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「お前……ほんっとに、馬鹿なのか?」
しみじみと本当に言葉のまま“馬鹿め”と私を睨んだ航平は、どうやら苛立っているようだった。
ランチを取って麻子のコートを買って、今は三人でカフェのケーキセットを食らっている。男子だけれど甘いモノがけっこう好きな航平は、ガトーショコラを乱暴に口に放り込んだ。
「だいたいアサ、お前がこいつにもっと何とか言ってやれよ。貞操観念とか教えろ」
「何言ったって聞かないのよ。馬鹿だから」
目の前で散々に私をこきおろす二人組。ああ、チーズケーキがなぜか苦い……。
「あのな、そいつが金持ちだろうが家事スキルが高かろうが美形だろうが、全部どうでもいいんだよ。二十五歳独身の男、おまけに異常な執着心を見せている変態野郎とよく一緒に暮らせるよな。俺が代わりに通報してやっか?」
至極まともなことを吐く航平に、麻子もただただ頷いている。
染めた茶色の髪といくつものピアスで耳を飾った航平は、なんというか“今時の男子高校生”だ。少しばかり頭が悪そうに見えるけれど、見えるだけなのを私も麻子も知っている。成績は毎回上位集団に名を連ねているし、病院はお兄さんが継ぐとはいえ医者になる気はあるみたい。医学部進学を目指して高校一年生の今からこつこつと受験勉強を始めている努力家だ。
本当に偉いぞ、航平くん。
「ぼんやりしてんなよ。取り返しがつかなくなってからじゃ遅ぇっつの」
麻子にも同じような言葉を言われたよなぁ。
そろいもそろって心配性な友人たちだと思ったけれど、たしかにぼんやりしている自覚もあるので強くは言い返せない。
「でもさ、本当に何もないんだもん」
「変態野郎だって言ってるだろ。手出さないだけでもっとやばいこと考えてるかもしれねぇの」
わかったかよと航平は最後の一口を飲み込んで、コーヒーをすすった。
休日で賑わった街中のオープンカフェで、何ともいたたまれないお説教タイムである。
「真面目に言うけどな。そろそろ縁を切れよ。家に戻るのが嫌ならアサのとこでも行けばいい。けどそいつからは離れろ」
「麻子の家も航平の家もブルジョアだもん!」
脩さんも高級マンションに住んでいるけれど、二人の家は規模が違う。一軒家で家政婦付きだ。
「だからだろ。貧乏長屋に転がり込むより遠慮しなくていいだろうが。お前一人くらい何の負担にもなんねぇよ」
「……航平のお金じゃないんだからね」
「変態野郎の金ならいいのかよ」
はっと小馬鹿にしたような笑い方にはさすがにむっとしたけれど、言われていることには矛盾がなかった。あるとしたら私自身だ。
「じゃなきゃ寮に入ればいい。男子寮と同じくらい古いけど、中は綺麗に整備してあるらしいしな。朝食と夕食が用意されて雨風しのげる」
……なんていうか、お坊ちゃんのくせにずいぶんと庶民的感覚が身に着いちゃったんだなぁ。
弥代学院の中で特別お金がかかっていると噂の<國江邸>とは違って、航平が入っている男子寮というのは、いまでも伝統というものが息づく場所らしい。入寮すれば必ず先輩たちからの“洗礼”を浴び、おまけに骨の髄まで“洗脳”されるとの噂(談:麻子)。本当か嘘かは知らないけれど、どんな我がままお坊ちゃんも、寮に入れば早々に脱落するか、人間変わるかのどちらかにしかならないんだとか。
さらに言えばそこでも性根が治らない生徒が<國江邸>に監獄よろしく送られるという話もある。
金持ちの次男らしく奔放でそれなりにいけ好かない性格だった――これも麻子いわく――という航平が、中等部の三年から無理矢理に男子寮に入れられてからは、私のよく知る頼りがいのある部分を身に着けたのだそう。苦労は買ってでもしろ、ということか。
「寮かぁ……やっぱり寮費は高いよね」
「まぁ、仮にも弥代学院の寮ですから? 航平は質実剛健とか言い張ってるけど、独自の寮祭やら各種イベントのために経営陣とやりあってる歴代の寮長を思えばねえ……」
「あー……今年の寮祭も酷かったんだよな」
酷い? 酷い寮祭ってなんだろう。生贄でも用意して悪魔集会かな。
麻子の言葉に心底嫌そうな航平の顔。うーん、寮ってそんなに怖いところなのかい?
「庶民の私には無理だなぁ」
「何言ってんのよ。こういうときに“パパ”がいるんでしょ」
けけっと小気味よく笑った麻子に、私は思わず顔をしかめてしまう。
パパ――それは禁句というものじゃないか。
「おい、アサ!」
「何よ、航平。だいたい遠慮なんてする必要がどこにあるの? 私は思うのよ。たしかに“不思議さん”のことは信用できないっていうか、慧香がそこにいるのは心配。でも娘が三週間も家に帰ってないどころか、すでに四ヶ月も前から男の部屋に入り浸っていることを感知しない慧香のお母さんもどうかなって。仕事が忙しいのはわかるわ。慧香が案外しっかりしてるのもわかる。でもそれとこれとは別じゃない? だったら身元も目的も確かな“パパ”を有効活用する方がずっといいわよ」
仕事に夢中。娘を信頼している――そんな言葉で表現するには多少スパイスが足りない母さんなんだけど、麻子が言うことはおおむね間違ってない。むしろ正しい。正しすぎて落ち着かない気分になるほどだ。
「うー、でも――」
「“パパ”は慧香にぞっこんなんだし」
「でもさ、」
「お金も持ってるし」
「でも、ね?」
「だからって慧香が同じだけのものを返す必要もないのよ」
私がその“パパ”に容易には頼りたくない葛藤まで見透かしている言葉に、何を言い返したらいいものか。
「慧香の母親もそうかもしれないけど、俺はその“パパ”もどうかと思うが?」
「次善策よ。諸手で喜べなくってもそこにあるのは父性愛でしょ。赤の他人への変態的執着心よりは信用に値するわ」
あー、もう。本当に航平も麻子も容赦ない!
冗談半分で怪しげなパトロンのような呼び方をしているその人は、間違いなく私の父親なんだけど……。それこそ母さん以上に私の手に余るんですよね、正直言って。
脩さんと不思議な関係に陥っていることを察知されてからは、この二人に私のつまらない境遇を根掘り葉掘り吐き出されたことはけっこう近い過去だ。そのときの二人は私の周辺事情を「一筋縄ではいかない」と大小判を押してくれた。そしてそれ以来、私の家族への二人の風当たりはかなり強い。
仮にも私の遺伝子の原点に、何かこう気を使ってもいいものを。
……まあ、仕方がないとは思う。
私の両親は「正々堂々と世の中に公表しちゃいけない仲」だった。私はそこに意図的じゃなく、かなりタイミングの悪い生まれ方をした。
母は思いもがけずシングルマザーになってしまい、父もまた思いもがけず隠れた家系図に私を加えることになった。
実質的に私を育て上げた母親はその苦労からか、しょっちゅう私の存在を忘れたがる。そして金銭的な援助だけは秘密裏に行ってきた父親は、遠くで育つ私という存在に淡く美しい夢を抱いている。子育てに直接関与しない立場がそういう幻想に走らせるんだろうなぁ。逆に母は自分と同じ“女”である私に何の希望も持っていないだけの話で。
成長していく私の様子を仔細に探らせているらしい父親は、高校に上がった頃から頻繁に連絡を取りたがる。片手で足りる回数しか会ったことはないのだけど、いわく私が「可愛くてしょうがない」らしい。部下を使って高価な贈り物を届けさせるその行動はたしかにパトロン――“パパ”って感じなのだ。もちろん丁重にお断りしてお持ち帰りしていただくので、父親は不満がたまっているに違いない。
そしてもう一つ。父は間違いなく脩さんの存在をも知っている。それとなく悪い虫から離れろ的な伝言が来るあたり、絶対そうだ。ただ私としては、聞く義理もないと思っているから無視していたけれど。
寮生活を送りたいと申し出れば、快哉を上げて資金援助するのは想像に難くなかった。
……なんてったって、親馬鹿だから。