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「単刀直入に訊くけど、うちの愚弟は何をしたのかしら」

「え、と……?」

 何かしたか、ではなく、何をしたか。

 断定系の詠美さんはまぁいいとして、その隣で三澄さんまで否定しないとなれば、あの人の周囲における認識ってどうなっているんだろうかとめちゃくちゃ不安になる。


 下校時に捕まった形になった私は、詠美さんに連れられてカフェに入っていた。約一年前、散々お世話になった店長のタイゴさん――井森大悟さんのお店だ。

 いまでもときどきは通っている場所だったけれど、詠美さんに引きずられるように店内に入ってきた私を見て、大悟さんは開いた口がふさがらない様子だった。きっと佐野姉弟ともどもと知り合いということなんだろうけれど、遠目に詠美さんを怯えるような目で見ているのは何でだろう。


 もう一度確認するように詠美さんを眺めれば、やはり知的美人であるというキラキラ感が眩しい。私の母さんもそれなりに綺麗な人だと思っていたけれど、詠美さんは母さんが背負っている陰鬱な影をすっかり取り除いてオーラを足したような――とにかく別次元の存在感を放っていた。佐野家のDNA、実に恐るべしだ。

「で、どうなの」

「あー、その辺の事情なら三澄さんの方がお詳しいのでは……」

「もちろん馬鹿男があなたを呼びつけたっていう胸糞悪い話なら聞いてるわ。あなたがそれに特に目立った反応をすることもなく、あっさり愚弟と帰って行ったっていうことも。でも実際にあなたは翌日からあのマンションを出て、以降は愚弟と連絡を取っていないわよね」

 追及の手を休める様子のない詠美さんに、それとなく三澄さんを人身御供に差し出してみたのだけれど……やっぱり駄目か。

 それにしても、何で私は初対面の方にこんな尋問じみた行いをされているんだろう。いくら迫力の美人を目の前にお茶が飲めるとは言っても、精神的負荷と天秤にかければ割に合わない気がする。


 いろいろこの理不尽な状況に考えを巡らせていた私に、答えることを躊躇しているとでも判断したであろう詠美さんが、ごめんなさいねと息をついた。

「私ったら……迷惑をかけているのは愚弟なのに、ついつい口調がきつくなっちゃって」

「あ、いえお構いなく」

 たしかに美人の口から「胸糞」とか聞きたくないけども。

 でも暗に詠美さんが私を“被害者”と捉えていることには、きちんと否定したかった。

 詠美さんにとってみれば、いい大人である自分の旦那さんが小娘の牽制に走ったことも、それより前に弟が私に関わったことも、責任の所在が自分たちにあるのだと思っているんだろう。

 そうじゃないことは私が一番よくわかっている。だってあの日、私は自分でも驚くくらいあっさりとマンションを出てきた。きっとそれまでだって、私が本気で嫌がればそうなったはずなのに、私は私自身の都合と我儘であの人の側に居た。求められているかどうかなんて気にもせず、ただぬるま湯のような日々が心地よくて。

「私が甘えていただけなんです。見ないふりしていたその間違いに改めて気づいて、このままじゃ駄目だって思ったから」

 だから出てきたのだと説明した私に、詠美さんは少しだけ寂しそうに笑った。

「……あなたはきっと聡い子なんでしょうね。相手が望む言葉を知っているわ」

「え?」

「海棠も同じように言っていたの。『あの子は動揺もせずに、こちらが聞きたい言葉を用意する』って。私は脩の口からずっとあなたのことを聞いていたわ。そしてときどき、脩が悩んでいるのも知っていた」


 ずきんと、胸の奥が痛んだ気がした。思わず眉根に力がこもる。

 あの人が悩んでいたことなど、私は知らない。気づきもしなかった。それはもちろん私に知らせないように配慮されていたことだろうけれど、わかっていることと納得できることは別だ。

 詠美さんは私を案ずるような目のままで、話を続ける。

「あの子の情緒が少し奇妙な方向に行っているのは私も承知しているわ。正直、脩がどういう意味合いであなたを側に置きたがっているのかは、姉の私にもわからなかった。けれど一つだけ確かなのは、あの子が心の底からあなたを大事に思っていて、どれだけでも甘えてほしかったということ。あなたは充分に脩に甘えていたつもりかもしれないけれど、自分から脩に何かを望んだことがどれだけあったかしら」

「そんなの……」

「脩は悩んでいた――違うわね、不思議がっていたのよね。あなたが本音を見せたのは最初の日だけで、それ以降はずっと見えない線を張っているんだって。どこまで踏み込めばその線を越えるのかもわからない。側に居てくれる理由もわからない。自分に問うことも責めることもなく、ただ毎日一緒に居てくれるのは何でだろうって」


 なんだか頭の中がぐるぐるするんですけど? 本音って、もしかしなくても熱に浮かされながらみっともなく泣いたあの一件を言ってるんですかね。

 というか、そこまでいろいろと最初の段階で悩んでいたくせに、何も問わないであれやこれやと事態を進めて行ったのは向こうじゃんか。それを何故いま私が責められている風なの? これって普通なの? 

 私は頭を抱えた。もはや目の前に詠美さんや三澄さんがいて、遠くには大悟さんがハラハラとこちらを見守っていることなども無視して、自分の思考を落ちつけようと思った――けど無理だよ、やっぱり。だって本当に、意味わからないわ。


「はあ?」


 剣呑な私の声に三澄さんがビクリと反応したのが分かった。大の大人をびびらせる態度の悪さ。私って酷い。

 でもいまの話からすると、あの晩にキレたのは私じゃなくてあの人が先ってことにならないか。確信的にあの状況を利用していたであろう彼に怒りを感じたり、結局はお互いにまったく理解し合えてない関係だってことがわかったり、とにかく諸々が腹立たしくて悲しくて。

 ……それが向こうも同じだったって言うんだろうか。そんな馬鹿な。十六歳の小娘と同じ頭の中身でどうするんだ、あの天才様は。

 だいたい私と彼の疑問が同じところにあるとして、それは卵が先か鶏が先かと言うほどに堂々巡りだったんじゃないか。いまでこそ私はあの人が好きだったという自覚があるものの、向こうはやっぱりそういう感情とは無縁そうなわけで。私→彼の執着の理由は成り立っても、逆は説明つかないまま……。なんかすごく損した気分だ。

「頭痛い……」

「慧香さん、大丈夫ですか」

 気遣ってくれる三澄さんには申し訳ないけれど、大丈夫なはずない。

 早々とこの場を去りたい衝動に襲われつつ、それでも最後にこれだけは言っておきたいと詠美さんを見た。たぶん、あんまり優しくない目で。

「詠美さん、弟に甘いって言われませんか?」

「すごくよく言われるわ。ちなみに海棠も三澄くんも脩には甘々よ。砂糖漬け状態」

 だからあの変人が出来上がるわけだよ!と私は言ってやりたかったけれど、この四面楚歌な状態がひたすら耐えがたくて、溜息で片づけることにした。


「脩に頼まれたから来たわけじゃないのよ。相変わらず引き籠りで、ついに電話にもメールにも出なくなったあの子を家に行って問い詰めたら、あなたに愛想尽かされたって言うもんだから。放っておけばそのうち耐えがたくなってまたあなたを拉致してくるんじゃないかと思っていたんだけれど、それを実行に移せないほど落ち込んでるなんてね。あんな脩は初めて見るわ。あなたの話が最初に出てきたときも、あの子に他人に対する興味なんてあったのかと驚いたものだけど」

 簡単に拉致とか言うなよと私は思うのだけど、詠美さんはいっそ楽しそうにけらけら笑っている。

「私ね、あなたと脩を比べればもちろん脩が大事よ。だから始まりの話を聞いても脩を責めなかったし、あなたが例え傷つくとしたって曖昧な生活を続けられるだけ続ければいいって思っていたわ。何せあの子の精神年齢って十五歳で止まってるから。初めて興味を示したあなたと同じ空間に長くいれば、何か変わるかもしれないって思ったのよ」

 ああ、こういう手段を選ばなそうなところ、やはり佐野姉という感じだ。間違いなく血縁を感じる。おまけに海棠さんの奥さんというのも納得。やはり毒は毒を持って制すってこういうことかな。違うか。

「弟と仲直りしてほしいなんて頼むつもりはないわ。けれど今日あなたに会ってみて確信した。脩とあなたとの関係はまだ切れない。どんな形でも、もう一度結びなおされるわよ」


 呪いのような予言を吐いて、詠美さんは三澄さんに目配せして店を出て行った。

 さすが、別れの挨拶すら言わない。

 

 遠巻きにしていた大悟さんがようやくこそこそとドリンクのお代わりを持って近づいてきて、小声で私に「怖かったろう?」と訊いた。

 ええ、もちろん。めちゃくちゃ怖かった。何なんだろうあの人。


「知り合いの間で“魔女”って呼ばれてんだ」


 ……それはまた――的を射すぎじゃないかな。








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