第03話 広島で。港の手前のあなごめし (中編)
「結構かかるな」
広島に来て二日目の朝。俺は路面電車に揺られながら、宮島へ向かっていた。
ガタゴトという音を聞きながら、失敗したかなと眉を寄せる。
何せ、長い。広島駅の前の乗り場から路面電車に乗っているが、一向に着く気がしない。
一律の安い値段はありがたいが、いちいち一駅毎に停車するのが致命的だ。
乗り換えをこなし、その後も既に二十分以上は乗っている。いつ着くんだと、俺は小さく息を吐いた。
「きゃはははっ! 何だここっ。揺れてるぞっ」
息を吐いた瞬間、乗客も疎らな車両の中に突然黄色い声が沸いて出た。流石に驚いて、俺は傍らに目を移す。
「お前、何で出てきた?」
「んー。退屈そうだったからさぁ。楽しそうだったし」
ひひひと笑うリリスの顔に、俺は眉を寄せる。こいつは、飯のときに出て来るんじゃなかったのか。
リリスは笑顔のまま車内を興味深げに見渡した。俺の表情を察したのか、何でもないように言葉を続ける。
「あんたとあたしの仲だろ。ま、暇そうなら出て来ることにした」
「なんてはた迷惑な」
リリスの言葉に、俺は嫌そうな顔を作ってやる。飯のときもそうだが、基本的に俺は一人が好きなのだ。
俺の苦々しい顔に、リリスはくすくすと笑いをこぼした。
「いいじゃないか。どうせ退屈してたんだろ?」
「む? まぁ、今回ばかりはな」
にたりと笑うリリスに、俺はぽりぽりと頬を掻く。リリスの言うとおり、あまりに退屈で死にかけていたところだ。
こんなことならガイドブックでも買っておくんだったと思っていたところだったので、リリスの出現ははっきりいってありがたかった。口が裂けても言わんが。
「それで、こりゃどこに向かってるんだ?」
「ん? 宮島だよ」
ゴスロリ姿で脚を組んだリリスが、窓の外を見ながら聞いてくる。それに答えてやるが、こいつが宮島を知っているとは思えなかった。
「ミヤジマ? 知らないなぁ」
「だろうな。宮島ってのは、広島の観光地だ。といっても、神聖な場所だぞ。厳島神社って神社があって、宗像三女神を祀ってる」
案の定なリリスに、俺は宮島の記憶を呼び起こして説明してやる。俺も詳しい方ではないが、過去に何度か本やテレビで見たことがある。
俺の簡潔な説明に、リリスの顔が心底嫌そうに歪んだ。
「どうした?」
「いやいや。どうしたじゃねぇよ。あたしを何てところに連れて行こうとしてんだよ」
リリスの歪み顔に、ああなるほどと手を叩く。すっかり忘れていたが、こいつは悪魔だった。確かに神様が祀られている場所は相性が悪いだろう。
「やっぱ問題あるか?」
「んー。特にないとは思うけど。女神か。大抵女神には嫌われるんだよなぁ、あたし」
思案顔のリリスに、まぁ行ってから考えようと俺は暢気に構える。行ってみて怒られるようなら、そのときはリリスだけ引き返せばいい。
「ま、目的のメインは別の場所だ。最悪、宮島には行かなくてもいい」
「は?」
呟きに、リリスは意味が分からないと俺の顔を見つめた。それもそうだろう。ただ、行けば分かるさと俺はゆっくりと微笑むのだった。
ーー ーー ーー
潮の匂いを鼻に感じながら、俺は大きく息を吸った。
海が近い土地独特の、どこかねっとりとした空気だ。同じ自然でも、やはり山とは違う。
「ふぅ。ようやく着いたな」
すっかり固くなってしまった尻をさすりながら、俺は目の前の港を見渡した。
見れば宮島に渡るフェリーが一隻、すでに停泊している。
「あの船で宮島に渡るわけだ」
「へぇー。なら早く乗ろうぜ」
船を指さす俺の袖を、くたびれた表情のリリスが引いてきた。気を早くするリリスに、まぁ待てと俺は腰に手を着ける。
「ここに来た目的は、ひとまず宮島ではない」
そう言って、俺は辺りを見渡した。港の近くに目当ての店を発見して、俺は頬を緩ませる。
そのまま、店に向かって歩き出した。何も言わずに進む俺の後ろを、リリスが慌てて付いてくる。
「おいおい。意味がわかんねぇよ。ミヤジマに行くんじゃないのかよ」
ぱたぱたと駆けてくるリリスに、俺はにやりと振り返った。
あれだけ待ったのだ。腹はすでに空きまくっている。
「まずは、腹ごなしだ」
得意げに胸を張る俺に、リリスは「ああ、いつも通りな感じね」と目を細めるのだった。
ーー ーー ーー
「いやぁ、空いててよかったな。時間によっては待たないといけないらしいし」
おてふきで手を拭きながら、俺は店員に手を挙げた。この店では、頼む物は決まりきっている。
「あなご飯を二つ。特上ね。両方大盛りで」
店員が復唱したのを確認して、俺は店の中を見渡した。昼にはまだ早いのに、店内にはすでに何組か客が飯を食っている。
随分とレトロな内装だ。狭いんだか広いんだか微妙な店内は、香ばしい香りに溢れていた。
「広島に来たら一度食べてみたかったんだ」
「で、なんだよ。そのアナゴメシっつうのは」
わくわくしている俺に、リリスが椅子にもたれ掛かりながら質問してくる。結局はいつものパターンになってしまったが、これもまた一興だろう。
「前にうな丼食べただろ? あれの、あなご版みたいなもんだ」
「あー、あれはうまかったな。あれに似てるなら楽しみだ」
うな丼と聞き、リリスの顔がぱぁと華やぐ。
実は俺も、あなごめしは食べたことがない。想像としてはうな丼だが、食べた人は口を揃えて別物だと言う。
想像がつきそうで、つかない食べ物。これは実際に食べてみなくてはと、前々から思っていたのだ。
「寿司のうなぎと穴子も結構違うしな。何にせよ、食べてみないと分からん」
「まぁ、あたしは美味ければ何でもいいけどさ」
リリスが笑い、それには同意だと俺も笑う。
「やっぱりこう、旅の初まりはガッツリと行かないといかん」
「ふぅん。てか、朝食べてないのか? あんたにしちゃ珍しいな」
力説する俺に、リリスが意外そうに目を向けてきた。それに俺は、思いきり眉を寄せる。
何を言ってるんだこいつは。朝飯なしで動ける訳ないだろ。
「朝はホテルのバイキングをちゃんと食ったが?」
「そんな堂々と言うなよ。あたしが間違ってるみたいだろ」
呆れたような顔のリリスを、失礼なと睨みつける。ホテルから出たときからが、旅のスタートだ。ホテルの朝食がノーカンなのは、全国共通事項のはずだ。
とはいうものの、割といいホテルだったこともあって、それなりの朝食だった。バイキングを思い出していた俺に、リリスがずるいぞと頬を膨らます。
「しょうがないだろ。朝食券は一人分しかないんだ。お前が出てきても、食わすに食わせられん」
「ん、そうなのか? じゃあしかたないな」
残念そうに眉を下げるリリスに、俺は何となく罪悪感を持ってしまった。
実際のところは、宿泊客でなくても料金を払えば普通に食える。まぁ、黙っておくかと俺はそのまま口のチャックを閉めた。
「で、そのバイキングってのはうまいのか?」
「は? ああ、そうか。バイキングってのは飯の名前じゃないぞ?」
リリスの質問に、俺は一瞬何を言ってるんだと呆気に取られる。しかし、すぐにリリスの勘違いに思い至った。俺の返事に、リリスがよく分からないと首を捻った。
「バイキングってのは、飯の形式だ。料理がいっぱい並んでて、好きなものを好きなだけ食べていいんだよ。ま、食べ放題って感じだな。シュラスコのときにやったろ。あれに、色んな料理が並んでると思えばいい」
「すげぇ。最強じゃねーか」
目を見開くリリスに、言われてみれば確かに最強だなと俺は頷く。今度、ホテルのビッフェにでも連れて行けば喜ぶかもしれない。
「ちなみに、朝は何食べたんだよ? 食べ放題なんだろ?」
どうやらリリスはバイキングが相当に気になるようで、しきりに話を振ってくる。料理が食るまで暇だからいいが、実際は朝食バイキングはリリスの想像とは違うだろう。
「いや、言っても朝食だからな。そんなに食ってないぞ。トースト二枚に、ベーコンとウィンナー。オムレツにサラダ。カレーもあったから食ったかな。あとは適当に、炊き込みご飯で焼き鮭とか焼き鯖とか。んで、最後に茶漬けで締めたくらいだ」
「あんたさ、そろそろ自分が普通じゃないって気づいた方がいいぜ?」
リリスの顔に、俺ははてと首を傾げる。朝はちゃんと食べないと力が出ない。学校でも、朝食はきちんと取りましょうと言われている。
しかし、隣の外国人の客が山盛りのベーコンとウィンナーを美味そうに
食っていたのを思い出す。ああいう風に栄養が偏ってしまうのはいけない。俺のようにバランスよく食べなくては。
それにしても腹が減ったなと待ちわびていると、しばらくして店員が盆を持ってやってきた。
俺は話を中断して、慌てて姿勢を整える。あなごめし様のご登場だ。こんなアホ悪魔と話をしている場合ではない。
来ましたよと、俺は目の前に置かれた器に目を移す。
「ほ、ほほぉ」
そうきましたかと、思わず声が出た。
どんぶりには、飯が隠れきるほどの穴子が所狭しと並べられている。うなぎの蒲焼きよりかは小振りな切り身だが、その代わり数が多い。
一切れ二切れなどではない。十切れはあるんじゃないかと思うほどの穴子のタレ焼きが、白飯の上に君臨していた。
「うまそうだなっ!」
「ああ、これは絶対に美味いぞ」
見ただけで分かる。頼んで良かった。この匂い、見た目。まずいはずがない。
しかし、料理とは食べてみて初めて評価が出来るものだ。仕方ありませんなと、俺はぱちりと割り箸を割っていく。
「ふぅむ。見ただけで香ばしい。……では」
まずは穴子だけ。俺は口の中におもむろに穴子を運んだ。
ぱりっ。瞬間、そんな音が脳に届く。
「美味い」
表面がぱりっとしている。音の通りだ。うなぎよりも淡泊な感じだが、だからといって味が薄いわけでは決してない。
「はむっ。……うぅむ、やりおる」
飯。白飯との相性も抜群だ。そしてタレ。うなぎと同じと思いきや、そうではない。ややあっさりしているのだろうか。うなぎほど甘ったるくなく、いくらでも食べられる感じだ。
それが美味い。箸が止まらない。確かに、穴子ならではの味わいだ。
「うまいなっ。ふっかりしてるっ!」
「確かに。ときには良いことを言うな」
リリスの言うとおり、ふっくらしている。表面はぱりっとしているが、蒲焼きの醍醐味のふっくら感は申し分ない。
穴子。タレ。飯。これだけで完成している。凄い。宇宙のようなものだ。
タレの染み込んだ白飯も、あっさりしているようで、ただ事ではない旨味成分だ。風味豊かというよりは、がつんとストレートに脳味噌を揺らして来やがる。
一見して、淡泊な持ち味。しかしながら、しっかりとした旨味は舌から身体にきちんと満足感を届けてくれていた。
うなぎと別物というのも、分かるというもの。うなぎが剛速球が売りのピッチャーだとするならば、穴子飯はベテランの変化球投手といったところか。しかしながら、かといって決して球が遅いわけではない。
「特上にして正解だったな。並では全然足りないところだった」
質や部位も違うのかもしれないが、近くの客を見る限り、まず穴子の量が多い。米も大盛りにしておいたおかげで申し分ない量だし、初戦にしてファインプレーを出してしまった。
「美味いな。想像してたよりも美味い」
「うまいうまいっ」
目の前でがつがつと食っているリリスを見つめ、俺はふとリリスの手元に目を止めた。
「あれっ? お前、箸使えるようになったのか?」
「ん? へへへー。練習したんだ。すごいだろ」
ぎゅうっと割り箸を握りしめながら器用に食べているリリスに、俺はくすりと笑ってしまう。
箸が使えるようになったのは結構なことだが、独学に過ぎる。俺は、リリスの前に右手を掲げた。
「握りが違うな。こうだ。……ま、お前が食いやすいように食えばいいさ」
「スプーンの方が食いやすいけどなー。毎回頼むのも大変だろ?」
言われ、俺はふとリリスにスプーンを買ってやるという約束を思い出した。すっかり忘れていたが、必死に箸を握りしめるリリスを見て俺はまぁいいかと思い直す。
マナーとは、対面に座るものを想うことだ。
箸の持ち方だの蓋の置き場所だの、しょうもない話だと俺は思う。
リリスのこの想いがマナー違反だというのなら、俺は不作法者で構わない。目の前の悪魔娘は、俺以外に気を使う必要などないのだ。
「美味いか?」
「うまいっ!!」
もぐもぐと穴子を頬張りながら叫ぶリリスに、それはよかったと笑みを浮かべる。食事は、美味く食べるのが一番大切だ。
負けじと俺も、あなごめしの残りへと取りかかるのだった。
◆ ◆ ◆
「漬け物も美味いな」
ぽりぽりと付け合わせの漬け物を噛みしめながら、俺は段々と見えてきたどんぶりの底に目を見開いた。
あんなに申し分ないと思った特上大盛りだが、食い進めてみればまだまだ食い足りない。本当にいくらでも食べれそうな味だ。
ああ、なくなってしまう。どうしてこう、最後の一口は切ないのだろうか。
「もう一杯と行きたいところだが、ここは我慢だなぁ」
「もぐもぐ。なんで? 頼めばいいじゃん」
悔しそうに丼を見つめる俺に、リリスが不思議そうに首を傾げる。まぁ、リリスの言う通りではある。足りないのなら、もう一杯。常識だ。
しかし、今回の旅はここで終わりではないのだ。
まだ見ぬ宮島の旨味に思いを馳せて、俺はぐっと拳を握った。偉いぞ俺。ここで止まれる人物など、世界を見渡しても俺くらいだろう。
「宮島にも美味い物はある。後は島に渡ってからだな」
「おお、ほんとかっ!? そりゃあ、楽しみだな」
すっかり食べ終えてしまった器を互いに見下ろしながら、俺とリリスは腹を擦った。
旅はまだまだ、終わりそうにない。




