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「三澄、お前はいったい何て言ってその子を脅したんだ?」
どうやらレセプションパーティーがあったこと自体に嘘はないみたい。
最近いろんなメディアで目にする機会の多いその人は、写真やテレビ越しで見るときよりも一層洒落たデザインスーツをさらりと着こなして、三澄さんをからかうようなその口調は年齢よりずっと若々しい――なんていうか、イタズラ好きな悪ガキみたいな印象を受ける。
大ぶりな顔の各パーツはその人を陽気に見せている。垂れた目元が甘さを漂わせ、少し厚い唇が男っぽさを濃くしていた。なんだか舞台俳優みたいだよなぁと雑誌を見て思っていたことがある。
やや長めな髪を後ろに撫でつけて、長い手足を組んでソファに座っていた。あぁ、ワインなんぞ飲んで優雅なことで。
「脅してなんかいませんよ。代表の指示通りにお連れしました」
「あっそう。その割に驚いている様子とかないねー。ばれちゃってたのか」
「察しの良い方なので」
それはどうも恐れ入りますという感じで、私は三澄さんの言葉にますます居心地が悪くなる。ただの高校生なので、あまりハードルを上げてほしくないのだけど。
にんまりと私に向かって笑って見せたその“代表”は、ソファの向かい側を手で示して座るように促してきた。
「悪かったね。大人はずるい手をほいほい使うんだな、これが」
「はぁ」
「あ、何か飲むかい? ワインとオレンジジュースしかないけど」
「じゃあジュースをいただきます」
「三澄、頼んだ」
「はい」
気安い口調と裏腹に、すごく観察されているのがわかる。動物園のパンダ状態。水槽の中の金魚でもいいけど。
三澄さんがオレンジジュースの入ったグラスを目の前のガラステーブルに置いてくれた。事前にルームサービスで取って置いたものなんだろうな。
無性に喉の渇きを覚えて、私はジュースを一口飲んだ。よく冷えている。
そんな私の一息つく瞬間を代表は待っていてくれたようだ。三澄さんを斜め後ろに立たせたまま(秘書の決まったポジションなのかもしれない)、出来る限り威圧感を排除したような声を出す。
「で、慧香ちゃんは俺が誰だかは知っている?」
「はい――海棠さん、ですよね」
海棠久具。たしか三十歳半ばくらいだったと思う。株式会社JUPITER代表取締役社長にしてその創業者の一人。大学院生のときに起業したんだっけ。オークションサイトの設立と同時に、革新的なソフトウェア開発・販売を行い、いまではSNSやソーシャルゲームの運営などを事業展開する、時代をときめくIT企業のトップとして名が知られている。
……とまあ、このくらいがニュースや新聞で手に入れられる情報だ。
「そう、海棠です。はじめまして」
「はじめまして。谷口慧香です」
もうすでに調べられる限りのことは調べつくしてますっていう態度だけれども、それでも礼儀だから名乗っておく。
海棠さんはくすりと笑うと、あまり緊張しないでね、なんて無茶なことを言った。
「不躾な方法で君を呼び出した最大の理由は、ただ会ってみたかったからだ。仰々しいことだと君は思うかもしれないけれど、私たちが嘘でもつかなきゃ君に接触しづらくてね。なにせ、相手はあの脩だから」
知ってるだろ?と言われれば、そうですねと頷くしかない。脩さんがそれはもう大事に大事、私を扱っているのはわかっている。
「じゃあ、このことを脩さんは知らないんですか」
「そうだよ。いまは嫌々パーティーに出席してるからね。私はこっそり抜け出してここにいるんだ。後で烈火のごとく怒り狂って乗り込んでくるから、そのときは手荒な真似だけはしてないってことを証言してほしいんだけど」
「はい、わかりました」
格段嫌な思いをしているわけじゃないし、そのくらいは構わない。ただ鬼が出るか蛇が出るかというような予測をした分だけ、寿命は縮まったかもしれない。
海棠さんが私を面白がっているのがわかる。
「君はずいぶん落ち着いているんだな。普段からそんな感じなのかい?」
「さあ……鈍いってよく言われますけれど」
「はは、それこそ冗談だ。私としてはありがたいよ。泣かれたり騒がれたりしたらどうしようかと思っていたからね。女子高校生と喋る機械なんてそうそうないし」
私も企業の社長と話す機会なんてそうそうないです、と目で訴えた。……軽く無視される。
「脩は君の前ではどんなかな。きちんと“大人”をやってるかい?」
「え……?」
「それとも我がままを言いたい放題かな。私もあいつとの付き合いはそこそこ長いけれど、こればっかりは予想がつかなくてね」
「さあ……私の周りの“大人”と比較していいものかどうか。我がままと言えば、そうなような? いや、違うような?」
自分の思うがままにするという意味では、たしかにそうだ。あの超がつくほどマイペースに、でも強固な姿勢で世話を焼いているところに、私の意見の入る余地はほとんどない。だけど本能的に私が心底嫌がることだけはしないでいてくれているんだから、それを我がままの一言で片づけるのもどうかと思う。
世話を焼かれるのは楽なくせに、構われすぎて落ち着かないとか考えている私の方が、よほどいただけない。
「私を甘やかすのが好きみたいです。料理や洗濯の家事全般から、学校へ迎えに来たがったり一緒に買い物に出たがったり。私が用事を入れていない土日祝日は、たいてい一日べったり一緒にいます。飲み物からおやつからすべてあてがわれて、DVDを見たりゲームしたり。ドライブがてら遊びに行ったり。水族館とか動物園とか、すごく小さいとき以来に行きましたね。放っておくと服やらアクセサリーやらを増やしたがるので止めるのに苦労します。最近は食べ物に関しては文句を言わないと学習されてしまったようで、高級ブランドのチョコレートとか話題のマカロンとか用意されたときには、さすがにあっさり折れちゃいました。私、脩さんに会ってから確実に体重が増えてます」
ほぼ一息で言い切った。どうだ参ったかと言わんばかりの私に、海棠さんが苦笑している。というか、困惑している。
「へえ……三澄、想像つくかい?」
「いえ。なんというか、私の知らない佐野ですね」
微妙に引きつっているような三澄さんの表情が気になる。なに、そんなに私への脩さんの態度は強烈なんだろうか。そうだろうけど。でもそれって、私以外にも同じわけじゃないのかな。
「三澄さんも脩さんとは長いんですか?」
ふと、気になって訊いてしまう。
「長いというほどでは……。佐野と私は同じ大学の出身なんです。学部が違うので接点はほぼないはずだったのですが、共通の友人がいたので知り合うことになったんです。卒業後もその縁があってJUPITERに勤めることになりました」
「縁……ですか」
ああ、ついに踏み入れてしまった。
呼びつけたはずの海棠さんも三澄さんも、たぶん私が言葉にするまでは絶対に脩さんについて多くは語らない。脩さんを大事にしてるんだろうな。勝手をして許されることと許されないことを、きちんとわかっている。騙すようにしてこの時間を設けたことを笑い話にするには、私から脩さんという人に入り込んでいくしかない。
もう、何でこうなったんだろう。
私は覚悟を決めるしかなかった。なんの? 知らない、そんなこと。
「――……脩さんは、誰なんでしょうか」
私からすれば捨て身の言葉だ。だってこれまで、知らなかったからこそ平穏で、楽しかった。知ってしまえばそれはもう、私は無関係な人間ですなんて言えない。周りがそうは認識しない。脩さんが変わらなくとも、同じようにはいかないんだ。私は離れるなんて言いながら、いつまでも一緒にぬるま湯に浸っていられるような、そんな夢さえ見ていたのに。
「……佐野脩は――」
海棠さんは待ちわびたと言わんばかりに、にっこり笑って教えてくれる。
その肩書の羅列に、感動は覚えなかった。
ただ、聞いてしまったという事実が重かった。
いつものように迎えに来るであろう脩さんと、私は何を話し合えばいいんだろう。
目の前の二人は、その答えまでも用意してくれているんだろうか――?