表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/46

第06話 金曜の晩に。カクテルバーのフルーツサンド (後編)

 俺は空になったグラスをテーブルの端に寄せ、呆れた顔でリリスを見つめる。

 ミックスカクテルを美味しそうに飲むリリスは、満足顔だ。怒っても仕方ないと、俺はメニューに手を伸ばす。


 さて、ここまで来ればツマミだ。よくよく見れば、ありきたりなメニューの他にこの店ならではといったメニューがいくつか見受けられた。

 ちょうどチーズの盛り合わせを持った店員が近づいてきている。俺はそれを受け取りながら、店員に開いたメニューの中からいくつか指さしていく。


「フルーツサンドと、このピサンゴレンというのを。あと、ソルティドッグとチチを一杯ずつ」


 頷く店員に、俺もふぅと一息を入れる。

 結局、カクテルは有名どころを頼むことになってしまった。まぁ、せっかくの生ジュースだ。飲み比べるためにも、飲んだことがあるもののほうがいい。


 しかし、このピサンゴレン。聞いたことのない料理なのでつい頼んでしまったが、詳細が書いていない。どんな料理なのだろうか。

 名前の雰囲気からして、東南アジアのものではありそうだ。辛いのか辛くないのか。あまりに辛すぎるようなら、リリスに全部任せてしまおう。


「乳? おっぱい飲むのか?」


 メニューをぼんやりと眺めていた俺に、リリスが妙なことを呟いてくる。一瞬何のことか分からなかったが、先ほど頼んだカクテルの名前を思い出して、俺はくすりと笑ってしまった。


「チチってのはカクテルの名前だよ。別におっぱいじゃない」

「あ、そうなのか。びっくりしたぜ」


 まぁ、リリスの言うことも分からなくはない。実際、このチチというカクテル、それなりに有名だが名前の由来を知っている人は少ないだろう。


「ウォッカにパイナップルジュースとココナッツミルクを混ぜたカクテルだ。美味いぞ」

「へぇー、ココナッツミルク。それでチチか」


 俺の説明に、リリスが予想通りの返事をしてくれる。飲んだことのある人でも、チチの由来をココナッツミルクや牛乳と勘違いしてる人は多い。悪魔のリリスが勘違いするのも当然だろう。


「いや、そもそもチチは日本語の乳とは関係ないんだ。アメリカのスラングで……そうだな、日本語に訳せば『粋』って感じの言葉かな」

「いきぃ? ますます分けわかんねぇな」


 リリスの眉がおもいきり中央に寄る。これもしかたない。俺も、粋を完璧に説明しろと言われても困ってしまう。

 笑いながらリリスの表情の変化を楽しんでいると、店員がグラスを二つ持ってきた。リリスの目の前に置かれた白いカクテルに、俺は説明を付け加える。


「それがチチだ。元々はフランス語の『シシ』が語源らしくてな。ブラウスの胸元のフリルって意味らしいぞ」

「ふーん。そっちの方が可愛くて、あたしは好きだな」


 そう言って、リリスはグラスに刺さっていたパインの実をぱくりとくわえた。グラスに口を付け、一口飲んで顔を綻ばせる。


 確かに、リリスが飲むならフリルの方が合っているだろう。スーツの胸元から見えるブラウスにも、ちょこんとフリルが付いているし。

 どうもリリスは、見た目通りにかなり少女趣味のようだ。


 リリスを見ながら口に含んだソルティードッグが、いい感じに口に流れ込んでくる。グラスのふちの塩が、何ともいい塩梅だ。


「やっぱり、生ジュースを使ってるだけあって美味いな」


 舌に当たるグレープフルーツの酸味が、何とも心地いい。少しだけ残った果肉が、普通のカクテルにはない食感を与えてくれている。

 どことなし、酒なのに腹が満たされるのを感じた。健康にもよさそうだ。


「お、きたぞっ!」


 リリスが目を輝かせ、料理を持ってきた店員を見あげる。俺も待ちわびていたので、目の前に置かれた皿に身を乗り出した。


「ほぅ。綺麗なもんだな」


 テーブルの上の一皿に、思わず唸る。


 真っ白い大きな皿。その上に、これまた真っ白なパンに真っ白なクリーム。白尽くしの皿の中で、色とりどりのフルーツが宝石のように輝いている。


 なんとも高貴で上品な一品だ。赤いイチゴに緑のキュウイ。黄色いのはマンゴーだろうか。まるで芸術品のような美しさだ。


「うめぇっ! 甘ぇっ!」


 そんな芸術を、リリスが鷲掴みにして口に放り込む。俺は苦笑しつつ、全部食べられる前にフルーツサンドに手を伸ばした。


 指の先だけで分かる。ふんわりしたパンに、柔らかなクリーム。口に入れずとも、美味いのが伝わってきた。

 しかし、そうも言っていられない。俺は形を崩さぬように慎重にフルーツサンドを口に運ぶ。


 噛みしめた瞬間、じゅわりと噛み切ったフルーツから果汁が染み出た。


「う、美味いな」


 驚いて口にしてしまう。もう一度、慌てるように口に入れた。


 しっとりとしたパン。そして、ほんのりと甘いクリーム。

 絶妙だ。甘ったるくないクリームが、見事にフルーツを包み込んでくれている。パンもクリームも、まったくフルーツの邪魔をしていない。


 フルーツの甘さ。それを引き立てているようだ。美味い。フルーツサンドを、何処か見くびっていた。こんなに美味いものだったとは。


「こうして食べてみると、イチゴはやはり王様だな」

「うまいよなっ! 可愛いしっ!」


 リリスも嬉しそうに頬張っているが、言っていることは的を得ている。白いクリームに、イチゴの赤。この美しさこそが、イチゴが長くスイーツの世界で愛され続ける理由だ。味だけではない。


「いや、しかしびっくりだな。実は初めて食ったんだ、フルーツサンド」

「ほうなのか? むぐっ、よかったな、めちゃくちゃうめぇもん」


 リリスの言葉に、素直に頷く。今まで、気になったことはあったが何処か恥ずかしくて買えなかったのだ。ケーキを買うのとは一段高いハードルが、おっさんにはある。


 リリスと来て正解だったなと、俺はテーブルの上のもう一つの料理に目を向けた。

 そこには、綺麗に盛りつけられた春巻きのような料理が、四つほど皿の上に並んでいる。俺は、その料理をマジマジと見つめた。


「これがピサンゴレンか。美味そうだが、何を揚げてるのか分からんな」

「食ってみればいいじゃん。冷めちまうぜ」


 ふーむと観察している俺の前で、リリスはピサンゴレンをひょいと摘んで持って行った。あっと思ったが、リリスの言うことも尤もである。熱い料理は熱いうちにというのは鉄則だ。


「そうだな。……はむっ」


 思い切って、かじり付いた。もぐもぐと口を動かして、舌に感じる味に思わず驚く。


「って、デザートかっ」


 甘い。見た目からツマミ系を想像して口に運んだが、口の中にはねっとりとした甘さ。そしてほんの少しの酸味が広がっていた。

 中身は、噛み口を見なくても分かる。バナナだ。ほんのりとした酸味は、やや若いバナナを使っているからか。


「うまいなっ。ほっこりしてる」

「そうだな。案外といける」


 サクサクとした衣。丁寧に巻かれているのは、ライスシートだろうか。その中に、厚めの衣が一層存在する。天ぷらと春巻きが混ざったような食感だ。


 デザートなのだろうが、中のバナナが若いおかげかそんなに甘ったるくない。酒に予想以上に合うと、俺はカクテルを喉に流す。


「……しかし、今日はやけに色んな国のもんを飲んだし食ったな」


 ふと、そんな感想が口から漏れた。


 ピサンゴレンの詳しい出所はしらないが、おそらく東南アジアだろう。それを、イギリスのカクテルで飲んでいるのだ。

 ぼうっとグラスの縁の塩を見つめている俺に、リリスがけたけたと笑い声を上げた。


「そりゃそうさ。酒はどの国の奴も飲むからな。飲んだくれは、どこにだっているぜ」


 リリスの笑顔に、俺はゆっくりと頷く。

 こうして色々な国に想いを馳せれるのも、カクテルや料理のいいところなのかもしれない。どんな国の人間だって、それこそ悪魔だって、酒も飲めば飯も食う。


「……そういえば、し忘れていたな」


 飲み進めている内に、大事なことに気が付いた。こいつが一人でぐびぐび飲むもんだから、すっかり忘れていたのだ。


 グラスを持ち上げた俺に、リリスがきょとんと顔を傾ける。真似をして持ち上げられたリリスのグラスに、俺はちょこんとグラスを合わせた。


「乾杯」


 まぁ、少しくらい遅れるのはいいだろう。まだまだ夜は始まったばかりなのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ