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第07話 深夜のパーキングエリアで。変哲のないカレーライス


 目の前に見える光が、線になって背後へと飛んでいく。

 俺は少しばかりの眠気を堪えながら、ハンドルの左奥にあるデジタル時計を見やった。


 午前1時30分。深夜といって差し支えない時間だ。


 時間を気にした瞬間に、腹の音が一人だけの車内に鳴り響く。そういえば、夕飯を食べてから既に五時間ほど経過している。腹が空くのも当然というものだろう。


「どこかで食べて帰るか」


 三時前には家に帰る予定だったが、仕方ない。どうせ今日は帰って寝るだけなのだ。小一時間遅れてもどうってことはないだろう。


 確か、この先のサービスエリアは深夜営業をしていたはずだ。ちょうど良いと、俺は見えてきた案内板に沿ってハンドルを切った。





 ーー ーー ーー





「んー。涼しくて気持ちいいな」


 ドアを開けて駐車場に出ると、心地の良い風が肌を撫でてきた。まだ肌寒さは残っているが、ドライブで暖まった身体をほどよく冷ましてくれる。


 俺は、エリアの奥にある建物を見つめた。目映い明かりが、ここだよーと手招きしている。あそこだけ別の世界みたいだ。


 腹具合を確認しつつ、俺は建物へと歩いていく。

 頭の中は、何を食べようかという考えでいっぱいだ。


 ありきたりのものしかないのは分かっているが、それでも慎重に選ばなければならないと、俺は目の前に迫った自動ドアを通っていく。


「へぇ」


 中に入った瞬間に思わず声が出た。

 想像以上に大きなフードコートに、これまた想像以上の人が腰掛けて飯を食っている。


 それでも昼に比べれば疎らなのだろうが、見ているだけで面白い。


 トラックの運ちゃんらしき親父に、子供連れの家族。こんな深夜に子供がラーメンを啜っているというのも、サービスエリアならではだ。電車や飛行機の旅では、こうはいかない。


 深夜に飯を食う。それだけで興奮しているのか、子供はにこにこと笑って父親に話しかけている。


「さて、俺も頼まないとな」


 少年を見ていると、ラーメンが食べたくなってきた。が、実は昨日食べたばかりである。どうしたもんかと、俺はメニューに目を通す。


 年期が感じられる券売機を見つめ、俺はふむと腕を組んだ。


 ラーメンは勿論、カレーにカツ丼。うどんとそばに、ハンバーグ定食。これがサービスエリアとでも言うかのようなメニューが並んでいる。


 ご当地メニューなんて一切置かない潔さ。おそらく、この券売機が置かれてから変わっていないであろうメニューの前で、俺は眉をゆっくりと寄せた。


 腹は、割と減っている。うどんやそばでは物足りない。とくれば、選択肢は限られていた。


 衣しかないんじゃないの? とでも言いたくなるカツ丼か、肉は何処? と言いたくなるようなカレーか。残念ながら、デミグラスの気分ではないからハンバーグは除外だ。


「まぁ、仕方ないか」


 俺はカレーライスのボタンを押すと、出てきた食券を持ってカウンターへと足を向けた。





 ーー ーー ーー





「それにしても、結構居るもんだなぁ」


 盆に載せられたカレーをテーブルに置きながら、俺は辺りの客をそれとなく見つめる。

 深夜営業しているサービスエリアが少ないからか、自然と人が集まってくるのだろう。俺がカレーを受け取ってからも、三組ほどが新しく自動ドアをくぐって入ってきた。


 見てみるに、客層は数パターンだ。トラックの運ちゃんか、若いファミリーか、俺のようなくたびれたスーツのおっさん。皆が皆、割と楽しげな顔で飯を口に運んでいる。


「まぁ、分からなくもないな」


 俺は、目の前に置いたカレーライスを見下ろした。

 妙にどろどろとした、具の少ないカレー。大学時代の学食よりはマシだろうか。


 美味そうかと言われれば、答えはノーだ。まずくはないかもしれないが、特別美味そうな気配は漂ってこない。


 しかし、どうだろう。この得体の知れない興奮は。今の俺は、この何の変哲もないカレーライスが無性に美味そうに感じる。


 深夜の魔力とでもいうのだろうか。普段ならば、床に着いているであろうあろう時間。そんな時間に、酒のツマミでもなく、カレー。これが年甲斐もなく心を震わす。


「……うん。美味いじゃないか」


 ひと口、スプーンでカレーを運んだ。口に入れた瞬間、何とも濃いめのカレーの香り。


 煮詰まりかけているのか、どろっとした食感が腹を刺激する。もぐもぐと動かせば、甘ったるいカレーの味が口の中に広がった。


「甘口、にしては辛いな」


 じんわりと汗が額から滲む。味自体は甘めなのだが、香辛料はばっちりと効いているようだ。思った以上に美味いと、俺はスプーンを持つ手の動きを速めた。


 もぐもぐと、一心不乱に咀嚼を続ける。


「肉がないな」


 案の定、肉が見当たらない。けれど、確かにルーの味はビーフカレーだ。

 白いご飯は、やや硬め。かといって、食べ辛いほどじゃない。柔らかすぎるよりは、このカレーに合っているように感じる。


「……ふぅ。ごっそさん」


 気づけば、白い皿の上のカレーは消えてなくなっていた。息を吐きながら、深く椅子の背に体重を預ける。


 思ったよりも深い満足感だ。腹が完全に満たされたわけではないが、まだ運転は残っている。このあたりで止めるのが吉だろう。


 セルフサービスの水のグラスに口を付けていると、先ほどの少年ファミリーが車に戻るところだった。まだ少年は興奮気味で、どうも自販機で飲み物を買っていくらしい。


 炭酸でも買うのだろうか。そんなことを思いながら、俺は腕時計へと目を落とす。

 午前2時。深夜も深夜だ。こんな時間なら、確かに興奮もするだろう。


 俺も昔、親父と深夜に飯を食ったことがある。あれは、母さんの病院に行った帰りだったろうか。

 妙に饒舌な親父が珍しくて、そして、いつもなら怒られるような時間に起きているのが嬉しくて、俺は阿呆みたいな笑顔で何かを食べた気がする。


 あれは、何だったろうか。今日と同じ、カレーライスだった気がする。妙に辛くて、けれど無理して全部食べた。そんな記憶が、海馬の端の方にこびりついている。


「ふぁ……」


 記憶の海に潜っていると、睡魔の魔の手がそろりと伸びてきた。これはどうにも具合が悪いと、俺は落ちてきた瞼を必死に持ち上げる。


「いかんな」


 こんな調子で運転をするわけにはいかない。とりあえず、ドリンク剤の一本でも飲もうかと、俺は盆に手をかけて立ち上がった。





 ーー ーー ーー





「夜中に食うアイスは最高だな」


 そんなことを呟きながら、俺は深夜の駐車場でソフトクリームを舐めていた。

 ドリンク剤を買いに行ったはずが、何故かおばちゃんからソフトクリームを買っていた。まぁ、こういうのも旅の醍醐味のひとつだろう。


 アイスの冷たさと糖分が目を覚まさせてくれる。すっかり視界良好になった気分で、俺は駐車場を見渡した。


 2時15分になろうかというのに、まだ駐車場には新たな車が入ってきている。若いカップルのようだ。彼女が運転しているが、車の雰囲気からして持ち主は彼氏だろうか。交代で運転しているのだろう。


 降りてきた二人は楽しげな様子で、足早に入り口へと駆け寄ってきた。自動ドアをくぐる瞬間、俺の方を不思議そうな眼差しで見つめる。

 さっきのおじさん、ソフトクリーム食べてたね。そんなことを話のネタにしながら、ラーメンを啜るのかもしれない。食べたら貴方が運転してよ、とか言いながら。


「……いくか」


 ソフトクリームのコーンをバリバリと食い破りながら、残った先っぽを口に放り込む。

 歯にくっつくコーンを舌で剥がしながら、俺はコーンの包み紙をくしゃりと丸めた。それをゴミ箱に放り投げて、奥の方へ止めている自分の車を見やる。


 これから、また二時間ほどの道のりを運転しなくてはいけない。腹に何か入れたことだし、また眠くなってしまうだろうなと、俺は深くため息を吐いた。夜食を食ったのは失敗だったかもしれない。


 とはいうものの、食ってしまったものは仕方ない。やはりドリンク剤を飲んでおこうと、俺はもう一度店の方へと身体を向けた。


「ふあぁ。今日はここで食べるのかー?」


 自動ドアを通ろうとした瞬間、背後から間の抜けた声が聞こえてくる。


「……お前、何で出てきた?」


 振り返れば、眠そうな顔のリリスがきょとんとした顔でこちらを見つめてきていた。


「何でって。呼ばれたからだよ。あんたこそ、こんな時間に飯食うのか?」


 宮島で買ったシャツを着たリリスは、不思議そうに俺の顔を見た後、店内へと視線を移した。


「まぁ、いいや。早く食おうぜー」


 ぺたぺたと、サンダルを鳴らしながらリリスは自動ドアをくぐっていく。俺は慌ててリリスの後を追って店へと入った。


「おい、ちょっと待て」

「ん、なんだよ?」


 壁に貼られたメニューの写真を見上げながら、リリスが嬉しそうに振り返る。そんな笑顔を向けられると言いにくいが、どうしようもない事実だと俺は口を開いた。


「実はもう食ったんだ。これから帰るところだ」

「へ?」


 ぽりぽりと頭を掻く俺に、リリスの目が見開かれる。俺の顔とメニューを交互に見つめ、ぽかんと口を開いた。


「あたしの分は?」

「ないぞ。後はドリンク剤買って、帰るだけだからな」


 そう言いながら、俺はドリンク剤の自販機を指さした。リリスが出てきた理由に心当たりがないわけではないが、今回は飯を一緒に食うためではないことは確かだ。


「……あたしの分は?」

「だ、だから。ない、……って、まぁ。じゃあ何か食って帰るか」


 じぃっと見つめ続けてくるリリスに、俺の中の何かが折れた。勝手に出てきたくせにとは、さすがに言いづらい状況だ。

 ここまでくれば、もう三〇分遅れても、どうてことはないだろう。


 リリスの顔がいつも通りの輝きを取り戻したのを見て、俺はため息を吐くのだった。





 ーー ーー ーー





「美味いか?」

「うめぇっ!!」


 ばくばくとカツ丼を食べるリリスを、俺は苦笑しつつ眺めた。


「しかし、ほんと美味そうだな。俺もそっちにすればよかったか」

「ひと切れやるよ。ほら、うまいぜ」


 どんぶりの中身を見つめる俺に、リリスは割り箸を刺したカツをひと切れ差し出してきた。目の前にやってきたカツに、俺の眉がすっと寄る。


「ん? いらないのか?」


 首を傾げるリリスに、俺はまぁいいかとカツをくわえた。

 リリスは気づいていないが、俗にいう「あーん」という奴である。深夜で人も少な目だからよいが、昼間なら絶対に遠慮したい。


 案の定ちらちらと俺の方を見つめてくるカップルやおばちゃんを無視しながら、俺は口の中のカツに集中した。


「お、ほんとに美味いな」


 衣が多いのは否めないが、カツにかけられたタレがいい感じだ。たれカツ丼という奴だろうか。券売機には写真が付いていないから見落としていた。


 甘辛いタレに、固めの衣。薄目の豚肉と、お世辞にも高級感があるとは言わないが、それがこのサービスエリアの深夜の雰囲気に合っている。隠れた名物といった感じか。


「うまいうまい」


 たれカツ丼をもぐもぐと頬張るリリスを見やりながら、俺は足下まで来ている眠気を噛みしめた。ぐびりと、手元に開けたドリンク剤の中身を飲み込む。


 元気ハツラツとまではいかないが、これである程度は眠気も飛んでくれるだろう。プラシーボ効果もあるのだろうが、精神の与える影響を侮ってはならない。


「お前、そのシャツ気にいってんのか?」


 口元に盛大に米粒をくっつけているリリスを見ながら、俺はリリスの服装について聞いてみた。サイズが大きなせいで、ダボダボと右肩が見えてしまっている。


「んー。あんたにせっかく買ってもらったしな。それに、魔力使わないから楽なんだ」

「ああ、なるほど」


 リリスの返答に、納得しながら頷く。確かに以前、服は魔力で作っていると言っていた。買ってやったシャツは実物だから、その分魔力が節約できるのだろう。


「そういうことなら、今度服でも買ってやるよ。街中で魔力が切れても困るしな」

「ほんとかっ!? 太っ腹だなっ」


 俺の提案に、リリスが驚いたように顔を向ける。いい加減に俺だって、リリスが今後も出てくるであろうことくらいは予想が付く。そのとき、街中ですっぽんぽんにでもなられたら大惨事だ。


「代わりと言ってはなんだが。今日はこの後もつき合ってくれ」

「ん? まだ他にも食いにいくのか?」


 底に残っているドリンク剤の一滴を飲み干しながら、俺はリリスの言葉に目を細めた。こいつ、俺が常に飯のことしか考えてないと勘違いしている節がある。


 まぁしかし、今日のところは許してやろう。


「ちょっと、横に座っていてくれるとありがたい」


 たわいもない話でもしながら、高速を走る。こいつの素っ頓狂な質問にでも答えていれば、瞼が落ちることもないだろう。


 俺はリリスが食べ終わったのを見計らって、ゆっくりと立ち上がった。


「次はどこ行くんだー?」


 ぺたぺたとサンダルを鳴らしながら、魔界の悪魔が付いてくる。行くんじゃなくて帰るんだよと言おうとして、まぁいいかと俺はドリンク剤の瓶を自販機の横の穴にの中に放り入れた。


「あ、なぁなぁ。あれも食べたい」


 ソフトクリームを持っている客を見つけたリリスが、俺の袖を引っ張る。俺はため息を吐いた後、車の中でも食えるかと思い直して、財布から五〇〇円玉を取り出した。


「くれぐれも言っておくが、落とすなよ」


 にこにこと満面の笑みで硬貨を受け取るリリスを見下ろす。

 カウンターに走っていくリリスの背中を眺めながら、俺は腕時計を持ち上げて、文字盤を見ようとする目を止めた。


 まぁ、いいか。そう思い、左腕をポケットへと入れる。

 どれだけ遅れようが、どうってことはないだろう。



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