第九話「父と戦場とミニクエスト」
新居での生活を三日ほどで断念すると、私たちは留守をルナと居残り組に任せて王都を後にした。
サンマは一人後発で集合場所も王都内だったが、そちらはまあいいだろう。
私の受けたクエストは『義勇兵出撃S』、移動中の暇つぶしついでに検討した結果『斥候』、つまりはScoutのSではないかと結論が出ていた。種族固有のスキル《夜目》が必要という条件からも、たぶん間違いない。
四日間の船旅を終えて降り立った先は隣国ディアタン南端の港町、ブレンツテン。ここからご丁寧に馬車へと分乗させられたプレイヤー達は陸路で丸一日、東南に向けて移動させられた。
大同小異の小さな農村を幾つも過ぎて、その最後の一つに到着する。
あれは司令部、あちらは騎士団と、平原に所狭しと張られた天幕群が、私たちの本拠地として用意されていた。元の国境は更に南だが、ひとつ先の村まで敵軍が迫っているという。
「それにしても、人が多かったわね」
「一度に何千人も動いたわけだし、こんな狭いところに放り込まれればなあ……」
クエストを受諾したプレイヤーは、王国の発表によれば11500人に及ぶ。
サーバーのプレイヤー総数18000人に対してこれを多いと見るか少ないと見るかは、ゲームに対するスタンスで変わってくるかもしれない。
例えばトップ集団のプレイヤーならば、拘束期間に対する経験値やアイテムのペイがそのまま参加の可否につながる。第二集団ならば面白そうか否か。とりあえず皆が参加するから参加しようというプレイヤーも多いかもしれない。
但し、受諾プレイヤーの全員が全員、こちらに来たわけではなかった。《ムーンライト・キャラバン》などは、形式上メンバーの全員がクエストに参加している。しかし船に乗って前線に来た人数は、60人のうちの10人ほどだ。他の面々はルナを筆頭に、王都でほぼ普段通りである。
例えばハヤト氏の一家など、フランベルジュ少年は前線に来ているが両親はクエストに合わせて生活を変えた。父親のハヤト氏は農地を借りて麦を作り、エリン夫人はその麦でビスケットを作っている。これをルナがとりまとめギルドを通して王国へと献納し、代わりにクエスト報酬を得ているのだが、これも立派な参加方法と言えるだろう。
「お父さん、明日からすぐに戦争かな?」
「すぐじゃないとは思うけど、こればっかりはなあ……」
今居る王国義勇軍の拠点周辺には、一報の当事者であるディアタン皇国軍の姿はない。彼らはもっと東に戦線を構築し、皇都へと至る主街道を固めていた。国境線の西半分の防衛を、我らがフェルキャスト王国が引き受けた形になる。
この戦争は国境付近にあった古代の塔の帰属を巡り、大陸帝国がディアタン皇国に難癖を付けた上で戦争を仕掛けたと募兵に応じた先では説明されていた。いかにもゲームらしく悪い国が戦争を仕掛けたとしてあるが、大人には幾分皮肉に聞こえてしまうのは仕方がない。
地球を含む太陽系全てが一つの国家となった現在でも州境───あるいは宙境、軌道境───での紛争は絶えていないし、民族主義者達は独立運動を続けている。汎太陽系時代などと呼ばれ人類はその史上で最大の活動領域を維持拡大しているが、中身は数千年前から大して変わっていないとは、お偉い学者さんのよく口にするところであった。
「初戦も初戦、最初の一つだから明日は大丈夫だと思うわよ」
「いつものパターンなら小手調べがあって、その後にどっかーん! ……ってところっすねえ」
……ゲームに話を戻すと、大陸帝国の仕掛けてきた理不尽な戦争に皇国を支援すべくフェルキャスト王国が立ち上がり、私たちは義勇兵として参加したわけだが、この裏ではNPC勇者らの活躍も見え隠れしている。
レモンが教えてくれたところによれば、件の古王国の塔を発見したのはNPC英雄の一人『剣士ルクレール』とそのパーティーで、攻略組のプレイヤーも参加していたそうである。但し、イベント絡みのお陰か、発見の翌日にはもう皇国の騎士が封鎖してしまったので中を見たプレイヤーはいないらしい。
あとは私が教えられたように、大陸帝国が周辺の領有権を主張し戦争に至ったという、至極分かり易い流れである。
「ともかく、寝るか」
「そうね。
帰ろ、アキちゃん。
おやすみー」
「はぁい。
お父さん、コーリングさん、お休みなさい」
「おやすみなさいっす」
「ああ、おやすみ、二人とも。
さて、俺達も寝るか」
「ういっす」
一泊してようやくクエストのスタートであるが、これからは皆の行動が分かれるので土産話の一つも期待するとしよう。
そして翌朝。
いよいよ開始……なのだが、私は一人、ソロプレイとなる。
「師匠、いってらっしゃい!」
「お前ら、ちゃんと隊長さんの言うこと聞けよ?」
「わかってる!」
《ムーンライト・キャラバン》の面々もこの拠点をベースに、NPCの将軍から与えられる任務をこなすと聞いていた。
レイやフランベルジュがサムズアップをする後ろで、前線組の隊長を任されたまりあんの父が苦笑している。
「お気をつけて」
「お父さんもがんばってねー!」
「いってらしゃい、ライカくん」
「うん。
みんなも気を付けてな」
アキたちは『義勇兵出撃A』を選び、ギルドクエストを受けた《ムーンライト・キャラバン》と同様、義勇軍の主戦力として戦場に立つ。戦闘中心だが味方も多いし、何より最初のメインクエストだ、そうそう困ったことにはならないだろう。
私は軽く手を振って、集合場所になっている幕舎へと向かった。
単独行動は多少不安もあるが、実のところ楽しみでもあった。
私も家族や仲間が第一であることに変わりないが、そのことばかり考えているわけでもない。鍛冶屋と喫茶店も含めてプレイヤーとしての楽しみも、もちろん追求していた。
戦士レベルこそ余裕が無くて諦めたが、装備も新しい炉のお陰で一新出来たしわざわざ新しいブーツも買い込んでいる。
これでアキたちと同じクエストが選べたなら言うことなしだったが、これは仕方のないところであった。選択肢にあれば、迷うことなくそちらに行ったはずだ。
まりあん嬢などは皆と一緒にギルドクエストを選んでいるし、パーティーから一人だけ外れるのも勇気がいるだろう。
だからと言って『義勇兵出撃S』を受けたプレイヤーが、私一人なわけはない。
衛兵に名を告げて少し大きな幕舎に通されると、中には三人の亜人種───《夜目》持ちかつ戦闘系の職業スキルを持っていないとこのクエストは発生しない───プレイヤーがいた。
だが小さな会釈の後に一言付け加えようとしたその時、竜人族のNPC騎士が現れて中断させられる。
「戦士はらぺにょ、戦士ORANGE、戦士108式、戦士ライカよ、皆に於いては義勇軍への参加、大義である。
私は王国騎士団より派遣されし騎士にして特殊部隊指揮官、イグニスランダルだ」
いよいよイベントの開始だ。
NPCながら高レベルの騎士のようで、私も少し緊張をした。
大概の依頼の場合、想定されるレベルに合わせたNPCが関係することが多い。
是非とも私の『戦士』レベルに合わせて、クリア難易度を上下してくれるとありがたいのだが……。
「皆に与えられし任務は、敵軍の偵察である。
ここより南方に約半日街道を進めば小さな村があり、既にそこは敵の拠点になっておる。
そしてこの村の周囲には東西に点々と防御陣地が作られており、相互に連携しておることまではわかった。
一番危険で見つかりやすい村の真正面には選りすぐりの騎士を送り込むので、諸君にはこの防御陣地群の偵察をして貰いたいのだ。
但し敵の陣地は数多い。そこで各々には担当の地域を割り当てさせてもらった。地図を渡す故、敵の規模や陣地の様子を描き込んで貰いたい。
無論、憂いなく街道を進めるのは我が軍の最前線陣地がある場所まで、それより先は街道を外れ『森の中』を進むことになる。
敵も警戒して斥候を出しているものと思われるので、十分に注意せよ。『夜間』の方が敵の動きも少なく、近づきやすかろう。
そして帰還の期限は『三日後』、日が昇る前までに戻ってくれ。
……我が王国軍主力の到着がその日の朝なのだ。ディアタン皇国軍との連携に支障が出るので、特に気を付けて欲しい」
<『義勇兵出撃S』ミニクエスト1aが開始されました。
指定された陣地の偵察行動を行って下さい。偵察達成率80%がクリア条件になります>
「……了解」
「はい」
「承知!」
「うーっす」
「うむ、期待しておるぞ」
そのまま最前線までは荷馬車での移動と相成ったので、車中で自己紹介を済ませることにする。
「こんちわ、はらぺにょです。
一応前線組……になるんですが、イベント好きなんでこっちに出張ってきました」
「ども、108式っす。
はらぺにょとは同じギルドで、えーっと、俺も似たようなもんです」
「こんにちは、登録名はORANGEですが、みかんと呼んで下さい」
「みかんさんも別ギルドの前線組で、時々組むんですよ」
「『あっち』でも会うもんなあ」
『あっち』、つまりは現行作のことであろう。
なるほど、口振りとレベル、そして大きなイベント前にも関わらず落ち着いているところからすれば、明らかに現役の様子である。
ちなみにはらぺにょ氏がLV49の狼人族ハーフ、108式氏がLV45の竜人族クウォーター、みかん氏がLV43の魔人族ハーフである。流石に職業やスキルの詳細はお互いに伏せたが、種族レベルはまあ挨拶代わりと言うところだろうか。
そこにLV41狼人族の私を加えた四人が、この作戦を与えられた全員だった。種族レベルの低い『義勇兵出撃S』参加者は別の天幕で別の任務を受けているらしく、ここでは鍛冶屋兼業の私一人が戦士LV3と飛び抜けて低い。
無論、ここまでの高レベルプレイヤーと話し込むなど、レモンたちを除けばこのゲームでははじめてだった。それにたぶん、皆若い。
……引きずられて私の口調と気分まで若くなっているが、それはまあいいだろう。
「ああ、皆さん現役プレイヤーでお知り合いなんだ。
じゃあ素人は俺だけかな?
ともかくよろしく、本業は鍛冶屋のライカです」
「鍛冶屋!?」
「へえ、珍しいですね。
魔法武器の製作に《魔術師》が必要になってからは、特に選ぶ人減ってきたのに……」
「あれ?
でも鍛冶屋でオオカミLV41っておかしくないっすか!?
それって最前線でも十分通用しますよ」
「うん、前線来なくてそのレベルって、ライカさんも、もしかして現役?」
「いやいや、昔が懐かしくて好き勝手やってるだけ。
もちろん補正の件も知ってるけど、今更かな」
「あ、ライカさん復帰組なんだ」
「なっとくなっとく」
「じゃあ、王都から動かないのに高レベルなら、《ムーンライト・キャラバン》のルナさんとか知り合いじゃないんですか?」
「俺らも『あっち』つながりで初日から世話になってて」
「あー、ルナには俺も随分世話になってるかな」
「思い出した!
しばらく王都には戻ってないんで行ったことなかったですけど、王都唯一の鍛冶屋でルナさんとこの半専属って、もしかして……」
「間違いなくうちの店だろうなあ」
流石はルナ、大したネームバリューだ。まあ大手ギルドのマスターで現役組ともなれば、それなりに知り合いはいるだろうと流しておく。
「それにしても、ルナさん呼び捨てってどんだけ……」
「あー、申し訳ない。
彼女とは初日に知り合って、今はなし崩し的に同居してる」
「同居!?」
「マジっすか……」
「うん。
うちの娘も懐いてるし、ルナの友達も一緒なんでね。
このイベントに参加したんでまだ開業してないけど、トルフェル村に新しい店も借りたんだよ。
喫茶店も一緒にやるつもりで……」
「……喫茶店!?」
はらぺにょ氏が何やら首を傾げてこちらを見ているが、現行作では鍛冶屋よりも人気の商売とレモンたちからは聞いていたから、喫茶店一つでそう悩むことでもあるまいにと私もつられて首を傾げる。
「どったの、はらぺ?」
「あ、いや、あの、ライカさん!」
「うん?」
「もしかしてなんですけど、いぬゐぬいってプレイヤーに聞き覚えありませんか?
それか、《狼人ホーム》とか……」
「いぬゐぬい!?
もちろん知ってるし、俺も《狼人ホーム》にいたよ!
はらぺにょさん、いぬゐぬいと知り合いなのかい!?」
いぬゐぬいは《狼人ホーム》のギルドメンバーでも、特に仲の良かったプレイヤーだ。名を聞いただけで、色々と懐かしい思い出がよみがえる。
「俺の親父です」
「えっ!?」
「はらぺ、お前の親父さんもこのゲームやってたの!?」
「初耳だなあ」
当時は完全な狼頭が標準で、はらぺにょ氏の外観である狼人族ハーフからはいぬゐぬいの面影を探しようもないが、それにしても驚きである。
「狼男で喫茶店で鍛冶屋って、どっかで聞いたなあと思って……」
「うん、正直言えばかなりびっくりした。
いぬゐぬいは……じゃなくて、お父さんは元気かい?
実は引退以来、こっちの界隈には全然顔出してなかったんだ。
それとも……もしかしてこのゲームに参加してる?」
「こっちには来てないですけど、元気ですよ。
もうゲームはFPSぐらいしかやってませんけど」
「あー、あいつ鉄砲大好き人間だったからなあ」
そろそろ銃の一丁でも作りやがれと言われ、そんなものあるかと断るのがいつもの挨拶だった。だからと安易に弓や投擲具に流れなかったところは、奴のひん曲がった根性にもどこか一本筋が通っていたことの現れでもある。
「ライカさんのお知り合いで、他の復帰組の人とか来てないんですか?
たぶん、戻った時親父に話したら喜ぶと思うんで……」
「今のところ、昔の知り合いは二人かな。
でも現役組だから、はらぺにょ『君』達も知ってるかも。
一人は《スシ教会》のマスター・サンマ」
「あー、あのごっつい人……」
「古参中の古参だもんなあ」
「まつ風のお寿司、おいしいよね」
「もう一人は……《乙女部》にいたレモンティーヌ」
「おお、『ラスト・ヴァルキリー』!」
「あ、レモンの姐さんなら先月マリアレグで会いましたよ」
「いつもは一匹狼……って言うか一匹猫なのに、連れも居て美人のお姉さんになってたから驚きました」
「そう言やレモンさんも美人だったけど、相棒の子、可愛かったよなあ」
「ガード堅かったけど、それもまた萌え!」
「うんうん! 初VRって言ってたけど、その初々しさもまたよきかな!」
「しかもダンジョンクリアとか、何気に実力派!」
「ライカさんも会いました?
雰囲気高校生ぐらいの金髪エルフちゃんで……」
「いや、会ったっていうか、それたぶん、うちの娘……」
「「「……すんませんでしたあ!」」」
三人は一瞬顔を見合わせてから見事に声を揃え、両手をついて土下座した。
なかなかに息のあった彼らに、私は怒るに怒れず大口を開けて笑ってしまった。
……などと遊んでいる間に、馬車は目的地まで到着した。
最前線の陣地には塹壕が掘られ、馬防柵や物見櫓が雰囲気を醸し出している。
街道の半分も来ていないが、ここからは徒歩での単独行動だ。
ついでに車中では話が盛り上がりすぎて忘れていたフレンド登録を済ませ、地図を見せ合って担当地域が重なっていないことを確認した。いぬゐぬいと《狼人ホーム》の名を出されては、警戒心もどこかへ行ってしまうと言うものだ。まあ、仮に闇討ちされても、高レベル前線組へのまともな対抗手段はほぼ無いのだが……。
「ありゃま、戦士レベルで難易度が変化ってとこですか」
「俺、三つか……」
「げ、俺だけ四つかよ!?」
「こっちはLV3でひとつだなあ」
彼らは前線組を名乗るだけあって、戦士レベルもレモン並に高い。それに対して兼業の私は僅かにLV3、体力は種族補正と相まってそこそこあるものの、まあおまけというところであろう。
「じゃあ、はらぺにょ君、108式君、みかん君。
アドバイスありがとう。また三日後に」
「はーい!」
「ういっす!」
「ライカさんもお気をつけて!」
最前線の味方陣地で当座の保存食を手渡され、彼らとは再会を約して、私のクエストは始まった。
私に与えられた任務は一番東にある敵陣地の偵察で、かなり街道から外れてしまう。
私は出発前に一新した装備───ぎりぎりで間に合わせた修正値つきの胸当てやら楯やら───で身を固め、森の中へと入っていった。
「静かだな……」
森は適度に深かったが、地図にはルートも示されているし歩きづらいと言うこともない。
代わりに意外と見通しがよいので、はらぺにょ君らが教えてくれたように、警戒をしながら大木の陰から陰へと移動する。
時折しゃがんで採取レベル0のアイテムを拾い集める余裕はあったが、戦士LV3という低レベルを考慮して連戦はなるべく避けた方がいいだろうと言う結論に達していたから、警戒だけは緩めない。
しかし結局、敵の斥候どころかモンスターに出会うことすらなく、夕暮れ前には目的地の手前まで到着してしまった。
森が切れた先、畑の向こうに、水車小屋を中心に弓避けの盛り土を築かれた小さな陣地が見える。
『?』表示になっていたオブジェクトのインフォメーションが、『見張り台』『掩体』『帝国軍弓兵』などに切り替わって行く。
但し、指揮官の注意にあったように、陣地周囲にも警戒する敵兵士の姿があり、低いがそこそこ大きな見張り台の上にも弓を構えた数名がいた。ぱっと見た限りでは、全員が《人間族》のようである。
陣地には梯子や長柄の槍のようなものが立てかけられ、戦の準備が整えられつつあることを示していた。
とりあえず地図を広げると、『?』表示以外の目に付いた施設が自動で書き入れられている。地図には各陣地ごとの偵察達成率も表示されるので、これを100%にすれば完了だった。
私の場合は一カ所だが、はらぺにょ君たちは三つ四つ回らねばならないから大変かも知れない。
もちろん、いまこの場所から見ただけでは40%にしかならなかったので、静かに下がって大回りすることにした。
「……なるほどね」
もう二方向ほど別角度から砦に近づき、達成率を70%にしたところでそれ以上上がらなくなった。クリアに必要な最低達成率は80%、これはもっと近づけと言うことだろう。
昼間は巡回の兵士もいるし視界も良好で、敵陣に近づくことは不可能だ。
だが夕闇も濃くなってくると、《人間族》の兵士は当然たいまつの照らす範囲しか敵が見えなくなり、私の種族固有スキル《夜目》の真価が発揮される。月光、星光下、人工光があれば視界良好───但し、有効な距離はレベルに依存する───で、夜間の戦闘でもペナルティがつかない優れ物だが、残念なことに普段は意識しなかった。もっとも王都の市街地には街灯があるし、夜は戦闘レベルが足りなくて出歩かない。完全な暗闇となる洞窟では、どちらにしてもたいまつかランタン、あるいは魔法の明かりが必要だった。
完全に太陽が落ちるまで森に隠れて待った私は、身に着けていた《サンジ鉄の胸当て[+1]》を外して身軽になった。腕の鉄盾も以前レモンに譲って貰った革製のものに取り替える。距離が離れていたり静かに動くならそうでもないが、金属防具は音を立てるという基本に忠実な設定のお陰で、『M2』ではサーバー成熟期でも革や布の防具はそれなりに価値を保っていただろうか。
……もちろん、トラップのようにそこかしこに落ちている木の枝を踏めば音が鳴るし、人間族の兵士だって篝火の合間をたいまつ片手にうろうろしているので油断は禁物だ。
私は出来もしない忍び足を意識しつつ、こそりこそりと森を抜け出た。
幸い水車小屋の周囲に広がっているのは麦畑で、しゃがめば私の身体は隠れてしまう。
足下に枝やその他の何かが落ちていないか確認しつつ、歩を進める。後は巡回している兵士と篝火に気を付けながら、静かに近づけばいいだろう。
「……」
陣地まで30メートルほどまで近づいたところで歩みを止め、ゆっくりと辺りを見回す。
巡回の兵士は先ほど通り過ぎたところで、息を潜めていればしばらくは大丈夫だろう。
ここで一度地図を広げ、偵察を行って達成率が上がるか確かめる。
……残念ながら『?』マークは変化せず、数値は上昇しなかった。
《夜目》の効果範囲までは、もう少々近づかなくてはならないらしい。数字は公開されていないが目安は種族レベル×0.5メートル、剣を振るっての戦闘に支障はないが、ここから陣地を偵察するには難があるようだ。
そろりそろりと足を動かして3メートル、一度隠れては2メートルとゆっくり陣地に近づき、揺れ動く明かりが近づいたところで地面に伏せる。
巡回の兵士は手にたいまつを持っているので、分かり易いと言えば分かり易い。
だが無理は禁物。ゲームであればこそ、真剣に向き合う部分もある。
そのまましばらく様子を窺い、足下に小枝がないか確認してもう一歩。
匍匐前進はそれらしさに溢れているが、麦の背が高すぎて視界が遮られるのと地面とこすれ合う音が心配で試さなかった。
再び伏せて巡回をやり過ごす。
もういいかと地図を広げて敵陣に目を向ければ、篝火のお陰もあって昼間に近い視界が得られた。
見張り台には台座付きの『弩』、梯子だと思っていたのは『投石機』の部品のようで、組み立て途中とわかる。
ここで達成率85%とようやく目標値を超えた。
「……」
私は一カ所だからまだいいし、夜営はせずこのまま味方陣地まで戻って寝るつもりだが、はらぺにょ君達はこれを三、四回繰り返さねばならないのだから、難易度としては結構高いのではなかろうか。
さて、残りの15%は……無理をせずに帰った方がいいかと、私はゆっくりと向きを変え、しゃがんだまま森を目指した。
結果から言えば、離脱は成功しなかった。
森までの距離があと10メートルを切ったあたりで、かさかさという物音に気付く。
麦畑の陰に何かいる!
皮鎧は心許ないが、やるしかないなと私は剣を握りしめた。
王都を出る直前に鍛えたばかりの《ロング・ソード[+1]》、命中修正やクリティカル修正の着いたものは全て《雑貨屋ルナ》に卸したので素の[+1]装備である。
飛び出してきたのは《帝国軍軍用犬》、もちろん大声で吼えられた。
一太刀浴びせて怯ませたところに、『敵襲!』と叫ぶ声が重なる。
もう一撃。
考えている暇はない。
回り込まれて右手を噛まれ、バランスを崩しかけた。
左手の楯で強引に庇いつつ、右手の自由を取り戻す。
流石にしぶとい。……いや、私の打撃力不足もあるか。
だが、あまり時間もかけられない。
相打ち覚悟で踏み込み、HPを削られつつももう一撃。
見かけの割にタフだった軍用犬は、三打撃目でようやく光の粒子となった。
<プレイヤー側の勝利です。
ドロップ品を1個入手しました>
《帝国軍軍用犬》が光の粒子に変わったところで、ドロップ品の確認もせず森へと駆け出す。
「いたぞ!」
「追えー!!」
惜しいが先に回復をして、鎧だけでも着替えたい。
たいまつを持った敵兵士は、幸い増援扱いにはならなかった。
開けた麦畑とは違い格段に暗いが、《夜目》のおかげで完全な暗闇でもない森を少しだけ奥に入り込み、大樹の陰に身を隠す。
そのまま逃げるには流石に全力疾走せねばならず、金属鎧を身に着けていなくても足音で居場所が知られてしまう。
砦の全兵力が私を捕まえに来るわけもなし、ならば少々危険でも追っ手を迎え撃った方がましだった。……もちろん《ゴブリン》の洞窟や解放フラグ待ちゲートの定番である『無限増殖』の可能性はあったが、考えるのは後回しだ。
ともかく戦支度と剣を地面に突き刺して皮鎧を外し、鉄の胸当てに付け替えた。ついでに軍用犬との一戦で受けたダメージをアキから貰ったポーションで回復、近づいてきた足音に備える。
たいまつの作る影がゆっくりと揺れ、まだ見つかっていないことを私に教えた。木陰に入って立ち止まったので、敵には未確認状態となったはず。
森に入った兵士は、足音とたいまつから二人とわかる。先ほどの犬の強さから察するに、一対一を二回ならなんとかなりそうだ。
……奇襲で一撃してたいまつを落とさせ、そのまま押し切るのがいいか。
もう一人とは正面から相対するしかない。
私は《帝国軍警備兵》の一人が近づくのをじっくりと待って、《突き》を乗せた一撃をお見舞いした。
決着がつくのに、わずか1分。
軍用犬よりは耐久力もあったが、それでも《突き》を乗せた攻撃二回にプラスして通常攻撃三発をそれぞれに与えて下し、私は賭けに勝った。
<プレイヤー側の勝利です。
ドロップ品4個と40アグを入手しました>
結構大きな音を立てていたはずで、立ち止まって周囲を静かに見渡し、他の追っ手が居ないことを確認する。
……大丈夫らしい。
ふうと息をついてもう一本HPポーションを飲み下し、ああ、現金収入はいいなあとドロップ品を回収する。
《帝国兵のショート・ソード》や《帝国兵の胸当て》などと芸のない名前だが、これも売れば都合200アグほどの収入になるだろうか。通常のフィールドに比べて、イベント中の敵は明らかに高収入で、一度に入る経験値も豊富だった。
しかしながら、一戦の効率では勝っていても今回のようなクエストなら半強制的な移動に時間を取られるし、寸暇を惜しんで効率よく突き進む攻略組が同じ時間で稼ぐトータルの戦果には敵わない。そこに加えて与えられるイベント褒賞アイテムやクリアボーナスをどう見るかが、彼らがイベントに出るか否かの分かれ目である。あとはお祭り───イベントやクエストが好きかと言う個人の嗜好や、パーティー内の多数決で決まったからなど、攻略外の要素も大きく影響するだろうか。
「……ふう」
ふと思いついて広げた地図には『軍用犬』と『夜警』が書き加えられ、達成率は95%になっている。
疲れてはいたがここで寝るには装備もないし、第一敵陣地の目の前では危険すぎた。一人旅で野営をするなら最低でも結界の張れるアイテムは必要だが、今の私にはまだ高価で手が出ない。
私はそのまま敵陣地から離れる方向に向け、夜の森を歩き出した。
翌朝、かなりの眠気にさいなまれつつも味方の最前線陣地にたどり着いたが、特に小競り合いもなかった様子である。敵陣同様見張りは立っているが、空気はのんびりとしていた。
大きな戦闘はまだおあずけか、あるいは……。
「ああ、本拠地と往復する馬車は一日一便だ。
仮眠するならそっちの天幕を使ってくれ。来たら起こしてやる」
「助かるよ」
流石にはらぺにょ君らは戻っていなかったが、メールで知らせるのは完全にミニクエストが完了してからの方がいいだろう。
私はNPC兵士に礼を言い、保存食のビスケットを齧って水で飲み下すとそのまま寝ることにした。
昼頃に起き出して馬車に乗る。
体感時間十数分で、私は無事に本拠地へと戻ることが出来た。
そのまま命令を受けた幕舎へと向かい、騎士イグニスランダルへと地図を渡す。
「おお、ご苦労であったぞ戦士ライカよ。
確かに受け取った。
これは褒美だ、皆が戻るまで体を休め英気を養うように」
「頂戴します」
「うむ」
<おめでとうございます。
あなたはフラグクエスト『義勇兵出撃S』ミニクエスト1aをクリアしました。
フラグクエスト『義勇兵出撃S』ミニクエスト2aの開始条件が満たされました。
報酬として100アグおよびスキルポイント[1]を入手しました>
報奨金はともかく、スキルポイントとはまた大盤振る舞いである。
最近は種族レベルアップに必要な経験値も多くなり、レベルが上がり辛くなってきたので正直ありがたかった。際限なく配られても困惑するだろうが、欲しいものには違いない。……ただまあ、クエストで消費した5日間の移動日をみっちりフィールドでのレベルアップにあてたとすれば、2レベルぐらいは楽に稼げそうで微妙である。
ともかく次の呼び出しをのんびり待つかと、私は幕舎を後にした。
『こちらはミニクエスト終了。お先です』とはらぺにょ君たちにメールを入れて、たまり場になっている天幕へと向かう。
「あー! お父さんお帰りー!」
「ただいま。
……あれ!? アキ一人か?」
私が一昨日コーリング君とシェアした天幕の隣はレモンとアキ、その周囲には《ムーンライト・キャラバン》の出張部隊が陣取っていたのだが、今はうちの娘一人である。
「うん。
まりあんちゃん達は荷馬車の護衛でまだ戻ってないし、レモンさんとコーリングさんとわたしは見張りのミニクエストだったんだけど、わたしは魔術師で、順番もあるし場所も違うから……」
「ああ、なるほどなあ」
「あ、でもミニクエストしゅーりょーでSPポーション貰ったよ」
夜番の見張りと同じく、幾ら戦争が近いとは言っても部隊の全員が一斉に周囲を警戒することもない。戦いに備えて休憩するのも大事だし、補給物資の輸送もあるだろう。居場所はお互いわかっているだろうし、奇襲を受けないための見張りだからそれでよかった。
「お父さんの方はどうだったの?
大変だった?」
「戦士レベルが低かったから、楽に終われたよ」
「低いのに楽なんだ!?」
「クエストの方でレベルに合わせてくれたからなあ。
100アグとスキルポイント貰ったよ」
「うわ、すごいね」
その日は皆が戻ってくるのを待って、炊き出しのように並んで受け取ったシチューを片手にたき火を囲んだ。
先日もキャンプのようで楽しいとアキたちは盛り上がっていたが、普段王都から出ない私にもいい息抜きである。
「まあ、ふつーのイベントよね、ここまでは」
「そうっすね。
あっちの魔界戦の初戦と同じ感じしますよ。
NPCに《狂信者》までは紛れ込んでないと思いますけど……」
「あれ、コーリング君もいたんだ。
……ほんと面倒だったわよねえ」
「補給物資が燃やされたり、夜中に刺客が襲って来たり……」
「拠点の炊き出しに毒混ざってこともあったわね」
「毒!?」
「げっ!?」
私も含め皆が一斉に自分のシチューを見つめたが、レモンとコーリング君は平然と食事を続けている。
「最近はそんなことまで気にしなきゃならんのか……」
「十分に阿鼻叫喚の嵐でしたよ。下手すりゃトラウマになるっすからね」
「だろうなあ」
「新フィールド実装記念も兼ねたイベントだったし、それこそ攻略組がこぞって参加してたのよ。それぐらいで丁度バランスがとれてたかしらね。
こっちは大丈夫だと思うわ。……いまのところ」
あとは雑談半分にイベントの報告を交わしていると、一日が終わった。
合間に帰ってきたメールに目を通せば、サンマは大量の食料と共に王都を出発し、はらぺにょ君たちはそれぞれ無事に二箇所の偵察を終えて残りに取りかかっているという。
さてさて、明日は一日休みだがどうなることやら。
昼寝では足りなかったのか、私はすぐに眠りへと落ちた。
翌日、アキたちは再び周囲の見張りに、《ムーンライト・キャラバン》は新しい陣地の塹壕掘りにそれぞれ出掛けてしまったので、さて丸一日どうしようかと考えていると、特殊部隊の方でお呼びが掛かった。
「戦士ライカよ、休憩中に呼び立ててすまぬ。
実はな、本日夕方、士気発揚のため皇都ディアタニスよりアデライード姫殿下がいらっしゃることになった。
姫殿下ご自身も『雷光の姫君』と呼ばれるほど魔術の才には長じていらっしゃるし、護衛の一隊ぐらいは同行しているだろうが、だからと平常の警備で済ませられるはずもなくご訪問を断るわけにもいかぬ。
そこで夜警を増やしたいのだが、我が軍の本隊は明日の到着で間に合わないのだ。
……貴殿はもちろん《夜目》を持つな?
強制して申し訳なく思うが、こちらにおつき合い戴こう」
<『義勇兵出撃S』ミニクエスト2aが開始されました。
指定された期間、《王女の天幕》の警備を行って下さい>
表示されたインフォメーションには、赤い星印と注意書きがついている。
選択肢なしの強制クエストかと、私は早くに帰還したことを嘆きつつ確認のボタンを押した。
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おまけ お父さんには見せられないわたしの日記帳(74日目)
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レモンさんやコーリングさんとはクエスト分かれちゃったんでステータス不明。
お父さんは『奥の手』が気になったんで見せて貰ったよー。
お父さん(ライカ)
種族:《狼人族》LV41
職業
《戦士》LV3/《片手剣Ⅱ》《突き》
《鍛冶匠》LV4/
鍛冶技能《手入れⅡ》《修理》《精錬Ⅱ》《採鉱》《分解》
作成技能《片手剣》《小刀》《生活用品Ⅱ》《農工具》《金属鎧Ⅱ》《投擲具》
《料理人》LV2/《菓子》《飲料》
《商人》LV1/-
装備
《ロング・ソード[+1]》攻撃力[9]
《イゼンア鉄のヘルメット》防御力[4]
《サンジ鉄の胸当て[+1]》防御力[9]、敏捷[-1]
《イゼンア鉄の中盾[+1]》防御力[8]
《青熊のブーツ》防御力[6]、耐性[+1]
わたし(AKI)
種族:《エルフ族》LV44
職業
《魔術師》LV6/
《プチ・ファイアⅡ》魔法攻撃力(火)[12]、《プチ・アイス》魔法攻撃力(氷)[10]
《エナジー・アローⅡ》魔法攻撃力(無)[24]、《マジック・ウェポン》魔法攻撃力(無)[+10]付与
《フレイム》魔法攻撃力(火)[18]範囲攻撃
《スリーピング》攻撃強度[15]、難易度[0]
《アンロック》、《トラップ・サーチ》、《ガード・チャイム》
《薬草師》LV2/《薬草学》、《ポーション作成Ⅱ》、《調香》
装備
《バルザック樹のワンド》成功値[+2](エナジー・アローⅡ、スリーピング、フレイム)
《マジック・リングⅢ》(プチ・ファイアⅡ、プチ・アイス、マジック・ウェポン)
/《マジック・リングⅢ》(アンロック、トラップ・サーチ、ガード・チャイム)
《流れ星の魔法帽》防御力[2]、魔法防御力[+2]
《白の魔法衣》防御力[3]、魔法防御力[+4]
《大角鹿のブーツ》防御力[5]、回避[+2]
今度はメインクエストだよ!
なんだか大ごとになってきたけど大丈夫かな……。
王都からまたディアタンに逆戻りだけど、今度は4000人ぐらいの大移動だから賑やかすぎる。
炊き出しのご飯も並ぶのが結構大変だし、集合場所に行くのも人混みをかき分けなくちゃいけない。
でもまだクエストは始まったばかりで、わたしの受けたミニクエストもただの見張りだけ。貰ったSPポーションはわたしにはまだ作れないから嬉しいけどねー。
今は空いた時間で、手持ちの材料からポーション作り置きとかしてるよ。レモンさんの入れ知恵で王都出る前に売れるほど薬草買ってきたから、しばらくはこればっかり。役に立つといいなあ。
そうそう、明日は援軍が到着して、いよいよ攻撃なんだって。
たぶんあっちこっち走り回って忙しいわよって、レモンさんは言ってたっけ。
お父さんとはちょっと離れちゃうけど、しょーがない。
そのお父さんはレモンさんやレイ君たちの剣を手入れして、夜になるとお出かけしてしまった。
強制クエストでお姫様の護衛になったんだって。
『雷光の姫君』は、確かおまけの冊子に載ってた英雄NPCのお姫様。
お父さんは面倒臭そうにしてたけど、ちょっとかっこいい。
明日はパーティー組んで『おでかけ』の予定。
ポーションもたっぷり、MPも満タン。
がんばるー!
追記。
お父さんの奥の手は、修正値付きの鎧とか剣じゃなかった。
……わたしにもくれたけど、いいのかな?
わたし、武器のスキルどころか《戦士》も持ってないんだけどなあ……。