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私のちょっと戸惑う様子など何のその。さすがは麻子。ぐいぐい押してくる。
「それとなく“不思議さん”の執着心を薄めつつ、“パパ”に可愛くおねだりして大金せしめなさいよ。寮に入っちゃえば学院の力もあるし、そうそうどっちも干渉できないわ。“不思議さん”とは縁切り、“パパ”とは再び物理的距離を置く、と」
「なぁに、その悪女な女子高生!」
「悪女になれ! 立派に生きろ!」
自分に尽くしまくる男をもういいわとポイ捨てした挙句に、お金持ちのパトロンから巻き上げるだけ巻き上げて煙に巻く! これを悪女と言わずして何とするのか。私と父親は書類上は赤の他人であるから、なおさらにその設定が色濃くなる。まったく冗談にならない。
「……アサの言いようは別にしても、まぁいいんじゃねぇの。なんだっけ、次善策?」
それでさらに面倒が起こるようなら俺や麻子が介入するし、と航平が言った。
たしかに私が我が家の不徳の致すところである家庭事情に、友人といえどあまり入ってほしくはなかった。だって赤面モノだもの。
けれどとことん困ったら助けてくれる用意があるという、そのセリフだけで何だか十分すぎるほどに心が温まる。
でもそうだ。二人にいらない心配やら迷惑をかけるくらいならば、証明がないとは言っても私の父という立場を声高に叫びたいあの人に頼った方がまだマシなんだよね……。
うん、と頷いて二人に笑って見せる。
「ありがと。私もこのままっていうのは無理あるなぁって思うし。うん、悪女になるのね、前向きに考えるよ」
どうも前向きに考えるネタじゃないはずなのだけど、麻子の目も航平の目も真剣だ。
「じゃあまずは“不思議さん”と距離を置かないとね。幸いにもお互いのこと何も知らない状態で止まってるんだし、相手のテリトリーに踏み込むのだけは阻止しなさいよ。特に知人友人関係は要注意!」
「了解しました、隊長」
「うむ」
満足気に頷いた麻子と私を、航平がやや呆れ気味に見ている。
日曜日のカフェタイムを彩る陽気な会話じゃなかったはずなんだけど、私は話しておいて良かったなぁと思った。
……本当の本当は、誰かに促されないままなら、脩さんが飽きるまで一緒にいてしまいそうな自分を自覚している。流されるような生き方は卑怯かもしれないけど、すごく楽。責任は私にないって言い逃れしそうになる。
でも、それじゃいけないんだよね。この優しい二人の友達の前で、そんな恥ずかしい想いは捨てないといけない。じゃないと一緒に笑っちゃ駄目だ。
決意も新たに、私は麻子と一緒に悪女って何だという話題で盛り上がった。ときどき航平からの突っ込みをいただきつつも、多少くだらない話題というのはすごく楽しいのだ。
また大通りをぶらぶら歩きまわって、最後にはボーリングに行った。麻子と航平が張り合ってしまって結局は三ゲーム。
散々遊びつくしてお開きになったのは十九時だった。
航平は外泊届を出していたらしく、今日は家に戻るんだそうだ。だから送っていくと言われたけれど、家のお抱え運転手がいる麻子は、白馬の王子は私だ!と航平に言い放ってそれを制した。苦笑一つこぼした航平と別れて、私は麻子の家の高級国産車に揺られていた。王子様役の麻子さん、この馬は白くありませんよ。
航平の前では言えなかった女子クラス内での噂に花を咲かせつつ、そういえば脩さんは会社に行ってしまっている時間だなぁとふと思った。
遊んでいた界隈からマンションまで車だとけっこうかかる。途中に渋滞が発生しやすい通りもあるから、時間はすでに十九時半を回っていた。脩さんが居ないとはいえ、一応はもうすぐ帰るということを連絡した方がいいだろうか。メールでも打つべき?
――そのとき、携帯電話が震えた。
着信先は脩さんだ。帰宅したかどうかの確認かな。まめだから有り得る。
電話に出ていいかと麻子に目をやると、相手が誰だかわかったんだろう。盛大に不機嫌な顔。ごめんって。でも出ないわけにもいかないでしょう?
「脩さん? いま麻子の家の人に送ってもらっているところ。もうすぐ帰るよ」
『――あ、どうも初めまして。谷口慧香さんで間違いありませんか?』
……誰?
声の主は脩さんではなかった。丁寧な口調はどこか柔らかで、なぜかずっと以前からの知り合いに話しかけられたような親しさがある。はじめましてと言っているのに、何でだろう。
「は、ぁ……あの、え……?」
『大変失礼いたします。私は、佐野脩の同僚の者でミスミと申します』
「ミスミ、さん?」
――同僚。ああ、そんなものが世の中には存在しているんだ。それはそうだ。
『佐野は疲労が濃かったようで、仕事の出向先でいま体調を崩しているのです。ああ、たいしたものではありません。幸いにも軽い眩暈と貧血という程度です。大事を取ってこちらで静養させる準備をしているのですが、佐野があなたのことを気にしていましてお電話いたしました。失礼ですが、いまはどのあたりにいらっしゃいますか?』
ほんの少し電話を離して、前方の運転手さんにここはどの辺りかと詳しい地名を訊く。
それを伝えると、そうですかとミスミさんは向こうで頷いたようだった。
『あなたを一人にすることを佐野は嫌がっています。出来ればこちらまでお越しいただきたいのですが、それは可能でしょうか』
「あ……どこに行けば?」
『鷹栖ホテルまでお越しいただけますか』
格式高い有名ホテルの名前はもちろん聞き覚えがある。
「わかりました。あの、ホテルに着いたら――」
『ロビーでお待ちしております。そこからは私がご案内を』
「はい。二、三十分はかかると思います」
では、と最後まで丁寧すぎるほどの対応だった。脩さんが私を何と言って紹介したのかわからないが、おそらく立派な成人男性である人にあそこまで堅苦しい口調で話されたことなどない。
――いけない。何はともあれ脩さんだ。
「麻子、ここで降ろしてもらっていい? 鷹栖ホテルまで行かなきゃいけなくなったの」
事情を説明することはしなかった。けれど私の表情から読み取ったのか、やれやれとばかりに麻子は肩をすくめる。
「何言ってるの。だったらこのまま行けばいいでしょ」
運転手さんに行き先の変更を申し付ける。その言いようはさすがの堂に入っていて、こういうのがお育ちっていうんだなぁと感心させられた。
「それにしても……もしかして、冒頭から計画頓挫じゃないの?」
ふぅっと溜息をついた麻子に、私もそうだと思い至る。
相手のテリトリーに踏み込まない。特に知人友人は要注意。
――仕事の出向先や同僚なんてその最たるものだよね……?
ついに“不思議さん”を不思議のままでは置いておけなくなったこの状況に、私はにゃははと麻子に笑って見せるしかなかった。
何てことだ、巡りあわせってやつは!
生まれながらのタイミングの悪さは、まったくの健在のようです。