいえ気持ちは分からなくはない。

 この、店に充満している音と匂い。俺も極力気にしないように努めていたが、大変に腹によろしくない。


 しかし、それもここまでの辛抱だ。


「まぁ、腹が減ってるのはいいことだ。飯は美味く食わないかん」


 空腹は最高の何とやら。盆を持ってやって来る店員を見やって、俺はおもむろに背中を椅子から離すのだった。

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