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第四話余話「戦乙女の恋路の行方」





 アキとレモンがガイトルへと旅立つ前の日。

 私たちは宿の客室に肴を持ち込んで、レモンが土産に買ってきたワインを片手にそれぞれの門出を祝っていた。


 女性三人に男性一人、それも一人だけ年輩組とあって私は聞き役にまわることの方が多かったが、昨日までのこと、これからのこと、色々と話したように思う。

 

「レモンは一体何本買ってきたんだ……」

「姐さん、このワイン大好きですからね。

 ガイトル行きを決めたのは、案外これせいじゃないかって思いますよ?」

「そうなんだ……って、レモンさん寝ちゃった?」


 ほんの一瞬前まで騒いでいたような気もするが、レモンがいつのまにか寝息を立てている。

 昨日までガイトルでソロ遠征だったし、疲れもあるかと見守っていると、彼女は私にもたれ掛かってきた。


「あ、レモンさんが」

「あらー……」


 少しだけ椅子の位置をずらし、肩に受け止めてやる。

 ルナの借りた一人部屋───私とアキが泊まっている二人部屋は広さが一緒でベッドの分だけ床が狭い───の小さなテーブルに椅子を持ち寄って飲んでいたから、お互いの距離は近い。


「ん……」

「おっと」

「お父さん、レモンさん起きちゃうから動いちゃダメだよ」

「んふふ……。

 ねえアキちゃん、ちょっとこの部屋暑いから散歩に行かない?」

「あ、いいですねー」


 この二人、狙ってたんじゃあるまいなと、私は疑いのまなざしを向けた。

 どうもレモンと私が二人きりになるよう狙っている節がある。ルナはともかく、アキまでそちらに回るのは解せないのだが……。

 それにだ、私が見た目通り、中身まで狼だったらどうする気なのだろうか?


 しかし反論しようにも二対一では分も悪く、味方になりそうな当事者の一人は気もよさそうに寝ていて役立たずだった。


 だが、このまま酒の肴にからかわれ続けるのも癪である。


 ……ともかく、とっととこの空気を断ち切ってしまおう。

 私はにやにやとした視線を向ける二人を軽く睨んでから、レモンを抱き上げた。


「おおー、お姫様抱っこだ……」

「……お持ち帰りですか?」

「……」

「あ、そんなに睨んでも駄目ですよ。両手が塞がってますからこわくないです。

 扉も開けた方がいいですか……って、痛っ!?」


 私はレモンを片手で抱きなおし、ルナに少々きつめの拳骨をプレゼントしてから自分で扉を開けた。


「ルナさん、お父さんの腕、リアルでもわたしぶら下げてよゆーだから……狼男でもっとパワーアップ?」

「アキちゃん、そういう情報はお姉さんもっと早く聞きたかったわ……」

「ま、いい年した大人をからかうのも程々にな」


 私は扉を閉じ、二つ隣の客室まで静かに歩こうとして……腕の中のレモンが、目を開けてじっとこちらを見つめていることに気付いた。

 しばらく、二人で顔を見合わせる。


「……悪い、起こしたか?」

「……ずっと起きてたよ?」


 私はやれやれと、大きなため息をついた。

 空いた手で部屋の扉を開ける。


「立てるか?」

「酔ってるのはほんとなの」

「……VRの酒も善し悪しだな」


 レモンをベッドに横たえようとして私は腕に力を込め、腰を折った。

 そのまま降ろすところで、彼女の腕が私の首に回される。


「……おい」

「ごめんライカくん、もう少しこのままでいて……」

「……」


 本当に、やれやれだ。


 彼女のことは、私も嫌いではない。

 現実世界で会ったことはもちろんないが、寧ろ好ましく思っている。

 それでも色々と……いや、これは私の身勝手な理屈か。


「初恋、だったの」

「うん?」

「だから、ライカくんが」

「……初耳だな」

「誰にも言ったことないもん……きゃっ!?」


 長くなりそうだなと、私はレモンを抱え直した。

 そのままベッドに仰向けで倒れ込み、彼女を乗せて寝転がる。


「えへへ……ちょっと照れるね」

「そうか?」

「……ね?」

「うん?」

「聞いて貰っていいかな?」


 ぺたんと私の胸に顔を寄せ、彼女は目を瞑った。

 返事代わりに頭を撫でてやる。


「わたし、VRゲームデビューが『M2』だったの。

 すごく楽しくて、毎日ログインしてたわ。

 《乙女部》に入れて貰って、ほんの少しだけゲームに慣れた時だったかな、ライカくんのお店に連れて行って貰ったの」


 彼女と出会ったのは、十七、八年も前になる。

 『M2』華やかなりし頃、《乙女部》にいた常連客の女性プレイヤーが、新人だと言って私の店にレモンを連れてきたのだ。


「最初はね、狼男だし大きいしで……ゲームだってわかってても恐かったよ。

 『ライカでもライカさんでもライカくんでも、好きなように呼んでくれ』って、こっちはお客さんなのに、愛想悪いしぶっきらぼうだし。

 それでね、ちょっとだけ腹が立って、ライカくんって呼ぶことにしたの」


 私は別に、愛想が悪いわけではない。

 後にパッチが当てられたが、当時の《狼人族》の表情の選択肢が人間ベースのキャラより少なかっただけである。


「ふふ、中学一年生の女の子にライカ『くん』呼ばわりされる狼男って、ちょっと面白いでしょ?

 ……少し年上の高校生か大学生ぐらいかなって思ってたら、後からもう会社で働いてる大人の人なんだってわかって……それもびっくりしたけど、高校生ぐらいの男の子にライカって呼び捨てにされてても態度が全然変わらなくて、わたしがライカくんって呼んでもやっぱり怒らないし、ああ、この人はこういう人なんだってすごく納得したわ」


「ゲームだからなあ。

 俺も四十絡み五十絡みのプレイヤーを平気で呼び捨てにしてたし、お互い様だよ」


「でもね、わたしはそれが嬉しかったの。

 『M2』が初めてのVRゲームだったって言ったでしょ?

 《乙女部》だと新人で先輩方に面倒見て貰ってたし、リアルは中学一年生。

 大人の男の人が……ライカくんが、わたしを子供や後輩じゃなくて、きちんと一人のプレイヤーとして扱ってくれるっていうことが、本当に嬉しかったの」


 それは当たり前のことだった。


 口調や態度をロールプレイするのも自由だし、外見も含めて年齢や性別も自由に変更出来るVRゲームだけに、人間性に自覚がないか、悪人プレイを心がけるのでもない限り、普通はプレイヤー同士互いに尊重しあうものだ。


 それは今も変わらない。


 実験室レベルではなく、大衆向けのゲーム上でほぼ完全に五感を再現できるようになった現在、ご近所への挨拶とゴミ出しの日を間違えない気遣いを要求されかねないほど、VR世界で築かれる人間関係はより現実社会に近づいたと言えるかもしれない。


「その上格好いいんだから、ライカくんってずるいよね?

 初めて死に戻った日とか、データだけで飲めないの分かってるのに、コーヒー置いてこれ飲めってさぁ……。

 女の子が泣いてても、いつもと変わらない人なんだ、余裕のある大人の人なんだって、安心してわんわん泣いちゃった。

 ログアウトしてから恥ずかしすぎてどうしようかと思ったわよ……」


「今だから言うが……あの時な、俺もどうしていいかわからなくて、とにかく何とかしてやらなきゃならんって相当慌ててたんだ。

 ……目の前で女の子に大泣きされるなんて、生まれて初めてだったからな。

 今はレモンも知ってるだろうけど、大人だって何でも出来るわけじゃない」


「うん、そうよね。

 でも、恥ずかしかったけどいいこともあったよ。

 わたしはライカくんが好きなんだって、その時わかったもん。

 告白する勇気はなかったけどね……。

 『M2』のサービス終了とライカくんの引退宣言聞いても、やっぱり言えなかった」


 丁度、会社で異動があって昇進も果たし、当時つき合っていた元妻との結婚も決まって、引退は必然の流れだった。


「それでもわたしね、また会えるかもって、ほんのちょっとだけ期待しながらゲームだけは続けてたんだよ。

 もちろん面白かったし、新しく色んな思い出もできたわ。

 けどね、ライカくんがいないまま十何年も続けるとは、流石に思ってなかったよ」


「そりゃあ、うん……俺が悪いな」


「リアルの方でも……やっぱりライカくんってずるいよね」


「うん!?

 リアルは関係ないだろう?」


「大ありだよ!

 ……ついライカくんと比べちゃうんだもん」


 レモンが起きあがり、私の上をはい上がって鼻先に顔を持ってきた。


 そんなものにまで責任の取りようはないが、これも多分、私が全面的に悪いことになるのだろう。

 女性とは、得てしてそんなものだと言うことぐらいは、私も知っている。


「それでなんか……カッコイイって噂になってる人を見てもライカくんの方がいい男だったり、言い寄られても露骨な態度が鼻についちゃったりで、男の人とつきあえなかったって言うか、つきあう気にならないって言うか……。

 でも、今までずーっと断ってたのに、先月ね、無理矢理お見合いさせられて……相手の人は悪い人じゃなかったんだけど、やっぱりライカくんの顔がちらついて、断っちゃった」


「……」


「それで……あはは、実はこのお休みもお見合いの筈だったんだけど、する前から嫌になっちゃってて……仕事の緊急呼び出しの振りして、両親の住んでる沖縄から神奈川のマンションに戻ったの。

 帰れた時間がルナと約束した日のログイン締め切り寸前だったから、種族も髪色も体型もさわれなくてすっぴんなんだ、これ……。

 いつもの《猫人族》にしなかったんじゃなくて、する余裕がなかったの。

 ルナにもずいぶん驚かれちゃった」


「……いいんじゃないか?

 猫の時より美人だぞ」


 言葉通りにデータ未調整の『すっぴん』だとすれば、美男美女が当たり前のこの世界で、容姿が浮いていないということがどれほど希有か……。

 まったく、驚かせてくれるものだ。


「そ、そうかな?

 変じゃない?」


「自分が不惑過ぎのおじさんだって忘れそうになる。

 ……でも、すごいな、レモンは」


 抱き寄せる手に軽く力を入れ、空いた手で髪を撫でてやる。


「こんな素顔も素性も分からない狼男を十何年も好きでいるって、なかなかできることじゃないぞ?」


「しょうがないじゃない。……変えられなかったんだもん。

 だからこのゲームで……ルナの店の前で再会したとき、わたしね、全然冷静じゃなかったんだ。

 だって、ずっと会いたかったライカくんが現れたのに、女の子連れてるんだよ?

 アキちゃんが娘さんだってわかってもっと複雑な気分になったけど……でもね、アキちゃんのおかげで嬉しくなったところもあったの」


「……アキが?」


「うん。

 ちょっと落ち込んだけど……ライカくんへの気持ちが再燃したっていうか、もっと好きになれたかな?

 アキちゃんってさ、ライカくんにものすごく大事にされてるんだろうなあって、わたしにも一目でわかっちゃうぐらい、素直で明るくて可愛いんだよ。

 そんな子のお父さんが、素敵じゃないはずがないもん」


 彼女の親として、何よりの褒め言葉だろう。

 しかし彼女は一筋だけ、涙をこぼした。


「だから……離婚してるって聞いたとき、不謹慎だってわかってても、嬉しくなった。

 ……わたし、すっごい嫌な子だよね?」


「……」


「チャンスだって、そう思ったの。

 偶然でも何でもいい。

 もう止められないの。

 ライカくんが好きなの……っんん!?」


 全部言わせることもないかと、彼女の口を塞ぐ。

 VR世界でも女性の唇は柔らかいのだなと、私は少し惜しくなりながらそっと顔を離した。


 十何年も待たせた責任を取るわけではない。

 流されて行きずりの恋をしようと受け止めたわけでもない。

 これが運命や巡り合わせだったなどと理由をつける気もない。


 私はもちろん独り身で、浮気の言い訳を考える必要はなかった。

 だから、身勝手な独りよがりの論理だが、今、彼女が好きならそれでいいのだ。


 髪をかき上げたレモンが、私の首に腕を回してきた。


「……ファーストキスだったんだからね?」

「相手が狼男で悪かったな」

「狼男じゃなきゃやだったの!」


 今度は彼女の方から唇を合わせてくる。

 先ほどと同じ、軽いキス。


「はあ、人生の半分を掛けた初恋がここに来て実るとか……。

 うふふ、心のどこかでわかってたのかな?

 ああ、もう、どうしていいのかわからないぐらい嬉しい!」

「……やっぱり、笑ってる方が美人だな」

「ありがと。

 でも、狼男ってキスしにくいよ。鼻長すぎ。

 ……他の人とキスしたことないからわかんないけど、ちょっと───」

「そうでもないんじゃないか?」


 狼男は鼻先も尖っているが、舌も長いのだ。


「んんんっ!!!!????」

「……な?」




「……ラ、ライカくんのばかあああああああああああああ!!!!」




 VR世界らしく、客室が完全防音でよかったと思う。

 レモンの怒声は、隣室どころかその先のアキとルナがいる部屋まで聞こえそうな悲鳴を伴っていた。


「も、もう今のキスはなし! ぜ、ぜぜ、ぜったいにだめ! 禁止!」

「……そうか?」

「う、うん」


 大人の口づけは、レモンには早すぎたのだろうか?

 初恋からはじまって恋愛感情を拗れさせ、この歳まで彼女のファーストキスを引き延ばした原因は間違いなく私なので、その点はまあ、素直に頷いて反省事項とする。


「でも……アキちゃんに何て言えばいいかな?」

「普通に話せばいいだろう?

 ……気付いてるみたいだし」

「そうなんだけどね……。

 あ、ちょ、ダメっ! ひゃんっ!?」


 そしてもう一つ。

 レモンはもちろん、私も長いゲーム歴に於いて初となる、システム側からの性情動警告を受け取ることになった。

 ……キスより先は、当人達がどれほど望んでもゲーム終了までお預けなのである。


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