表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カレとカノジョの不可思議コード  作者: 青生翅
An abductor of Xmas.
16/19




 自分のことを“詐欺師”呼ばわりされても、脩さんの顔に大きな感情の動きは見られなかった。強いて言えば、少しばかり目を見開いて、私を不思議そうに見つめただけ。

「自覚がないの?」

 訊いておいて、そうかもしれないと私の心が答えた。

 脩さんの本性はけして悪人ではない。そのくらいはわかっている。けれど自覚もないままに誰かを試したり、その心を否定したりするのなら、それはひどく悲しい所業だと思った。脩さんにとっても、試されて否定される側にとっても。


 出会って十ヶ月、脩さんとの会話がときどき成り立たないのは、彼が自由人とでも言うべき人間だからだと思っていた。

 けれどいま、確信を持ってそれを否と断じることが出来る。

 脩さんは全然自由じゃない。私の理解できないモノに縛られている。

「……脩さんは、私にどうして欲しい? 何を言って欲しい? 私の何が欲しい?」

「何も。慧香は何もしなくたっていいんだ」

「――嘘ばっかりね」

 私は笑って見せた。こんな顔はしたことがないと自分でも自覚するくらい、きっと歪んで醜い笑顔だ。


「脩さんは、本当に、嘘つき」


 ぶつ切りの言葉を投げつければ、そこでようやく脩さんの瞳が陰った。いつでも光をともしていた悪戯っ子のような色はどこにもなく、ただぽっかりと黒い二つの円になる。

 暗い車内の空気が冷え込んで、濃密な毒素が充満するように呼吸が苦しくなった。

 脩さんを傷つけたいわけじゃないと涙を流す私と、傷つけて泣かせてやりたいと笑う私。脳内でその二人が分裂して増殖して、激しく主張をがなり立てている。天使と悪魔。そんな対比を思いついたけれど、いったいどちらが天使で、どちらが悪魔? 善悪を判断してくれるのは誰だろう。居るのならばいまの私を止めてほしい。


「だったら私を追い出して」


 吐き出す先から後悔する言葉に、本当の意味で傷つくのは誰だろう。脩さん? 私?


「私に何も望まないなら、側にいる必要なんてどこにもない」

「そんなこと、」

「あるよ。そんなこと、あるのよ」

 私を頑なに家に帰さない脩さん。その理由をずっと訊かずにいた。それでいいのだと思っていた。なぜなら「そこに理由があるはずだ」と思っていたから。良い理由か、悪い理由か、後者じゃないことを祈っていたから――ううん、前者であるとなぜか確信していた。

 でもいま、その前提条件が揺らいでいる。「理由などない」または「その理由はけして理解出来ない」。どちらであっても私には耐えがたい。

 戯れに注がれた愛情にも似た数々の行いが、偽物だと言われたならどうしようか。私は本当の家から逃げ出した臆病者なのに、箱庭さえも張りぼてだったなら、何を信じればいいのかもわからない。そして、もしも脩さんの心が本当の意味で理解できないものだったなら、私はこれから先もけして、彼のために言葉を紡ぐことも、他の何も出来はしない。彼だけのお人形でいなければいけない。


 ああ、そうか。


 唐突に落ちてきた一つの答えは、私を慰めたりしなかった。もう今さら遅いようにしか思えなくて、いっそ絶望的な気分になる。そして、私は馬鹿だと確信した。


 ――脩さんが好きだ。


 あの日、「君は独りぼっちだよ」と突き落としたくせに、私を腕の中で泣かせてくれたときから。初めて会うような“大人”が私を愛しんでくれているように感じて、私は脩さんを好きになっていた。

 なんて滑稽さだろう。世間で嘲笑われる小娘の恋にしたって馬鹿馬鹿しい。瞳にせり上がってくる熱を抑え込むのに忙しい私の代わりに、誰か盛大に笑ってくれないかな。

 ついに零れ落ちてしまった私の涙を見て、脩さんの暗い瞳が、すこしばかり動揺したような気がした。思わずと言った感じで伸ばされた指先から、私は嫌だと逃げる。

 もうあの日を繰り返すことはできない。どんなに寂しくても、恋しくても――。

「君を追い出したりしない」

「なら私が出てく」

「駄目だよ」

 断言するその言葉にイラついた。駄目なはずない。明日、私が居た場所に違う誰かが立っていたって、脩さんにとってはプラスにもマイナスにもならない。

「脩さんに私を縛る権利はないでしょ」

「慧香、急にどうしたんだ?」

 心底わからないという顔で、脩さんの綺麗な顔が歪んだ。傷ついているのかもしれない。でも今の私は優しい気分からはほど遠くて、思いやりの欠片も抱けない。

 ただ、楽になりたいだけ。

「急じゃない……もう私は充分に、脩さんのお遊びに付き合ったということよ」

「……遊び?」

「まだ足りないなら、別な子にして。私じゃなくてもいいでしょ。――私も、脩さんじゃなくてもいいの」


 嘘つきに嘘をつく。けして自分を騙せないほど拙いくせに、それは妙にリアルで冷たい響きを宿していた。自分の言葉が怖い。


「……慧香は俺が嫌になったんだ」


 この車で十数分前に聞いたセリフが、今度は断定系になった。


「嫌になったんじゃないよ」

「慧香は俺じゃなくてもいいんでしょ」

「脩さんは私じゃなくてもいいからね」

「――俺には慧香がわからない」


 ――その言葉にどれほど私が痛みを感じるか、わからないんだものね。


 時間が来たと思った。味わったことないほど甘くて、でも最高に苦い夢が終わる時間。

 乱暴に涙を拭った私がシートベルトを外したとき、脩さんが苦しげに息を飲むのを感じた。


「っ……駄目だ。行くな、慧香!」


 狼狽する脩さんの瞳が私の視界に映り込む。毎晩一緒に眠ったベッドの上みたいに近い位置に脩さんがいて、私の腕をきつく握りこんできた。みしりと骨が軋むほどに強い。

「いっ……」

「行かせない」 

「脩さん、痛い!」

 止まったはずの涙がまたぶり返してくるのを感じながら、私は脩さんから離れようと身をよじった。ぎっちりと握りこまれた手首の皮膚が引き攣れて、思わず小さな悲鳴が漏れる。

 顎に鈍い痛みが与えられ、後頭部を座席に押し付けられるのと同時に、私の唇が噛まれた。冷たくて強引な脩さんの感触。驚愕で思わず喘いた隙間から滑り込んだ舌が、噛み切られた傷から溢れる私の血の味を口内に広げた。

 私を座席に縫いとめるように体重をかけてくる脩さんの顔は、街灯を背にしていて真っ黒なのに、瞳だけは暗い炎を灯して燃えているようだった。

 何かの感情が湧くよりも先に、私はとにかく手足を暴れさせながら、私の酸素を奪い尽くすものに歯を立てた。ふっと動きが止まるけれど、唇を合わせたまま痛がる素振りも見せず、脩さんは私から退かなかった。私の血と、脩さんの血が混じる。


 そこでようやく感情が追い付いた。怖い。怖い。怖い。でもそれに以上に悲しくて――悔しい。


 先に折れたのはやはり私で、突き立てた歯の力は保てなかった。

 衝動的にでも、けして脩さんの舌を噛み切るほどには力を入れられない私は、きっと最初から負けなのだ。好きになったときに勝てないことが決まっていた。

 私は目を閉じた。その拍子に頬を伝った涙の筋を、ついに脩さんが拭った。顎を押さえつける手がそれで外されたけれど、もう抵抗する気は起きなかった。

 視界から脩さんを消すとき、その瞳が初めて見るほどに沈んでいて可哀そうだと思った。そう思う自分が嫌だった。






 私がそこで気を失ったのに気づいたのは、翌日の朝。午前五時二十分。カーテンの隙間から覗いた外はまだ暗かった。

 初めて勉強部屋のシングルベッドに寝かされていた私は、買い物に出かけた服装のまま。のろのろと制服を着て、財布と携帯電話、勉強道具をすべて鞄に突っ込んで部屋を出た。

 リビングを通り抜けるとき、ガラステーブルに鍵を置いた。

 私以外に動くものがない。家主がいるのかいないかもわからなかった。

 靴を履いて玄関扉を出て数歩歩いた背後で、オートロックが作動する無機質な音を聞いた。


 

 


 


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ