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第04話 広島で。宮島の牡蠣尽くし (後編)

 想像以上に五月蠅い波の音を聞きながら、俺は鼻に香ってくる瀬戸内海の香りを楽しんでいた。


「うっひゃー。すげぇすげぇ!」


 縁に身を乗り出しながら海を眺めるリリスに、危ないぞと注意をする。

 ゴスロリ衣装をはためかせながら、リリスは笑顔で振り返った。


「フェリーってのは速いもんだなっ! こんな船初めて乗ったっ!」


 ぴょんと飛び降りて近づいてくるリリスの顔を、俺は呆れたように見つめる。


 俺たちは、宮島に渡るフェリーに乗船している最中だ。

 ほんの十五分程度の短い船旅だが、リリスにとっては興味深いものであったらしい。


 まぁ、これだけ喜ぶならば乗船券を買って正解だった。実際、買わずとも乗れるだろうが、無賃乗船は如何ともしがたい。

 宮島で待っているというのも味気がないしと、こうして気ままな二人旅に洒落込んでいるわけだ。


「あれがミヤジマかー。おっきな島だなー」

「ま、こうやって見ればな」


 リリスが見えてきた島を指さす。地図で見れば小さなものだが、確かにこうして肉眼で見てみれば厳かだ。厳島ともよく言ったものだろう。


「しかし、神聖な厳島に……。本当に大丈夫か?」


 今になって、少し心配になってきた。俺は、アホ面で島を眺めている悪魔娘を見つめる。そう、こんな成りをしているが、リリスは歴とした悪魔なのだ。


 宮島は神域である。

 正式には厳島と言われ、松島・天橋立と並び日本三景の一つとして知られている。

 今でこそ観光地化されている面はあるが、それでも厳島神社の神聖性は少しも失われてはいない。古代より自然崇拝の対象となってきた島そのものの荘厳さは、今も昔も変わらないのだ。


 その昔は島自体が御神体とされたため、血や死といったものがケガレとして忌避されてきたと聞く。


 事実、現在でも島には墓の一基たりとも築かれてはいない。

 農耕すらが、神の土地に鉄を立てるということで古くは禁じられてきた。


 現代に残る、神が居わす場所。


 そんな場所に、あのアホ悪魔を? 俺は、眉を寄せて腕を組む。

 実際に神様なんているわけない。そう思えたら、どんなに楽だろうか。


「ん? どうしたんだー。難しい顔して」


 リリスが俺の顔を覗き込む。俺は、リリスの鼻をおもむろに指で摘んだ。


「んぶぶぶぶっ。な、なにすんだよっ!?」

「んー。本物だからなぁ」


 今まで深く考えたことがなかったが。このリリスという少女、とんでもない超常現象である。悪魔であるリリスが実在する以上、神様も実在すると考えた方がいいだろう。


 どうしたもんかと考えながら、俺は近づく岸を見やるのだった。



  ◆  ◆  ◆



「おぉー! なんかいるぞっ!!」


 土を踏みしめた瞬間、リリスは目の前の鹿に向かって突撃していった。

 派手な姿のリリスが駆け寄っていくものだから、昼寝をしていた鹿がびくりと身を震わす。


 それでも人に慣れきっているのか、鹿は再び眠たそうに微睡みの中へと落ちていった。


「いっぱいいるなっ! なんだこいつらっ!」

「ほぅ。本当にそこら中にいるんだな」


 鹿を楽しそうに見やるリリスに、俺も辺りをきょろきょろと見渡す。

 見れば、土の上だけでなく道のど真ん中にすら、鹿がのんびりとした顔で闊歩していた。


 こんな光景が見られるのは、日本でもここと奈良くらいのものだろう。


「ここは何だ? 鹿の島か?」

「あながち間違いじゃないぞ。神の使いらしいからな。失礼なことするなよ」


 鹿の丸められた角を見つめているリリスに忠告する。

 この鹿達が本当に神の使いだとするならば、あまりリリスを近づけない方がいいだろう。そう考え、俺はリリスに先を急ぐぞと声をかける。


「あ、待ってくれよっと。お、おおおおおおっ!!?」


 俺がリリスに背を向けたその瞬間、背後からリリスの妙な叫び声が聞こえてきた。


「リリス!?」


 慌てて振り返れば、リリスが数匹の鹿に囲まれて行く手を防がれている。いや、数匹ではない。瞬く間に近くにいた鹿達が集まってきて、リリスは鹿の群に埋もれてしまった。


「ちょっ、なにすんだっ! あひゃっ! あはははっ!」

「お、おいっ。大丈夫かっ!?」


 ぐいぐいと鹿に服を引っ張られ、リリスは手や足をぺろぺろと舐められていた。リリスの何かを探っているかのような鹿達に、直感で俺は何か得体の知れないことが起こっていることを察する。


「わ、わかったっ! わかったってっ。落ち着けっ! あたしは敵じゃねぇー!」


 ぶんぶんと腕を振り回し、リリスが鹿達に抵抗する。正直いって、俺は見ていることしか出来ない。

 そうこうしていると、鹿達の動きがぴたりと止まった。リリスから離れ、まるで整列するように一点に振り返る。


 鹿達の視線の方向に身体を向けると、一匹の鹿がこちらに向かって歩いてきていた。


「……えっ?」


 びくっと身体が震える。その鹿の頭には、立派に広がる角が生え立っていた。

 宮島の雄鹿は角を処理されるはずだ。こんな個体も残っているのかと、俺はじっとその鹿を見つめる。


 やけに毛並みのいいその鹿は、悠然と歩きながらリリスの前まで近づいてきた。


「……ん? まぁ、しゃーないか。わかったよ」


 しばし鹿と視線を交わした後、リリスが面倒くさそうに頭を掻く。俺は、どうしたんだとリリスに目を配った。


「どうも、ちょいと呼ばれたみたいだ。行ってくるよ」

「お、おい。行くって、何処に……」


 リリスが俺の方へ向き直り、軽く右手を上げる。まるで、そこのコンビニまでとでも言うような雰囲気だ。

 俺の言葉が終わる前に、リリスの身体が目の前から消失する。


 驚いて目を見開けば、先ほどの鹿も消えている。

 おいおいと頭を掻きながら、俺は途方にくれて鹿の群を見つめるのだった。



 ◆  ◆  ◆



「……美味いっ!」


 俺は思わず叫びを上げた。

 熱々の肉厚な身。ジューシーな焼き汁はレモンと合わせられて何とも爽やかだ。


 噛みしめれば、更に旨味が口の中で溢れてくる。殻を持ちながら、俺は残っていた汁を口へと持って行った。


「ずぞぞぞっ。……うぅーむ。これが宮島の牡蠣かぁ」


 頼んでよかった。この濃厚な牡蠣の味わい。とにかく新鮮なものでなければ、こうはいかない。

 もう一個食べようと、俺は皿の上に手を伸ばす。焼き牡蠣は三つセットだったから、あと二つ残っている計算だ。


「……あれ?」


 しかし、俺の指が中を掴む。見れば、残り二つのはずの牡蠣が一つ消えている。

 俺は、突如聞こえてきた汁を啜る音に眉を寄せて振り返った。


「おい。勝手に食うなよ」

「っぷはっ。うまいなこの貝っ!」


 牡蠣の汁を豪快に飲みながら、リリスがにかりと笑いかけてくる。それに、俺はやれやれと息を吐いた。


「ってか、一人で食べてるとかひどくないか? あたしが頑張ってるっていうのによ」

「知るか。勝手に消えおって。待ちぼうけを食らったこっちの身にもなれ」


 リリスの抗議の視線に、俺も眉を深く寄せて応える。

 とりあえず食べながら待っていようと焼き牡蠣屋に寄ってみたが、これが中々の当たりだった。


 店の前で牡蠣を焼いて見せていて、その光景と匂いがなんとも腹を刺激するのだ。

 俺は残りの牡蠣を口に入れながら、リリスに先ほどの説明を求めた。


「というか、何処行ってたんだ? 急に消えるから驚いたぞ」

「ん? あー、まぁ。ちょっとここの神に会いに」


 リリスの返答に、思わず牡蠣の汁が気管に入る。

 むせる俺をけたけたと笑いながら、リリスは愉快そうに手を叩いた。それに、涙目で俺は質問する。


「ごほっ。か、神って。大丈夫だったのか?」

「ま、だいじょうぶさ。代わりに力を預けさせられたけどな」


 リリスのあっけらかんとした態度に、俺は目を丸くした。ということはつまり、リリスは今は何でもない女の子ということだろうか。


「そうそう。ほんと、根こそぎ取っていきやがってよ。正直、この服作るのも一苦労だぜ」

「服?」


 俺はじっとリリスのゴスロリ服を見つめる。心なしか、黒色が薄くなっているような気がする。


「……その。力が切れたら、その服どうなるんだ?」

「そりゃあ、消えるよ。当たり前だろ」


 何を言ってるんだとリリスが俺を呆れたように見つめてくる。

 いや、ちょっとまて。てことはなにか、力が切れたらすっぽんぽんってことか。


 それはつまり、初めて会ったときの姿に戻るということだ。黒い体毛だけで局部を隠した、あの馬鹿みたいな格好に。


「ちょっとこいっ!」


 こうしてはいられないと、俺はリリスの手を掴む。ひとまずは、何かこいつに着せなければいけない。



  ◆  ◆  ◆



「おおー、かっこいいな」


 目の前の鏡に映る自分の姿に、リリスは嬉しそうに目を輝かした。


「ま、こんなもんだろ」


 ただの白シャツに、宮島の文字。観光土産ここに極まりといった感じだが、急を凌げればそれでいい。

 少し大きめのサイズだが、だぼっと身体が全部隠れているのはありがたいことだ。


 やけにだらしない格好だが、今日は観光客も少ないようだし、こんなものでも十分だろう。


「後は適当にズボンと靴を……って、おいっ!」

「はははーっ! 置いてくぞーっ!」


 シャツが嬉しいのか、リリスは笑顔で土産物から飛び出してしまった。金は払ってるからいいものの、あれで外を歩くのは流石にまずい。


「くそっ。親父、このサンダルと短パン貰うぞっ! お釣りはいいからっ!」

「あい。毎度ありぃ」


 よぼよぼとこちらを見やる親父に万札を叩きつけつつ、俺はリリスを追って店の外へと駆けていった。



  ◆  ◆  ◆



「……疲れた」

「はははっ! 楽しいなここはっ!」


 テーブルの上に突っ伏しながら、俺は元気に笑うリリスの声を聞いていた。


 あの後、結局はしゃぎ回るリリスを連れて宮島を観光することになってしまった。

 鳥居をくぐろうと海に入ろうとするリリスを止めたり、宮島水族館に走っていったり。


 正直、アラサーにはキツ過ぎる運動量だ。世のお父さんは、どうやって子供と遊んでいるというのだろう。


「スイゾッカン楽しかったなっ! うまそうだったしっ!」

「ああそうだな。カブトガニ美味そうだったな」


 まあ実際は、俺も結構楽しんでしまった。

 特にリリスの言うとおり、宮島水族館は中々に見応えのある場所だった。牡蠣の養殖場やカブトガニを見られる水族館は、日本を見渡してもそうはないはずだ。


「カブトガニ、台湾とかなら食べられるらしいぞ」

「へぇー。今度食おうぜ」


 リリスの言葉に、俺は思わず吹き出してしまう。まぁ、行けないとは言わないが。わざわざカブトガニを食べに行くというのも、何とも愉快な話だ。


 シャツの文字を嬉しそうに見つめているリリスに、俺はくすりと微笑む。何処からどう見ても、漢字の意味を知らずに着ている外国人の観光客だ。まぁそれでも何となく絵になっているのは、偏にリリスの人間離れした見た目の可愛らしさのおかげだろう。


 乾いた喉を水で潤していると、頼んでいた定食が到着した。

 ようやく来たかと、俺は待ちわびた気分で箸を割る。


「おおーっ! すげぇなっ!」

「確かに。豪勢だな」


 目の前に置かれた盆に、リリスが目を見開いた。俺も思わず感嘆に喉を鳴らす。


 焼き牡蠣。牡蠣めし。カキフライ。牡蠣の吸い物に、極めつけは牡蠣のオイル漬け。


 完全に牡蠣に染まった食卓の上を、俺たちは唖然とした表情で見下ろす。


「こう、実際に並べられると、圧巻だな」

「すげぇなっ!」


 量自体は食いきれないという程でもないが、何せ全て牡蠣尽くしだ。ここまで一度に色々な牡蠣料理を見るのは、俺も初めてである。


 とりあえず食ってみるかと、俺は牡蠣めしに手を伸ばした。迷うところだが、何とも魅惑的な匂いで誘ってきている。


「うめぇっ!」


 リリスがさっそくカキフライにかぶりついているのを横目で見ながら、俺は牡蠣めしを一口運んだ。

 牡蠣はわざと食べずに、ご飯だけ。


「……むぅっ!?」


 唸る。なんてこった、牡蠣がいやがる。

 ご飯だけなのに、まるで牡蠣を口に入れたかのような錯覚。牡蠣の旨味が、見事に飯に溶け込んでいる。


 二口目。今度は牡蠣も一緒に。


「ふむ。美味いな」


 素晴らしい。これだけ飯に旨味を与えてなお、しっかりとした存在感。

 俺は期待を込めたように吸い物をすすり、そこにも確かに感じる牡蠣の風味に頷いた。


 赤出汁に、牡蠣の雰囲気がよく合っている。大人しいが、上品ないい味だ。


「とくれば……こいつだな」


 俺はゆっくりとカキフライを箸で掴む。牡蠣の食い方には色々とあるが、個人的にはやはりカキフライは最強の選択肢に入るだろう。


 焼き牡蠣や生もすてがたい。それは分かるがと、俺はカキフライにかぶりついた。


「うむっ。うむっ!」


 噛みしめた瞬間に、衣が破ける。破けた中からは、当然ジューシーな肉汁が溢れ出てくる。貝だが、あえて肉汁と言おうじゃないか。それくらい肉厚で、暴力的な刺激だ。


 上品だった先の二品と違い、これでもかと体重の乗ったストレートを振り抜いてきやがる。


「うーむ。オイル漬けも美味いな」


 続いて摘んだオイル漬けも絶品だ。牡蠣のオイル漬けはワインのお供としては有名だが、こうして牡蠣尽くしの中で食べると、また一層趣深い。


 油自体にはくせがなく、ほんのりとごま油の風味。それに、やはりオイスターソース。これ以上ないという適材適所だ。

 まるでチーズを食べているかのような濃厚さだが、この海鮮の風味は独特のものだろう。


「……酒が飲みたいな」


 食い進めている内に気がつけば、いつの間にやら牡蠣めしが空になっている。それどころか、カキフライも消えているではないか。


「まさかお前、俺の牡蠣食ったか?」

「いや、あんたがバクバク食ってたよ。……だいじょうぶか?」


 俺の詰問に、リリスが心配そうな眼差しを向けてくる。それだけ美味かったということだろう。確かに無心で食っていた。

 しかし、どうも物足りない。というより、飲み足りない。具体的には酒だ。


「我慢できん。俺は飲むぞ」

「あっ、ずるいぞっ。あたしも飲むっ」


 メニューに手をかけた俺に、リリスが慌てて身を乗り出す。俺はアルコールメニューを眺めながら眉を寄せた。


「うーむ。ここは白ワインでいくか」

「しろ?」


 牡蠣といえば白ワインだ。別に味が合うわけではないという話も聞くが、それでも俺は合うと思う。様式美って奴だ。

 中々に充実した品ぞろえの中から、俺は適当に美味そうなものを指で選ぶ。ボトルで頼めば、二人で飲んでも大丈夫だろう。


「よしっ。追加で生牡蠣と牡蠣のグラタンも頼むぞ」


 お品書きの中に、他にも魅力的なものを見つけてしまった。ここまで来たら、やはり生牡蠣も食べなければならない。


「じゃあ、あたしはもっとこれ食べたい」


 店員を呼ぶ俺に、リリスがちょこんと指を倒す。

 見れば、そこには特選カキフライの文字。どうも、ただのカキフライとは別メニューのようだ。写真では、先ほどのカキフライよりもふた周りほど大きな牡蠣がキツネ色に輝いている。


「ほぅ。中々いいところに目を付けるようになったな」

「だろー。へへへ」


 リリスは笑いながら、ぺしぺしと特選カキフライを指で叩いた。これは頼むほかあるまい。


「ミヤジマっていいところだな」


 満足そうに笑って、リリスはシャツをぐいっと引っ張った。伸びてしまいそうな『宮島』の文字を見ながら、俺は小さくリリスに微笑む。


「そりゃあそうだ。宮島だぞ?」


 外の景色をちらりと見やる。残念ながら大鳥居は見えないが、それでも宮島の自然が堪能できた。


 瀬戸内の風に、牡蠣の味。


 昔はどうか知らないが、美味いものさえあれば万々歳だ。そんな場所では、悪魔も笑う。


 今日くらいは酒でも飲んで、海を見るのもいいだろう。


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