第一話「父と娘の冒険者デビュー」
キャラクターメイキングを終えて登録空間から移送された先は、見覚えのあるような無いような、石造りの広場であった。
三階建て、四階建てが多い石造りの建物には、共通言語の看板も何もついていない。だが視界におさめた建物が、それぞれ商人ギルドの事務所や鍛冶組合の本部であることを情報投影が自然に教えてくれる。
うろ覚えながら本ゲームの開始位置、フェルキャスト王国の王都キャステリアの中央広場で間違いないのだろう。大昔の『剣と魔法のサーガ』でも、全てのプレイヤーはこの場所をスタート地点としていた覚えがある。当時見慣れた視角の歪みもなく、まるで卒業旅行で訪れたヨーロッパ自治州の観光都市のようだ。素晴らしいの一言に尽きる。
「ふむ……」
それにしても人が多い。
私たちのように親子連れと明らかに分かる会話も耳にはいるし、その向こうのドワーフとエルフは恋人同士なのだろうか、種族同士で仲が悪いという設定など何処吹く風で甘い空気を振りまいている。
それら楽しげな人々が一万数千人───メーカーの発表によれば今日の入場者数は正確には18624人───も集まって、この世界では数年間にも及ぶ『三日間』を同時に過ごすのだ。
五台のサーバーが順に仕事をするので、開始時間はその当日にアクセスしたプレイヤー全員が同時にスタート、参加日が異なれば時間軸も異なるし、プレイヤーがサーバー間を行き来することは出来ない仕様だった。
「実にいいな……。
新作だというのに『帰ってきた』という感じがいい」
早々に協会や市場へと駆け出す《人間族》や《人馬族》もいるし、少し向こうには、私と同じように景色とゲーム開始時独特の熱気を楽しんでいる《竜人族》も見える。この『剣と魔法のサーガ』世界に於ける自由とは、そういうことなのだ。
私の周囲にいる数名のプレイヤーたちも、その雰囲気に飲まれているのか、同じように突っ立ったままあちこちを眺めている。
私とほぼ同位置に出現したであろう人々のうち、女性は二名。
広場への出現位置はランダムだが、保護者と被保護者の開始位置が離されることはなかった。
もちろん、娘を見間違えることはない……とは言い切れない。好みの種族を選び、姿形を変えることは造作もなかった。本人の演技力次第だが、性別もまた然り。
現に私も頭部は立派な狼の姿───《狼人族》、いわゆる狼男だ。デフォルトの狼人族から色と髪型を少し変更した程度のカスタマイズだが、幸いこの周囲に狼男のプレイヤーは私だけである。
予め打ち合わせておいたところでは、娘は金髪碧眼の《エルフ族》とのことだった。幾度か見回したが、幸いこの周囲にエルフの女性は一人だけである。
《エルフ族》の特徴である長い耳に目は緑色、体つきは現実と同じく人───《人間族》基準ならば少し細身で、金色の髪は肩よりやや長いロングヘアのストレート。色しか選べない初期装備の服に、腰に巻いた財布兼アイテムボックスとなっているポーチは、私も同じ姿である。
幸いなことに、娘の顔は私ほど元の顔から大きく変わっていなかったので、一目で分かった。若干大人びているが、間違いない。顔を狼にするよりは、外観年齢をシミュレートして適応する方が余程簡単に見分けがつく。
「失礼、『AKI』さんですか?」
「……『ライカ』……さん?」
少し気取って、小柄な《エルフ族》女性に声を掛ける。
『AKI』は娘、『ライカ』はもちろん私だ。本名でのゲームプレイなど、間違ってもさせられないし私もしたくない。ちなみに『ライカ』は私が以前の『剣と魔法のサーガ』で使っていたゲーム用のハンドルネームで、彼女の『AKI』は本名の千晶───ちあきの『あき』から取ったのだと聞いていた。
うん、と大きく頷き、笑顔を向けてやる。
学校の授業で多少はVR世界に慣れていても、彼女は自由度の高いゲーム世界は初めての筈だ。それに見慣れているはずの父親が、前もって伝えてあるとは言っても狼頭では戸惑うのも無理はない。
金色の髪と上に長く尖った耳が見慣れた娘の顔は、可愛くとも多少心を揺らされてしまう。無論、好みの美人がどうとか言った問題ではなく、単に見慣れていないので落ち着かないだけだ。当たり前だが、愛娘に欲情するほど外道には堕ちていない。
……ついでに言えば、親の贔屓目は抜きにして恐らく美人になるだろうと私は思っている。彼女は別れた妻にとてもよく似ていた。
「……お父さん?」
「うん、間違いないよ、千晶」
私が肯定し、現実での名を小さく呼んでやると、ようやくほっとしたような表情が返ってきた。
接続前はあれだけはしゃいでいたのに、随分内気なことだと苦笑する。
「こんなに……綺麗なところなんだね。
VR授業の世界一周よりずっと凄いよ!」
「ああ。
昔に比べても大した進歩だと思うよ。
活気だって負けてはいないな」
彼女を急かす気は全くない。私は別に、ゲームを攻略しようとこの世界に戻ってきたわけではないのだ。娘の千晶───いや、AKIとともにこの世界を存分に楽しむことが、言わば私の勝利条件なのである。
メニューを開いてチュートリアルを幾度も確認し、お互いに幾らか戸惑いながらも話し合い、私は彼女を『アキ』と呼び、彼女は───流石に父親を呼び捨てるのは抵抗があったらしい───私を『ライカさん』と呼ぶことになった。
しばらく広場の景色を楽しんだ私たち父娘は、フレンド登録とパーティー作成を済ませてから、観光気分丸出しであちらこちらに寄り道しながら冒険者協会に向かった。
楽しめるところは楽しまないと……『千晶』と『お父さん』ではこの世界まで一体何をしに来たのやら、である。
この時点で既に半日近い時間が過ぎていたが、それさえも楽しい時間だった。
「ライカさんは最初、《戦士》になるんだよね?」
「ああ、でもその前に冒険者登録だったかな。
確か登録を済ませてから、基本職のレクチャーを受けられる仕組みだった」
娘には、大昔の『剣と魔法のサーガ』でも狼男の戦士をプレイしていたと伝えてある。
もっとも、戦士は中途で投げ出して補助系の技能である鍛冶に明け暮れていたと口にしたことで多少ならず呆れられたが、仲間内には王道の冒険者プレイでも何故か採取に絞って依頼を受け続けていた者、ひたすら畑を耕しては種を蒔いていた者、王国の依頼のみをひたすら受け続け助爵されて村の領主になった者なども居たから私など大人しい方だ。
このゲームの攻略サイトから推察すると、王道を外れる隙間プレイや自己満足プレイへの懐の深さは今も変わっていない様子で、その点は素直に嬉しい。
「ね、一緒に受付しよ」
「いいよ」
開けっ放しになっている門扉をくぐり、新規受付カウンターを目指す。ぶら下がっている看板を見ると、基本の配置は変わっていないようで安心した。
混んでいるのは依頼の受付と報酬の受け渡しが行われている一角だけで、他はそうでもない様子だ。この短時間でもう依頼をクリアしているプレイヤーも多いのかと、内心で舌を巻く。
賑やかに騒ぐ彼ら冒険者の中には、既に中級一歩手前と思われる装備を身に着けている《ドワーフ族》や、白一色の服装に特徴的な髪型でアニメか何かのキャラクターを模している《翼人族》もいた。
運良く人が切れていた登録カウンターに向かうと、眼鏡にネコ耳のNPC受付嬢と目があった。ウェアキャット───《猫人族》と、《人間族》のクオーターあたりという設定だろう。
昔とは違い、獣化度は私のようにほぼ完全な獣頭を持つ獣人から耳と尻尾とステータスのみ変化するクウォーターやクウォーター・ハーフまでと言った具合で度合いを変更することも出来ると、つい先ほどのキャラクターメイキング中に知った。当時に比べてかなりの進歩だと、一人頷いたのは言うまでもない。
「フェルキャスト王国冒険者協会、キャステリア本部へようこそ」
「冒険者登録を頼む。新規だ」
「初期登録費用に10『アグ』かかりますが、よろしいですか?」
「ああ」
腰のポーチに手を入れ、10アグを取り出す。この単位も昔から変わっていない。『アグ』は『ag』とも略されるが正式には《アルゲント》、銀や銀貨の意味である。 思った金額がポーチからすぐに取り出せるのは、思考制御の賜物だ。財布に残っている金額は残り20アグ、これも初期装備の一部である。
このゲームの特色として、冒険者にならなくてもいいという自由度の高さが上げられた。
例えば料理人プレイを目指すなら冒険者協会の門をくぐらず、レストランや宿屋の下働きとしてゲームを開始することも可能だ。
最初の30アグで料理系統のスキルに補正がかかる包丁やエプロンの類を購入してもいいし、生活費に充てることも出来る。王都は十分に広いフィールドで、戦闘が苦手なプレイヤーならばそうした選択も可能だった。
「こちらに手をかざして下さい」
「うん」
受付嬢がカウンターに取り出した水晶玉は、丁度私の手のひらに乗るほど大きさだ。……個人情報を登録して行うゲームであることを考えれば必要もないのだろうが、VRゲームの中でもファンタジーな非日常を舞台とした世界観では、この様な一つ一つの雰囲気作りこそが重要なのである。
例えば数年前に、将棋を趣味とする人々の間で非常に話題となったVRゲームがあった。
単に将棋を指すだけならば、コンピュータ将棋などと言うものは数百年も前から存在している。だが進歩したVR技術を本気で使えば、ここまでの作品が出来上がると世に示した功績は大きかった。
仮想対局相手の強さや将棋そのものの追求とは別に、正確な感触再現がなされた天然木の将棋盤や駒は言うに及ばず、対局場所には各種のタイトル戦でおなじみのホテルや会館が選ばれて忠実に再現され、終了後にはVR技術で再現されたプロ棋士による解説もあった。
人気プロの真似をして休憩中に食べるうな重の味まで完璧だと、随分高い評価を得ていたと言う。
「これでいいかな?」
「はい、お疲れさまです」
手をかざすと水晶玉が僅かに光り、鈴のようなシステム音が軽く流れる。
「お名前は『ライカ』さん、種族は《狼人族》、確かに受け付けました。
依頼の受付はあちらのカウンター、技能やスキル関連の受付は裏手の訓練場になります」
「ああ、ありがとう。彼女の登録も頼む」
「お、お願いします」
同じくアキも10アグを支払い、無事に登録を終了した。依頼の受け方や報酬の支払いなどについてお決まりの説明を受け、特段大きな変化のないことを確認する。
手渡されたカードそのものは単なる登録カードとして所持することになるが、冒険者の登録を済ませると、メニュー画面から依頼達成履歴などを参照することが出来るようになっていた。
「最初は簡単な採集や、王都市中での配達がお勧めですよ」
「初期に買える装備だと、確かに採集がぎりぎりかもなあ」
「そうなんだ……」
「ああ、ありがとう、君。
アキ、裏に回るとしよう」
そのままアキを伴い、長いカウンターを横目に裏へと回る。こちらには、訓練場という名のスキルに関連した各種施設がある。
「このゲーム、ギルドランクってないんだね」
「そうだよ。昔はあったんだけどね。
……アキは『アルティメットモンスター&レジェンドヒーローRPG』とか『ポセイドン・ミソロジー』をやり込んでいたから、ギルドのシステムと言えばそっちのイメージになるんだろう?」
「うん」
私が名前を挙げたのは、いずれも非VR系のファンタジーMMORPGだ。
この『剣と魔法のサーガ』と同じく、どちらもギルドを通して依頼を受ける冒険者成長型のゲームだが、システムは大きく異なる。
『アルティメットモンスター&レジェンドヒーローRPG』ではギルドランクと呼ばれる冒険者ランクをギルドからの依頼をこなすことで上げていき、究極のモンスターを倒す。『ポセイドン・ミソロジー』では依頼を出すギルドが神の試練を授ける神殿に変わるが、似たようなものらしい。……娘の受け売りだが。
『剣と魔法のサーガ』では、冒険者協会から出される依頼にその様な制限はなかった。その代わり、依頼に失敗した時には受付時に協会に預ける『預り金』が戻らない。
ちょっとした額の預り金も出せないほど困窮している冒険者に大きな仕事は任せられないと言うもっともらしい説明もついていたが、預り金の多寡はそのまま依頼達成の難易度を示しているので、見分け方は割に簡単と攻略サイトの掲示板では言われていた。
「同じ様なものだと思うけど、私が先に行こうか?」
「うん、お願い」
本来ならば種族レベル───全ての基礎ステータスの根幹となるレベルで、今の私なら《狼人族》LV1、アキなら《エルフ族》LV1───がレベルアップする毎に1ポイントづつ手に入るスキルポイントを消費して、職業技能と呼ばれる《戦士》や《魔術師》、あるいは《料理人》と言った職業レベルを上げたり、スキルと呼ばれる職業個々の特技や魔法を購入するのだが、ゲーム開始時には特別に2ポイントが支給されている。
これを消費して、例えば私ならスキルポイント1を消費して《戦士》LV1を手に入れた上で、《戦士》LV1で選べる特技《突き》や《払い》の中から1ポイントで購入できるスキルを1つ選択するのだ。
アキなら《魔術師》LV1に1ポイントを支払い、《プチ・ファイア》や《プチ・アイス》など初級の呪文を手に入れることになるだろう。
だが、ここでも困ったことに自由度が邪魔をする。
公式サイトの紹介文を読む限り本シリーズの醍醐味とも呼べる仕様だが、戦士の私なら技能を取らずに1ポイントを余らせ、《狼人族》LV2になった時に得られるスキルポイント1を合算し、2ポイントを消費して《戦士》LV2とすることも出来た。LV3なら3ポイントである。
「アキは魔術師志望だから、この手は使えないか」
「ライカ……さんはそうするの?」
「ああ。
ちょっと迷ってるけど、とりあえず技能は保留かな」
その様な話をしながら訓練場に入り、盗賊団討伐依頼で出てくる中ボスのような風体のNPCに声を掛ける。
「登録を済ませてきたばかりなんだ」
「そうか、では新人だな。歓迎するぞ。
《戦士》と《魔術師》のどちらを希望だ?」
「《戦士》の方で」
「うむ」
協会の訓練場での新規の戦闘職受付は、この二種類だけである。パーティー戦闘の要となる回復役《神官》ならば、神殿に向かわねばならない。
基本職ながら宝箱の開錠や罠感知で活躍する《盗賊》は少し遠回りで、簡単なクエストをこなして盗賊ギルドの門を叩く必要があった。
その他にも、補助職でも《鍛冶匠》なら鍛冶組合、《商人》なら商人ギルドで同様の受付が行われているはずだ。冒険者協会の登録費用と同様に、お布施、組合費、上納金と言う名の手数料を納めるのも同様である。
「スキルはどうする?
LV1なら《片手剣》、《鈍器》、《突き》、《振りかぶり》、《払い》の五種類だ。
《片手剣》と《鈍器》……これはそのままだな、指定武器の扱いが上手くなる。
残りのスキルは、武器が片手剣、両手剣ならば《突き》《振りかぶり》《払い》はどれでも使える。
短剣と槍は《突き》と《払い》、鈍器や杖、斧なら《振りかぶり》と《払い》だけになるな」
少しだけ考えて、私は技能の取得を保留した。
ふむふむともっともらしく講釈を垂れる中ボス男に断りを入れて、アキと交代する。
「わたしは《魔術師》希望で、取得したい魔法は《プチ・ファイア》です」
「うむ、よろしい」
アキも当初の予定通り職業とスキルを取得すると、私たちは訓練場の藁人形を相手にそれぞれ借りた剣と杖で攻撃を試し、オーソドックスな冒険者デビューを飾った。
「新人たちよ、覚えておくがいい。
弱点を狙えば、クリティカル攻撃が発生する可能性が高まるのだ。
強い相手なら、心臓や頭部を狙うのも良いだろう。……運が良ければ負うはずの傷を負わなくて済む。
強すぎる相手なら、より狙いやすい手足や胴体を地道に攻撃することも重要だ。
だが一番大事なことは、相手を選ぶことだな」
にやりと笑う中ボス男にごもっともと頷いて、藁人形の頭を狙って剣を振るう。アキも一、二度魔法を唱えて感触を確かめていた。
「よしアキ、次は買い物だ」
「うん。
……服と小銭しかないって不安」
「しばらくはレベル上げと装備の充実か。
何をするにしても、余裕は持たないとな」
次は店でも見て回るかと、私たちは中ボス男に礼を言って訓練場を後にした。
職業が決まれば、次は装備である。
……とは言え、手持ちの資金では大したものも買えないだろうことは当初から分かっていた。
最低限、私の武器とアキの杖か指輪か魔術書か───魔術師に魔法の発動体は必須だが、形態は決まっていない───は必要だ。
「よし、先にNPCの商店を見てから、プレイヤーが店を出している露天市場に行ってみるか」
「その方がいいの?」
「確率は低いけど、新しい装備に乗り換えた人が《商人》プレイヤーに古い初期装備を売っているかも知れない。
さっき冒険者協会でも見たけど、一番最初、広場から協会に走って行った人たちが新しい装備に買い換えてる可能性がある」
「お父さ……じゃなかった、ライカさん冴えてる!」
攻略組なら、私たちのように悠長なことはしていまい。スタートダッシュは重要だ。
もちろん、誰よりも先に見知らぬ場所へと到達する喜びは、とても良く理解できる。
「のんびりしていれば、商人プレイヤーもより沢山出てくるだろうし……。
特にアキは、VRのMMOPGは初めてだろう?
まずは世界を楽しんでほしいなと、私は思っているよ」
「うん、攻略は……ちょっと苦手だし。
あ、前にやったゲームだとアイテム集めるのが楽しかったから、『剣と魔法のサーガ』でもそれはやってみたい」
「そうだな、アイテム収集は確かに楽しいからな」
運が良ければと注釈はつくが、古参のプレイヤーが多く混じっているのなら、のんびり屋の後発組用に《商人》プレイヤーが新人向けの品揃えで露天を構えている可能性はある。料理人に飽きたから冒険者になるのも一つの自由だし、逆もまたしかりだ。
いまの場合、露天に限定したのは、流石にサービス開始早々家付きの店舗を構えているプレイヤーはいないだろうとあたりをつけていたからだ。
とりあえずと商店街のある区画へと向かい、一軒のNPC商店に入る。
「うわあ、和風じゃないけど、博物館で見た大昔のよろず屋さんみたい」
「うん、棚まできちんと木製だ。……雰囲気いいなあ」
まずはNPC商店で価格を確かめ、ナイフの一番安いものが10アグ、皮製の小さな盾が10アグと心の中にメモをする。店主の居るカウンターの後ろには魔法の発動体が並んでいたが、こちらは一番安い指輪でも20アグの値が付いていた。
……このゲーム、私も娘と見ていた攻略サイトの情報で知ったが、NPC販売のアイテム価格も治安や流通量によって多少上下するので油断ならないのだ。
治安度が高ければNPC盗賊さえ出ないし、悪化すればPK解禁ゾーンになる。おかげで街道の巡回や○○村周辺の治安維持などといった他のゲームでは『おつかい』と大差ない依頼も、商人プレイヤーのみならず全プレイヤーにとって意味のあるものとなっているそうだ。
「お父さん、この野営セットって何?」
「戻ってるぞ、アキ」
「あ、ごめん」
「その野営セットは、確か食器とか敷物とか火打ち石がセットになっている商品だったと思う。
でも、しばらくはおあずけかな。
LV1じゃ、相当な人数がいないと夜の魔物はなあ……」
王都に近い場所でも、夜ならばかなりの苦戦をするはずだ。
私の《狼人族》なら元から強い筋力やHP、種族スキルとして夜間戦闘でもペナルティがない《夜目》や敵味方の概略位置を把握するだけでなく毒物の臭いさえ感知する《嗅覚》もあるし、アキの《エルフ族》なら森林フィールドでの戦闘や採取に補正が入る《森の恵み》といった《人間族》にはない能力はあるが、夜間現れる敵は昼よりも数段強いと相場が決まっていた。
代わりに《人間族》には《適応力》と言う名の強力な種族特性があり、全種族中で一番成長が早い。
「まあ、最初の最初だから、そんなもんだよ。
アキだってデスペナはいやだろう?」
「うん、ちょっとやだ」
この『新・剣と魔法のサーガ《戦乱の向こうに》』、キャラクター死亡時のデス・ペナルティは比較的緩い。
王都にある神殿の祭壇で復活するのは他のゲームと似たようなものだが、所持金の半額と装備品の内からランダムで1点が『ドロップ品』として死亡地点に遺されるだけで、ポーチ内の所持アイテムはそのまま残るし経験値や能力を喪うこともない。
無論、現場にドロップされた武器や防具は発見者の手に渡ってしまうし、場所によってはそれを狙ったPK───プレイヤー・キル───強盗もある。逆に出掛けた先のフィールドで、モンスターに誰かが殺された現場を発見し、手つかずの財貨とアイテムが運良く転がり込んでくることもあった。
このゲームでも、PKのみならずNPCの殺人や裏社会からの依頼をこなすなど、『悪いこと』を体験することも出来る。だが犯罪行為には、相応のペナルティが科せられるものだ。
冒険者協会や王国から賞金付きの手配書が出回ることもあるし、都市や村への出入り禁止もあり得た。つまり『剣と魔法のサーガ』シリーズでは、『悪いこと』は悪いと規定されているのだ。良心的な倫理観がゲーム世界に反映されていると見ていい。
ついでに言えば、『剣と魔法のサーガ』に於いて性行為は不可能だがプレイヤー間の友好的な接触は可能であった。具体的には、キスとその少し先までは許容されている。当然ながら同意は必要だし、強制的なシステムの介入も含めて現実世界の現行法が基準となっていた。
「さ、次は露天だ」
「うん」
今度は頼むぜとウインクする店主に片手を挙げ、店を出た私たちは露天の連なる王都南西の一角を目指した。
「[+1]の《ダガー》、今なら200アグだよ」
「うーん、ちょっと厳しいなあ」
「《ウタタネ草》、10本で30アグ!
採取依頼が出るまで持っていれば即クリでお得ですよー」
往事ほどではないが、NPCの店も含めてそれなりに賑わう露天市場には既視感を覚える。昼間とあれば狩りや依頼に出ているプレイヤーも多いだろうし、極端に混んでいる様子がなかったのは幸いだ。
「賑やかだね。……縁日みたい」
「アキもそのうち店を出せばいいさ。
楽しいぞ?」
「他のゲームでもお店はしたことないなあ」
雰囲気に飲まれたのか、いつの間にかアキが私の服の裾を掴んでいる。
私はぽんと彼女の肩に手を乗せて軽く抱き寄せた。彼女が小学生だった頃は、よくこうして散歩に行ったなと懐かしむ。
「見つからないねえ、ライカさん?」
「ちょっと時期が早過ぎたかな……」
品揃えはどちらかと言えば初期装備から一段二段上の品が中心で、買い換え需要を見越した店が多かった。当てが外れたらしいと嘆息する。
それでもまだ半分も店を巡っていないからと、相場を見る意味も含めて順番に冷やかして回った。
「そこのオオカミさん、そこのオオカミさん。
もしかして初期装備をお探し中?」
「うん!? 私かな?」
露店街の残りが四半分ほどになったあたりで、私は声を掛けられた。武器一つ身に着けていないのは一目瞭然、鴨が葱背負って……とまでは言わないが『上客』に見えたのだろう。
そちらを見れば、猫人族クウォーター───猫頭ではなく耳と尻尾だけがネコ───の女性プレイヤーが手招きをしている。店先には今の私たちでは買えそうにない品物以外にも、最下級の回復ポーションに加えて幾種類かの極初期装備が並んでいる。……『当たり』かもしれない。
「ご覧の通り、先ほど冒険者を始めたばかりだよ。
……昔取ったなんとやらでね、もしかすると露天に《互助会》を懐かしむプレイヤーでもいやしないかとあたりをつけて───」
「《互助会》!
もしかしてオオカミさん、古参の復帰組?」
食いついてきた《猫人族》商人に、にこりと笑顔を向ける。
無論私は狼男だから牙が剥き出しになって逆に恐い顔かもしれないが、獣人の笑顔と怒り顔の区別ぐらいは誰でもすぐに見分けがつくようになるし、《猫人族》の彼女も口振りからすれば古参の一員だろうから問題ない。若干アキがびっくりしているが……彼女もその内慣れるだろう。
ちなみに《互助会》とは、当時、種族やギルドの枠を越えて新人を応援していた集まりの通称である。……とは言っても何から何までおんぶに抱っこでは自由を謳うゲームの理念に反すると、店売り装備と大差ない品の割引や、初期にお世話になる一部モンスターの攻略レクチャーなど、攻略サイトの初心者向けの記事がちょっとお節介になった程度の援助に留めていた。
それ以上はフレンドやパーティーやギルドが何処まで個人に肩入れするか、若しくは本人の頑張り次第であると、ドライな一面も持っていた《互助会》の面々である。
「ああ、復帰組……になるかな。
この子に誘われてね、十何年ぶりの王都なんだ。
『剣と魔法のサーガ』は『M2』以来だけど、今のところVRまわりを除けば基本システムに極端な変更がないみたいで、何とか恥を掻かずに済んでいるかな」
「『M2』! じゃあ、大先輩じゃないですか!
お見それしました」
「いやいや、単なるロートルだよ。
それより《互助会》の理念が引き継がれていることが嬉しいね」
「あたしも最初、すっごくお世話になりましたもん」
『M2』とは、正式には『剣と魔法のサーガMMO ver.2.0』の略称で、引退前───いや、結婚前の私が最後にプレイしていたゲームのことだ。この後、『M3』『M4』『新章』『《魔界の入り口》』……と、バージョンアップや新しいゲームが次々と登場していたというのは、娘と共にネットで調べていた。
「あたしは『M4』から継続してるんで、乗換組になります。
……っと、申し遅れましたが初めまして、ルナ・フィールドです。
メインは商人、目指せ開業で頑張ってます」
『M4』からの継続ならどれほど若く見積もっても彼女は二十五歳以上だなと、どうでもいいことを考えながら会釈する。それだけ歴史あるシリーズなのだ。ちなみに『M2』時代のプレイヤーなら、最低でも現在三十路に近い計算になる。
「こちらこそ初めまして。
私は戦士でライカ、彼女はアキです」
「アキです。
初心者の魔術師……って言うか、VRのRPGそのものが初めてです。
よろしくお願いします、ルナさん」
「こちらこそ、アキちゃん!
さ、商談商談っと。
今なら購入してから協会に戻っても、小さい依頼なら今日中に余裕でクリア出来る時間だと思いますよ」
このゲームではほぼ無関係だが、昔なら初日は装備を調えて終了、翌日ようやく初仕事などというリアリティを追求しすぎて『時間が重い』ゲームも多々あった。
だが最近のVRゲームの時間軸は、格闘やFPSなどのアクション重視のゲームを除けば、現実の時間とリンクしていないことが多い。
このゲームでも、現実時間の三日間がゲーム世界の数年間───イベント次第で前後するそうだ───にほぼ対応している。歴史や架空戦史を題材としたシミュレーションゲームなら、現実の1時間が1ヶ月や1年などという大作もあったはずだし、私も仕事場には毎日『年単位』で篭もっている。
「戦士のライカさん向けなら素ナイフが7アグ、素盾が7アグ、アキちゃんは指輪一択かな?
この《マジック・リングⅠ》は魔法枠[1]の初心者向けだけど、その分お安くて12アグ。
魔術師用の防具もあったんだけど、さっき売れちゃった。ゴメンね」
素ナイフ、素盾は通り名のようなもので、正式には《駆け出しのナイフ》《羊皮の小盾》という。耐久度───使えば使うほど目減りしてしまう数値でゼロになるとアイテムも壊れてしまう───も元から小さく、どちらも一番安手に分類される武器と防具である。
ルナは露天の商品を指差し、にっこりと笑ってネコ耳をくるんと立てた。
基本価格が10アグの武器ならNPC買い取り価格は半分の5アグになるから、かなりぎりぎりの商売をしている。仕入れ値がNPC買い取り価格に上乗せ1アグ、彼女の儲けが1アグと考えられた。
「買い取り考えるとずいぶん安いけど、ルナさんは大丈夫なのかい?」
「ルナでいいですよ。
損はしてないんですが、実はちょっとダブついてて……あはは」
聞けば大勢の先行プレイヤー達が新装備に乗り換えた直後で、市場でも余り気味らしい。
もちろん、先行とは言っても私たちと同時のスタートだが、彼らは彼らなりのアプローチでこのゲームを楽しんでいるのだ。そして私も今回の買い物や、今後市中に出回るであろうフィールドやダンジョンの攻略情報などで、その恩恵を受けるのである。
二人合わせて所持金は40アグだが、宿代を考えれば出せるのは30アグ。最低限、アキの魔法発動体は購入しなくてはならないから《マジック・リングⅠ》で12アグ、余裕を考えれば、私は……ナイフのみでいいだろう。
「じゃあ、ナイフと指輪で。
アキもそれでいいか?」
「うん」
「毎度!」
早速二人して装備を身に着ける。……とは言っても、片や素手より多少マシな攻撃力[2]のナイフ一本、片や魔法登録枠一つの指輪一個ではどうにもしまらない。
それでも私は攻撃力が若干増えたし、アキもたった数発ながら魔法を撃てるようになった。
「あ、ライカさん。
余り物の薬草とかドロップ品の買い付けもしてますから、お帰りの際も寄って戴けたらうれしいなあ、と……」
「ああ、もちろん、また寄らせて貰うよ」
「お世話になります!」
「じゃあアキ、早速依頼見に行くか?」
「うん。
ルナさん、また来ます!」
「はーい、待ってるわ、アキちゃん!」
手を振るルナに見送られ、私たち二人は中央広場の冒険者協会に戻った。早速クリアできそうな依頼を見繕うことにする。
「えーっと、預り金の金額で難易度を判断、だっけ?」
「だったかな。
……一番最初だし、これでいいか?」
「うん。ライカさんにお任せ」
「こらこら」
種族も様々な冒険者でごったがえす掲示板で、採集依頼のうちで預り金が0アグかつ期限のない依頼を見つけた私は、ピックアップして受付に並んだ。
『《ワタアメ草》の採集』依頼は、王都南の草原に生えている《ワタアメ草》を10本手に入れて、協会に持っていくという極めて簡単な依頼だ。初心者用とも救済用とも取れる内容だが、それだけにこの依頼を一度こなしてゲームの様子を把握するための試金石としたい。
依頼書に付随している情報によれば、王都南の草原で出没するのはLV1の冒険者でも無理なく対応できる低レベルの野生動物系モンスターのみ、NPC盗賊さえ出ないほど治安の良いPK禁止エリアと、ほぼ安全な場所だった。
成功報酬は10アグと断然安いが、協会の依頼からは経験値も得られる。報酬の大きな依頼は預り金も大きく、それこそレベルが上がってから受けるのが普通だった。
攻略を狙っての最前線への参加でもない限り、空気に慣れるまでゲームでも無理をしないのが私のプレイスタイルである。
空いているカウンターに向かい、ピックアップした依頼書を受付嬢に提示する。
「この依頼を受けたいので頼む」
「はい、かしこまりました。
依頼は『《ワタアメ草》の採集』、受諾パーティーは総員2名でリーダーはライカさん。預り金は不用です。
───登録が完了しました。よい冒険を」
「ありがとう。
よし、行こうアキ」
「うん」
嬉しそうな表情で買ったばかりの指輪を撫でている彼女を伴い、協会を出る。
今はゲーム内の時間で昼過ぎ、一戦二戦交えても城門が閉まる時間には余裕を持って戻れるだろう。……私の良く知る『《ワタアメ草》の採集』依頼ならば、だが。
中央広場から大通りを真っ直ぐに南下して王都の南門を抜け、フィールドに出る。
街道には私たち以外のパーティーやソロプレイヤーも見かけるが、装備を見ると少なくとも一度や二度は依頼をこなしているのだろう、彼らは低レベル装備ながら殆どが複数の装備品を所持していた。
「あーあ、わたしもローブとか帽子が早く欲しいな」
「そうだな。
でも、今が一番楽しい時間でもあるんだぞ。
徐々に装備が揃っていくのは……わくわくしないか?」
「あ、それわかる」
なけなしの報酬で次はあれを買おうこれを買おうと話し合うのは、実に楽しい時間だった。
私も昔使っていたボスドロップのユニーク装備や自前で鍛えた高レベル武具……とまでは言わないが、せめて金属鎧とまともな剣ぐらいは早々に手に入れておきたい。
「アキ、指輪に魔法の登録は済ませたか?」
「うん、大丈夫だよ」
互いにメニューを開いて確認し合う。
私はLV1の戦士で、要となる攻撃力の合計は[5]。
アキは素手の攻撃力は[1]しかないが《プチ・ファイア》の攻撃力は[10]、だが休憩によるMP回復を考えても、今日一日頑張って7~8発が精々らしい。
……私もアキも、早々にレベルアップしたいところである。
「基本はライカさん任せ、危なくなりそうだったら魔法で援護……でいいのかな?」
「経験値はパーティー内で均等に振られるから、その方がいいだろうな。
でも《プチ・ファイア》も使うごとにスキル経験が入るから、余裕があればどんどん使った方がいいか……」
「えーっと、満タンになったら1回使ってしばらくお休み……を繰り返せばいいかな?
別のゲームでのテクニックだけど、同じだと思う」
「そうだな」
《プチ・ファイア》に限らず、魔法やスキルは使えば使うほど技が磨かれて行く。少ないMP消費ST消費で技が使えるようになったり、射程や威力がアップするのだ。
年甲斐もなく楽しんでいる自分は冷静になれば少しばかり滑稽だが、せっかくのゲーム世界、娘と一緒に楽しめるならばそれは些細なことだった。
他愛のない話をしながら体感時間で五分ほど歩くと、それらしい場所に到着する。看板が立っているから間違いない。
「《王都南の草原》……ここだね」
「ああ、少しだけ街道から外れよう。
森までは距離を開けておく方がいいか」
「うん。森にはなんとかベア? ……がいるんだよね?」
「《ワイルド・ベア》は仕様が変わっているとしても、初心者二人にはちょっと無理だろうなあ。
もちろん、《ブラック・ラビット》とか《リトル・ディア》ならいけるけど」
《ブラック・ラビット》は縄張りに入ると真っ正面から攻撃してくる黒い兎だが、黒いだけで大して強くない。ドロップ品は《兎の肉》と《黒兎の皮》で、この状況では買い取り価格がどれほど安価でも副収入そのものがありがたかった。
《リトル・ディア》は《ブラック・ラビット》より経験値は高いしドロップする《子鹿の肉》や《子鹿の皮》は黒兎のそれよりもなお嬉しいが、初心者にはつらいほど逃げ足が早い。
両者ともVR技術が進んでどこまで進化しているのかはわからないが、協会の訓練場で剣を振るった限りでは、戦闘そのものは昔のゲームと大きな違いはないだろうと思える。
「あ、《ワタアメ草》あった」
「ああ。幸先がいいな」
鑑定不用なLV0の採取アイテムだけあって、一定の距離に近づけばプレイヤーが気付ける仕様になっていた。採取してアイテムボックスに収納し、見つけた《丸い小石》などをついでに拾いながらまたしばらく歩く。
繰り返すこと数度、運良く群生を見つけ、あっと言う間に10本の《ワタアメ草》が集まった。
「意外と簡単だったね。もう少し集める?」
「だな。同じ依頼は1日1回の受付だから、明日が楽になるか。
……まあでも、油断は禁物、と」
目の前には別の《ワタアメ草》が生えているが、そのすぐ脇の茂みがかさかさと揺れている。
現れたのは、頭上にHP表示を浮かべた《ブラック・ラビット》だった。
いよいよ初戦闘、ちらりとアキを見やれば流石に緊張している様子だ。五感全てを使うVRMMOと通常のネットゲームでは、同じ戦闘でも空気感が全く異なる。初心者が大きく戸惑う原因であり、またVRゲームの真骨頂であった。
「前に出るから、援護よろしく!
私が牽制している間に落ち着いて呪文を唱えればいいから」
「うん!」
《ブラック・ラビット》を相手に慌てるはずもないのだが、傷を負いたいわけではない。
私は慎重に距離を詰めた。
「《プチ・ファイア》!」
ナイフを構えて牽制する私の右側から、直径5cmほどの小さな炎が《ブラック・ラビット》に向けて放たれた。
命中。一撃で決まる。
くぐもった小さな悲鳴を上げた《ブラック・ラビット》のHP表示は一瞬で0となり、光の粒子となって消えた黒兎は、ドロップ品の《黒兎の皮》に変わった。
保護者同伴とは言えども12歳から参加出来るこのゲーム、流血描写はことごとくぼやかされている。せいぜいが感情オプションの設定変更でプレイヤー自らが意図して流す鼻血や血涙、深刻なダメージ表示を示す僅かな流血程度だった。
<プレイヤー側の勝利です。
ドロップ品を1つ入手しました>
小さな鐘の音と共に現れた戦闘結果表が、僅かな経験値がそれぞれに入ったこととドロップ品の入手を示して消える。
「初勝利!」
「お疲れさま、アキ」
軽くハイタッチをかわす。
この小さなコミュニケーションが自然に出来ることこそ、VR技術の素晴らしい部分であろう。……昔のゲームでは難解なコマンドを入力し、パーティー全員で取り決めた変なポーズを取ると言った楽しみ方もあったが、それはそれ、これはこれである。
「やっぱりLV1でも魔法は威力あるなあ。
どうだった、初戦闘は?」
「いつものゲームより、操作はこっちの方が楽……かなあ。
コントローラーいらないし、初級魔法でも威力は高そうだし?」
「ははは、《ブラック・ラビット》が相手ならそうなるか。
でも今は色々試して慣れておくことが第一だ。
次は私がやってみていいかな?」
「うん、頑張って!」
《ワタアメ草》の採取を続けながら、周囲を伺う。
ほどなく現れた新たな《ブラック・ラビット》に、私は『二』撃を加えて無事に倒した。
戦闘の結果も行動した内容も、大凡予想の範囲である。
《ブラック・ラビット》の持つ攻撃手段は《蹴り》と《噛みつき》だが、私の《ナイフ》の方がリーチ───正確に言えば、腕の長さが大半を占める───が長いのだ。
先んじて一撃、《ブラック・ラビット》が怯んで私への攻撃がキャンセルされたところに、こちらからもう一撃。腕を無造作に二度振っただけで、その戦闘は終わってしまった。
こちらの攻撃に怯まない強さもなく、回り込んでプレイヤーの隙を狙うような相手ではないからこその余裕だが、今後も考えて、次の戦闘では《ブラック・ラビット》を『強敵』と思いながら戦おうとアキに伝える。
私も以前のゲームとは今ひとつ違う感覚で、少し戸惑う部分もあった。アキに言った慣れることが大事という台詞は、自分にこそ必要らしい。
「安い防具なら今日中に買えるかも!」
「そうだなあ。
協会で依頼の報告をしてから、また露天に行こう。
ドロップ品も引き取って貰いたいし……」
「うん、そうだね」
更に採取を続け、次々と現れる《ブラック・ラビット》を倒していく。
結果、王都に戻るまでに《ワタアメ草》38個、《兎の肉》3個、《黒兎の皮》4個、そして《ワタアメ草》と同じく鑑定不用なLV0の採集品《ヤキハマ草》6個と《丸い小石》48個を得ることが出来た。
私にも両手で持てないほどの量だが、財布とアイテムボックス兼用の腰のポーチは、大きさ重さに関係なくアイテムを無限に収納する。
───正に、ゲーム的な仕様。
しかしVRゲームに慣れていない若年層や、そもそもゲームと名の付くものに慣れていないような同伴の保護者のことを考えれば、このぐらいの緩さが丁度良いのかも知れない。
逆にアイテムボックスのシステムに制限を掛けて、装備や消耗品の取捨選択をパズル的要素として楽しむゲームもあるから、バランスは取れているのだろう。
「アキ、そろそろ戻ろうか。
夕方には城門が閉まるし、もう一度店に寄りたい」
「了解、ライカさん」
行きがけと同じく、アキと二人雑談をかわしながら本日三度目の冒険者協会訪問である。
別のカウンターで、今度は人間族の受付嬢に話しかけた。
眼鏡も制服の一部なのか、今更ながらに気付いたが、受付嬢は全員が眼鏡を掛けていた。以前の『剣と魔法のサーガ』には、そんな仕様や約束事はなかったと思うのだが、時代が変わったのだろう。
ともかく受付嬢に依頼書を示し、《ワタアメ草》を取り出す。
「この依頼の報告受付を頼む。こちらは依頼品だ」
「はい、かしこまりました。
依頼は『《ワタアメ草》の採集』、受諾パーティーは総員2名でリーダーはライカさん。
───依頼品の《ワタアメ草》10個の納品を確認しました。
こちらが報酬の10アグになります。預り金はありません。
お疲れさまでした」
受付嬢の報告受諾と同時に、軽い音色のシステム音が鳴り響く。《ブラック・ラビット》から得た経験値に依頼の達成で得られた分が加算され、二人ともレベルアップしたのだ。
「やたっ!」
「おお!
うん、やっぱり嬉しいもんだな」
メニューを開けば、《狼人族》LV2と表示されていて、僅かに基礎ステータスが上昇していた。残念ながら攻撃力の合計は[5]のままだが、防御力の合計は[2]から[3]に上昇している。
「こっちは防御力が[3]に増えたよ。そっちはどうだ?」
「ふっふー、MPが増えたよ!
《プチ・ファイア》なら5回かな」
ゲーム中盤ならば、防御力が1、2ポイント上がったところでそんなものかと済ませるところだが、防御力が五割増と考えれば、今の1の差は非常に重い意味がある。
「アキはどうする?
ついでに《プチ・アイス》でも覚えていくか?」
「んー……貯めとく。
レベルアップか補助系か、もう少し迷ってからにしようかな」
スキルポイントの割り振りはプレイスタイルにも影響するし、急ぐことはなかった。沢山悩んで納得の行く答えを出せばいい。
それに……このあたりは実にゲーム的───得意分野で不得意を補っているのだと強引な言い換えをする者もいる───だが、例えば《戦士》のプレイヤーが戦闘を中心に経験値を稼いで《種族レベル》を上げることでスキルポイントを貯蓄し、《魔術師》レベルを上げることが可能なのだ。
逆に《商人》プレイを重ねて得たスキルポイントをつぎ込んで、一端の《神官》になることも出来る。
現実世界では不可能なシステムだが、わざわざ斜に構えて批判するようなこともない。与えられた条件を素直に受け入れて楽しむことが、重要なのである。
「ルナさんまだお店してるかな?」
「日のあるうちは開けてるんじゃないか。
稼ぎ時はもう少し後だろうし……」
街に帰ってきた冒険者で混み合う前に、稼ぎを売って防具の一つ二つでも買っておきたいところだった。明日は朝から依頼を受けて、出来ればもう少し難易度の高いフィールドでも通用するレベルまで持っていきたい。
うろ覚えの道順を思い出しながら露天市場の奥まった一角に辿り着くと、ルナ・フィールドが《人間族》の女性戦士と商談しているのが目に入った。
「お話中だね」
「商談を邪魔するのは良くないな。並んで待とうか」
「……ありがと、ルナ。
じゃあ、遠慮なくこの値段で買わせて貰うわよ」
「姐さんはいつもこれからが凄いんですから、初期投資ですよ」
「買いかぶりよ。
……ね、ルナ、お客さんじゃない?」
「あっ、ライカさんアキちゃん、お帰りなさい!
姐さん姐さん、さっきお話しした古参の人って、この人ですよ!」
「うん!?」
何か私たちのことを二人で話していたのだろう。
ルナの口振りからするとこの女性もそこそこの古参プレイヤーのようだし、思い出話と絡んで私が『M2』のプレイヤーだったことを話していても不思議はなかった。
こちらを気遣ってくれたらしいと、姐さんと呼ばれた女性戦士に軽く会釈する。
装備はともかく、近寄って見てもまったく見覚えのない顔立ちだ。
VRゲームでは自前の顔に少しの細工が流行のようだが、私のような狼男ならまったく無意味な話になるし、三十代以上に限らず女性プレイヤーがゲーム内で『若返り』をすることは、聞いてはいけない実年齢や上げ底されているであろうバストサイズと共に、暗黙の了解となっている。
だが向こうは僅かに首を傾げ、私の方を見ていた。
「姐さん、ライカさんも『M2』をプレイされてたそうなんですよ」
「そうなの!?
でもライカ……って、もしかして《狼人ホーム》のライカくん?」
狼男なら老け顔も何も関係ないから、逆に分かり易かったのかも知れない。
《狼人ホーム》とは、懐かしの我がギルドの名である。
こちらで言うギルドは、プレイヤーが自主的に集まって作る同士会のようなものだ。パーティーは戦闘や依頼時に一時的に組むチームだが、ギルドは代表者であるマスターを中心として巨大な組織に成長することもあるし、イベントでギルド間の闘争などもある。
名前こそふざけているが、《狼人ホーム》は『我ら狼は孤高の存在、独立独歩で我が道を行く』とばかりにギルドのメンバーは好き勝手をやっていたから、ある意味弱小ながらも当時はゲーム内で名を知られた存在だった。
「確かに私は昔、《狼人ホーム》に所属していたライカですが……失礼、どなたでしょう?」
「うーん、わからないかなあ?」
小首を傾げて可愛く困られても、思い出すきっかけには至らなかった。
それに思い出せずに困っているのはこちらである。
一発で正体を当てられたのに、切り返しが出来ないとは我ながら情けない。ゲーム中には『ライカ』『ライカさん』『マスター』と呼ばれることの方が多かった私への呼びかけが、『ライカくん』であったことから、かなり範囲は絞れるはずだ。しかも口振りからすれば、かなり親しい可能性もある。
目の前の女性戦士の背は160cmほど、中肉中背に薄茶のポニーテールで顔は細面。人好きのする優しそうな笑顔が好ましい美人だが、現実の知り合いでもなさそうである。
物覚えはそう悪い方ではないと思っていたが……。
覚えている限りの女性プレイヤーの顔を並べても、思い当たるふしがない。
「ほんとにわからないかな?
《セイルージュ女学院乙女部》のレモンティーヌ。
……ぜんぜん、すっかり、まったく忘れてる?」
「ああ! 《乙女部》のレモンか!
……って、あ!?
わかるわけないって知ってて聞いただろ?」
「やん、嬉しい!
ちゃんと覚えててくれた!」
彼女が《猫人族》───当時はクウォーターなどシステム上なかったから完全な獣頭───だったことは、名前を聞いてすぐに思い出せた。確かに親しいプレイヤーだった。
だが……つまりは外観が全く変わっているわけで、顔を見て思い出せと言うのは最初から無理な話なのである。声や仕草はそれ以上に当てにならないから、最初から慮外だ。
もちろん、《猫人族》の剣士レモンティーヌならよく覚えていた。
手数と速度で勝負する軽量タイプのファイターで、《乙女部》でも後期加入組だが一目置かれていた前衛の攻撃屋。スキルはあまり使わない戦闘スタイルだったように思う。
ちなみに彼女の所属していた《セイルージュ女学院乙女部》───略して《乙女部》は、『M2』でもかなり大きな女性限定のギルドだった。元は『セイルージュ・アドベンチャー』という別ゲームでのギルド仲間を発端とするらしいが、そのあたりは流石に私もうろ覚えである。
「でもほんとに久しぶりだな。
十何年ぶりの復帰初日で知り合いに会えるとは思わなかった」
「わたしも驚いてるよ。
ライカくん、引退宣言以来本当に見かけなくなったから……」
「リアルが忙しくてね、色々と」
「だよね。
……元《乙女部》のメンバーも、ほとんど見かけなくなっちゃったわ。
『M4』あたりまではギルドがちゃんとあったんだけど、先輩方も減っていったし、わたしも昔ほどログイン出来なくなちゃったし。
仕方ない、とは思ってるけど……」
「そうだな。
それにしても、あのレモンが『姐さん』ねえ……」
「わ、わたしもせーちょーしてるのよ!
これでも『M4』の《乙女部》じゃサブマスやってたし!」
「……ほんとか?」
「ほんとだって!
ほらルナ、フォローして! いますぐフォローして!」
《乙女部》の面々は私が『M2』で営んでいた《鍛冶喫茶・おおかみのす》の常連客だったから、彼女もその伝で知り合っていつの間にか馴染んでいた。
期待の新人だと《乙女部》のサブマスか誰かに紹介されて、予算を聞いて鎚を振るったような記憶が蘇る。『安くて強くて軽いやつ!』を作って欲しいと、非常に曖昧な依頼をされただろうか。
助っ人に呼ばれてパーティーを組んだこともあるし、依頼のついでに材料の調達を頼んだことも一再ではなかった。正直言って平素のゲーム中は、《狼人ホーム》よりも《乙女部》の方々のお世話になっていたように思う。
「ね、姐さんが可愛くなってる……」
「お……ライカさんもいつもと違いすぎ……」
「えー、そ、そうかな?」
「アキ、そんなに違うか?」
十数年振りに再開した古馴染みとのやり取りだ、多少気持ちが舞い上がってしまうのも仕方がないと思って欲しい。
アキが随分と驚いた顔をしているが、友人の誰かを家に連れ帰ったような覚えはない───大抵は夜の飲み屋で事が済んでしまう───から、家族には見せることのなかった私の一面を見て驚いているのだろう。
同じプライベートでも、家族に見せる顔と友人に見せる顔は私に限らずまったく違うものだ。どちらを蔑ろにしているか、重視しているかという差違ではない。
「ぜんぜん違うよ!
なんか、えーっと……若い?」
「そう! それよアキちゃん!
姐さんもいつものクールビューティーがどっか行っちゃって……女子高生っぽいです!」
「ああああぁ……女子高生って言われて、嬉しいような嬉しくないような……」
「……」
レモンが落ち込んでいるが、私だって『M2』当時は二十代の若者だったし、彼女は確か私よりも年下だったはずだ。現行のVR機器法が施行される前は、メーカーが自主規制をしていなければ、未成年が遊べるVRゲームも数多く存在したのである。
レモンの実年齢は私も知らないが、当時中高生であったとしてもさして驚くことではない。それこそ《狼人ホーム》のマスターは当時でさえ四十代の独身貴族だったし、年金生活の合間にゲーム世界を楽しんでいた人生の大先輩など珍しくもなかった。
「そうだ、ライカくん」
「うん?」
「気になってたんだけど、そちらのエルフさんはどなたさん?
……もしかして、恋人?」
「ち、違います、違います!!」
アキはえらく慌てているが、その程度の鎌かけで私が動じることはない。
《乙女部》にはずいぶん鍛えられたのだ。……色んな意味で。
「アキ、落ち着け。
普通に自己紹介すればいいから」
「あ、うん。
はじめまして、《エルフ族》の魔術師アキです。
VRのMMORPGは初めてなのでよろしくお願いします。
えーっと、ライカさんには、いつもお世話になってます……でいいのかな?」
「うん、よろしくね、アキさん。
聞いてたとは思うけど、改めまして。
元は《乙女部》の《猫人族》、今は《人間族》の戦士、レモンティーヌよ。
レモンでいいわ、ライカくんもそう呼ぶだろうし。
そうそう、ライカくんに聞きにくいことがあったら相談に乗るから、頼りにしてね。
あ、でもVRMMOが初めてなのにライカくんのお世話に……ってことは別のゲームか何かで知り合ったの?」
「あ、えっと、何と言いますか……」
困っているアキに少し助け船を出した方がいいかと身構えたが、そのあたりはレモンも確かにベテランのプレイヤーになっていた。口には出さないが確かに『せーちょー』している様子で、昔の彼女を知る身としては何やら感慨深くもある。
「ごめんアキさん。
ライカくんのおかげでつい気安くなっちゃってた。
リアルの事情とか聞く方がノーマナーだし、答えなくていいからね」
「いえ……」
「まあまあ。
あー、ぶっちゃけるとだな、リアルの知り合い……というか、俺の娘」
「娘さん!? ……って、えええええええええええええええ!?」
「はい、ほんとにお父さんです」
「へえー、ライカさんとアキちゃん、親子で参加だったんですか。
そういえば夏休みですからね、意外と多いんでしょうか。
……あ、親子割引とかウケるかな?」
ルナは商魂たくましい様子を見せていたが、レモンは何をそんなに驚いているのかと、アキと二人顔を見合わせる。
期間が三日間と限られている『新・剣と魔法のサーガ《戦乱の向こうに》』では、親子連れは比較的多いのではないかと私は思っていた。
『剣と魔法のサーガ』シリーズには、『M2』や『M4』の直系子孫である『剣と魔法のサーガ《神竜の夜想曲》』というオンラインタイプのMMORPGも提供されている。そちらは三日で数年というゲーム進行でこそないが、旧来型のシステムで組まれているので、年少組にとり毎回保護者付きでゲームをするというのは敷居が高い。ゲームをするには、実質高校生以上でないと苦しかった。
それに対して『《戦乱の向こうに》』は三日間という連続した拘束時間が必要でも、私のように夏期休暇を利用した家族サービスと考えれば世の大人にもそう難しいものではない。
「俺もいい年なんだから、娘がいても不思議はないだろうに」
「おと……ライカさんが『俺』って言うの、初めて聞いたよ」
「あー、引きずられて若返ったかな……」
アキ……いや、千晶の前では、ほぼ『私』で通していただろうか。
いや、特に意味もなく父親として張り切っていたのが、いつの間にか千晶に対する普段の姿勢となったのだろうと省みる。
「でも……」
「どうした、アキ?」
「その方が格好いいよ」
「……そうか?」
「うん!」
格好いい、ねえ……。
とうに不惑も過ぎた私には、なかなか縁遠い言葉だ。娘から言われると、少々鼻も高くなろうというものである。
だから衝撃から立ち直ったレモンやルナが、そのことを冷やかそうとも……。
「うんうん。
『M2』時代の《乙女部》でも割と人気あったんだよねえ、ライカくん」
「へえー、姐さんもその口でした?」
「もちろん。
ライカくん面倒見よかったし、割と頭脳系のプレイヤーだったんだよー。
《乙女部》の大ピンチを救ってくれたこともあったし、それからもがががが……」
「レモンティーヌお嬢様、少し静かにしましょうか?」
「……ふが」
私は前言を撤回して素早くレモンの口を塞ぎ、眼力を込めて黙らせた。
照れくさい話になりそうなので、聞くに堪えなかったのだ。
そのあたりで強引に思い出話をうち切った私は、ルナに商談を持ちかけた。
《ワタアメ草》28個のうちの20個は明日の依頼用に残しておいて、残りを気前よく並べていく。
「さすが。
ベテランは寄り道が上手いですね。
数も多いし」
「二人分だからなあ」
「頑張ったもんね」
「では失礼いたしまして……《ワタアメ草》《ヤキハマ草》《丸い小石》は1アグ、《兎の肉》が3個で6アグ、《黒兎の皮》4個が16アグ、でどうでしょ?」
「任せるよ」
「任されました。
えー、……62、それから6の16で、トータル84アグ、です」
割といい値段になったようだ。ルナに頷いて一旦代金を受け取り、《ナイフ》よりも一段強い《ダガー》と素盾、アキ用のローブと追加の《マジック・リングⅠ》を購入する。これで残金は持ち合わせと合算して二人で36アグ、明日からも頑張って稼ぐとしよう。
改めて四人でフレンド登録を交わすと、もうしばらく日帰りプレイヤーを待って稼いでいくというルナに一旦別れを告げ、当然という顔でレモンを加えた私たち父娘は彼女を伴って宿屋街へと足を向けた。彼女も初日から夜のフィールドに出る気はないらしいし、お互いまだまだ話し足りなかったのだ。
短時間で随分と仲良くなった様子のアキとレモンを背後から守りながら、買い物かごを抱えたNPCや露天に急ぐプレイヤーを眺める。
しかしだ。
ゲーム開始直後、親しい知り合いに会えるとは運がいい。少なくとも、サーバーの数から言えば確率三分の一、日取りが違えば当然それ以下であろう。
他にももう一度合いたい仲間は大勢居るが、私でさえ四十代なのだ。続けている者も少ないだろうし、休暇を利用した『三日間』だけの復帰者も多くはないだろう。
「それにしても……本当に腹が空くんだな。
仕事柄、会議や開発でVRオフィスやVRファクトリーにはほぼ毎日出入りするんだが、空腹は初体験だよ。
ああ、VRオフィスの休憩室で煙草を吸ったりコーヒーを飲んだりはあるかな。
最初は再現度が高くて驚いたよ」
VR世界の煙草は、余程開発者にこだわり心があったのか、わざわざライターを用意してパッケージの封を切らせる凝り様であった。馥郁たる香りは十分再現されているのに吐き出した紫煙さえも数秒で消える設定で、無論、火事も健康被害も心配ない。
リアルではヘビースモーカーだった同僚は、一度データを買えば後は吸い放題、煙草代がかからなくていいと周囲を呆れさせていた。
コーヒーも同様だが、アイスとホットだけでなく、喫茶店のように銘柄まで指定できる。ちなみに私の好みは、苦みの強い深煎り粗挽きのモカである。
「ライカくん引退後の話になるけど、『新章』だったかな、改正VR機器法の後に大きなアップデートとか色々あって、『剣と魔法のサーガ』にも暫定的に味覚と嗅覚が実装されたの。
《料理人》関係のスキルは大幅な見直しで毎週アップデートされてたし、料理の数もものすごく増えたわ。煙草とか、お茶の類ももちろんね。
『新章』の次の『魔界の入り口』からは正式に空腹度も導入されて……スキルが足りなくて失敗した料理は、本当に美味しくなかったなあ」
「そりゃあ、うん……そうか」
とほほ顔のレモンに、小さく笑顔を向けてやる。
『M2』当時も《料理人》という職業はあったが、もちろん料理に味はなかった。一部にステータスアップの効果や回復効果こそあったが、料理や飲み物は消費すると目の前から消えるだけだ。
それさえも楽しかった『M2』だが、《料理人》は趣味スキルと呼ばれるハズレ職種の筆頭格に近い扱いだったように思う。
だが味まで再現とあれば、数年という長いスパンをこの世界で過ごすプレイヤーにとっては、戦闘スキル以上に無視の出来ない要素かもしれない。トップレベルまでは必要なくとも、自炊が哀しくない程度には私も《料理人》スキルを鍛えておくべきか迷ってしまいそうだ。
それに《鍛冶喫茶・おおかみのす》の看板として、訪れる客にMPが微量回復する《ブラックモンブラン・コーヒー》を提供していた元マスターの私である。……今度こそ、本物の『鍛冶喫茶』を営業できるかも知れないと、こっそり笑みを浮かべた。
「わたしも料理覚えようかな」
「すっごく面白いわよ。
最初は失敗するけど、それも楽しいわ」
「わ、やってみたいです」
「現行作から仕様が変わってなかったら……のお話になっちゃうけど、《料理人》をスタートするならお勧めは《竜の爪亭》か《下町食堂》かな。
得られる初期レシピが多いから、一番最初の修行に向いてるの」
ああ、アキが看板娘を引き受けてくれると、なおのこと嬉しいかもしれない。
私が奥の鍛冶場でハンマーを振るい、喫茶の方でアキがくるくると立ち働くす姿を想像し……これは実現したいと拳を握りしめる。
店舗兼作業場兼自宅となると小さな物件でも相当な価格───現実の世界ほど世知辛くはないにせよ、ゲーム内の買い物としてはかなり高価だ───になるが、中長期の目標として掲げたい。
「ともかく、今日のところはのんびりしようよ」
「そうだなあ。
初日じゃあまり贅沢もできないだろうが、せっかくだ、乾杯の一杯ぐらいはしたい。
……アキはジュースだぞ?」
「うん。
お酒、あんまり美味しくないし……あ!」
「……聞かなかったことにしておくよ」
「あ、ここよ、ここ。
わたしお薦めの常宿、《草原の狩人亭》。
開業は『魔界の入り口』だったかな。
……NPCの女将さんが変わってなきゃいいけど」
二人部屋に夕食込みの宿代はアキと二人で14アグと予定より高くついてしまったが、出された兎肉のシチューと少々噛み応えはあるものの味の濃いパンは殊の外美味だった。
1杯2アグの黒エール───《草原の狩人亭》に来たならこれよとレモンに押し切られて注文したビールのご先祖様のような飲み物で、回復効果などはない───は微かな雑味まで再現されていて、酩酊感とともに異世界への旅行気分を盛り上げてくれる。
「ライカくん、あの、聞いていいのかどうか分からないんだけど、やっぱり気になって……いいかな?」
「うん?」
「アキちゃんのお母さん……奥さんは、ゲームに参加されてないの?」
「ああ。
去年、離婚してね」
「えっ!? あ、その、ごめんなさい」
「大丈夫だよ、レモンさん。
お母さんとはいつでも会えるし、今も仲が悪いわけじゃないの」
「……私も、まあ、時々は会うよ」
実は時々どころか、職場で毎日顔を会わせているし話もする。いつの間にか心の距離が遠くなり、互いが納得しての円満離婚だった。
……それ故に元妻は元居た会社の元の職場、つまりは私が副部長として取りまとめている同じ部署に復帰したのである。新しい部下としての彼女には、今のところ不満はない。
「楽しい話題ではないけど、それほど深刻な話でもないから気にするな」
「う、うん」
「そうだよ、レモンさん。
お母さんが再婚決めたとき、お父さんもわたしもちゃんと結婚式に呼ばれたぐらいだし」
「そ、そうなんだ……」
複雑な表情で私たち父娘を見比べるレモンには、そういうことだからと軽いウインクをして話を打ち切った。千晶には申し訳ないと思うが、その点以外はさして問題ではないしお互い引きずってもいない。
私たちが夕食を終えてしばらく、客足が引いたので露天を畳んできたというルナも加えて、四人で明日への展望や思い出話に盛り上がった。
私とアキの種族レベルはLV2だが、ルナは王都から出ずに商人だけでLV3、レモンは《人間族》の種族特性もあって既にLV5だという。これは《鍛冶匠》や《料理人》を目指す上でも頑張らなければと、アキと頷き合う。頂点を目指す気はないが、仲間に置いて行かれるのは嫌なのだ。
……このあたり、私たちは実に似たもの父娘なのである。
一番最後に、空腹だけでなく眠気も実装されているなとひとしきり笑い、私たちはそれぞれに宛われた部屋へと向かった。
「ね、ライカ、さん」
「うん?」
「『お父さん』って呼んじゃダメかな?
……なんかね、やっぱりと言うか、えーっと、気になって、落ち着かないの」
「あー、まあ……アキが落ち着かないならその方がいいか」
「……いいの?」
「ああ、もちろん」
「えへへ、ありがと。
……おやすみ、『お父さん』」
「おやすみ、『千晶』」
笑顔のまま目を閉じたアキから、ほどなく小さな寝息が聞こえてくる。
彼女にはVRゲーム体験の初日だ、精神的な疲れがどこまで忠実に再現されているのかはともかく、濃い一日であったことだろう。
私のことをライカと呼ばせていた理由は、日常を離れてこの世界を楽しんで欲しいという気持ちから出たものだが、彼女にとっては少し重い負担となってしまったようである。親子連れが多いようだと気付いていながら押しつけてしまった、私のエゴだ。
娘の気持ちを汲んでやれなかったという少しだけ苦い想いを抱えつつ、私は静かに寝返りを打つと、眠気に身を任せた。
▽▽▽
おまけ お父さんには見せられないわたしの日記帳(1日目)
▽▽▽
お父さん(ライカ)
種族:《狼人族》LV2
職業
《戦士》LV1/ー
装備
《ダガー》攻撃力[3]
《羊皮の小盾》防御力[1]
わたし(AKI)
種族:《エルフ族》LV2
職業
《魔術師》LV1/《プチ・ファイア》魔法攻撃力(火)[10]
装備
《マジック・リングⅠ》(プチ・ファイア)
《マジック・リングⅠ》(-)
《見習いのローブ》防御力[1]
じゃーん!
わたしこと『AKI』は、今日からプレイ日記をつけることに決めました。
メニュー画面のメモ欄だけど、他に使う予定ないから日記専用でいいかな?
冒険者生活1日目、無事に終了したよー!
初日にしては上出来じゃないかな?
お父さんはまだまだ足りないって言うし、それは分かるんだけど……うん、わたしは頑張った! えらい! 素敵!
お父さんは今日から狼男になってしまいました。
わたしもエルフになったけど、お父さんは言われなきゃ絶対気付けない。ついでにしっぽがもふもふ。……明日、頼んで触らせて貰おうかな。
今日一番感動したこと。
それはVRゲームの魔法はすごい! っていうこと。
コントローラーの操作なしで魔法がびゅーんって飛んでいくのは素敵すぎる……。
クラブの先輩が『VRゲームを知ったら普通のゲームに戻れない』って言ってたのはほんとみたい。
ほかにもどんどん、魔法を覚えようと思います。
露天市場では、レモンさんルナさんとお友達になりました。
二人とも素敵なお姉さんで、現役の『剣と魔法のサーガ』プレイヤーです。
お父さんはロートル? っていう特別なプレイヤーみたい。よくわかんないけど。
もう一つ、びっくりしたこと。
レモンさんはお父さんと知り合いだった。わたしが生まれる前、ゲームで知り合ったみたい。お父さんはしゃべり方まで若くなってたから驚いたよ。
それからレモンさんは、お父さんのことが好きみたい。
わたしが娘だと知って凄くびっくりして落ち込んでたし、お父さんが離婚してるって知ったとき、ちょっと目がきらりんしてた。ふふん、これだけの情報で、名探偵千晶さんにはわかってしまうのだ!
ちなみにルナさんも、もちろん気付いてた。
部屋に入る前にこっそり聞いたら、ルナさんは『おもしろそうだからそのまま見守る』って。
狼男のお父さんは確かに現実のお父さんよりちょっとだけ格好いいけど、レモンさんもレモンさんで、大人の人なのに凄く無防備っていうか、《乙女部》の名は伊達じゃないっていうか、ばればれ過ぎるっていうか……。
下手すると、お父さんも気付いてるんじゃないかって思う。それでいいのかレモンさん……。
でも、わたしもレモンさんのことはかなり好きになったので、ルナさんと同じくそーっと見守ることにしよう。……おもしろそうだし。
それにお父さんも、お母さんは再婚したのに自分だけ独り身じゃ、かわいそうだもんね。
よしよし、千晶は物わかりのいい娘になってあげるよー!
というわけで、今日はお休みなさいします。
ううっ、追記。哀しいけど追記。
お風呂は持ち合わせだと値段が高くて入れなかった。ざんねんしょー。
VR世界だから汗くさかったりはしないけど、明日は入る!!