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 "ここ"へ戻った。

 砂時計の砂はすべて落ちていた。49日が終わったのだ。俺の人生がこんなつまらない終わり方だったとは。後味が悪いにも程がある。

 しかし、これで別れの儀式は終わったはずだったが、何も起きなかった。声の主は現れないし、俺はカカオの木には生まれ変わっていない。

 まだ遣り残した何かがあるのだろうか。

 しかしもはや、何もかもがどうでもよくなっていた。早くカカオの木でも桃の木でも山椒の木でも、何でもいいからすべて忘れて生まれ変わりたかった。

――こんな思いをするのなら……

 いっそ生まれてこなければ良かったと、そう思った。

 これで終わりなんて、あんまりだ。


「砂は貯まったな」

 不意に声の主が語り始めた。

――終わりました。すべて。

「終わった?いやいや、これが始まりだ」

 これで俺の次の人生の始まり、というわけか。本当にあっさりとしたものだ。

 でも、すべて忘れ新しい人生を歩むならそのほうがずっと楽かもしれない。

「ハッハッハ、次の新しい人生へ行くという意味ではないぞ。お前はまだ何もしていないではないか」

 考えを見透かされていたことにドキリとした。

 確かに、何もしていない。単に自分の生きた道をなぞっただけだ。

「これから、お前の真の別れの儀式がはじまる」

――でも砂時計の砂はすべて落ちました。約束の49日は終わったんじゃ……?

「これが砂時計に見えたか。これは砂時計ではなく、お前の人生そのものだ。この砂一粒一粒がお前の生きた証」

目の前の巨大なひょうたんのような形をした砂時計はそっくりそのままひょうたんの入れ物になり、その大きさは巨大なものなどではなくなっていた。

「"ここ"からならお前の人生の好きなところへ飛べる、と先に話したな?」

――はい。俺の生まれてから死ぬまでの間ならどこでも。

「そう、"ここ"から飛べるのは生まれてから死ぬまでの間だ。しかしこの砂を使えば……」

 ひょうたんの入れ物からキラキラ輝く細かい粒子が飛び出し、俺の周りをくるくる回り始め、燃えるように揺らめいた。キラキラときらめく命の灯火は俺の周りを回るたびに俺が生きた景色を映し出してくれた。生まれた日、はじめて歩いた日、しゃべった日……小学校へ上がった日……中学生になった日……すべての日々がきらめいていた。

 俺を中心にしてくるくると回る俺の命のかけらたちは美しかった。

「それがお前の命だ」

――きれいだ……自分でいうのもなんだけど。

 俺の命は力強く輝いた。それはどんな宝石にも勝るとも劣らぬ輝きで、どんなにつらい出来事があった時でさえ、その命の炎は弱まることなく輝き続けていた。

「その命の炎をまとった状態ならお前の死後の世界を1日だけ体験することができる。これが、お前が河村智也としてこの世に接することができる最後となるだろう」

――これで、最後……

「お前はこれまで生きてきた人たちに別れを言ったか?父、母、兄、友人や恩師たちに」

 死ぬ直前の最後に会った、兄ちゃんの顔を思い出された。俺が兄ちゃんの手から無理にチョコを奪い取った瞬間の、戸惑いの顔。

「これが正真正銘、最後のチャンスだ。よく考えるのだ」


 俺は兄ちゃんとわだかまりを持ったまま死んでしまった。俺は兄ちゃんの行いを許すことなどできない。だけど……

 だけどもし、本当にこれで終わりなのだとしたら、こんな別れ方をしたら駄目だ。きっと悔いが残る。死んでも死に切れないとはこのことだ。

 とにかく俺は改めて"人生との別れの儀式"をすることにした。父さん、母さんに何も言っていない。カズ、それに片思いだったけど矢野さん。クラスメートたち。そして、気まずいまま別れてしまった兄ちゃん。

 死んで、魂だけの俺にどこまで、何ができるのかわからないが、やるしかない。

――俺、どうしていいのかわからないけど行きます。とにかく行ってみます!

「よく決心したな。この1日が素晴らしき日であらんことを……!」



 大きな写真が祭壇の上、中央に掲げられ、左右対称に色とりどりの花が並べられていた。

 自分の葬式を見るというのは不思議なものだった。まるでテレビドラマのワンシーンを見ているような錯覚に陥った。けれど、目の前の黒いリボンをかけられた大きな写真には、紛れもない自分の顔が掲げられており、死んだ実感のない俺にとっては、悪趣味ないたずらとさえ思えた。

 写真は体育祭の時のものだろうか。小さく写っていたものを無理やり引き伸ばしたせいで、微妙なピンボケや粗が目立つものだった。小さく半開きになった口元や力なく作られた手元のvサインが虚しさを漂わせる。

――どうしてこの写真を選んだ……

 自分で選べるならもっと気に入ったものを選べるのに、残念で仕方がない。


 花で覆われた祭壇の下には、白い布をかけられた箱が横たわり、その箱に母さんがしがみついてしきりに何か言葉をかけていた。俺が眠る棺に違いなかった。

 母さんの顔は、あの優しい母さんの面影を失うほど変わり果てていた。色白のハリのあった顔は土気色になり、泣きはらした目は浮かび上がるようにギラリと赤く充血し、溶けてしまうかと思われた。

 しきりに俺の名前を呟き、学校の友達が大勢お通夜に来てくれたよ、とか田舎のおじさんがわざわざ出て来てくれたよ、とか他愛もない何でもない言葉をかけ続けていた。

 胸が痛んだ。心が、身が裂かれる思いだった。

――母さん、ごめん。

 父さんは受付を済ませた参列者と挨拶を交わしていた。父さんは一見普段通りに見えたが、その眉間には深いしわが寄せられ、いつもよりずっと厳しい表情をしていた。けれどやはりどこか生気をなくしひどく疲れた顔をしていた。

――父さん

 そんな時どこからともなく兄ちゃんが現れた。音もなく気配もない。その表情は歯を食いしばり何かに必死に耐えているように時々小刻みに震えていた。

――兄ちゃん

 話しかけてみたが兄ちゃんはなんとも反応しなかった。まるで届かない。歯がゆかった。


 式が始まり、家族は向かって右手の席に着いた。

 カズやその他仲のよかった友人たちや先生が数名で来てくれていて、カズはどうしていいのかわからない、というようにオロオロしながら左手の席に着いた。

 矢野さんは来ていなかったが、母さんの話から昨日のお通夜に泣きながら参列してくれていたことを知り、胸が熱くなった。

 全員がなんとなく着席し、しばらくするとお坊さんがのそのそやってきて中央に座り、お腹の底から響くような声で、歌うようにお経を唱えはじめ、その声は会場いっぱいに響き渡った。

 いたるところで泣き声や鼻をすする音がした。

 衝撃だった。ここで流されるすべての涙はすべて俺に向けられていた。俺のために悲しみ俺のために泣いてくれていた。

 この想いにどう報いていいのかわからず、泣き叫びたかった。

――俺だって死にたくなんかなかった!

 いくら泣き叫んでもこの想いは誰にも届いているように感じられなかった。


 一通りお焼香を終え、いよいよ最後のお別れとなった。

 棺はふたが開かれ自分の亡骸が横たわっている姿が見え、辺りから「わっ」と爆発音かと思われる誰かの泣く声が一斉に上がった。

 自分の横たわる姿は不思議だ。あわよくば体に戻って生き返れるのではないかという淡い期待を抱いていたが、横たわる己の姿を見た瞬間その期待は打ち砕かれた。

 ただ、安らかに眠るように横たわる俺の体は、もう、まるで生きていなかった。ただの"入れ物"としか思えなかった。不思議な感覚なのだが。

 ただ眠っているだけのように見えるのに、今にも起きて動き出しそうに見えるのに、けれどやはりその肉体から"命"が抜け落ちていてただの人形と化していた。

――当たり前だ。命の炎は俺が持っているのだから。

 そしてその命の炎を肉体に戻すには遅すぎた。肉体はその役目を終え眠りについたのだ。もう二度とその体に命が吹き込まれ動き出すことはない。

 絶望とも諦めともいえる黒い何かが自分の心にわきあがってくるのを感じた。


 最後の別れに、棺を花でいっぱいにして見送る準備をするようにとアナウンスが流れた。

 花が配られ、棺の中へ入れるよう促され、それぞれが両手に花を持った。その時――

「皆さんにお願いがあります」

 兄ちゃんが、何かを必死に堪えたような顔で訴え始めた。その大きな瞳には涙がいっぱいに溢れており、今にも零れ落ちそうだったが、懸命に耐えていた。

 瞬間、会場にいた全員の意識が兄ちゃんに注がれた。

「弟は……弟はチョコレートが大好きでした」

 会場の全員が、息を飲みながら兄ちゃんを見守った。

「向こうで、食べられるようにチョコレートを持たせてやりたい……あいつを喜ばせてやりた……」

 泣き声になってしまい最後まで言えなくなっていたが、皆兄ちゃんの言いたかったことを察したように、用意されていたチョコレートを先に渡されていた花と一緒に手に持った。

 それぞれが並び、棺の俺を囲むようにして花とチョコレートを添え始めた。

 カズは手紙を書いてきてくれていた。「向こうで読めよ」と、横たわる俺の亡骸に小さく呟きながら手紙と一緒にチョコレートを添えた。

 父さん、母さんもそっと棺にチョコを添えた。

「智、ごめん。俺が殺した……、俺が……」

 兄ちゃんが真っ赤な顔をして泣きながら震える手でやっとチョコレートを棺に入れた。

 そんな兄ちゃんを父さんと母さんが後ろから肩を抱くように抱きしめ、そして一緒に震えながら泣いた。

 俺が兄ちゃんの前から走り去った後で、俺が死んだ。そのことを自分のせいだと自責の念に苦しむ兄ちゃんを前にし、俺はもはや矢野さんのことなどどうでもよくなっていた。

 とにかく兄ちゃんを楽にしてあげたい。


 たくさんの参列者がひとつ、またひとつとチョコレートを棺にささげ、気づけば俺の棺の中は花とチョコレートでいっぱいになった。

 チョコレートに込められた溢れんばかりの愛を受け取ったような気がした。


 チョコレートに生まれ変わりたかった理由が今やっとわかった。

 小さい頃、兄ちゃんが俺にくれたチョコレート。それはいつも俺を喜ばせたいという思いからだった。それはいつも感じていた。チョコレートは絆だ。俺と兄ちゃんの。

 兄ちゃんとのこの絆を失いたくなかったから。兄ちゃんの弟に生まれたことを忘れたくなかったから。


――兄ちゃんは俺のこと許してくれるかな

 こんな酷い別れ方をした俺を、許してくれるだろうか。

 俺の言葉が届いたかのように兄ちゃんが言葉を続けた。

「俺はお前を許さない、先に逝きやがって。生まれ変わることがあったら、俺のところに戻って来い、絶対に!」

 そういって兄ちゃんは顔をくしゃくしゃにしてわんわん泣いた。そして、手を震わせながら、それでも精一杯チョコレートを棺につめ続けた。弟の喜ぶ顔が見たい一心で。



 少しずつ回りの景色が薄れていくのがわかった。もう、時間だ。

 兄ちゃんの泣き顔が遠ざかる。それと同時に、今まで生まれてから死ぬまでの記憶が再び走馬灯のように甦ってきた。どれだけ父さん、母さんから愛されてきたか、兄ちゃんの優しさ。楽しかった日々、すべてがかけがえのない宝物だった。

 俺はこの記憶を持って旅立つんだ。大事にしていた俺の持ち物は何もこちらに持ってこれなかったけど、このかけがえのない宝物たちはこれからもずっと俺の宝であり続けるだろう。

 薄れ行く意識の中でそんな風に思っていた。


 こうして俺の49日は明けた――





「もう、パパったら、あんまりお菓子ばかりあげないでくれる?」

 ただでさえご飯食べなくて困るのに、とぶつぶつ小言を言いながら台所に立つ。

「ママの作る手作りチョコレートには定評があるからな。食べはじめたら止まらないんだ」

 そうやってごまかしても無駄、と言わんばかりにママはキッとにらみをきかせた。

 祐也ゆうやは思い出していた。遠い昔、今はいない弟が、はじめて彼女からもらったチョコレートをほとんど全部平らげてしまっていたことを。

「何笑ってるの?」

「別に」

 弟は弟にとって最後のバレンタインの日、このチョコレートを食べられなかった。彼女が「弟君にも」と言って用意してくれた手作りチョコを手に握り締めたまま逝ってしまったのだから。

 あいつは誤解して、俺を恨んだまま逝ってしまった。

 ……俺を許してくれるだろうか。

 

――そんなこと、もうとっくに許してる。そんなことよりチョコレートをくれよ、兄ちゃん!

 聞こえるはずのない声が、頭の中で響いてくる。

 あいつならきっと、そういって笑ってくれるだろう。そう信じたかった。

 一瞬、目頭が熱くなる。

「もうすぐご飯だからね、これ以上お菓子あげないでよね」

「わかったよ」

 そうは言っても小さい子供のさとるには大人の事情などわからない。今、目の前にある甘くとろけるように美味しいチョコレートの誘惑には勝てず、祐也にすがりついた。

「パパ、おとれーと!」

 ママが後ろを向いているのを確認し、一粒のチョコレートを智の口に放り込むと、わからないような小さな声で智に呟いた。

「これでおしまい。ママには内緒だよ」

 チョコレートを口に頬張りながら智は嬉しそうに微笑む。

 その姿を裕也は大きな瞳を優しく細め、満足そうに見守った。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

初めての小説ということで、とにかく一つ書き上げることを目標にしました。

こんな拙いお話に評価を下さりありがとうございます。

読んでいただけただけで、とても嬉しいです。

次は、「一つ書き上げる」ことにもう一つ目標をプラスしてまたお話を考えてみようと思います。


ありがとうございました!

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