第25話 万全の日に。街で見つけたシュラスコ(後編)
俺は迷ったように右手に皿を持って立ち尽くしていた。
目の前に広がる光景を見つめ、うーんと眉間にしわを寄せる。
サラダバイキング。今俺はそれと真っ向から対峙している。
「迷うな……」
ちょいとサラダを取って戻ろうと思ったが、とんでもない。改めて見てみると、魅力的な料理が所狭しと並べられている。
ほどよく冷えた色取り取りの野菜。その横に並べられている肉料理に、俺は右手を悩ましていた。
ボルシチのような、濃い色合いの煮込まれた肉。丸く小さいポテトと共に炒められたポーク。どれもこれも美味しそうである。
しかし、油断は出来ない。美味そうではあるが、所詮はサラダバーコーナーの料理だ。冷えてはしまっているし、腹にも結構溜まるだろう。
「むぅ……」
普通のバイキングなら迷わず皿に盛るところだが、今回のメインはあくまでも焼きたての肉達である。ここは取らないほうが無難か。
「とりあえず、料理は避けるか」
他にも、オレンジ色に輝くポークビーンズや香辛料の効いたカレー等、罠とも取れる料理が鎮座していた。それをひとまずはスルーして、俺は新鮮な野菜類を皿に盛っていく。
「ヤシの芽? へぇ。珍しいな」
トマトや葉野菜を取っていた俺の目に、白い食材が映った。ヤシの芽と書かれたボードを見やって、俺はそれを二つほど皿に載せていく。
皿にはすでに赤いカブのスライスも載せられていて、どうやら野菜の種類も豊富なようだ。どこか暖かな風を感じるサラダコーナーを、俺は楽しみながらスライドしていく。
隅の方に置かれていた器の中のベーコンチップを大胆にサラダに振りかけて、俺は皿に目を下ろす。
調子に乗って、少し取りすぎてしまったかもしれない。目新しい食材を軒並み載せたせいか、大皿の八割方はサラダで埋まってしまっていた。
これくらいにしておくかと、俺はひとまずドリンクバーへと足を向ける。そろそろ次の肉をリリスが取ってくれているはずだ。
「……ん? こりゃまた変な飲み物があるな」
ドリンクバーに置かれたウーロン茶をグラスに注ごうとして、奇妙な存在感を放っている隣の色に目を奪われる。
カリフラワー。アボガド。赤カブ。およそジュースとは相容れないような名前が三つ、白緑赤と並んでいた。
かなりの強者だぞと、思わず手を止めてしまう。見れば、先ほど若い女性客がきゃいきゃいと騒ぎながら、奇妙なジュースをグラスに注いでいた。
案外美味いのかもしれない。そう思い、おそるおそるアボガドのジュースをグラスに注ぐ。飲めないといけないので、少しだけ。想像以上にどろっとした様子に、一瞬頬がひくついた。
「……よし、これくらいだな」
しかし、何はともあれ一段落だ。足りなければまた来ればいいだけだしと、俺はリリスの待つテーブルへと足を戻す。
重そうな皿を持って帰ってきた俺を、リリスが慌てたように迎え入れる。
「あ、やっと帰ってきた。おそいぞ」
「悪い悪い。思ったより色々とあってな」
その視線に、どうしたと問いかけながら、俺はサラダの皿をテーブルへと置いた。リリスの視線が一瞬それに映るが、野菜しかないのを見て取って、すぐに俺の顔へと視線を戻す。
「肉すっげぇ来たっ! すっげぇうまいっ!」
叫びながら、リリスがずいと目の前の皿を指さしていく。それを見やって、俺も思わず唸りを上げた。
「おおっ。……こりゃあ、すごいな」
てんこ盛り。そんな言葉が思い浮かぶ。俺の皿には、様々な部位の肉がこんもりと盛り上げられていた。
「結構いったな。もう少し手加減してくれてもよかったんだが」
「だって、五枚ずつって言ったじゃんよ。あたしは三枚にしといた」
リリスの言葉に、そう言えばそんなことを言ったなと俺は汗を垂らす。四種類ほどだろうか。それでも二〇枚に及ぶ肉達が、俺にやあと手を振っていた。
「これ、何て肉だ?」
「うーん。なんか、ビッカーニャとか言ってた。あと、肩の肉」
肉を一つフォークで突き刺しながら、俺はリリスに質問する。リリスもどれがどの肉かは覚えていないようで、うーんとこめかみに指を置いた。
俺もそこまで詳しく知りたいわけではないので、そのままふーんと相づちを打つ。肩ロースだか何だかはともかく、ビッカーニャに至っては何処の部位か皆目検討もつかない。
「……うむ。……うむっ! 美味いぞっ!」
しかし、名前など知らずとも美味いかどうかは分かるものだ。口に入れて噛みしめた瞬間、俺の口の中を肉の旨味が弾け飛んだ。
ジューシー。それ以外の形容が思い浮かばない。肉汁が溢れ出す、……ということはない。赤身のしっかりとした、しかしほんのりと油の乗った旨味。噛めば噛むほどに、肉という物を口にしている実感が襲いかかる。
ほどよい肉の甘さを舌に感じながら、俺は隣の肉にもフォークを入れた。
赤い肉の周りを、ローストビーフのように茶色い薄い層が覆っている。ペッパーだろうか。ただならぬ味を感じさせてくれる香りに、俺は我慢できないと口に運んだ。
「……うーむ。これも美味い」
予想通りのペッパーの風味。しかし、その予想通りが心地いい。少しだけ、先ほどの肉よりも脂肪の味が強い。しかしそれを、ペッパーの刺激が上手い具合に誤魔化してくれている。誤魔化された舌は、それをそのまま快楽として脳に伝えていた。
「うまいだろっ!? あたしはこれが好きだっ!」
舌鼓を打っている俺に、リリスが満面の笑みで皿の端のソーセージをナイフで指してきた。それに、ほぉと返事をして俺はフォークをちゃきりと構える。
ソーセージに突き刺して、そのまま口に運んだ。
俺は、ウインナーやソーセージは切らずに食べるのが好きだ。あの、かぶりついたときの音と食感が堪らない。
「おおっと!!」
歯を入れた瞬間、ぱきゃっという肉汁の飛び散る音がした。思わず顔を前に出すが、広がった肉の味に顔が即座に綻んでしまう。
厚めの皮が心地よく破れたと思えば、その中からは極上の肉汁。加工肉は何となく精肉の下に見られがちだが、そんなことはない。
絶妙な塩加減に、歯を入れたときの愉快な食感。これは、ソーセージが持つ強力なアイデンティティだ。
「あたしも取ってくるー!!」
俺がお勧めのソーセージを美味そうに食べるのを見届けて、リリスがぴょいんと席を立った。取りすぎるなよと警告して、俺はサラダバーに向かっていくリリスを見送る。
「……ふむ」
きょろきょろとサラダバーを見渡しているリリスを、周りの客が興味深げに眺めていた。それを見て、改めて変な奴だと実感する。
ゴスロリのフリフリ衣装に、頭には赤い花。銀髪の髪も常識離れに整った顔も、日本人には見えないだろう。
まさか魔界の悪魔だとは誰も思わないだろうなと、俺はリリスのアホ面に目をやって、ぐびりと緑色のジュースを口に付けた。
「うーん。これは失敗かな」
どろどろと、青臭いのか甘いのかよく分からない味が鼻を抜ける。まずくはないが、独特だ。
しかし、こういう冒険が出来るのも食べ放題の良いところだと、俺はアボガドジュースを飲み干していく。
ともあれ、皿の上の肉を片づけないことには次が頼めない。よしと気合いを入れながら、俺は肉に食らいつく作業に戻っていった。
ーー ーー ーー
「これもうまいぞっ! 取ればいいのに」
サラダバーから帰還したリリスは、顔を輝かしながらもぐもぐと口を動かしていた。
皿の上には野菜は一切無く、俺が躊躇した肉料理達がもりもりと盛りつけられている。
「そう目の前で食べられると、食いたくなってくるなぁ」
ボルシチっぽい煮込み料理に、ビーフカレー。肉を平らげて小休止中の俺を、これでもかとスパイスの刺激が鼻を叩く。
しかし、ここは我慢だと思いながら俺は牛のプレートを黒に戻した。
「まだまだ肉の種類はあるんだぞ。心してかからねば」
「むぐむぐ。うまいけどなぁ」
肉のソテーを頬に詰めるリリスを見ながら、俺は皿の上にフォーク下ろした。その先には、サラダバーで取ったニンニクのピクルスが刺さっている。
しゃくりとそれを噛みきって、俺はまだ見ぬ肉に思いを馳せた。……それにしても、このピクルスが美味い。後でもう少し取ってこよう。
口をさっぱりと洗い流すガーリックの酸味に頷きながら、俺は運ばれてきている肉に姿勢を正した。来た来たと、リリスに皿を準備するように目配せする。
「ハツになります。どれくらいお入れしましょうか?」
背の高い店員が、鉄串に刺された小さな肉の塊を見せてきた。どうやら鶏のハツらしくて、俺はふむと腕を組む。
丸まるとしていて、美味しそうだ。言われてみれば、ハツなんて焼き鳥かレバニラ炒めくらいでしか食べたことがない。小さいし大丈夫だろうと、俺は五つ注文する。リリスも、同じように右手をパーに広げた。
皿にころころと載せられたハツを、何だか可愛いなと思って見つめる。
「……うんっ! ぷりぷりだなっ!」
「小さいけどうまいなっ!」
食べた瞬間、リリスと感想を同時に叫ぶ。
焼きたてのハツ。味はシンプルな塩味だが、臭みが全くない。ぷりっとした食感は、ホルモン独特のものだろうか。肉にはない食感に、残りのハツをぱくぱくと運んでしまう。
「牛だけじゃなくて、鶏も美味いな」
「なー! ここいいなっ!」
考えてみれば、凄い贅沢だ。牛肉だけでもご馳走なのに、鶏も豚も食えるのだ。食物連鎖の頂点に立つとはこういうことかと、俺はもぐもぐと次の肉を待ちわびる。
チキンもポークも、来たら是非食べてみようと心に誓った。
ーー ーー ーー
「……うめぇ」
口の中に広がる温かな甘みに、俺は思わず息を呑んだ。
目の前のリリスも、目を真ん丸くしてフォークの先の黄色い食材を見つめる。
「いや、驚いたな。焼いたパイナップルがこんなに美味いとは」
ひとしきり肉を食い終えた俺たちは、食後のデザートタイムに突入していた。そのときタイミング良く持ってこられた焼きパインを、冗談半分で頼んでみたのだが……。
食べてみれば、これが美味い。……正直、今日一番の衝撃と言ってもよかった。
加熱することで、パインの独特な舌を刺す酸味が抑えられている。残るのは、何とも温かで上品な甘味だ。
それに、表面のこんがりと焼かれた部分も美味い。ぱりぱりというか、本来パインが持っていない食感が楽しくて美味いのだ。
俺もパイナップルは好きでよく食うが、こんな食べ方は初めてだった。もう少し頼めば良かったと、思わず拳を握りしめる。
「げふっ。……食ったなー」
「こら、はしたない。……げふぅ」
腹をさすりながら満足そうに笑うリリスに、俺は全くと窘める。紳士たるもの、常に優雅でなくてはいかん。……げふっ。
「デザートも結構あったな。取りにいくか」
「今度はあたしが先にいくー!」
俺の提案に、元気よくリリスが手を挙げた。それに、行ってこいと俺は頷く。
正直なところ、腹が重くてすぐには動けない感じだ。
デザートの方へ駆けていくリリスを見つめながら、俺はプレートを赤色にひっくり返そうと手を伸ばす。
「……あっ」
しかし、店の奥から出てきた店員が目に入り、俺はその手を止めた。
なんだあの肉は。まだ食ってないぞ。
でっぷりとした肉の塊が、台車の上にどんと置かれている。近づいてくるその肉に、俺はプレートから手を離した。
「三枚ずつください」
どうせあいつも食べるだろうと、俺は店員へと三つ指を見せていく。
今日は食べ放題。デザートの後があっても、いいだろう。




